Case.3 ティラノサウルス頭骨化石盗難事件 1
「道人。その飛車、少し待てませんか?」
「待てませんよ。待ったは3回までって決めたじゃないですか」
平日の昼下がり。今日も今日とて姫宮最強探偵事務所に依頼人は現れず、暇を持て余した琴星と道人は将棋を指していた。
「はい、これで詰みですね」
「くぅっ……勝てない、道人に勝てない……っ!」
今は3回戦の決着がついたところで、ここまで全て道人の勝利で終わっている。
3回までなら指した手をやり直しても良いというハンデを与えられて尚、琴星は道人に1勝もできずにいた。
「はぁ……どうして私はこんなに将棋が弱いのでしょう……」
「考えないで次の手を指すからですよ。俺が指し終わった2秒後にはもう次の手指してるじゃないですか」
「待っていられないんです……考える時間を待っていられないんです……」
「確かに俺が次の手を考えてる間、ず~っとそわそわしてますもんね」
感想戦、というよりは琴星の反省会をしながら4回戦の準備を始めたその時。
カランコロン、とドアベルが音を鳴らした。
「失礼する」
扉の向こうから現れたのは、すらりとしたスーツ姿の男性だった。
男性の顔は芸能人のように整っており、掛けている眼鏡と相まって理知的な印象を受ける。
「何だ、氷室さんですか」
応対しようと腰を浮かせていた道人は、男性の顔を一目見て、拍子抜けしたようにまた腰を下ろした。
男性の名は氷室圭嗣。琴星と道人と顔馴染みの警察官である。
「何だとは何だ鴻上。というか何を平日の真昼間から将棋なんかしているんだお前達は」
「氷室さんこそ、警察官が真昼間からこんな所で油売ってていいんですか?」
「こんな所とは何ですか道人、こんな所とは」
「すみません所長、口が滑りました」
「はぁ……相変わらずだなお前達は」
氷室は呆れたように溜息を吐くと、当たり前のように応接用のソファに腰掛けた。
「なあ姫宮、鴻上。この間の山火事はお前達の仕業か?」
唐突な氷室のその質問に、道人は一瞬硬直した。
「……山火事?何のことですか?」
「惚けるな。連続空き家放火事件の4件目が起きた夜、ほぼ同じ時間帯に少し離れた場所で山火事があっただろう。山頂の神社が全焼するほど激しい火の手が上がっていたというのに、消防が到着する前に自然に鎮火した奇妙な山火事だ」
氷室は琴星と道人をじろりと睨み付ける。
「連続空き家放火事件の裏にイグニアス・カルトがいたことは俺も知っている。大方あの山火事は、お前達のどちらかがイグニアス・カルトと戦った結果だろう?」
「……はぁ、そうですよ」
氷室の推理は見事に的中していたので、道人は諦めて白状した。
「ほう、鴻上の方だったか」
氷室が僅かに口角を上げているのは、推理が当たっていたのが嬉しかったからだ。
「言っておきますけど、あの山火事は不可抗力ですよ。相手が炎の司教だった時点で、どうやっても火災は避けられませんでした」
「安心しろ、火災の責任をお前に追求するつもりはない。しかし炎の司教とは、また大物が現れたものだな」
「無駄話もいいですけれど、結局あなたは何をしに来たのですか、氷室?」
道人と氷室の会話を遮り、琴星が紅茶をスプーンでかき混ぜながら氷室に尋ねる。
「まさか本当にただ油を売りに来た訳では無いでしょう?」
「ああ。実は今日、お前達に頼みがあって来たんだが……おい何だその顔は」
氷室が「頼み」という単語を口にした途端、琴星と道人は揃って顔を顰めた。
「……こう言ったら何ですけど、氷室さんの依頼ってクッソめんどくせぇのばっかりなんですよね」
「おい、少しはオブラートに包めよ鴻上」
「あなたからの依頼は一銭にもならないので、こちらとしてもモチベーションがまるで上がらないんですよね」
「俺が必要な情報を横流しする代わりに俺からの依頼は無償で引き受けるという取り決めを提案したのはお前の方だろう姫宮」
渋る琴星と道人に氷室が噛みつく。これは氷室が依頼を持ち込んできた時のお約束のようなものだ。
「それで?今回はどんな面倒事を持ち込んできやがったのですか?」
「言葉遣いに気を付けろよ姫宮」
琴星が顔を顰めたまま氷室の対面のソファに移動し、道人がその斜め後ろに立つ。
色々と文句を言いつつも、2人は氷室の依頼に耳を傾ける体勢を整えた。
「現在時生市立博物館で、恐竜の化石を集めた特別展が開催されているのは知っているか?」
「ええ、知っていますよ」
時生市立博物館は、時生駅から徒歩5分の場所にある博物館だ。市立にしてはかなり大規模な博物館なのだが、今ひとつ知名度が高くない。
そんな時生市立博物館で現在開催されている特別展が「大恐竜博」。ティラノサウルスやトリケラトプス、ブラキオサウルスなど、有名所の恐竜達の化石を集めた一大イベント……なのだが。
「確か大恐竜博では、先日盗難事件があったとか」
「そうだ。そしてその盗難事件の影響で、市立博物館は現在臨時休業している」
「盗まれたのはティラノサウルスの頭骨の化石でしたか。地域紙やローカルニュースでも大きく取り扱われていましたね」
事件が起きたのは数日前。ティラノサウルスの頭骨化石の盗難というセンセーショナルな事件は、瞬く間に時生市を席巻した。
犯人は未だ捕まらず、頭骨化石の行方も明らかになっていない。博物館は「警備態勢に問題があったのではないか」とバッシングを受けている。
「お前達に依頼したいのは、その頭骨化石盗難事件のことだ。俺はこの事件を異常犯罪だと睨んでいる」
「……前から言っていることですが、その『異常犯罪』と書いて『エグゾクライム』と読ませるのを止めなさい。あなたしか使っていませんよ」
異常犯罪というのは氷室が提唱し始めた造語で、Extraordinary Crimeを略したものだ。
定義としては通常ではない方法、特殊な能力などを用いて行われた犯罪を指す。
例を挙げると、以前琴星と道人が解決した「見えざる痴漢」事件がこれに該当する。「右腕を切り離して遠隔操作する」という特殊な能力を用いて行われた痴漢行為は、典型的な異常犯罪だ。
もっとも琴星が言った通り、異常犯罪という呼び方は氷室しか使っていないのだが。
「まあいいです。その盗難事件があなたの言う異常犯罪だという根拠は?」
「まずはこれを見てほしい」
氷室が鞄からノートパソコンを取り出す。
そしてしばらくパソコンを操作すると、琴星と道人に画面を向けた。
「氷室、これは?」
「事件があった時の、博物館内の防犯カメラの映像だ」
「えっ、そんなもの俺達に見せていいんですか?」
「いい訳無いだろう。分かり切ったことを聞くな鴻上」
そう言いながらも氷室は全く悪びれない。
この程度の機密漏洩は、氷室にとっては慣れたものだ。
「再生するぞ」
氷室の宣言と同時に映像の再生が始まる。
画面には大恐竜博の会場が映し出されており、ティラノサウルスの全身骨格化石が中央に収められている。
「犯行が行われたのは午前2時過ぎ。これはその時間帯の映像だ」
氷室のその解説と同時に、映像に不審な人物が現れた。
画面の右端から現れたその人物は、丈の長い服や手袋で肌を完全に覆い隠し、顔には鳥のくちばしのようなものが付いた仮面を着けていた。
「うわ、何ですかこの仮面。趣味悪……」
「ペスト医師のようですね。正体を隠すためのものでしょうが……このデザインは好みなのでしょうか?」
道人と琴星が仮面に対する感想を言い合っている間に、映像の中では仮面の人物がティラノサウルスの化石に近付いていた。
仮面の人物はティラノサウルスと向かい合うように化石の正面に立つと、両手を伸ばして躊躇なく頭部骨格に触れる。
すると頭部骨格はあっさりと取り外されてしまった。
「えっ、頭の化石ってあんな簡単に取り外せるものなんですか?」
「いえ。これは恐らく、この仮面の人物が化石の扱いに慣れているのでしょう」
「警察も同じ見解だ。犯人は学芸員や考古学者などの可能性が高いと見ている」
仮面の人物は取り外した頭部骨格を軽々と抱え上げると、そのまま画面の外へとフェードアウトしていった。
「ティラノサウルスの頭の化石なんて相当重そうですけど、随分簡単そうに運んでますね」
「余程の怪力か、何らかの手段で身体能力を強化しているのか、それともそもそも人間ではないのか……氷室、この後の映像は?」
画面の外へ仮面の人物が消えてしまったので、琴星が続きの映像を求める。
だが氷室は首を横に振った。
「無い。その人物が映っている映像はその1つだけだ。博物館内の他のどの監視カメラにも、その人物は映っていなかった」
「監視カメラの死角を縫って博物館から脱出した……という訳ではないのですね?」
「ああ。警察も何度も検証したが、ティラノサウルスの全身骨格化石がある会場から、監視カメラに映らずに博物館の外へ出ることはどう足掻いても不可能だ。頭骨化石なんて大荷物を抱えていたのなら尚更な」
「仮にもしそれが可能となるとすれば……」
「何らかの異常な手段を使ったとしか考えられない」
氷室がこの事件を異常犯罪と呼ぶ理由が、ようやく明らかとなった。
「この仮面の人物が異常犯罪者だとしたら、警察では手の出しようがない。だから警察に代わってお前達2人にこの人物の正体を突き止めてほしい。それが俺の依頼だ」
「……今更こんなことを言わずとも、あなたなら分かっているとは思いますが」
琴星が渋い表情で口を開く。
「あなたの言う異常犯罪者は、現行犯でなければ見つけ出すことが非常に難しいです。その理由は……」
「特殊な能力の存在を前提とした場合、あらゆるトリックが実現可能となるから、だろ?」
琴星は頷いた。
異常な手段を前提とするのであれば、瞬間移動や透明化など、監視カメラに映らず博物館を脱出する方法は文字通り無限に存在する。
無限の可能性の中から真実を見つけ出すことは、砂漠の中で1粒の砂を探すよりも遥かに困難なのだ。
「それが不可能に近いほど困難であることは俺にも分かっている。だがそれでも俺はお前達に頼る他ないんだ」
氷室が深く頭を下げる。
「頼む。お前達の力を貸してくれ」
「……はぁ。まあ、あなたと私達は元々そういう取り決めですからね」
琴星は観念したように小さく溜息を吐いた。
「可能な限りの協力はしましょう。ですが犯人を明らかにすると確約することはできません。それでも構いませんか?」
「ああ、充分だ。恩に着る」
「存分に着てください」
氷室はもう1度深く頭を下げてから、ノートパソコンを鞄に仕舞って立ち上がった。
「そうと決まれば早速現場に向かおう。どうせお前達はこの後も依頼人が来なくて暇だろう?」
「恩に着ると言っておきながら早速失礼ですね。あなたが事務所に来てもあまり歓迎されないのはそういうところですよ」
「暇なのは事実ですけどね。将棋してたくらいですし」
琴星と道人は氷室の後に続いて、わちゃわちゃと騒がしく事務所を後にした。
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