Case.2 連続空き家放火事件 1
「傷害に放火に強盗……相変わらずこの街は物騒ですね」
応接用のソファに腰掛け、地域紙に目を通していた道人は、顔を顰めながらそう呟いた。
紙面を彩っているのは、金銭トラブルに端を発した刀傷沙汰や、近頃世間を賑わす連続放火事件、窃盗グループによる宝石店への強盗など、物騒で血生臭い事件ばかりだ。
時生市に物々しい事件が絶えないのは今に始まったことではないが、仮にも観光都市を標榜しておきながらこの治安の悪さはいかがなものかと、道人は溜息を吐かずにいられない。
「こら、道人。業務をサボって読み物とは感心しませんね」
パラパラと地域紙をめくっていると、雇い主である琴星からの叱責が飛んできた。
「まだ業務開始から2時間しか経っていませんよ。サボる前にするべきことがあるでしょう?」
「お言葉ですが所長。その『するべきこと』と言うのは、具体的には何を指してのことですか?」
「それは、例えば事務所の清掃ですとか……」
「掃除ならこの2時間で3周しました」
「備品の買い足しですとか……」
「とっくに済ませて1つの欠品もありません」
「報告書の作成ですとか……」
「報告すべき事柄が何もありません」
「…………」
「依頼人が来ない限り、俺の仕事はもう何も残っていません」
道人の反論に、琴星は完全に黙り込んでしまった。
「そもそも所長だってサボってる真っ最中じゃないですか」
道人の指摘通り、琴星の目の前の机には、白無地のジグソーパズルが広げられていた。
「道人、これはサボりではありません。私はこのジグソーパズルを通して、探偵としての観察眼を養っているのです」
「なら俺も探偵として、新聞を通して情報収集に勤しんでるってことになりませんか?」
「それならばよいでしょう。大事なのは建前です」
「何だったんですかこの話」
言うまでもなく、琴星も道人も依頼人が来ないために暇を持て余しているのだ。
「それにしても暇ですねぇ」
「とうとう言っちゃいましたね所長……お?」
カランコロン、とドアベルが鳴る。
「あの……すいません」
そして扉の向こうから、10代後半と思われる少年が顔を出した。
「ご依頼の方ですか?ではこちらにどうぞ」
「あっ、はい……」
暇を持て余していた反動で、道人の応対は非常に迅速だった。
流れるように少年を応接用のソファへと案内すると、その勢いそのままに給湯室へ移動しお茶の準備を始める。
「ようこそ、姫宮最強探偵事務所へ。私は所長の姫宮琴星です」
「あ、えっと……佐久間学です」
佐久間は体を強張らせ、琴星と目を合わせようとせずに視線を彷徨わせている。
その仕草から佐久間の純情さが窺えた。
「佐久間さんは高校生ですか?」
「あっ、はい。東高の2年生です」
東高というのは時生東高校のことだ。時生大学の近くにある公立高校である。
「今日はどういったご用件ですか?」
「あの……こんなこと相談しても、馬鹿げてると思われるかもしれないんですけど……」
「ご安心ください。私も彼も、決してそのようなことは思いませんわ。ね、道人?」
「ええ、勿論です」
道人は佐久間に緑茶を提供しながら頷いた。
「佐久間さん、私達には何でも話してくださって結構です」
「……分かりました」
佐久間は1度緑茶に口を付けてから、意を決したように話し始めた。
「あの……連続空き家放火事件のことって知ってますか?」
「時生市内の空き家で立て続けに不審火が発生した事件のことですか?ええ、勿論知っていますよ」
佐久間の言う連続空き家放火事件は、先程道人が読んでいた地域紙でも取り上げられていた。
10日前に時生市内の空き家で起きた火災を皮切りに、6日前、2日前と立て続けに同様の火災が発生している、というのがその内容だ。
火災が起きたのはいずれも深夜0時過ぎ。3軒の空き家からはいずれも火元となり得るものが発見されなかったため、一連の火災は放火によるものと考えられている。
「その放火事件がどうかしましたか?」
「実は……僕の兄が、放火の犯人かも知れないんです」
琴星と道人は思わず互いに顔を見合わせた。
それだけ佐久間の告白が衝撃だったのだ。
「……詳しくお話を聞かせてもらっても?」
佐久間は頷き、緊張した面持ちで話を続ける。
「兄は時生大学の2年生で、今年で20歳になります。兄は真面目で優しくて、虫も殺せないような性格をしています」
「放火をするような人物には聞こえませんね?」
「僕も兄が放火なんてありえないと思ってます。でもここ最近で、怪しいことが何個もあって……」
「その怪しいことというのは、具体的には?」
「……最初におかしいと思ったのは、兄が家の中でライターを落とした時です。僕の知る限り兄は煙草を吸いませんから、『なんでライターなんか持ってるの?』って聞きました。けど兄は『ああ、まあ……』とか言って誤魔化して、ライターを持ってる理由を教えてくれませんでした」
「確かにその行動は、いささか不自然ではありますね」
ライターを持っている理由を誤魔化すという行動には、何か疚しさが感じられる。
「その時は変だなと思いましたけど、そこまで気にはしませんでした。けどその日から、母がコンロを使って料理をしているところをボーっと眺めたり、焚火の動画を何十分も見てたり、兄の様子がおかしくなったんです」
「どちらも炎に対する関心を感じさせる行動ですね」
「それに放火事件が起きた日は、兄も夜遅くまで帰ってきませんでした。いつもはバイトがある日でも夜の11時前には帰って来るのに、放火があった日は日付が変わるまで帰って来なかったんです」
「それは……」
佐久間が語った兄の行動は、兄が放火の犯人であるという証拠には到底なり得ない。しかしそれでも、弟が兄に不信感を抱く理由としては充分だった。
「佐久間さんはそのことを、誰かに相談されましたか?」
「両親に相談したら、滅多なことを言うんじゃないって怒られました。警察にも行ってみたんですけど、まともに取り合ってもらえなくて……」
無理もない。佐久間の疑念は、現時点ではあくまでも想像の域を出ないのだから。
「でもたまたま近くを通りかかったイケメンの刑事さんが、『もし本当に困っているならここに行くといい』って言って、この事務所のことを教えてくれたんです」
「それで我が姫宮最強探偵事務所に足を運んでいただいた、と」
佐久間は小さく頷いた。
「僕は兄が放火をするような人間だとは思いません。けど……もし兄が犯人だったらと思うと、怖くて仕方ないんです。だからお願いします!兄のことを調べてください!」
「……顔を上げてください、佐久間さん」
深々と頭を下げた佐久間に、琴星は優しく声を掛ける。
「私達探偵は、依頼があればどのようなことでも必ず真実を突き止めます。ですから私達にお任せください」
「……ありがとうございます!」
琴星が依頼を受ける意思を伝えると、佐久間はもう1度頭を下げた。
「道人、契約書を」
「はい」
道人はあらかじめ用意していた契約書とボールペンを佐久間に手渡す。
「あっ、そう言えば……」
契約書に必要事項を記入する途中で、佐久間は何かを思い出したように声を漏らした。
「佐久間さん、どうかなさいました?」
「関係あるかは分からないんですけど、1つ思い出したことがあって……兄が持ってたライターは、大学生が持つにしてはやけに高級そうで、変わったマークが付いてたんです。確か、彼岸花みたいな……」
佐久間から新たにもたらされたその情報に、琴星は僅かに目を見開いた。
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