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Case.1 見えざる痴漢事件 1

 時生(ときお)市。

 中心部はそれなりに都会的だが、場所によっては田園や山などの自然も見られる。都会と田舎の中間のような地方都市だ。

 主な産業は観光業で、動物園や水族館、遊園地に海水浴場など、バリエーション豊かなレジャー施設が一通り揃っている。


 しかしその一方、豊富なレジャー施設はそのどれもが平均的であり、はっきり言って観光地としての突出した強みを持たない。

 観光業を主要産業としておきながら、知る人ぞ知る穴場スポット的な立場に甘んじている少し残念な街。それが時生市である。


 そんな時生市の交通の要となる中央駅は、何の捻りも無く「時生駅」と名付けられている。腐っても観光地なだけあって、連日多くの利用客で賑わう駅だ。

 そして時生駅から鈍行列車で一駅移動すると、これまた名前に何の捻りも無い「東時生駅」という駅がある。こちらは時生駅とは打って変わって、基本的に地元住民しか利用することはない。


 その東時生駅から5分ほどバスで移動すると、「時生大学」というこれまた安直な名前の大学がある。

 全体的にパッとしない施設が多い時生市の中で、唯一この時生大学だけはかなりのものだ。法、経済、文、理、農、医、教育と、文系理系幅広く学部を取り揃えており、学生の数も非常に多い。

 時生市において最も象徴的なのは、レジャー施設などではなくこの時生大学だと主張する地元住民も少なくなかった。


 そのような事情から、「東時生」と呼ばれる時生大学と東時生駅の周辺地域は、良くも悪くも大学を中心とした街づくりになっている。

 大学生の下宿先としてアパートが数多く並び、居酒屋やカラオケなども大学生をメインターゲットとして展開されている。


 そんな大学生の街である東時生において、1つ異彩を放つ建物があった。

 3階建てのその建物は、1階部分が洒落たカフェになっていて、このカフェは時生大学の学生から隠れた名店として密かな人気を得ている。

 東時生の特色に完全に適応している1階部分に対し、異彩を放つ根源は2階部分だ。


 「姫宮最強探偵事務所」。カフェを訪れた時生大学の学生で、この看板の文字を見て首を傾げなかった者はいなかったと言われている。




 「この1年で俺がこれを何回言ったのか、もう数え切れませんけど」


 ティーセットを乗せたトレイを持った執事服姿の青年が、給湯室から出てくるや否や苦言を呈する。

 青年の髪と瞳は光を吸収するかのように黒く、その黒さは特徴的ですらあった。


 「せめて看板から『最強』の文字は消しませんか。あれが無いだけでも相当印象が違うはずです」

 「あなたが今年それを言うのは72回目ですよ、道人(みちと)


 苦言を涼しい顔で聞き流すのは、事務所の奥で重厚な椅子に腰掛けている不思議な容姿の少女だ。

 少女の髪は「金色の光沢を放つ銀色」としか説明しようのない色合いで、瞳は赤や青や黄色や緑などいくつもの色が混ざり合って常に変化していた。


 「そして私があなたにあの看板の文字を変えない理由を説明するのもこれで72回目です。道人、あの看板には事実しか記載していません。ここは探偵事務所で、私は姫宮(ひめみや)琴星(ことせ)、そして私は最強。故にここは姫宮最強探偵事務所なのです」

 「所長が最強であることと、あの看板に『最強』の2文字が不要であることは矛盾しません。俺はもう事務所に入る時に道行く学生から看板と顔を怪訝そうに見比べられるのは嫌なんです。それに『最強』の文字が胡散臭すぎるがために逃した顧客だって少なくないはずです」

 「それについても以前から言っているでしょう、道人。『最強』の2文字を見て引き返すような軟弱な顧客には、我が姫宮最強探偵事務所に依頼する資格はありません」

 「『最強』の文字を見て引き返すのは軟弱さが理由ではありませんし、そもそも探偵事務所は軟弱か否かを理由に顧客を選別するべきではありません」


 鴻上(こうがみ)道人が姫宮琴星の下で働き始めて約1年。2人のこのやり取りは、週に1回は必ず繰り広げられている。

 どうにかして「最強」の2文字を亡き者にしたい道人と、意地でも「最強」の2文字を撤回しようとしない琴星。

 2人の舌戦の結果は、現在も「姫宮最強探偵事務所」の看板が掲げられているという事実が全てだ。


 「はあ……このままだとそのうち本当に事務所の経営が立ち行かなくなりますよ」

 「その心配はありません。この姫宮最強探偵事務所がどれだけの赤字を出そうとも、私にはそれを補って余りあるだけの収入があります。道人、あなたにも充分な給金が支払われているはずですが?」

 「俺の給料に関しては多すぎるくらいですよ……ほぼ茶汲みしかしてないのに……」


 道人が溜息を吐きながら、琴星の目の前に置いたティーカップに紅茶を注ぐ。

 するとその時、事務所のドアベルがカランコロンと音を立てた。


 「ほら見なさい道人。あなたが心配せずとも、こうして屈強な依頼人は現れるのです」

 「何ですか屈強な依頼人って」


 道人と琴星が同時に玄関に視線を向けると、扉の向こうから20歳前後の女性が顔を出した。


 「あの~……姫宮最強探偵事務所……最強探偵事務所?ってここで合ってます?」

 「ええ。ご依頼の方ですか?」


 来客の応対は道人の仕事である。


 「えっと……依頼、っていうか、相談なんですけど……大学で教務課の人にここを紹介されて……」

 「勿論ご相談も受け付けております。どうぞこちらへ」


 道人は女性を応接用のソファに案内する。

 そして道人が給湯室に引っ込んでいる間に、琴星が依頼人の女性の対面に腰を下ろした。


 「ようこそ、姫宮最強探偵事務所へ。私は所長の姫宮琴星と申します」


 琴星が名刺入れを取り出し、その中の1枚を女性に手渡す。


 「あの、私、佐野(さの)芽衣(めい)って言います」

 「佐野さん、今日はどのようなご用件で?」

 「私、この春から時生大学の経済学部に入学して、1人暮らしを始めたんですけど……ちょっと困ったこと、というか……不思議なことがあって」


 時折口籠りながら話す佐野は、説明の仕方に困っているように見えた。


 「私、大学に近いアパートを借りたので、大学にはいつも歩いて行ってるんです。住宅街の中の道なので、交通量があんまり多く無くて安全なんですけど……少し前から、その道を通る時に変なことが起きるようになって」

 「変なことと言うのは、具体的には?」


 道人は佐野に緑茶を提供し、それから琴星の斜め後ろに立って話を聞き始める。


 「その道を歩いてる途中で、誰かにお尻を触られてるような感覚がするんです」

 「お尻を……?」

 「はい。最初は自分の鞄が当たっちゃったのかな~とか思ってたんですけど、すぐに違うなって気付いて。物がぶつかってるって感じじゃなくて、もっとこう、明確な意思を持って撫でられてるっていうか……」


 佐野はそう言いながら、両手で丸いものを撫でるような手振りをした。


 「通学路に痴漢が出没するということですか?」

 「それが、普通の痴漢じゃないみたいなんです。この間お尻を撫でられた時はすぐに後ろを振り返ったんですけど、誰もいなくて。近くに人が隠れられるような場所は無かったし、お尻を触られてから私が振り返るまでに逃げるような時間も無かったと思うんですけど……」

 「痴漢をされた感覚はあるのに、肝心の痴漢の姿が見当たらない、と……それは確かに不思議ですねぇ」


 琴星が真剣な表情で相槌を打つと、佐野は驚いたような表情を浮かべた。


 「……信じてくれるんですか?こんな話……」

 「ええ、勿論。あなたが嘘を吐いていたとしたら、それを見抜くのは私には容易いことですから」


 すると佐野は安心したように口元を緩めた。


 「よかった……こんな嘘みたいな話、ふざけるなって怒られたらどうしようと思ってたんです」

 「ふふっ、『嘘みたい』と『嘘』は全く別のものですから。それでは佐野さんのご依頼は、姿の見えない痴漢の調査、ということでよろしいですか?」

 「は、はい。本当に痴漢かも分からないですけど……」

 「それではこちらに、必要事項のご記入を」


 琴星が佐野に契約書とボールペンを渡す。


 「あの、依頼料って……」

 「時生大学の学生さんは学割が使えますから。具体的な金額は調査を終えた後でないと分かりませんが、1万円を超えることはまずありません」

 「あ、そうなんですか?良かった……」


 大学生にとっては1万円も決して安い金額ではないが、それでも佐野の想像よりは遥かに安価だった。


 「契約書の記入が終わりましたら、いくつか質問にお答えいただけますか?」

 「分かりました」


 佐野は契約書への記入を終え、琴星からの質問に答えると、最後に「よろしくお願いします!」と頭を下げて帰っていった。


 「姿の見えない痴漢……いかにもうちらしい案件ですね」


 2人きりに戻った事務所で、道人がそう呟く。


 「うちに相応しい案件だからこそ、教務課も佐野さんにこの事務所を紹介したのでしょう」


 琴星は道人に答えながら手際よく荷物を纏め、外出の支度を整えた。


 「さあ、早速調査に行きます。あなたも早く準備なさい、道人」

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