わすれるな
三題噺もどき―よんひゃくにじゅうはち。
耳障りな囁き声が室内を満たしている。
声につられ、視線を上げる。
自分よりもはるかに大きな大人たちが、あっちへこっちへと速足でかけていく。
歳はバラバラだが、みんなして真黒な服を着ている。
普段のラフな、汚れてもいいような服装とは打って変わって。
「……」
部屋の隅で、手持ち無沙汰に座りながら、ぼうっと眺めている。
大人たちが大きく見えたのは、自分がしゃがんでいたからか。
立ち上がる気にはならないが、座っているのも疲れてくる。
「……」
窓から差し込む光がやけに暑い。
何事かと外を見やると、空は快晴。
汗が滲む程の暑さを記録しているのか、夏の盛りという感じだ。
「……」
燦々と注ぐ太陽の眩しさに思わず目を細め、しかめ面になる。
見て居られないと、視線をさげても、その残像が視界に残ってチラチラと光る。
それがもう、果てしなく鬱陶しく思えて、目を開けるのも億劫になった。
「……」
視界が暗闇に閉ざされる。
それでも居残る光は、忘れてくれるなと言っているようで。
きもちがわるい。
「……」
目を開くと、椅子に座っていた。
先程までのざわめきは消え失せて。
重苦しいほどの静寂が広がる。
「……」
目の前にはたくさんの花に囲まれた写真が一枚。
少し下にずれると、頭の丸いお坊さんが1人。
その前には、白い箱。
「……」
人一人が。
丸々納まりそうな。
白い、布の、かけられた箱。
「……」
静寂の中に声が漏れる。
私のものではない。
周りに大勢座る大人たちのモノ。
「……」
哀傷の滲む痛々しい声。
息を引き詰めるような悲しい音。
空気だけを吸い込むようなかすれた音。
「……」
混じりだす御坊の御経。
低く長い独特の響き。
淡々と叩く木魚の音。
「……」
助けてと、声を漏らしそうになった。
は―と、口が開きかけた。
しかしここは、そんな場所じゃない。
「……」
私が声を出していい場所ではない。
顔を上げて居られなくなった。
耳を塞ぎたくなった。
視界に入る真っ白な手が、自分のものではないように思えた。
「……」
それも見て居られなくなって。
ぎゅうと、力の限り目を閉じた。
何もかも見えないように。
何もかも聞こえないように。
「……」
それでも響く声は。
頼むから忘れてくれるなと。
言い聞かせられているようで。
吐き気がした。
「……」
目を開けると、花が差し出されていた。
片手程の大きな一輪の百合の花。
つぷり―と頭の落とされたものが隣に何本も立っている。
「……」
周りの大人たちも同じものを持っていた。
彼らには目もくれず。
一目散に箱の方へと向かっていった。
「……」
白い布のかかった箱。
人一人が丸々納まる箱。
いつかは誰もが納まる箱。
「……」
百合の花の匂いが、鼻腔を刺す。
昔からこの花は嫌いだった。
匂いがきつい上に、手入れが面倒で。
「……!!」
びくりと体が跳ねた。
大人たちの輪の中から声が聞こえた。
私の名前を叫ぶ声。
「……」
足は固まって動かない。
あそこに行きたくないと全身が叫ぶ。
あんなものは見たくないと喉がひりつく。
「……」
一人の大人がこちらへと歩み寄る。
止めてくれ。助けてくれ。
そんな。
「……」
忘れないようにするから。
忘れられないように頑張るから。
忘れたりなんかしないから。
―――――っは」
バツん!!!!と、何かを無理やり切られたように、視界が開ける。
体が跳ねたのか、余韻のようにベッドが悲鳴を上げる。
見慣れた天井が広がる。
「――」
心臓が跳ねている。
鼓膜を叩く様に響いている。
ジワリと汗をかいている。
「――」
ゆっくりと頭を回し、横を見る。
壁にかけられたカレンダー。
今日の日付につけられた印。
「――」
あぁ。
そうか。
今日は。
お題:助けて・夏・百合