Case.2 連続空き家放火事件 2
「道人、どう思いますか?」
佐久間が返った後、琴星は給湯室で洗い物をしている道人にそう尋ねた。
「炎と彼岸花の組み合わせとなると、真っ先に思い浮かぶのは『イグニアス・カルト』ですね」
「ええ、私もちょうど同じことを考えていました」
イグニアス・カルト。
それは「高貴なる炎の王ザララジア」なる神格を崇め、炎を信仰の対象とする狂信的な宗教団体だ。
宗教において炎を尊ぶことそれ自体はおかしなことではない。火炎の神格化は、それこそ世界中で行われてきたことだ。
しかしイグニアス・カルトの信仰は、それらの一般的な火炎崇拝とは全くの別物だ。
イグニアス・カルトは彼らの神であるザララジアの力の象徴である炎を唯一絶対のものと考え、世界の全てを炎で覆い尽くすことを悲願としている。そしてその悲願は、ザララジアを地上へと降臨させることによって為される、というのがイグニアス・カルトの教義である。
そしてイグニアス・カルトは彼らの信仰に忠実であるために、炎に対して異常な執着を見せる。彼らはカルトの版図を拡大するため、またザララジアが地上に降臨する環境を整えるため、積極的に放火を行う。イグニアス・カルトにおいて放火は聖なる行いであるとされ、信者は放火に一切の罪悪感を持たない。
更にイグニアス・カルトは時として、「ザララジアの眷属」と呼ばれる超自然的な怪物を使役することさえある。彼らが操る怪物はさながら生ける炎、出現するだけで周囲を無差別に発火させる。
総じてイグニアス・カルトは、非常に危険で異常なカルトなのだ。
「近頃の連続空き家放火事件……その裏ではイグニアス・カルトが糸を引いているのかもしれません」
「所長。佐久間さんのお兄さん、佐久間勉さんでしたっけ。彼岸花のマークが入ったライターを持っていたということは、彼もイグニアス・カルトの一員なんでしょうか」
道人がそう考えたのは、イグニアス・カルトにおいて彼岸花がザララジアの象徴として扱われているためだ。
イグニアス・カルトに伝わるザララジアの姿と、彼岸花の形がよく似ている、というのがその理由である。
「佐久間勉さんがイグニアス・カルトの一員であるかは、現時点では分かりません。ですが佐久間勉さんが何らかの形でイグニアス・カルトとの関わりを持っている可能性は非常に高いと言えるでしょう」
「奴らは洗脳が得意ですからね……」
「ともかく今後の方針としては、しばらく佐久間勉さんの動向を調べる必要があります」
「要するに尾行ですね?」
「ええ。よろしくお願いしますね、道人」
尾行において道人の右に出る者はいない。それは道人と琴星の共通認識だった。
「相変わらず広いな、時生大学は……」
道人は周囲の誰にも聞こえることの無いよう、口の中で小さくそう呟いた。
文系理系と様々な学部を幅広く取り揃えた時生大学のキャンパスは、この国でも有数の広さを誇る。
そしてキャンパス内を行き交う大学生達も、キャンパスの規模に見合った数だ。
「追いかけるだけでも一苦労だな、これは……」
道人が視線を向ける先には、数十m先を歩く佐久間勉の背中があった。
佐久間学が姫宮最強探偵事務所を訪れた翌日。学から提供された情報を元に、道人は早速勉の尾行を開始した。
尾行の目的は、勉が連続空き家放火事件の犯人であるか否かを突き止めること。そして勉とイグニアス・カルトとの関係を明らかにすることだ。
「はぁ……」
道人の溜息の原因は、時生大学への苦手意識だ。
探偵業務の一環として、道人が時生大学のキャンパスに足を踏み入れる機会は少なくない。しかし数千という数の若者が往来するこのキャンパスが、道人はどうも好きになれなかった。
ただ今回に関しては、その苦手意識ばかりが溜息の理由ではなかった。
「ねぇねぇねぇ、お姉さん」
肩を叩かれ、道人は反射的に背後を振り返る。
「お姉さんどこの学部の人?良かったら俺達と遊ばない?」
そこにいたのは、見るからに夜な夜な遊び歩いていそうな3人の男性だった。
明らかにナンパ目的である彼らが道人に話しかけてきたのは、道人が現在地雷系ファッションの女子大生に変装しているためだ。
姿を自在に変化させる特殊な能力を持つ道人は、その能力を主に変装に役立てている。そして本日の尾行に当たっては、主に琴星の悪ノリが原因で、道人の姿は必要以上に美少女に仕上がっていた。
その尾行には不必要な美貌が災いし、こうして悪い虫を引き寄せてしまったという次第だ。
「ごめんなさい、私この後講義があるので……」
「いいじゃん講義なんか。サボっちゃおうよ」
「本当にごめんなさい、単位が危ないので……」
適当な理由と毅然とした態度で、ナンパ男達を追い払うことに成功する。
しかしナンパ男達に時間を取られたせいで、勉の背中はかなり遠くに行ってしまっていた。
「クッソ、離された……ぶち殺してやろうかあのナンパ野郎ども……」
悪態をつきながら人波を掻き分け、何とか勉に追いすがろうとする道人。
努力の甲斐あって、どうにか勉を見失わないまま法学部棟に辿り着くことができた。
「確か弁護士になりたいんだったな……」
弟の学から聞いた情報を思い出しつつ、勉に続いて道人も法学部棟に潜入した。
「お、大講義室か。ラッキー」
勉の足取りからして、目的地は学部棟内で最も収容人数の多い大講義室のようだった。
道人がラッキーと言ったのは、人数の多い講義であれば潜入が容易いからだ。
大学の講義の中には、10人以下の少人数で行われるものも多い。そしてそのような少人数の講義では、部外者が紛れ込もうとしてもすぐに気付かれてしまう。
その点、大講義室で行われるような講義は、生徒の数が100人を超えることもある。それだけの大人数であれば、部外者がしれっと紛れ込んでもまず気付かれない。
勉が大講義室に入ったのを確認し、道人も何食わぬ顔でその後に続く。
そして勉の席の斜め後ろ、勉の様子を観察しやすい席に陣取った。
道人の着席から程なくして講師が現れ、粛々と講義が始まった。
「なんっにも分かんねぇ……」
部外者であるため当然なのだが、講義の内容は道人には1つも理解できなかった。一応学生らしくノートを広げてはいるものの、ページは見事に真っ新だ。
とはいえ、講義の内容が理解できずとも、道人の業務には差し支えない。
道人は講義に耳を傾けるフリをしながら視線を斜め前に向け、勉の様子を観察し始める。
勉はペンを動かしてはいるものの、心ここにあらずといった様子で、講義に身が入っていない。
時折体を小さく揺すったり、指で机をトントンと叩いたりと、何だか苛立っているような仕草を見せている。
道人は勉のその様子を見て、煙草が吸えない状況に置かれた喫煙者のようだと感じた。だが勉が煙草を吸わないことは、事前に学から聞いている。
それでも道人の受けた印象が正しいとすれば、学は煙草のように依存性のある何かに手を出しているということになる。
「まさか……麻薬じゃないだろうな」
道人のその懸念が正しいか否かは、講義が終わるとすぐに明らかになった。
「はい、では今日はここまで」
講師が終了を告げると同時に、学生達が慌ただしく動き始める。
今からの時間は昼休みで、ほとんどの学生は学食や購買、或いは学外へと向かっている。
「ん?」
そんな中、道人は勉が不審な行動を取っていることに気付いた。
学部棟の外に出た勉は、そのまま人目に付かない建物の陰へと移動し始めたのだ。
道人は勉を追いかけ、勉からは気付かれにくい場所から建物の陰を覗き込む。
勉はキョロキョロと人目を憚るように周囲を見回すと、リュックサックの中から何かを取り出した。
「あれは……」
それはオイル式のライターだった。勉の手に隠れて分かりづらいが、ライターの側面には赤い彼岸花のマークが見える。
勉はライターの蓋を開いて火を点ける。そしてライターから真っ直ぐに伸びる赤い火を見て、勉は安心したように頬を緩めた。
その表情はまるで、長い間我慢した末にようやく一服することができた愛煙家のようだ。
勉は数分間ライターの火を眺め、それから苛立ちが解消された晴れやかな様子で歩き始める。
足取りからして、向かう先は学食だ。
道人は距離を取って勉を尾行しつつ、スマートフォンを取り出して電話を掛けた。
「道人、どうかしましたか?」
電話の相手は事務所で待機している琴星だ。
「彼岸花のマークが入ったライター、俺も確認しました。それと佐久間勉には、初期の火炎依存症の兆候が見られます」
火炎依存症とは読んで字のごとく。炎が無いと苛立ちや焦燥を感じ、炎を見ることで快楽を覚えるという、ニコチン依存症の炎版のようなものだ。
火炎症候群は、ザララジアや「ザララジアの眷属」と呼ばれる怪物が操る炎を視認することで発症すると言われている。その性質上、イグニアス・カルトの構成員によく見られる症状だ。
「なるほど、そうですか……となると佐久間勉さんがイグニアス・カルトと繋がっていることはほぼ間違いありませんね。初期の火炎依存症とのことでしたが、道人の見立てでは何週目ですか?」
「ライターで火を点けてニヤニヤしていただけなので、多分1週目か2週目くらいだと思います」
火炎依存症は時間経過と共に症状が悪化する。症状の進行と共に罹患者はより大きな炎を求めるようになり、放火などの犯罪行為への忌避感が薄れていく。
だが勉はライターの小さな火を眺めるだけで悦に入っていた。これは火炎依存症の症状としては極めて軽く、発症してからまだ日が浅いことが窺える。
「2週目であればまだ時間の猶予はありますね。もうしばらくは様子を見てみましょう。道人、引き続き尾行調査をお願いします」
「了解」
道人は通話を終了し、勉に続いて学食に足を踏み入れた。
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