マスターは見た
マスターから見たふたりの話です。
お客さんもまばらな平日の夜。連れ立って来店した有尾族の男女の姿に、思わず微笑んで会釈をする。青年のほうは目礼を返してくれて、女の子は「こんばんは」とニコニコ顔だ。すっかり馴染みになった彼らは、自然とカウンターへ並んで座る。
「ノエルさん、またあのビーフシチューが食べたいです!」
「いいな、頼もう。あとは?」
「くるくるのパスタを揚げたやつと、ドライフルーツ入りのチーズも食べたいし、あとあと……」
「はいはい、テーブルに載らねえからちょっとずつな。飲み物は?」
待ってましたとばかりに僕は棚からボトルを取り、ふたりの目の前にそっと置く。次いでロックグラスとシェイカー、それからオレンジジュースを並べれば、彼は意図を汲んでくれたらしい。
「珍しい。ビオラ酒か」
「ビオラ? お花のですか?」
「ああ、ボーロ地区で造られてる。俺も出張で一度飲んだことがあるくらいで、市場になかなか出回らないんだ」
「へええ……」
「で、それを俺にはロックで、エマにはカクテルでどうかって」
珍しいお酒なのによく知ってるなぁ。さすが。
ぽかんと口を開けてボトルを見つめていた女の子は、ぱっと碧眼を輝かせ大きく頷いた。
「飲んでみたいです! ぜひ!」
にっこりと首肯を返し、ボトルの栓を開ける。ふわりと華やかな香りが立ち上った。
彼、ノエル君が僕の店に初めて来たのは、もう随分と前のことになる。
最初は、見事なしっぽだなぁ、くらいにしか思わなかった。服装といい、身なりには気を遣う性質なんだろうなと。
僕たち有角族は、額に生えた一本角が折れたら二度と生えてこない。治すための手術もあるけど高額だし、普段から結構気を遣わなければならないのだ。対して、有尾族のしっぽは千切れないのが羨ましいと思って……千切れないよね? トカゲの獣人じゃあるまいし。
彼はいつもひとりだったけど、人間の女性がよく声をかけていたから、そこでようやく、確かに整った顔立ちをしているなとは思ったけど。
毎回、残さずゆっくりと食べてくれるし、食べ物と真摯に向き合ってくれているのがわかるから可愛くて、ある時、デザートをおまけしたんだ。『いつもありがとう』と書いたメモを添えて。
そしたら彼は食べ終えるやそそくさと帰ってしまってね。少し残念に思っていたら、テーブルに同じようにメモが残されているのに気づいた。ちょっぴり神経質そうな綺麗な字で、『こちらこそ、おいしい料理をありがとうございます。』って。僕が喋れないことにもとっくに気付いているだろうに、触れない心くばりが嬉しかったのを憶えている。
それからまた通ってくれる中で、いつだったかな、普段と違うコーヒー豆を使ったことがあった。仕入れが間に合わなかったから仕方なくね。
特に常連からも何も言われなかったんだけど、唯一、声をかけてきたのが彼だ。
「もしかして、淹れ方を変えましたか?」
僕が驚くと、「舌には自信があるんです」、とはにかんだ。それで彼がパティシエだと知って、以来、たまに筆談を交えて言葉を交わすようになったというわけだ。
「うひひっ、かんぱーい!」
「乾杯。飲みすぎんなよ」
「いざとなればノエルさんが連れて帰ってくれるので平気でーす」
「ふーん……?」
「じょ、冗談です冗談!」
「ふはっ。いいよ、抱えて運んでやるから」
「そ、それは恥ずかし……あ、おいし……モシャモシャ」
「照れるか食うかどっちかにしろって」
パティシエ君の名前がノエル君だというのも、彼女、エマさんが来店するようになってから知ったこと。
僕は生まれつき声を出せないから、出来る限り表情で伝えようと心がけてきたんだけど。エマさんもコロコロと感情を表に出すよなあと感心する。あと、有尾族の尾ってそんなに動くんだ、と驚いた。他のお客さんも含め、みんな地面に垂れているものと思っていたから。
おかげで……と言うべきかどうか。ノエル君も色々な表情を見せてくれるようになった気がする。特に先日、エマさんが酔っ払ったようにノエル君の尾を掴んで離さなかった時とかね。珍しく慌てていた光景が印象に残っている。ふたりの距離が縮まったのは、あの日くらいからだったかな?
後からわざわざ謝りに来られて、律儀だなぁと思ったけど。実際、そんなに周りは気にしていないものだ。
僕としてはお似合いのふたりだと思っていたから、徐々に仲良くなるのを見るのは嬉しかった。会話を盗み聞きする気は……まあ、特権ということで勘弁してほしい。
「――それでですねっ、カラメリゼさんと今度、ハーブティーのイベントに行くんです」
「へえ、楽しそうだ」
「ノエルさんも来ます?」
「興味はあるけど、邪魔したらマダムに悪いかな。あとで話を聞かせてくれよ」
「はい! それから、そうだ、このまえノエルさんが夢に出てきたんですけど」
「俺の夢なんか見たの?」
「えっ、あ、気持ち悪いですよね?!」
「いや? 可愛いなって」
「ふにゅううぅん」
軽やかな会話は僕も聞いていて楽しい。このふたりの場合、エマさんがニコニコとお喋りしているのを、ノエル君が聞いていることが多いのだけど。
ノエル君の眼差しが……とっても甘い。
ともすれば、うっとりしている、とでも形容できそうな表情で、ずーっと隣のエマさんを見つめているのだ。夜のバータイムは特に、触れそうな距離に身を寄せている。どれだけ口説かれようがこういうのはエマさん相手にしかやらないのも、僕はよく知っているし。
番の関係に対して適切な感想ではないかもしれないけど、本当に大好きなんだろうなぁ。他とあまりに態度が違うから、亜人の先輩としても見ていて微笑ましい。
「なあ、エマ」
頬杖をつきつつノエル君が呼ぶと、揚げパスタに手をつけようとしたエマさんの両肩が小さく跳ねた。
「なんでさっきからこっち見ねーの?」
「ニョッ……!」
ぱたぱたと揺れていた白い尾が硬直する。
「かっ、顔がよすぎて目が合ったら妊娠しちゃうので!」
「んなわけあるかよ」
んなわけはないよね。思わず内心でハモってしまう。
「ま、エマは俺の顔が目当てだもんなー」
「語弊! 語弊があります!」
「ほんとに?」
「……ちょっとだけ!」
「ちょっと?」
「ふぐっ……」
アハハ、いくら可愛いからっていじめるのはよくないなぁ。助け船じゃないけれど、ほかほかのビーフシチューを出してあげる。秘伝のデミグラスソースで大きな塊肉がホロホロになるまで煮込んだ、当店自慢の一品だ。
「ふわわっ。ノエルさん、シチューがきましたよ!」
「ごまかしたな?」
言いながらも肉にナイフを入れる。ふたりは料理を半分にする時、いつも真ん中から少しずらした位置で分ける。そして互いに大きいほうを相手に渡すのだ。うーん、愛だねぇ。
「そういえば牛の獣人さんって牛肉食べるんですかね?」
「別に、食うだろ。なんで?」
「え? ……あ、そうか、牛と人間のハーフじゃないのか」
「……えげつねえ話をするなよ」
ノエル君が顔をしかめる。そもそも僕らには、異種族と交わるという発想自体がない。不思議な子だなぁ、作家にでもなれそうだ。
……ふふ、いつかはノエル君とエマさんの子どもが見られるかもしれないね。
グラスを磨きながら、寄り添う姿を見る。きっとこのふたりなら、たとえ困難に直面したって大丈夫だろう。子どもが大きくなったら家族で来てくれたりするかなぁ……って、それはちょっと気が早すぎるかな?




