鉄壁と絶壁の二人、英雄とはほど遠く
設定協力:ミナ
酒場の主人は二人のなりを見て難色を示した。
「旅人を泊めるのはやぶさかじゃねぇんだけどな」
と腕組みをする。
「まずアンタのソレは、その、なんなんだ」
レオンハルトは背負っていた巨大なものを前に構える。それは棺桶ほどの鉄塊だった。ゴン、と床に下ろして、偉丈夫のレオンハルトは上辺からにっこり顔を出す。
「おう、鋼鉄製の大盾よ。格好いいだろ?」
「『ゴン』じゃねぇんだわ。そんなバカ重たそうな代物を持ち込まれちゃ床が抜けちまうよ。悪いが外に置いてくれ」
「嫌だ」
レオンハルトは頭を振った。
「こいつが傍に無いと眠れないから」
「とんでもねぇ抱き枕だな」
呆れ顔をした店主はもう一人へ視線を移した。
「それで、そっちのアンタは魔術師か何かだろ?」
指摘されたクレージュはようやくフードを脱ぐ。黒髪に銀細工のサークレットが輝いた。すらりとした体躯を伸ばしたまま、無表情に見返す。
「そういう髪飾りは魔力を高めるとかなんとか聞いた事がある。しかしよ、魔術ってのは暴発するのが常とも聞いたぜ」
「まあしますね、暴発」
クレージュは首肯した。
「でもそれは三流の魔術師がする事です。僕のような二流魔術師はそうそう起こしませんよ」
「謙虚なのか卑屈なのか」
溜息を吐いた店主は酒樽の栓に指を掛けた。
「一杯奢ってやるから、他を当たってくれ」
そうして追い出された二人は道端で呆然と佇んでいた。レオンハルトは自慢の盾を背凭れにして青空を仰ぎ、クレージュはサトウキビを囓っている。
住民五、六十規模のこの名も無き村でも、旅人を見掛けるのは珍しい事ではない。しかし二人は道行く人の目を引いた。筋骨隆々とした巨漢と、華奢な見目よい男子の組み合わせだ。通りすがった若い娘二人などは、この凸凹な連れ合いを見てひそひそと何やら囁き合った。
レオンハルトはあくびをする。
「こういうときにさ、『そこの旅人さんがた、よければ家に泊まったらどうだい』なんて親切に声を掛けてくれる年寄りとかがさ、都合よく現れないもんかね」
「自明じゃないですか。世の中そんな都合のいい話はありませんよ」
クレージュは繊維をぺっと吐き出した。
「レオンの方から訪ねてみてはいかがですか?」
「苦手だって言ってるだろ、そういうの。こっちが愛想よくしたってガタイでビビられるんだから。だいたいなんでおれ一人なんだよ。お前こそ行けよ」
「無理ですね。愛想笑いなんて死んでもできませんので」
このようにして、やっと町や村落に辿り着いても宿を取れず、結局寝袋で野宿するのがいつもの流れだ。
晴天にぽっかり浮かんだ一つの雲が、ゆったりと流れていく。
「美味いか? 二日分の食費で買ったサトウキビは」
「まあまあですね。一本いかがですか? まだ大量にあるので」
クレージュが肩から提げた袋は大きく膨れている。
「おれはいいや。歯に挟まって気持ち悪いし」
「甘味は集中力を上げるそうです」
「何に集中する必要があるんだよ」
再びレオンハルトは大きくあくび。
遠くから子供達のはしゃぐ声が聞こえた。
「平和だねぇ」
「果たしてそうでしょうか」
クレージュが意味深長に言うので、レオンハルトは怪訝な顔をした。
「森が近すぎます。そして深すぎる。通り掛かりに魔力を感じました」
「魔法生物がいるかな」
「断言はできません。が、エルフが住み着いている様子もありませんし、村の狩猟者や木こりが足を踏み入れるのは少々危険かと」
「最近はどこも魔物化が進んでるからな」
山岳や森林、河川や湖海といった魔力の集中する土地では、魔法生物が生まれる事がある。それは小さな妖精であったり、動く樹であったり、角や翼の生えた馬であったり、知能の低い亜人であったりと、無害な生き物たちだ。
ところがここ数年になって、人に災いをなす魔法生物が増えた。元から発生していた生き物たちが凶暴化するか、または何故か人に危害を加えるべくして生まれたとしか思えぬものも。そうしたものたちを人は <魔物> や <魔族> と呼んでいる。
「平和も値上がりしたもんだ」
とレオンハルトは呟いた。
そのときだった。俄に、わあ、と男たちの叫び声が響いたのは。
「逃げろ! 家に居るのはみんな逃げろ! 弓を扱える奴はすぐに持て!」
男たちは息せき切って走りながら、各戸に告げて回っていた。
一人が目の前を横切ろうとするのを見計らって、クレージュは「えい」と足を出した。つまづいた男はつんのめって倒れ込んだ。
「何事ですか?」
「今わざと足を掛け――」
「ナニゴトですか?」
「ま、魔物だよ! 魔物が出たんだ!」
男が叫ぶと飛沫が地面を濡らした。
「狩りに出ていた連中が出会したんだ。あんたらもすぐ逃げろ!!」
慌てふためく男はそう言って走り去った。
やれやれ、とクレージュはサトウキビを投げ捨て眉間を撫でる。
「言ったそばから」
やがて魔物はその姿を見せた。
巨躯の猿のような怪物だった。図体は家よりも高い。太く長く体毛に覆われた前肢に対し、後ろ脚は短い。頭部には血走った四つの眼があり、口は長く垂れ下がっている。鼻は無く、代わりに体毛の薄い胸に空いた穴から、ぱくぱくと呼吸しているようだった。
魔物は拳を振るい家屋を打ち壊しながら二人の方へ向かってくる。土煙を纏う巨体を前にして不敵な笑みを浮かべたのは、レオンハルトだった。
村の男たちがそれぞれ弓を持って集まってきた。
「構え! 放てェー!」
号令とともに矢が放たれる。放物線を描く矢、直行する矢、様々な矢が魔物に当たり、そして針金のような体毛に弾かれていった。村人達は第二射をつがえながらも、その顔には絶望の色が浮かぶ。
魔物と村人たちの間にレオンハルトとクレージュは躍り出た。レオンハルトは盾を構え、魔物と対峙する。村人はどよめいた。
「まさか戦うつもりなのか?」
「無茶だ。剣も持ってないじゃないか」
「その通り。我々が対処します」
クレージュがレオンハルトの背後に立ちつつ言った。
「しかしその前に……」
クレージュは村人たちの方へ向かって両腕を伸ばし、手を広げた。
すると突然、地面から一枚の土壁がそそり立つ。壁は人々からクレージュの姿を隠した。クレージュが腕を広げていくと、次々に壁が突き出し、遂にはクレージュとレオンハルト、二人を囲った。
「え?」
「魔術? いやそれより……」
「あ、ああ。あいつら、自分たちだけを……」
「自分らだけを、守ってやがる!」
村人たちの間に動揺が走った。
「報酬の交渉をしましょう」
クレージュが言い放った。
「僕たちがこれを退けたらいくら出しますか。もちろん後払いで結構。まずは共通通貨で1,000から」
1,000あれば馬が一頭買える。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
村人が声を上げた。
「金を取ろうって言うのか!?」
「当然です。我々は慈善家ではありません。傭兵です。相応の対価を要求します」
冷たく言い返す。
「それともなんですか、値切り交渉ですか? では800!」
800あれば男二人が一年食っていける。
「ば、バカじゃないのか! 化け物が目の前まで来てるのにそんな話――」
「では800でよろしいですか」
「聞いちゃいねぇ!!」
村人の言う通り、魔物は二人のすぐそこまで迫っていた。四つの眼が壁の中を見下ろしている。
そして魔物は腕を振り上げた。村人の内幾人かは「潰されてしまえ」と思った。
拳が叩き付けられたとき、鈍い金属音が響いた。まさかだ。レオンハルトは盾を掲げ、魔物の一撃を防いでいた。
あまつさえ、魔物の腕を弾き返し、魔物は大きく仰け反った。
誰かが彼をこう呼んだ。
鉄壁のレオンハルト。
すかさずクレージュが腕を繰り、一度周囲の壁を引っ込めると、舞うようにして手を空へかざす。すると彼の両脇から、せり上がる壁が波打つように地面を魔物目掛けて這ってゆく。壁は姿勢を崩した魔物の足を掬い、その巨体を転倒させた。
誰かが彼をこう呼んだ。
絶壁のクレージュ。
「800。よろしいですか」
愕然とした村人たちは、ただ頷いた。
ゆっくりと起き上がった魔物は呼吸を荒く、目を更に赤くしていた。転んだ程度では大した痛手にはなっていない。ただ怒らせただけだ。
魔物の呼吸孔が大きく開かれ、胸が膨れあがった。何かを察知したレオンハルトは盾の裏に体を隠し、クレージュは壁を張った。
鞭を打つような音がけたたましく響いた。
魔物の吐息が旋風となって、盾を引っ掻き、壁を削った。
「風の属性まで操るとは……値踏みを間違えたかも知れませんね」
舌打ちするクレージュに、レオンハルトは言った。
「なら吐かれない内に殴り続けるしかない!」
「当たり前です。行きますよ」
レオンハルトは魔物へ向かって突進した。魔物が迎え撃とうと腕を横薙ぎにするが、クレージュの壁がそれを受け止めた。膝に盾の突撃を加え、爪先を押し潰す。魔物は堪らず反撃しようとするが、その拳が振り下ろされる前に、せり上がった壁が抑え込む。
レオンハルトが攻撃を繰り返す間、クレージュは援護しつつじりじりと後退していった。村人たちもそれに押されるように後ずさる。疾風を吐かれた場合を考えての事だ。
「クレージュ!」
レオンハルトは息を切らしながら叫んだ。
「そろそろ決めるぞ!」
「了解」
頭上を見上げつつ飛び退き、距離を測る。そしてレオンハルトは機を見極めた。
「今だ!!」
クレージュの壁がレオンハルトの足下から伸び上がる。土壁に乗ったレオンハルトは大盾の縁で魔物の顎を突き上げた。魔物は形容しがたい呻き声を発する。
遙か高くまで射出されたレオンハルトが、盾の重みに任せた一撃を魔物の脳天にお見舞いする。
魔物は地に伏した。
レオンハルトはよろよろと起き上がり、ぷっと息を吐いた。
村人から歓声が起こった。
「なんてこった! 本当に倒しちまった!」
「やりやがった! マジかよあの二人! やりやがったッ! あいつらすげぇ!!」
「畜生どうなってんだ! 何者なんだあの二人は!?」
レオンハルトは手を振って応え、クレージュは振り返りもせず呼吸を整える。
束の間の勝利だった。
がばりと魔物が上体を起こす。その胸は膨れ上がっていた。
咄嗟に盾で防いだレオンハルトだったが、間近に受けて吹き飛ばされ、民家の壁を突き破った。
クレージュは瞬時に身をよじり、駆け寄ろうとしていた村人の前に壁を作った。
旋風はクレージュの脇腹を切った。外套が引き裂かれ、肩から提げた袋は破けた。
魔物は起き上がり、腕で這い始めた。村は一転して悲鳴に包まれた。
「なんて頑強なヤローだ……クレージュ!」
レオンハルトは立ち上がろうとするが激痛に屈み込んだ。股関節を脱臼していた。
「クレージュ! おい、クレージュ!!」
いくら叫んでも倒れたクレージュは起き上がらない。ぴくりとも動かない。
魔物がクレージュに這い寄ろうとしている。
「クレージュ、立て! 起きろよ!」
レオンハルトは絶叫する。
「お前ならまだ戦える。こんなところで終わるな! 立て! お前が生きてなきゃ、おれはどうなるんだ! おれを一人にするな!!」
その声は虚しく響いた。
そして、魔物の巨体がクレージュに覆い被さる。
レオンハルトの頭の中で爆発が起きた。
「テメェ!!」
痛みを忘れて立ち上がり、魔物へ向かって脚と盾を引き摺った。頭をしきりに動かし、貪る魔物に、全身全霊の力を込めて盾を投げる。しかしそれも魔物の強靱な体毛と分厚い表皮に弾かれてしまう。
目に涙を浮かべへたり込んだレオンハルトの方へ、魔物が振り返る。その表情は。
とろけていた。
もっしゃもっしゃと頬張っているのはサトウキビだった。
説明しよう。摂取された糖は魔物の脳に届き、興奮を和らげ、幸福感を覚える成分を発生させていたのだ。
魔物はその四つの目を薄くして、うとうととし始めた。
その日から、巨大な魔法生物は森と村の守護者として崇められる事になる。狩人は彼の住まう森の奥深くを聖域として立ち入るのを禁じ、獲物に感謝の祈りを捧げる風習が生まれた。聖域の入り口には祠が建てられ、定期的にサトウキビが貢がれると言う。
村のために戦った旅人は、手厚いようでそうでもない看護を受け、七日ほどして村を後にした。見送る者は少なかった。餞別に持たされた銅貨を銭入れに放り込み、二人は振り返る事もせず立ち去った。
「まだ脚は痛みますか、レオン?」
「いいや。お前こそどうなんだ」
「僕は転んで頭を打っただけですからね」
振り返るのに体を捻っていたのが幸いだった。
「丈夫な体で羨ましいですよ」
「お前も鍛えろ。ヒヤッとさせられるのはもう勘弁だ」
道は見渡す限り草原が広がっている。爽やかな風に野花のつぼみが揺れた。
「考えておきます」
クレージュはふっと笑い、呟いた。
「君を一人にはしませんよ」
「なんだって?」
「口が寂しいと言ったんです」
二人の地図もあても無い旅は、これからも続いていく。
ルビを振るのに30分かかりました。
友人のミナ様が協力してくれました。主に以下の点をアイデア出ししてくれました。
・バディもの
・主人公の名前(ツールを使ったそうです)
・ギャグっぽく
・大きい魔物一頭
・オチ
大変助かりました。ありがとうございました。