第1章〜初恋の味は少し苦くて、とびきり甘い〜⑨
「いや、彼にちょっとしたテストをしていただけだ。そう怖い目で睨むな、仁美」
針太朗と同じ学年の女子生徒の冷たい視線を受け流し、養護教諭は苦笑しながら、真中仁美に返答する。
そして、保健医と同級生が互いにファースト・ネームで呼び合っていることに気づいた針太朗は、したたかに打ち付けた右腕をさすりながら立ち上がり、
「名前で呼んでいるということは、安心院先生と真中さんは、親しい仲なんですか?」
と、たずねる。
「あぁ、仁美の母親とは、ウチの実家が古くからの知り合いなんだ。私も、商いをしている姉ほどではないが、色々と交流は多い方でな……仁美の家族……真中家とも、親しくしているというわけだ」
なるほど――――――。
入学初日に、高等部までの道案内をしてくれた彼女なら、信頼を置けるかも知れない。
まして、人ならざる存在について、色々な知識を持っていそうな養護教諭が協力者として白羽の矢を立てているのならば、なおさらだ。
そんな風に考えた針太朗の中に、ほんの少しだけ安堵する気持ちが芽生えてくる。
そのため、前日に続いて、お世話になることを申し訳なく思いながらも、真中仁美という同じ学年の女子生徒に親しみを覚えた彼は、愛想の良い微笑みを浮かべながら、
「真中さん、昨日に続いて、お世話になります」
と言って、握手を求めるように、彼女に対して右手を差し出す。
だが、知り合ったばかりの同級生女子の反応は、針太朗の期待したモノとは、ほど遠いモノだった。
仁美は、彼の手を握り返すこともなく、両腕を胸の前で組んだままで、無表情で彼に返答する。
「針本くんも、年上の女性に身体を触れられたくらいで、喜んでいて大丈夫なの? リリムの彼女たちは、これから、色んな手段でアナタを誘惑してくるんだよ?」
同級生女子の取り付くしまもない態度に、差し出した手を慌てて引っ込めながら、謝罪する。
「ご、ゴメン……できる限り、気をつけるようにするから……」
そう言葉にしつつも、
(あれ……? どうして、ボクは謝ってるんだ……?)
と疑問に感じ、自身の置かれた立場の理不尽さに、今さらながら、憤りを覚える。
ただ、そのことを直接、口に出すことは遠慮して、もうひとつ、自分の中で疑問に感じていることを保健室にいる二人に問うてみる。
「あの……どうして、ボクは、彼女たちのターゲットにされているんですか? 自分で言うのも虚しいけど、女子にモテるわけじゃない……というか、どっちかと言えば、ボクは女子と話すことが苦手なのに……」
おそらく、針太朗自身だけでなく、彼の性格を知っていれば、誰もが感じるこの疑問に答えたのは、人ならざるモノに対しての知識を豊富に持っている幽子だった。
「針本、それは、キミが実にリリム好みの特性を有しているからだろう。リリムは、自分だけに向けられる純粋な愛情を好む傾向にあるそうだ。なかでも、それが、初恋ともなれば、彼女たちにとって、その魂は、なお甘美なごちそうになるという。差し支えなければ答えてほしいのだが……キミは、女子との会話が苦手と言っていたが、異性に恋をした経験はあるか?」
恋愛経験という思春期の人間にとっては、あまり他人に触れられたくない事柄ではあるものの、自分の身に危険が及んでいることに加え、幽子の有無を言わさないような迫力に気圧され、針太朗は、ブルブルブルと、首を三度横に振って、
「いや……ボクには、そういう経験は無いです」
と、正直に自身の認識を述べる。
その彼の言葉に、真中仁美は、ピクリと身体を震わせた。
ただ、そんな二人の反応を気にする様子もなく、養護教諭は、淡々と言葉を続ける。
「そうか、やはりな……最近の高校生の恋愛事情は詳しくわからんが……高校生になるまで、恋愛感情を抱いたことがないというのは、それだけ貴重な存在だと言えるかも知れない。その上で、さっき私がキミに触れたときの初心な反応だ。彼女たちにとって、キミの魂はこれ以上ないくらいのごちそうだろう。針本、キミが、リリムたちのターゲットになるのは、自身の人生経験に理由がある、というわけだ」
落ち着き払った様子で語る幽子の言葉は、そこに特別な感情がこもっていない分、針太朗にとっては、余計に恐ろしく感じられる。
その言葉におののく男子生徒に対して、保健医は、さらに言葉を続けた。
「彼女たちは、自身がターゲットと定めた相手に対して、自分を印象付けるように、なんらかの小さなアプローチを始めることが多いらしい。まあ、一種のマーキングというヤツだな……最近では、SNSなどを通じて、ターゲットに近づくリリムも多いと聞くが……」
養護教諭が、そこまで語ると、青ざめた表情の針太朗は、先ほど確認した胸ポケットの封筒に続き、通学カバンにしまっていた三通の封筒を取り出す。
薄いイエロー、薄いブルー、薄いピンクと合わせて、合計四通の封筒を確認した針太朗、仁美、幽子の三人は、目の前の現実にため息をつく。
「私が言うのもなんだが、この学院の生徒は、ずいぶんと古典的な手段を取るんだな……」
保健医の言葉に、「それな!」と心のなかで同調した二人の生徒は、無言でうなずくしかなかった。




