#09
「夏目君の部屋は、いつもこんな感じなんですか?」
「えっ?……いや、もう少し片付いてる時もあれば、もっと散らかってる時もある」
「それなら今の部屋だけでは基準にはなりませんよ」
高峯凛花の伝えたいことが分からずにいた。僕の方は寝起きで頭が働いていなかった。
「ちなみに、女の子がこの部屋に入るのが初めてなのはお母さんから聞きました」
「……余計なことを」
「この部屋に入れる女の子の基準が私になったら、きっと誰も入れなくなりますね。……私を基準にしてくれても構いませんよ」
「……いや。それだけは止めておく」
ずっと額の上に手を乗せたまま高峯凛花は話していた。
ひんやりとしか感覚はあったが、高峯凛花に触れられている緊張で体温が上がっている感じがしてしまう。
「……風邪、うつらないか?」
「たぶん大丈夫です。元々は私のものだったんですから」
「学校で、何か言われた?」
「私は何も言われませんでしたけど、教室はざわついてましたね。……榎本さんも教室に来て、夏目君のことを聞いたみたいです」
「どんな顔してた?」
「ちょっと嫌な顔をしてました。……心配している表情ではないと思います」
「……すごいな。狙い通りになったんだ」
まだ頭がボーっとしていた。高峯凛花の声を聞いている内に眠気も襲ってくる。
微睡みの中で高峯凛花と話をしている感覚は何故か心地良かった。
「早く良くなって、頑張ってくださいね」
「……何を?」
「告白の言葉を考えるとか、いろいろです。いろいろ頑張ってください」
「……あぁ、うん」
「私、負けず嫌いなんです」
「知ってる」
「榎本さんと同じ高校に通うために頑張ったよりも、もっと頑張ってもらいたいんです」
「……そっか。……うん、大丈夫」
いつの間にか額に置かれていた高峯凛花の手は僕の頬に触れている。その頬に触れている指先で信号を送っていたように感じたが、解読することが出来ないまま眠ってしまっていた。
高峯凛花は僕が眠っている間に帰ってしまったが、母親が興奮態になっていた。お粥を作って持って来てくれた時に、体調の悪い息子を無視して勝手に話をしている。
『アルバイトしてるお店の娘さんなんでしょ?信じられないくらいに綺麗な子ね。それにすごく礼儀正しいし。あんな子がお見舞いに来るなんて、ビックリしちゃった』
これが一般的な高峯凛花への評価だった。
『あの子を好きになったらダメよ。あんたじゃ絶対に無理なんだから、身の丈に合わせた彼女を作る努力をしなさいね』
親の言葉とも思えないが、親だからこその忠告かもしれない。「身の丈に合った彼女」と言う響きを重く感じていた。ひどい言葉にも思えるが、息子に傷付いてほしくないのだろう。
それでも、手遅れになっていることを最近は自覚している。僕は高峯凛花が好きになっていた。その気持ちを認めてあげるしかない状態にまで来ている。
告白をすることは決まっているが、フラれる結末も決まっている。絶対に好きになってはいけない相手だったはずの高峯凛花を好きになってしまった。
次の日も学校を休んだ。体調は少し回復していたが、無理して出ていくこともない。
風邪を引いたことよりも、好きになってしまったことを認めなければいけないダメージも大きかった。そんな時ほど、高峯凛花は僕に更なるダメージを与えてくる。
――『早く良くなってくださいね』……か
枕の下に挟まっているメモを発見して、そのメモには綺麗な文字がならんでいた。普通に嬉しいと思ってしまうことがいけない。
週が明けて学校に行くと、最初に感じたのは殺気だった。「風邪がうつるようなことがあったのか?」そこから始まっていた。
そして、僕に対しても学校内で意見が分かれているらしい。「風邪で弱っている高峯凛花を前にして衝動を抑えられるのか?」が論点に上がってしまい、「抑える自信がない」派と「それでも抑えるべき」派の対立だった。
少なくとも「抑える自信がない」派は僕に同情的な立場でいてくれている。
「……いや、何もなかったんだって」
「でも、高峯さんには直接会えたんだろ?」
「そりゃぁ、会ったけど……。でも、何もなかった。あるはずないだろ?」
「それが、直接会えたこと自体も問題になってるんだ」
「はぁ?」
同じクラスの友達が詳しい事情を説明してくれた。お見舞いに行って、本人に会ったことを問題にされてしまっては堪らない。
「2年の三浦先輩って知ってるよな?」
「あぁ、知ってる。……女子たちが騒いでるのを聞いたことあるし」
「お前が行く前の日に見舞いに行ってるらしいんだ」
「……三浦先輩が?」
その先輩は学年でもトップクラスの学力で、バスケ部の副キャプテンをしている。顔も間違いなく僕よりは上で、背も高い。女子からの人気は絶大で、確実にAランクに位置していた。
花を持って見舞いに行く姿が想像出来てしまうタイプでもある。
「そう、その三浦先輩が見舞いに行っても会えなかったんだって」
「あぁ、それならバイトで知ってるからだよ。……それ以上の理由はない」
見舞いに行っていたのが三浦先輩と聞いて焦っていた。僕が基準になるまでもなく、この高校の中で高峯凛花に告白するだけの自信を持っている男だった。
そして、廊下では榎本聡美が「あの男、高峯さんが美人だから我慢できずに何かしたみたいだよ」と友達と話している声を偶然耳にしてしまった。
相手が太刀打ち出来ない高峯凛花であったため、僕のことを「あの男」呼ばわりすることでしか自分のプライドを守れないのだろう。それでも僕に怒りはなく、榎本聡美の内面も知らずに告白するつもりでいたことだけが情けなかった。
高峯凛花がいつもの信号で『狙い通り』と送ってきていたが、そんなことを気にする余裕もなかった。あれだけ一緒にいても三浦先輩のことを知らなかったことに気持ちが焦る。
――高峯さんは、三浦先輩がお見舞いに来てくれたことをどう思ってるんだ?
そのことばかりが気になってしまっていた。
見舞いに来たこと以外で、高峯凛花と三浦先輩の接点があるのかも知らない。ただ部屋に飾られていた花を思い出してしまう。
――僕の告白は断られるけど、三浦先輩からの告白は何て答えるんだ?
そして数日後、僕の告白を待たずして高峯凛花は三浦先輩から告白されてしまうことになる。
金曜日の放課後、高峯凛花を三浦先輩が呼びに来たことで周囲はどよめいた。
三浦先輩であっても高峯凛花と並べば見劣りしてしまう。それでも、この高校で三浦先輩よりも上は存在しないことになり、高峯凛花に対しても先輩は「ちょっと来てほしい」と余裕の態度を見せた。
教室でその光景を目の当たりにした男子は諦めて落胆し、女子たちは羨ましがっていた。誰もが、呼び出された後のことを容易に想像出来てしまう状況になる。
高峯凛花が少し髪をなびかせて颯爽と出て行く姿は、この注目を集めている状況にも関わらず凛としていた。
一瞬だけ僕の方を見た高峯凛花と目が合った。
――コ、ト、ワ、ツ、テ、ク、レ
僕は咄嗟に指先を動かして信号を送ったが、すぐに教室を出ていってしまった高峯凛花に届くことはない。
しばらく教室で高峯凛花が戻るのを待っていたが、本人はなかなか戻って来ない。本人が不在のまま、「どうやら、付き合うみたい」との情報だけが届けられた。
無関係な生徒たちが盛り上がっている教室に残っていたくなくて、僕は帰ることにした。
本人に確認する手段はあるが、わざわざ確認する意味がない。僕が告白する男たちの基準になることが不要になっただけで、最初から決まっていたことである。
高峯凛花に告白する基準が三浦先輩になってしまったことで、ハードルは一気に高くなってしまった。三浦先輩を断ってしまえば、次に高峯凛花に告白してくる男は現れないかもしれない。
となれば、高峯凛花が断らないことは必然で、結果は分かり切っていた。
翌日の土曜日は運悪くバイトの予定が入っている。
――会いたくないな……
正直な感想だった。高峯凛花が、嬉しそうな顔で報告をするを見たくはない。
僕が告白の基準になるまでもなく最高ランクが動き出してしまった。これは高峯凛花が望んだ展開であり、僕は全てを受け入れなければならない。
――僕が告白をしていたとしても、フラれる結末は変わらない
それは決まっていることだったが、この二ヶ月ほどで受け入れたくない事実に変わってしまっていた。憂鬱な気分のまま、僕はアルバイトに行くことになる。
仕事にも慣れて、高峯凛花の両親とも仲良くなってしまっていた。そのことを今になって後悔している。たぶん近いうちにはバイトも辞めることになるのだろう。
――僕の役目は終わったんだ
待ちわびていたはずのことが、暗い気分にさせる。
そして、アルバイト終わりに高峯凛花から話があると呼ばれて自宅に行ったが、この日は玄関での話になった。これまで当然のように部屋に入っていたことの方が不自然なことも忘れてしまい、急に距離を感じてしまう。
「……ごめんなさい。部屋には入れられません」
「うん。……まぁ。当然だと思う」
「やっぱり、悪いですから」
もっと喜んで報告をしてくると思っていたが、神妙な表情だったことは意外に感じる。そして、「悪いから」は「彼氏に悪いから」という理由で、部屋に入ることを拒否されたことを痛感させられた。
「アルバイトは、どうした方がいい?」
「その件は相手の意見も聞いて結論を出したいと思います。……夏目君は辞めたいんですか?」
「どうだろう。今は、ちょっと分からない」
相手の意見、先輩は部活も忙しいからアルバイトをすることは出来ないはず。それでも僕が通っている状況を嫌だと思ってしまえば従うことになる。元々、自分から始めたわけではないので深く考えていなかった。
「でも、これで映像データは破棄してもらえるんだろ?」
「はい。約束しましたからね」
「ありがとう。……って、お礼を言うのも違う気がするな」
言いながらも、高峯凛花との繋がりがなくなることを寂しいと感じてしまっていた。あの映像データは僕を脅すネタだったはずなのに、それを繋がりと感じてしまう。今、話している距離感もあるので余計に意識させられた。
「僕の告白は必要なくなったね」
「……せっかく一生懸命に考えてくれたんですから、聞かせてもらえませんか?」
「でも、あの先輩以上のヤツが告白することなんてないと思うから、僕が基準になる意味はないだろ?」
「そうですね。先輩以上が基準になってしまっては難しいと思います。……お見舞いで花を持ってきてくれたのも、先輩だったんです。優しいですよね」
「あぁ。聞いてる。僕は花を持っていくなんて考えもしなかった」
「フフッ、予想以上に早く最高ランクが登場してしまいましたね。もう夏目君の出番はありません。……でも、どんな言葉が夏目君の中で生まれたのか聞いてみたいんです」
言わずに終わらせるべきかもしれないが、気持ちにケジメをつけておきたかった。
好きにならないと思っていた高峯凛花を好きになってしまったことを自分自身で整理して終わらせたい。
「分かった。今回は、ちゃんと告白して終わらせる」
月曜日の放課後に告白する約束をして、その日は帰った。




