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「猪皮くん、だよね……?」
窓ガラスに映った自分の姿に対して、まるで問いかけるように口にする。
元々暮らしていた時代に戻って来たらしいあたしだったが、体はまたしても自分の物ではなかった。
未来で結婚すると知ってより意識してしまっている相手。それに何より前回と違って異性の体で、あたしは奇妙な心地に襲われている。
……顔は可愛いけど、やっぱり骨格はしっかり男の子だ。
当然女子にはないものがあり、如何せんあたしは男性経験が0なものだから気になってしょうがない。
「………」
現状を忘れて思わず手が伸びるも、寸前で通行人とぶつかりそうになって我に返る。
外で、しかも人目も多いこの通りで、あたしは一体何をしようとしていたのか。
己の行為を反省しつつ、でも無意識に右手はポケットに。
持ち物チェックを言い訳に好奇心を満たそうとしたが、予想に反してチェックが引っ掛かる。
「紙……?」
ポケットの中に入っていたのはキレイに折りたたまれたノートのページだ。閉じてある内側から薄っすらと文字が透けて見えて、あたしは何かを考えるよりも先に開く。
それは、猪皮くんからの手紙だった。
あたしに体を乗っ取られることを想定していたようで、ハッキリと名指しして伝言を残してくれている。どうして想定出来ていたのかまでは書かれていない。
書かれてあったのは、生活に必要な猪皮くんの個人情報と今現在の状況だ。
その現状についての文章を読んで、あたしはギョッとした。
「ゆ、行ちゃん、三付くんを殺そうとしてるんだ……」
想像以上にあたしの孫娘は野蛮な考えの持ち主らしい。確かに元凶を消すのは手っ取り早い策だが、にしても短絡的すぎる。
……いやでも、まだ子供だから仕方ないのかな。
あたしが未来で一週間暮らした体は十二歳のもの。それに彼女が学校とかに行っていた様子もなく、道徳心や倫理観が満足に身についているとは考えにくい。
なんとなくやるせない気持ちになって、手紙の続きを読む。
重要な情報は他にはなく、何をすればいいかも分からない。手紙も、念のために残したメモと言った感じで、真実には至れていないようだった。
あたしが何か出来るのか、そんな不安が芽吹き始めたところで、最後の一文が目に入る。
『きみなら大丈夫』
その力強い筆跡には、なぜか彼の声すら籠っているようにも感じて。
託された信頼はとても重いけれど、不思議と嫌な気分ではない。むしろその重量が、あたしを支えてくれるかのようだった。
「とにかく、行ちゃんと話をしないと……!」
漠然とした自信。
探せばもっと良い方法があるはず。きっとみんなは幸せになれる。
そう確信しながら、あたしは走り出す。
その考えが、ひどく楽観的だとは気づけないまま。
*
「何で邪魔するの!?」
「い、いやだからっ。行ちゃんが考えてる方法は良くないんだってっ!」
「でもっ、そうしなきゃみんなは救えない!」
学校に引き返すとまさに丁度、三付くんの教室へ乗り込もうとしていたあたしの体——行ちゃんを見つけて、慌てて引き止めた。
手にはしっかりと包丁が握られていてその場で実行するつもりだったらしく、止められてホッとしている。
拘束される行ちゃんは暴れているが、幸いに猪皮くんの体は意外にも筋肉があって女子一人を抑えるのは余裕だった。……あたしの体、案外軽いな。
とりあえずどこか落ち着いて話が出来る場所をと、辺りを探しながら行ちゃんを引きずっていると、前方から知った人がやってきた。
「あらー繋、ついに一線を……」
そう、ニヤニヤとも呆れとも取れる表情を見せるのは、学校内でも一番の友人。そんな彼女にこの状況を見られて、あたしは慌ててしまう。
「み、三久ちゃん、これは違くて!?」
「そんなしっかり抱き着いてて違うはないでしょー。てか猪皮くんって、うちの名前知ってたんだ?」
「あいやっ! 違います!」
今は猪皮くんの体だったということをすっかり忘れていてすぐに訂正する。
変に思われただろうかと思うもそんな心配は必要なかったみたいで、あたしに構わず三久ちゃんは、行ちゃんの頭にポンと手を置いた。
「イチャイチャしたいのは分かるけど、授業もう始まっちゃうよ。ほんとあんた最近変なんだから」
そう言って、あたしから貰い受けるかのように行ちゃんの脇に手を入れ立ち上がらせる。
「サボっちゃダメって何回も言ってるでしょー」
「………」
なぜかあたしの孫娘は、あたしの友人に触れられた途端に、押し黙って動かなくなっていた。なんとなくだが、密着してくるスキンシップに慣れていなくて困惑しているというような雰囲気だ。
それから三久ちゃんは、少し手慣れた感じであたしの体を歩かせ始めた。
「それじゃあ、貰ってくね」
「あ、ああうん。よろしく」
挨拶をされて、困惑しながら手を振り返す。
それと同時に授業開始のチャイムは鳴っていて、でもあたしはしばらく呆然と二人の背中を見送っていた。
そしてようやく思考に整理がついてから、慌てて猪皮くんの出席を守るため教室に急いだのだった。
*
行ちゃんは比良人くんを殺すという方針を変えようとしなかった。
あたしが別案を出せないものだから即実行しようとしていたが、とにかく待ってと彼女を止め、まずは必要そうな情報を集めることにした。
でも上手くいかない。
未来で比良人くんが何かするのなら、将来の夢とか彼自身の思想とかが分かれば推測出来るかもと考えたけれど、聞き出せたのは比較的平凡なもの。本心かどうかは分からないが、話している感じ悪い人にはどうしても思えなかった。
それに、なりふり構わず質問責めしたせいで、最近は怪しまれて返答も鈍くなってきている。色々猪皮くんの真似事をして見ているが、どこまで正しいかも分からない。
更に困ったことに、行ちゃんが隙を突いては比良人くんへ突貫しようとしていた。少しキツめに注意すると、あたしの前では控えるようになったけれど、目を離せば変わらない。
そんなこんなで時間を過ごしていたのだが、やはりあたしが成果を出せないことに、孫娘はしびれを切らしてしまった。
「おばあちゃん、もう待てない」
猪皮くんの家。あたしが今入っている体が寝起きする長男の部屋にて、行ちゃんは宣言するように言った。
「も、もう少し待ってくれないかな?」
「もうすごく待った!」
そう言い出すだろうなとは分かっていた。でもあたしは未だに成果がなく、方針を決められていない。
「分かんないんなら、やっぱ殺すしかないでしょ!?」
「いやだからっ、そう簡単じゃないし、それに捕まっちゃうから……」
行ちゃんの行動力を宥めようとして、思いつく理由を浮かべてみるが、それは逆効果になってしまう。
「……捕まるって、死ぬわけじゃないんでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
「ならいいじゃん! それでみんなを救えるんなら! おばあちゃんだってそのぐらいは手伝ってよ!」
そう言われると、あたしは返す言葉がなかった。
本当に未来のことを想うのなら、あたしの犯罪歴の一つぐらい天秤にかけるまでもない。それなのにあたしは決断出来ず、より安心出来る道がないかと探している。
……いや、比良人くんが死んじゃうのもダメじゃないの?
彼は多分悪くない人だ。そんな人をむやみに殺していいのか? でも、このまま放置していればもっと大勢がいなくなるかもしれない。
「……分かった。でも、あと少しだけ待って。この休日の内に答えだすから」
「答えも何も、決まってるじゃん」
そうしてあたしは、比良人くんが殺されるに値するのか見極めることにしたのだけれど、やっぱり答えは出せなかった。
まだ、全てが良いように動くと思っていたのだ。
だからあたしは愚かだった。
行ちゃんは呆れて一人で行動してしまい、更にはその後に今までの行動が全て無意味だと知らされた。
真実を教わり、またしてもあたしはどうすることも出来ない。
あまりにも大きな話に、なんで関わらせたのだと文句すら言いたくなっていた。




