振り回されまくってるが、嫌じゃない
厨房のさらに奥、ちょっとした事務作業用のスペースで、ノートを捲りながら新作のアイディアを練る。早朝のこの時間を使うのは、多少、頭が冴えているような気がするから。
新作の『材料』は他の店のケーキだけじゃない。町に出かけて景色を見たり、誰かと話をしたり、ひたすら散歩をしてみたり。経験上、そういう中から案は不意に生まれてくるものだ。
「どうすっかな」
だというのに、気づけばあの女のことばかりを思い浮かべていた。最近ずっと横にいたせいだろう。
……認めよう。あいつと一緒にいると楽しい。
アホみたいにしっぽが動くのにももう慣れた。というか、なるべく意識しないようにすることに慣れた。惚れた弱みと言うべきか、笑った顔を見たくて、いくらでも甘やかしてやりたくなる。
このまえ食べたブルーベリーのタルトやラズベリーのケーキに殊更よろこんでいたし、ベリー系の果実が好きらしい。ソースはあらごしのほうが気に入りそうだな……
「……や、あいつのために作るんじゃねえだろ」
軽く頬を叩き、自然とあがりそうになった口角を引き締める。はあ、まじで調子が狂う。
新作は別に急ぎはしないが、同じものばかりじゃ客だって飽きる。次のコンクールも控えてることだし。
書いては消し、書いては消し、まさしく煮詰まった色のページを睨んで唸っていると、店の入り口のドアベルが鳴った。ラフィンだろうな。玄関前の掃除が終わったのか。
「せんぱーい。カノジョさんがいらしてますけどー」
「あ?」
かのじょ、とラフィンがふざけて呼ぶのはあいつのことだ。「付き合ってないんですか?!」「そんなに俺を傷つけたいか?」というやり取りの数は、十を超えたあたりで数えるのをやめた。
で、あいつが来たって? 嘘だろ、こんな朝早くに?
しかしながら顔を覗かせてみると、確かに、箒を持ったラフィンの後ろに小さな女が突っ立っていた。
「あっ、おはようございます!」
「おはよ。ランチの誘いには早すぎねーか?」
「今日はお仕事があるので残念ながら、ほんっとに残念ながら、お昼はご一緒できないんですけど! ノエルさんに用事がありまして」
「ふうん?」
ま、いいか。せっかくだ。心なしか緊張しているのを、ちょいちょいと手招きする。
「お、お邪魔しまーす……?」
おどおどしてるのが妙に可笑しかった。いつもうちでケーキを一口食べる毎に、あんだけ大はしゃぎしてるくせに。
「ちょっとそこで待ってろな」
手を洗って、調理台へ。ジャムにしてしまう予定だった小さめのイチゴを拝借し、溶かしてあったチョコレートを掬う。おっと、早くしないと垂れちまう。
「くんくんくん……チョコのにおい!」
「正解。ほら、口開けろ。早起きのご褒美だ」
ショーケース越しにこちらを見上げる顔。摘まんだイチゴで唇をつついてやれば、おとなしくかぶりついてくる。ふはっ、雛鳥みてえだな。
「んぐ、もぐ、おいひぃ」
「そりゃよかった」
「んっ……これなら、毎日でも早起きしたいです」
口の端についたチョコレートを指で拭ってやる。
にへへと笑う表情は、寝起きだからかどことなく普段以上に腑抜けている。くそ可愛いな。もう一粒くれてやろうか。
「うっわぁ、僕もう砂糖吐きそ……」
「おまえにもやってやるか?」
「全力で遠慮しまーす」
呆れ顔のラフィンはそそくさと掃除へ戻っていった。どうせマダムにも告げ口されるだろう。
「で、俺に用事って?」
「あう、えとぉ」
タオルで軽く手を拭って、近くに寄ってみる。何やら紙袋をひとつ、勢いよく両手で差し出された。
「ど、どうぞっ」
「なんだ、これ?」
「プレゼントです!」
プレゼント? 急になぜ?
首を傾げつつ紙袋から小箱を取り出し、蓋を開けてみる。
ショッキングピンク、ドぎつい緑、油絵具みたいな黄色。色とりどりでぐにゃぐにゃの……辛うじて円形っぽい食い物だ、たぶん。いや待て。形は不恰好だが、強いて言えばマカロン……に見えないこともない、か……?
「作りました!」
「は……?」
手作り? こいつの??
いや、まあ確かに、市販品ではなさそうだが。
「気を悪くされたらごめんなさい。絶対に、ノエルさんが作ったほうが、きれいだしおいしいのはわかってるんですけど」
固まる俺の目の前で、てれてれ、もじもじしている女。
「わたし、ノエルさんが作ったケーキを食べると幸せな気持ちになります。だから、おんなじ気持ちになってくれたら嬉しいなって」
「……」
「しょ、正直なことを言うとですね! ナナちゃんとモモちゃんに手伝ってもらった手前、途中でやめるって言い出せなくなっちゃったんですよね! あは、あはは……」
……なんなんだよ、こいつ。
「こういうの、普段から作るのか?」
「いやーお恥ずかしながら初めてです! お菓子作りってやっぱり難しいんですねえ。いちおう最後まで頑張ったんですけど、全然うまくいきませんでした」
あっけらかんと笑う。が、白い尾はずーっと下を向いているし、さっき受け取る時だって……手が震えてた。
初めてでこんな難題に挑戦しなくたっていいのに、と思う。もっと他にもあっただろ。きっと何度も失敗しただろうし、大変だったはずだ。
こいつが知ってるかはわからないが、花言葉みたいなものが菓子にもある。俺も、売るための文句として使わせてもらってたが……
「おかげで、ノエルさんがどれだけすごいかがわかりました!」
マカロンに込められる想いは――『あなたは特別なひと』だ。
「ででではっ、お仕事の邪魔になるといけないのでわたしはこれで――」
「いま、食っていい?」
「ぃ……!」
しっぽがようやくピンと立つ。真っ直ぐガチガチに固まって動かない。
止められる前に箱からひとつ取って、半分くらい噛る。
……めっちゃ甘ぇ。
完全に砂糖味。しなっとしてるし、クリームの舌触りもよくない。というかまず、着色料を入れすぎだ。でも。
「ありがと」
残りのもう半分もしっかりと味わう。
「すっげー、うまいよ」
今までもらったプレゼントのなかで、断トツに、いちばん嬉しい。恐らく普通の奴は、料理人に手料理を振る舞うなんて発想がそもそもないだろうが。
「ほ」
「あ?」
「ほんとですかぁああ?!」
「うるさ……」
ブォンブォンと凄まじい勢いで振れる尾を見たら、笑わずにはいられないだろう。泣きそうな顔がいじらしくて、ミルクティー色の頭を撫でてやる。
常識をひっくり返して、俺の心をめちゃくちゃにして、だけどそれが心地いい。しっぽが疼いて堪らない。
自覚したらすぐだった。ああ、恋に『落ちる』ってのは、なるほどこういうことだったんだな。




