いとこと不思議のドア向こう
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
いやあ、玄関をくぐると「生きて帰ってきたあ」感が半端ないな。
こうさ、空気が全然違うって感じ? 寒暖の差もあるけれど、入室一番に感じる溜まった空気とのふれあいに、安心感を覚えるんだよねえ。
その点、ドアが果たす役割は大きい。
きっちり閉じ切っている限り、彼らはかたや寒く、かたや温かい空気にさらされ、開放のときを迎えるまで、どちらかに偏ることを許されない。閉じ切って、穴もこさえないうちは、空気のさえぎりというしんどい仕事をこなし続けないといけないわけだ。
そのうえ、開いたら開いたで今度は出入りする人たちを相手にしなきゃなんない。開くとき体にさわられるわ、開いたら自分の間近を通られたり、かすられたりするわで、人間だったらぜんぜん落ち着かないところだろうね。
区切りという仕事を任される彼ら。それに触れることは、まれに奇妙な現象を引き起こすことがあるかもしれない。
僕のいとこから聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
いとこが大学のゼミに参加していたときだ。
その日の研究室はいとこが一番乗り。両脇を本棚で固められた一室は、長机が二列。それぞれ頭をくっつけあう形で、一列三台。合計六つ。
最奥には換気と採光用の窓が付き、すぐ手前には長机とは別に、教授用のデスクが鎮座している。すでに来ていたゼミの仲間と雑談しだすいとこだったけれど、ふとドアをノックする音が。
一番近い席のいとこがガチャリとドアを開けるも、そこには誰もいない。
室内の照明から遠ざかり、薄暗さの残る廊下だったが、近くの窓からはまだ夕方にはなりきらない、午後の光が差し込んできている。
ただ聞こえてくる音があった。いずこかで、靴がリノリウムをこする人の気配。
もしノックの主と同じなら、かなりの距離を一瞬で移動したことになるけれど。
首をかしげながら、談笑の輪へ戻るいとこだったけれど、やがて10分が過ぎ、20分が過ぎ、30分もするとまた集まった4人は、かねてよりの疑問を口にした。
誰もやってこない。自分たちの集合が気持ち早めだったものの、今の時間ならゼミ生の大半は顔を見せてくる頃合いのはず。
連絡を取れるかと、ケータイの類を出すも皆がそろって電池切れ。持ち歩いているチャージャーにつないでも、充電開始を示すランプの点灯もない。
みなケータイを酷使している自覚はあったから、急な不具合を起こしても、しゃーないと思っていたらしい。
じかに呼びに行くかと、いとこともう1人が連れだって研究室の外へ出る。
先ほどの靴の気配もなく、研究棟には静寂が満ちている。窓から見下ろす大学内も、出入りする人の姿は見えず。
これには2人して首をかしげた。コマ的には他にもゼミの受講者はいるはずだし、往来が盛んな時間帯のはず。それがどうして今日に限って?
棟内を見て回っても、他の研究室は施錠がされ、明かりも消えて、在室かどうかを示す部屋前の札もそろって不在を告げている。いつもならどこかしらゼミ生が、そうでなくとも教授が中にいるものなのに。
そうして歩き回り、いとこたちは気づいてしまう。
窓や出入り口を含め、この研究棟の各フロアにあるドアたちが、ことごとく開かなくなっていることを。
かろうじてトイレの小便器などはできるが、個室はいずれも開かない。同じ時間に個室がすべて埋まるとか女子トイレでもあるまいし。
こちら側に内鍵がついているものも、回してもロックが外れた気配のしない空回りのみ。実際に開き戸も引き戸もびくともしない。
確かに聞こえたリノリウムを靴がこする音が懐かしい。ここには事態をいぶかしがる自分たちが相談する声しかない。
先の物音があった以上、ここには何者かがいるのは確かなはず。自分たちが行き違いを繰り返したか。だが、ひとまずは……。
退きかけて、二人とも「ざりっ」と砂の上をすべるような音を、足元から立ててしまう。
見ると、廊下のど真ん中に水たまりのようにして、微細な黒い粉が撒かれている。見回すと、ここだけでなく点々とこぼれはある。
何かやばいものかと、二人して靴を脱いでトントンと廊下へ落としながら、わずかな粒もついていないのを確かめ、先を急いだ。
研究室へ取って返したいとこたち。
開きっぱなしになっていた室内には、変わらない明かりがともり、変わらない同ゼミ生二人の姿があった。
のんきに紙とえんぴつを使ったTRPGを始めているのは、少しカチンときたものの、現状を報告。この異常に対してどう対処すべきかを話し合う。
結論は「下手にこの場を動かずにいる」ということだった。
いつもと勝手の違う研究棟。先ほどまで何事もなく探索できたのは運がよかったからで、より詳しく探れば思わぬ落とし穴にはまってしまうかもしれない。
その感じた気配の主が、細工して回る恐れがあるんだ。なんともなかった場所に罠のたぐいを用意している可能性だったある。
ならば、少なくとも確認できる限りで「手の内」が読めているこの研究室内で待ち受けるのがいい。ひとまずゼミの時間が終わるまでだ。
もしがんじがらめで動けなくなったら、そのときはそのときで改めて考える……と、なんとも楽天的な考えに落ち着いたとか。
じたばたあがくことを考えていたいとことしては、この結論を聞いて、ちょっぴり気が抜けたのも確かだったらしい。
結局、ゼミが終わるまでの時間、やたら密度の多いショートシナリオひとつをこなす。
ステータスの変動ふくめ、ゲームマスター以外の3人がやたら忙しく、鉛筆を走らせる卓となったとか。
そうして、ゼミの終わりの時刻を時計が差したとたん。
堰を切ったような話し声と足音が、部屋の外に満ちる。
いとこたち4人が研究室を出ると、廊下を行き来する何名かと、もろもろの研究室の札が在室を示すものに変わっている。
やがて新しく階段を踏む音がして、続々と姿を見せる他のゼミ生たち。彼らもまた4人を見つけて、驚きの声をあげたようだ。
いわく、今日のゼミは下の階の会議室を使うと事前に通達してあったはずで、4人がそろって姿を見せないのを、向こうも探していたというんだ。
もしや研究室にいるのかと、ここまで来ても戸は閉め切っているし、教授に頼んで開けてもらっても、もぬけの殻だったとか。
いわれて、いとこたち4人はようやく今日の集合場所を思い出すが、全員が全員、このことを忘れているなどあるだろうか。
そもそも……と前置いて、いとこともう1人の探索に出たメンバーは、自分たちの見た状況を伝えて、みんなの首を傾げさせてしまう。
と、後ろで手帳を手繰っていた、待機組のひとりが、別に驚きの声をあげた。
メモ魔を自負する彼は、今日の集合場所のことをメモっていると踏んでいたんだ。たいていのことがらはシャープペンシルで、書き記している。
それが、今日の予定のところは何もない。他のところもまたしかりだが、まっさらなわけじゃない。
ボールペンで書いたところは、きっちり残っている。もしやと、いとこたち3人は自分の荷物を取ってきて、講義のルーズリーフなどを片っ端から漁る。
鉛筆、シャープペンシルなどで書かれた部分が、ごっそりなくなっている。
どのような消しゴムと腕をもってしても、ここまできれいに消すことはできまい。紙面は新品さながらで消し残りはおろか、筆圧をうかがわせるへこみひとつない。
ちょうど黒鉛だけが、きれいに逃げ出してしまったような……。
そう考えて、探索組のいとこたちは思い当たる。
あのとき、自分たちの足元にこぼれていた黒い粉末たち。あれの正体は黒鉛じゃなかったのかと。
自分たちは電波のつながらない、それでいて黒鉛を奪われる不思議な空間にいたのではと、いとこたちは思ったそうだ。
それがあのノックに反応して、ドアを開けた拍子のことかどうかは分からない。
ノックの主を確かめられずに終わったのは幸か不幸なのかも。