そんなにしっぽを振るんじゃねえ
「ノエルさーん!」
遠くからぶんぶんと手をふる、小柄な女。ミルクティー色の髪を乱して駆け寄ってくる。
「お待たせしましたっ」
「いや、俺もさっき来たとこ」
嘘だが。
まあ、なんだ。待たせるわけにもいかないと早めに支度をしたら、ちょっとばかり予測を誤っただけだ、うん。そういうことにしておく。
「それより……」
布とリボンにくるまれた尾が暴れまくってるせいで、風圧に揺れるワンピースの裾が危うい。さすがに目のやり場に困る。
「あう、しっぽ、しっぽが、大人しくしてくれなくて……すみません! いつもはこんなことないんです!」
「無理しなくていいけどさ」
そりゃ誰彼構わずこんな愛嬌ふりまかれて堪るかっての。はあ……男をからかうとロクなことにならないって、ちゃんと教えてやったほうが良さそうだな。
「というか、なんで隠してるんだ?」
「わ、悪目立ちするって、実家を出る時に親も思ったんじゃないかと」
俺としては軽くからかってやるくらいのつもりだった。が、返ってきた答えが予想外すぎた。
「いやーハハ、ガッカリですよね。こんなチンチクリンにピカピカのしっぽがついてても、ね? 絶世の美女ならまだしも」
こいつ……美醜の感覚が壊滅的にずれてるのか?
どこからどう見ても美女だろ。あの尾が、どんなに雄を惹き付けるかわかっていないらしい。
「あんたってなんて言うか……頭は悪くなさそうなくせに、変わってるよな」
天使のようなまばゆい白の尾。現実に存在するのか、と思った。一度見たら忘れられない。この女にはよく似合うと思うんだが。顔もまあ、くるくると表情が変わるのとか笑ったところとか、んん、かわいいし。
「別に、出してたらいいだろ。綺麗だと思うぞ」
「え……あ、う……」
真っ赤になって、うつむく。……真っ赤に?
「ありがと、ございます」
なんでこっちがこんなに照れなきゃならないのか。尾を無理やり押さえつけるのは、実際かなり疲れる。
まるで男慣れしていないのが不思議で仕方なかった。こんな見た目に生まれたら、相手なんか選び放題のはずだが。
「えと、そ、それじゃあ……」
贈り物みたいに恭しく包まれた尾に手を伸ばし、赤いリボンをほどいて、布を取り払う。信仰心すら沸き上がるような純白に、思わずため息が漏れた。
毛艶がよく綿雪のようにフワフワ。いきすぎた手入れもされていない、自然体で美しい尾。ずっと見てたら、尾じゃないところもたちそうだ。
変態か? 変態だな。
「……すげえな、ほんと」
「へ?」
既に番がいれば諦めもついたってのに。
「何でも。むしろ、しっぽを隠さなきゃならないのはこっち。嫌じゃないのか?」
「何がですか?」
この女、ほんとに……っ。
きょとんと見上げてくる。なんて突き抜けてやがるんだ。もういっそ可笑しくなってきて、俺は気付けば笑っていた。
「ん。なら、いいんだ」
女はなぜかまた赤くなる。まじで人間みたいな反応するな?
気を取り直し、並んで歩き出す。
「それじゃあ混まねぇうちに行くとするか」
「はい!」
――道を行けば、隣の女を見つめる同族の多さよ。
なんとなくムカつくので軽く睨んでやると、慌てて目を逸らす男達。残念だったな、こいつは俺が予約済みだ。
熱っぽい視線にまったく気付かない当人は、危機感なく楽しそうに隣でお喋りを続けている。やれこないだのフィナンシェがおいしかっただの、あのチーズスフレは絶対もう一度食べますだの、全部、俺が作った菓子の話。
「目当てはコイツ」
「いいですね、パフェ! 入りましょう」
カフェの黒板にはしっかりと『カップル限定』の文字があるのに、白い尾がぱふんぱふんと揺れた。あーもう頼むからやめろ、心臓に悪い。
「ご来店ありがとうございます。ご注文はお決まりですか?」
「オモテの看板に出てたあれを」
「はい、限定のパフェと紅茶のセットですね。パフェの種類をお選びください」
「チョコレートで。どうする?」
メニューを向けると、緊張した面持ちで指を差す。
「こっ、これで!」
「かしこまりました。少々お待ちください」
優雅に腰を折った店員が去り、何が嬉しいのか女は「へへ」と頬を両手で押さえた。くそ、いちいちかわいいな。
パフェが運ばれてくる。ああ、いい香りだ。甘い香りを嗅いでいると心が落ち着く。
さて、と。
まずはアイスにスプーンをさしいれる。うん、口溶けがなめらかでうまい。
周りのテーブルの喧騒も、カチャカチャと鳴る食器の音も遠のいていく。下のムースはヘーゼルナッツか? バナナソースは粗さとシナモンの風味がいい感じだな、真似してみよう。クリームにも何かスパイスが混ざってる気がするが、なんだろうか――
ハッと向かいを見ると、笑顔の女と目が合った。顔が一気に熱くなる。
「……ぁ、悪い。せっかく一緒に来てんのに」
俺の馬鹿! よくねえ癖が出ちまった。千載一遇のチャンスを棒に振る気かよ。不快にさせたに決まってるよな……?
「ふふ、気にしませんよ」
その笑顔は、たぶん、演技ではなさそうに見えた。俺にできる挽回は、これ以上の変な気遣いをさせないことなのかもしれない。続けるつもりだった謝罪の言葉を呑み込む。
「職業病ってやつですね」
「かもな。……退屈だろ?」
「わたしがノエルさんのぶんまでいっぱいお喋りして盛り上げるので、大丈夫です!」
「はは、そりゃ頼もしい」
心から笑う。確かにこいつはよく喋る。視界の端で風を起こさんばかりの白いしっぽを、意識しないよう必死に努める。
途中で女が席を外して、ようやく少しだけ緊張が解けた。
ふわ、と立った自分の尾の先が背中を擦る。手の甲で頬を冷やそうと試みたが、動悸はおさまる気配がない。はー、こんなの絶対に見られたくねえ……。
店員を呼び止め、伝票を持ってきてもらう。最初に案内してくれた兎獣人の青年だ。
「お会計はこちらになります」
「ありがとう。これ、残りはチップに」
「はい、確かに頂戴いたしました。……ふふっ、可愛らしい彼女さんですね」
驚いて息が詰まった。彼女? いや、まあ、そうか。
「思わず私達も裏で盛り上がっちゃいましたよ」
「……なら、よかったよ」
小さな痛みを無視して、微笑みを返す。
我ながら笑っちまうぐらい振り回されてる。俺と番に見られたら迷惑かもしれないとか、考えるだけきっと無駄だ。
あいつが戻ってきたら……ほんの少しだけ勇気を出してみるか。