仕事場からランチへ向かう男
洋菓子店マダム・カラメリゼ。大通りに構えたこの小さなケーキ屋で、俺は働いている。
オーナーであるカラメリゼさんは『マダム』の愛称で知られるご婦人だ。ゆるやかな巻き髪が似合う、羊の獣人でもある。年齢不詳だがかつては凄腕の菓子職人だったらしく、俺が新作に悩んでいたりするとヒントをくれることも。
彼女は今となっては、古い付き合いの客からの特大の注文――たとえば、豪華なウエディングケーキとか――しか作らない。そのため、この店の大半の商品は俺の作品だ。
「うわーん、先輩のと比べ物にならないぐらい不恰好だー!」
俺の横で、もうひとりの同僚であるラフィンが嘆く。人間の男で、いちおうパティシエだ。
どうやら、ケーキの表面をチョコレートでコーティングしようとしているらしい。一通りの技術はあるみたいだが、まだまだひよっこだな。ま、朝からお使いに行ってもらった分、ちょっとは面倒見てやるか。
「そう簡単に真似できてたまるかよ」
「なんであんなに均一に塗れるんですか?!」
「慣れだよ、慣れ。……溶かす温度が高すぎるんじゃねーの? ほら、底のほうがざらついてんだろ」
「わ、ほんとだ」
鼻を鳴らし、腰に巻いたエプロンを外す。休憩時間だ。店頭に立ってくれているマダムが笑う。
「コンクール入賞常連のノエルちゃんにそれは無謀よ、坊や。チョコレートを扱わせたら一級だもの」
「ううー」
おっとりとマダムが言い、ラフィンはまた新たなチョコの塊をガラガラとボウルに入れた。そうそう、練習あるのみってな。
「あ、そうだ先輩。そういえばあの双子のお店に、かわいい新人店員さんがいましたよ。しかもしっぽ族! ついでに見てきたらどうですか?」
「遠慮しとく」
「えっ! もったいない……」
「ほっとけ。おまえが可愛がってもらったらいい」
「んー、確かにあのふたりも美人ですけどぉ」
ラフィンに向かってひらひらと手を振る。
あの双子も同類だが、俺のしっぽを見ても態度を変えないのは嫌いじゃない。興味がないだけだとは思うが。
自身は獣人であるマダムが、またくすくすと笑った。
「坊やにはピンとこないかもしれないけど、亜人には亜人の事情があるのよ。まあでも、他種族の価値観ってよくわからないわよねえ」
亜人の見た目は獣人より人間に近いため、同類には相手にされないが人間には異様にモテる、ということがたまに起きる……俺のように。
「先輩、イケメンなのになぁ」
「そりゃどーも」
俺達は異種族に魅力を感じることはないし、顔が良くたって何の役にも立たないのだ。
過去にはそれなりに、言い寄られるがまま関係を持った人間も何人かいた。けどやっぱり違和感があって、そのうち自然消滅……というのを繰り返し、今となっては寂しさなんて健気な感情すら懐かしい。
まあ、尾が絶望的な色だからって、迫害されるほどでないのは救いだ。職もあるし友人もいる。家族には、特に親には、申し訳なさを感じるが。
「ウフフ。イケメンなノエルちゃんには、戻ったら店番をお願いしようかしら?」
「はいはい。じゃ、ランチいってきます」
地元からは逃げ出したようなものだが、後悔はしていない。少なくとも俺にとっては、色んな種族が暮らす都会のほうが性にあっている。
カフェに着いたはいいものの、自然とあの真っ白なしっぽを探してしまっていることに気付き、顔をしかめる。どうせ来ないに決まってるのに。
だが……約束もしちまったし。注文に悩むふりをして少し待ってやる。なるべく距離をとりたくて、テーブル席を選んだ。
メニュー表を三周したあたりで急に馬鹿らしくなってきた。我ながら何を期待してるんだか。
「お、お待たせしましたッ!」
認めたくはないが、匂いでわかっちまうんだよな。
思わず尾が立ち上がりそうになるのをこらえる。対して、女の尾はまた元気に天を向いていた。今日も布でぐるぐる巻きだ。そのほうが俺は助かるが。
「冗談かと思ってたんだが」
正直な気持ちを述べると布の塊がしおしおと萎れたもんだから、内心だいぶ慌てた。見るからに肩を落とし、所在なさげに視線が床をさまよっている。
「ご迷惑でした……よね?」
そんな、ここにきて落ち込まれても困る。さっきまでの威勢はどこいったんだよ? 女を泣かせる趣味はねえぞ、こっちだって。
「別に、迷惑ではねえけど」
苦し紛れに口にした途端、女は今度は勢いよく顔をあげた。ぱああ、と音でも聞こえてきそうな満面の笑み。ついでに尾もまたピンと立っている。
あまりに現金なその反応に、俺は堪らず噴き出した。普通、ここまで明けっぴろげにしっぽを動かすか?
「はあ、変な奴。座れよ、腹減ったし」
「はいっ!!」
「うるさ……」
指で耳を塞ぐ仕草をしたが、まあ、不快だったわけじゃない。
女はチビのくせによく食べた。こちらの心配をよそに、山盛りのパスタはどんどん減っていく。ぺろりと平らげた上にデザートにもはしゃぐのを見た時は、さすがに苦笑しそうになった。
ただ……モゴモゴと頬張る間、ずっとこちらを見つめてくるのは、なんだか落ち着かないのでやめてほしい。
「……一口、食うか?」
「いひッ、いいんですか?!」
「そんなに見られたら気になるっての」
ティラミスの皿を押しやると、なぜか女は驚いたようだった。味見したかったわけじゃないのか?
遠慮してるのか、ちんまりと端っこをすくうもんだから、手をつけていない半分ほどを皿に取り分ける。
「もっと真ん中のほう食ったらいいだろ」
「エッ、ありがとうございます! こっちのも食べますか?」
「や、俺はいい」
なんでそんなカップルみたいなことをしなきゃならないんだ。そう思うとこの状況、本当に意味がわからないよな。
面倒くさいが、気まずいと飯もまずくなるので、適当に会話を試みる。
「あんた、小さい体でよく食うな」
「あんまり太らない体質っぽいんですよね」
「そいつはうらやましい」
何が楽しいのか、女はずっと満面の笑みだ。うまそうに食事する奴には好感が持てるけどさ。
「お兄さんもスタイルいいですよね」
「どーも」
職業柄、どうしても甘いものを食べる機会は多い。体を動かすのは自分のためでもあるが、マダムにも「あんまりおデブちゃんになっちゃだめよ? 人間のお客様が寄ってこなくなっちゃうんだから!」と釘を刺されている。口説かれるこっちの身にもなってほしい。
「スポーツマンですか? それともモデル? でもお兄さんカッコいいので、バーテンダーとかホテルのコンシェルジュみたいなお仕事だったりして?」
まさか、と口をついて出そうだった。カッコいい? こいつの目に俺はどう映ってるんだよ。
「そうだっ、お兄さんのお名前を教えてください!」
「あ?」
「わたしはエマっていいます!」
よく喋る女……エマは、期待に満ちた眼差しでこっちを見ている。いつの間にデザートも完食したのやら。
「それは昨日も聞いた。あー……」
わけのわからない女は、まだ俺につきまとう気らしい。
人間なら断るところだが、昨日の発言をしてしまった手前、無碍にするわけにもいかない。
ああクソ、なんであんな余計なことを。
ポケットを探るとカードケースが手にあたった。……客が増えるのは店にとってもいいことだしな、うん。
「ノエル」
「のえる?」
「俺の名前。その店でパティシエをやってる」
「パティシエ!!」
女が悲鳴のような声をあげる。
「カッコよすぎる……」
「はあ?」
なんなんだよ本当に……!
「ノエルさん」
たかが名前を教えただけなのに。
ショップカードを大事そうに両手で包む。照れくさそうにはにかむ姿に、文句を言う気もすっかり失せて。
「そんなに興味があるなら来たらいい。少しぐらい奢ってやるよ」
つい、また余計なことを言ってしまった。