あーもう、やけ酒だ
ああくそ、本当に――
「最悪すぎんだろ、俺……」
自己嫌悪に押し潰されそうだ。まだ心臓が痛くて身体中が熱い。耳の奥でどきどきと鼓動が響いてうるさい。
火照りを冷ましたくて、ともかく店から離れるように歩いた。夕方の涼しい風にあたり、人目のあるところに出たら少し落ち着いてきた気はする。
目についた酒場にふらっと入る。熱気と油の匂い。陽気な音楽がかかる店内は、仕事を終えた労働者達でそれなりに賑わっていた。
「いらっしゃい! 一人かい? そのへんの空いてる席を使ってくれ」
飲み屋が並ぶこの区画には滅多に来ない。酒なら、いつものカフェでも飲めるしな。
だが、あいつと鉢合わせるのだけは避けたかった。こんな騒がしい酒場へ来るタイプではないだろう。それに今日は質より量だ。
強そうな酒と適当につまみを注文し、カウンターでグラスをあおる。
「同じのをもう一杯くれ」
「おいおい兄ちゃん、飲みすぎじゃないか?」
「飲まなきゃやってらんない気分なんだ」
「お、さては女にでもフラれたかぁ?」
四本の腕で接客するゴツい亜人が豪快に笑った。俺の倍くらいの身長がある。ダン!と無駄に勢いよく置かれた器から、テーブルに中身が少しこぼれた。
「ほらよ、お待ちどおさん! まあでも兄ちゃんモテるだろ、その見た目なら」
いいや、全く――と返そうとしたが、あとに続くやり取りが想像できたから、黙ってグラスに口をつけることを選ぶ。
まあ、普通は他種族の好みなんか知らないよな。俺だって、複腕族が番をどうやって選ぶかなんて聞いたことがない。筋骨隆々な腕の一本、薬指に着けられた、やけに華奢な指輪を見やる。
「はあ」
ため息ばかりが漏れて仕方ない。馬鹿みてえだ、ほんとに。
あんなことになるなら手伝いを頼むんじゃなかった。きっと、二人きりになれるって誘惑に目が眩んだ罰だ。あいつに怪我がなかったことだけが救いだな。
白に輝く美しい尾は、見た目どおりにふわふわと毛づやもよくて。それが腰に巻きつけられた瞬間、全部の理性が吹き飛んで頭が真っ白になった。
抱きたい、と強く思った。目の前の雌を食べてしまいたい。全てを暴いて隅々まで味わい尽くして、どうか俺だけのものにしたいと。
「あああ、くそ」
だめだ、余計に思い出しちまう。
店員が黙ってまた新しい酒を出してくれる。同じ食に関わる者として敬意を忘れたくはないが、今日だけは、流し込むのをゆるしてほしい。
自分で言うのもなんだが、俺は酒にはめっぽう強い。酔い潰れたいと願っても、この店の薄い酒では難しそうだった。明日も仕事だし。
怯えたような表情を思い出しては、また胸がチクリと痛む。本意じゃなかったとはいえ、欲望を隠しきれていたかは怪しい。というかたぶん無理だった。だってあのしっぽだぞ……?!
「……」
にしても、あいつ。『尾で異性を抱く』って行為の意味がわかってるのか?
……俺の顔が好みだとか言う変人のことだ、無意識があり得るのが恐ろしい。おい、それはそれで腹立たしくなってきたな。
「――おおぅい、そこのスカした兄チャンよォ」
ひょっとして、ゆっくりきちんと手順を追って……とか、柄にもなく悠長に考えていた俺が馬鹿だったのか? さっさと攻めりゃよかったんだろうか?
「おい、そこのテメエだよテメエ。無視か?」
てか、そもそも声かけてきたのもあいつだし。今さらそんな気はありませんでしたじゃ済まさねえぞ。
「アニキが話しかけてんのに無視とはいい度胸だなゴルァ!」
「ああ゛?」
ぐる、と喉が鳴った。尾の毛が逆立ち、瞳孔が開いてるのが自分でもわかる。
チンピラじみたでかい人間だ。力はありそうだが、見るからに酔っぱらっている。取り巻きのひょろいのは既にビビってるし論外。
「さっきからうるせえな。何の用だ?」
「んだぁ? その態度……。おいガキ、オレの女のこと妙な目で見てんじゃねーぞ他所モンが!」
身に覚えのない言い掛かりをつけられる。ったく、ツイてねえ。
「知るかよ。そんなに自信がねえなら首輪でもつけとけ」
「んだとテメエっ!」
身勝手に激昂する男に胸ぐらを掴まれる。周りの客が小さく悲鳴をあげた。あー、面倒くせえな。どうやってぶちのめしてやろうか。
姿形が似てるからって人間は忘れがちだが、亜人ってのは単に角が生えてるとか、腕が一組多いとか、それだけの生き物じゃない。少なからず獣性を備えてる。
元々、理性より本能の生き物だ。
「見てわからねえなら教えてやるが、俺は今、すこぶる機嫌が悪い」
「上等だオラ。オモテ出ろやクソガキが!」
「はっ、喧嘩か? やめとけよ。見せかけだってのはもうわかったから」
「ふざけんな! これは、て、手ぇ抜いてンだよ!」
胸ぐらを掴む手首を握り返し、ぐっと力を込める。慌てる男の顔が歪んだ。このままへし折ったらどんな顔するんだろうな?
「――はあぁい! そこまでだ」
野太い声が降ってくる。四本あるうちの腕が二本、にゅっと伸びてきたかと思うと、俺に絡んでいたチンピラそれぞれの首根っこをつまみ上げる。
「お会計。……文句ねえよなぁ?」
「は、はひ」
ひょいひょいと文字通り男達をつまみ出し、バタンと扉を閉める。ちょっとしたトラブルなどなかったかのように、店内にはすぐ元通りの活気が戻った。
だめだな、今日は。何もかもだめだ。
「あ~……止めてくれてありがとう。申し訳ない、せっかくの客が帰っちまった」
「ははっ、この辺りじゃ日常茶飯事よ! ま、ああいう輩は遅かれ早かれ店の空気を悪くするんだ。兄ちゃんが謝ることじゃない」
ガハハとまた店員は笑った。いや、店主か?
「むしろ災難だったな。ほら、この料理はごちそうしてやろう。うめえぞ」
「いいのか?」
「いいって。その代わり、懲りねぇでまた来てくれよ? 兄ちゃんの飲みっぷりは気に入った!」
「はは、どーも」
出された山菜の炒め物に手をつける。あ、うまい。
「……」
あいつも――エマも。
俺のケーキを食って、笑って。あの幸せそうな笑顔がいちばん好きだ。
「おやぁ? よく見たら兄ちゃん、こないだ雑誌に載ってた菓子職人か?」
「まあ、そうかも」
「ガハハ、本物はもっと色男だねぇ!」
大きめのコンクールで賞を獲れば、雑誌や新聞記者にインタビューされることもある。
賞なんて、いつ何を獲ったかいちいち覚えちゃいない。だけど、何を作ってきたかは全部覚えてる。俺は自分が作るケーキが一番だと思ってるから。職人として、そこは謙遜すべきじゃないだろう。
そんな作品を好きな女が気に入ってくれる。なんて贅沢な奇跡なんだろうか。
誰かと番になることなんてとっくに諦めた。諦めたと、思ってた。
この程度で酔っ払うはずもないのに。あの小さな女のことが、なんだかひどく恋しかった。




