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四月九日。
戦争もない、貧困もない、素晴らしい世界。少女、冬香は幸せな毎日を過ごしていた。
冬香は絵を描くことが好きな高校2年生。部活は当然美術部であり、美大を目指して画塾にも通っている。
クラスの中でも目立つほうではなく、とりわけ成績がいいわけではない。いわゆる『普通の子』である。
人よりも優れている部分があるとすれば――多少ポジティブなことくらいだった。
――あぁ、眠たい。
そんな冬香にとって授業は退屈である。更には春の暖かい気候に加え、冬香の席は窓際。そこから入ってくる昼の光が冬香の眠気を誘う。
「……が、Aで……が、……で……」
先生の言っていることが恐ろしいほど理解できなかった。眠たい時は誰だってそうだ。
A=Aと言っていても、こういう時はA=Bと言っているように聞こえるのだ。
――ここはもう諦めて寝るしかないな。
冬香はそう思い、教科書で顔を隠して眠ろうとした。
四月からこんな調子だったら、先生にマークされちゃうなーとも思いつつ、でも私は芸術の道へ行くから勉強なんて必要ないんだ! という気持ちでいつも寝ていた。
しかしその時。
「……いてっ」
後ろの席の人物がペン先で冬香の背中を刺してきたのだった。
ちらっと後ろを向くと、そこにいる少女は口パクで「ねるなよ」と呟く。
身長が小さめのせいで机と椅子に対して座高が合っていない。顔は童顔っぽいが目は鋭い少女。あと、髪が物凄く長い。黒く綺麗な髪が腰辺りまでかかっている。
その人物は冬香の幼馴染である秋穂だ。秋穂は冬香が小学生の頃からの友人であり、中学、高校と同じ学校である。小学校の頃は一番仲がいいと言っても過言ではなかったが、中学生になるとだんだん別の友達と遊ぶようになった。
本当は秋穂とはそれほど馬が合わないのかもしれない。小学校の時も基本的には秋穂とあと二人を含んだ四人で過ごしていたし、元はと言えば転校してきた秋穂を元気な友達が声を掛けたのが始まりで、そこから自然と一緒に過ごすようになっていただけだ。
このように、高校でも今は同じクラスだが、俗に言う『違うグループ』である。たまに話す機会があったら話す、その程度の関係だ。
秋穂の妨害もあって、結局その授業で冬香が寝ることは出来なかった。
「せっかく人が寝てたのに」
「授業中なのに寝てるのが悪いでしょ。サボり魔なの?」
秋穂の煽るような言い方に冬香は少し腹を立てる。
それに、この授業は英語。英語は冬香の得意教科なのである。逆に秋穂は、英語が壊滅的に苦手なようだが。
「私は英語得意だから大丈夫! それに、部活サボってる秋穂に言われたくないんだけどー」
冬香は自分が持っている最大の秋穂の弱みを利用して反論した。
ちなみに、冬香と秋穂は同じ美術部であった。しかし、秋穂はバイトが忙しい、用事があると何かと理由をつけて部活には来なかった。
尚、恐らくアルバイトはしていない。
この学校の美術部で入っているだけの幽霊部員などあまり珍しくもなく、むしろ積極的に活動している人のほうが少ないため、誰も秋穂を責める人はいなかった。
しかし、冬香にはそれはよく理解できなかった。来なければやめればいい、それか最初から入部しなければよかったのに。
いい加減来たらいいのに、と冬香が愚痴を言うと、「はいはい」と適当に流されてしまった。
秋穂は基本的に何に対してもやる気がなさそうだった。
人の将来に首を突っ込むはよくないかもしれないが、将来の道を選べるのか心配になる。冬香たちが通っているW高校もたいして頭がいい高校でもないし。