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Case.1 見えざる痴漢事件 2

 「佐野さんの話によると、見えざる痴漢が現れ始めたのは約1週間前。痴漢に遭遇する場所は毎回ほぼ同じで、道中に唯一存在する自動販売機の周辺、手口は決まってお尻を撫でる……道人。この事件、あなたはどう見ますか?」


 調査に向かう道中。佐野への質問で得た情報を整理しつつ、琴星が道人を試すように問い掛ける。


 「そうですね……佐野さんの見間違いや勘違いの可能性を考慮せず、姿の見えない痴漢が実在するとしたら……最もシンプルな考えは、痴漢が透明人間であるということです」

 「確かに、何の捻りも無ければそういうことになりますね」

 「はい。それ肉体を透明にすることができるのであれば、その能力を性的な行為に役立てようというのは、悲しいですが自然な考えです」

 「やはり道人も、透明人間になることができたら、えっちなことをしようと考えますか?」


 琴星は意地の悪い笑みを浮かべた。


 「……その答えは、所長もよく分かっているでしょう」

 「ふふっ、そうでした。では、痴漢が透明人間であるという説以外には、どのような可能性が考えられますか?」

 「……痴漢が瞬間移動が可能である、というのはどうでしょうか。佐野さんに背後から痴漢行為を働き、佐野さんが振り返るよりも先に瞬間移動で逃走すれば、姿を見られることはありません」

 「確かにそのような手口も考えられますね。透明人間の場合と違い、痴漢行為の最中を第三者に目撃される危険はありますが……」

 「人目の無いタイミングを狙えば、リスクをある程度低減できるのではないでしょうか」

 「そうですね。実際、近くに車や他の通行人がいる時は、姿の見えない痴漢が現れないような気がすると、佐野さんも言っていましたし」


 あれこれと憶測を話し合っている間に、2人は目的地である佐野のアパートに到着した。


 「所長、具体的に調査はどのように行うおつもりですか?姿の見えない痴漢という情報だけでは、正直手掛かりが少なすぎます」

 「仮に私達が警察官であったなら、まずは聞き込みから始めるべきでしょう。佐野さんと同じく見えざる痴漢に遭遇した経験のある人間を探し出し、複数の証言を集める。そうして見えざる痴漢の正体へと迫っていく……というのが、王道の調査方法でしょうね」

 「けど地道な聞き込みをするつもりはないと」

 「あら、よく分かりましたね」


 口では王道と言いつつ、琴星が聞き込みという調査方法を採用するつもりが無いのは明らかだった。


 「やはり聞き込みにはどうしても時間がかかりますし、佐野さん以外に見えざる痴漢の被害に遭った

方がいるという確証もありません。何より聞き込みをしていることを痴漢本人に気付かれた場合、警戒されて痴漢行為を控えてしまう可能性があります」

 「その言い方だと、痴漢行為をむしろ推奨しているようにも聞こえるんですけど……」

 「ええ、そのつもりですよ。犯行の瞬間に取り押さえるというのが、最も確実で且つ時間の掛からない方法ですから」

 「囮捜査、ってことですか?」

 「ええ、そういうことです」


 琴星は見惚れるような笑顔を道人に向ける。


 「ここにはこれ以上ないほどに囮としての役目を果たすことのできる、極めて優秀な探偵がいますから」

 「……それって俺のことですか?」

 「あら。ここにいる探偵は私とあなたの2人だけなのですから、聞かずとも自明ではありませんか?」


 楽しそうにニコニコ笑う琴星に対し、道人は小さく溜息を吐いた。


 「……正直、そうだろうとは薄々思ってましたよ」

 「なら話が早いですね。さあ道人、いつものをお願いします。今回は佐野さんの姿をお借りしましょう」

 「分かりました」


 道人はミステリー小説に登場する名探偵のような、明晰な頭脳や真実を見抜く観察眼は持っていない。

 しかしそれでも、道人が極めて優秀な探偵であることは紛れもない事実だった。


 瞼を閉じた道人の体が、溶けたチョコレートのようにドロリと形を失う。

 人型の黒い粘性の液体へと変化した道人。その液体の表面が徐々に道人とは別の人間の姿へと変化していく。

 そして次の瞬間、そこには佐野芽衣が立っていた。


 「やはりあなたの変装は、何度見ても見事なものですね」

 「俺のこれを変装と言っていいのかは、甚だ疑問ではありますけどね……」


 佐野の姿へと変身した道人は、発せられる声も完全に佐野と同一になっていた。

 道人が佐野へと変身する過程を見ていなければ、本物の佐野と見分けることは極めて困難だ。


 道人が優秀な探偵である所以の1つが、この特殊な変装能力だ。

 道人は自らの姿を自在に変化させることができる。この特殊技能は今回のような囮の他にも、尾行や潜入などあらゆる探偵業務の役に立つ。


 「俺はこの姿で、ここから時生大学まで歩いて行けばいいんですね?」

 「その通りです。今のあなたはどこからどう見ても佐野さんですから、見えざる痴漢はきっとあなたに手を出そうとするでしょう」

 「そして手を出してきたところを、逆に俺が捕まえる、と……痴漢が現れなかった場合や、俺が痴漢を取り逃がしてしまった場合はどうしますか?」

 「それはその時になったら考えましょう」

 「所長のそういう時々刹那的なところ、俺結構好きですよ」


 方針がまとまったところで、道人は佐野のアパートから時生大学を目指して出発した。

 佐野が痴漢に遭った際の状況を可能な限り再現するため、琴星は同行しない。


 「道人、いつもの調子で歩いてはいけませんよ。普段のあなたは大抵の女性よりも歩幅が大きいのですから」

 「心得ています」


 女性に変装する機会も少なくない道人は、それらしく振る舞う術も身に着けている。

 佐野から事前に聞き出した登校ルートを5分ほど歩くと、道人は前方に1台の自動販売機を発見した。


 「あそこか……」


 痴漢に遭遇するのは決まって自動販売機の近くだと、佐野はそう言っていた。

 あの自動販売機に到着したら、自分も尻を触られるかもしれない。そう考えたら道人は俄かに緊張し始めた。


 「……ふぅ」


 緊張で動きが硬くならないよう、道人は1度深呼吸をする。

 そして意を決して再び足を進め、いよいよ自動販売機の前に差し掛かると……


 「っ!」


 何かが尻に触れるのとほぼ同時に、道人は自らの尻に触れた何かを右手で取り押さえた。

 尻に触られてから道人が動き出すまでの時間は0.1秒にも満たず、その反応速度は人間の限界を遥かに超えている。


 この常人離れした身体能力も、変装能力同様道人が極めて優秀な探偵である所以の1つだ。

 道人の身体能力にかかれば、取り押さえられない犯人は存在しない。


 「おい、何してる!」


 痴漢の確保に成功した道人は声を上げつつ、その面を拝もうと背後を振り返る。

 しかし道人の背後には誰もいなかった。


 「……は?」


 一瞬逃げられたのかと思った道人だが、道人の右手には今も痴漢を取り押さえている感触がある。

 これは一体どういうことかと、道人は自分の右手に視線を落とす。


 「……何だ、これ」


 道人が掴んでいたのは、人間の右手だった。

 何者かの右手を掴んでいた、という意味ではない。文字通り人間の右手首から先だけが、道人の手から逃れようとジタバタ藻掻いていたのだ。


 「……あ、もしもし所長。痴漢と思しき対象を確保しました」


 目の前の現象に理解が及ばなかった道人は、迷いなく上司の判断を仰ぐことにした。

 道人の電話から程なくして、待機していた琴星も現場に現れる。


 「道人、それが痴漢の正体ですか?」


 道人の手の中で暴れる右手を見て、琴星は驚くことなくそう尋ねる。


 「恐らくそうだと思うのですが……所長、これは一体何でしょう?」

 「そうですね……これはこういう生き物なのかもしれません」

 「こういう生き物、って……人間の手に擬態してるってことですか?」

 「その可能性もある、という話です。ほら、こうして指がワシャワシャ動いていると、何だか虫の脚のように見えてきませんか?」

 「気色悪いことを言わないでくださいよ……」


 琴星の言う通り、指をしきりに動かして暴れている右手は、見方によっては確かに仰向けの虫に見えないこともない。

 道人は何だかその右手を握っているのが嫌になった。


 「冗談は良いですから、早くこの右手を調べてください」

 「つれないですね、道人は……」


 琴星は唇を尖らせ、改めて暴れる右手に目を向ける。

 すると赤や青や黄色や緑などの色が複雑に混ざり合った琴星の瞳が、淡い光を放った。


 「ふむふむ……なるほど、どうやらこれはこういう生き物ではないようです」

 「ならよかったです、本当に」

 「どうやらこれは人体から非侵襲的に切り離された右手首のようですね。切り離されながらも神経系は断絶しておらず、また飛行能力を有しているようです」

 「……簡単に言うとどういうことですか?」

 「飛ばせる右手のラジコンのようなものです」

 「なるほど」


 道人の変装能力と同様に、琴星もまた探偵として極めて優秀な能力を有している。

 琴星の見るからに不思議な瞳は、視認した対象の性質を視覚情報として解析することができる。つまり琴星は一目見ただけでそれがどんなものかを見抜くことができるのだ。


 そしてその能力で右手を調べた結果、それが切り離され遠隔操作されているものであることが明らかとなった。


 「となるとやはり痴漢の正体は、俺達と同じように特殊な能力を持つ者、ということですか?」

 「ええ、切り離して操作することができる右手を使い、自らの姿を現すことなく痴漢行為を働いていたのでしょう。まさか痴漢が右手だけとは普通は思いませんから、佐野さんがその存在に気付かなかったことも納得できます」


 右手に尻を触られた状態では、ただ振り返るだけではその存在を視認することができない。実際に尻を触られた道人も、最初に振り返った時には気付かなかったのだ。


 「俺はたまたま振り返る前に手を伸ばしたからこいつを捕まえられましたけど、もし先に振り返ってた場合は……」

 「痴漢の姿が無いことに驚いている内に逃げられていたでしょうね。この右手はかなり素早く動けるようですから、視覚に潜り込むことも容易でしょう」


 実際に佐野からはそのようにして逃げおおせたことが推測できる。


 「痴漢の手口は分かりましたけど、結局痴漢の本体はどこに?」

 「さあ。ですがこのまま右手を確保しておけば、いずれご本人が取り戻しにやって来ると思いますよ」

 「確かにそうですね。けど往来で人間の手首を持ったまま立っているのは、少し外聞が悪すぎませんか?」

 「では1度事務所に戻りましょうか」


 道人と琴星がその場を離れようとしたその時。


 「まっ、待て!」


 近くの一軒家から、眼鏡を掛けた中肉中背の男が、慌てた様子で飛び出してきた。

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