#03
「……あの、高峯さん?」
「えっ?……あっ、ごめんなさい。……うん、これなら大丈夫です」
高峯凛花はスマホの画面を見ながら、一人で納得して満足そうに微笑んでいた。そのままスマホを片手に僕の近くまで来て、
「夏目君、コレを見てくれませんか?」
スマホの画面を僕に見えるように突き出した。
そこには先ほどの場面が動画で記録されており、僕が高峯凛花に抱きつくところが映し出されている。
「えっ?……これって、さっきの。……録画してたの?」
「はい。それでこの動画をココで停止してしまえば……。どうですか?夏目君が私に襲い掛かっているみたいにも見えませんか?」
高峯凛花は画面の向きを変えて操作し、抱きついている瞬間で停止させた。
今、僕の背中を伝っているのは冷汗だろう。再び見せられたスマホには静止画で僕が高峯凛花に覆いかぶさるように抱きついている僕の姿が映っている。
「……これをプリントアウトして、学校内に落としておくのはどうですか?」
「えっ!?いや、絶対にダメだって!そんなことされたら、全校生徒を敵に回すことになる」
「ですよね。それで私が涙を流したりしたら……」
そんなことになれば高校生活は終焉を迎えてしまう。入学してから、たった三ヶ月半で終わらせてしまうわけにはいかない。
「私の裏側を知ってるのは夏目君だけですから、たぶん私が襲われたって言ったら大変なことになると思いませんか?……それに、私の秘密の独り言も聞いてたなんて、夏目君はエッチです」
「……やめてくれ」
「えっ?」
「……あっ……、やめてください」
「じゃぁ、私の言うこと聞いてくれます?……どうしますか?」
ここで僕の選択肢は二つ、一つはこの要求に黙って従うこと。もう一つは力づくで高峯凛花からスマホを奪うことだ。
だが、校内にはまだ人が残っているので、力づくで奪っている時に悲鳴を上げられれば終了してしまう。結局、道は一つしかなかった。
「……はい」
僕には素直に従うしか道は残っていなかった。
毒の存在を知って用心していたはずが、既に僕は毒に侵されていたらしい。そもそも高峯凛花に毒があることに気付いた時点で手遅れだったのかもしれない。
肩を落としてプリントを運んで行った僕に先生は「どうした?元気ないぞ?」と声を掛けてくれたが、答える気力もない。
その後に、高峯凛花から僕に出された要求は意外なものだった。
「今度の土曜日、家に来てください。お店の方で私を呼んでくれればいいですから」
である。お店の場所は『宗家高峯庵』で検索するように指示された。高峯凛花は高校に徒歩で通っているので、僕の自宅からでも自転車で行けるらしい。
「何をすればいいか今は聞かせてもらえないの?」
「はい。まだ人も残っていますから土曜日にお話します」
「分かった」
「夏目君の前では優等生しなくていいから、すごく楽になりました。……あっ、トイレの件はありがとうございました」
「……気付いてたんだ」
「もちろんです。夏目君に伝わるようにしてたんだから気付かないわけありません」
「えっ?……どういうこと?」
「今、話せるのはここまでです。……でも、私の新たな一面を発見して興奮しちゃいましたか?」
「はぁ?興奮って!?……トイレに行きたかったのも嘘だったの?」
「いいえ、行きたかったのは本当です。危ないところでした」
「そんなリスクを冒して、僕を試したのか?」
「ですが、それで私に抱きつけたんだから感謝してほしいですね。こんことされたの夏目君が初めてなんですよ」
「……だから、あれは事故なんだって。……いや、高峯さんが仕掛けたんだろ?」
これまで『・』と『ー』で表現されていた高峯凛花の裏側の声が直接言葉になって僕に届いていた。モールス信号では短い文章になっていたが、自由気ままに話す高峯凛花は新鮮な気がする。
言葉遣いは丁寧なままで、話す内容だけが黒く染まているように感じた。
「あっ、誰かに私のことを話したら、襲われた時の写真をバラまくので注意してくださいね」
「いや、襲ってはいないんだけど」
全て作戦通りに進んでいたことで、高峯凛花は楽しそうに笑っている。何もなければ最高の笑顔になるが、今は最悪の気分にさせられた。
僕としては、このまま無事に夏休みを迎えることが出来るのか不安になっている。
その翌日からも高峯凛花の指先は動いていたが、
――『昨日は眠れましたか』
――『また見てるんですか』
――『そんなに私は魅力的かな』
と挑発するような言葉が続く。そこで僕が指先の動きを見ないようにしていると、スマホを見せて脅してくる。
――『映像はパソコンにも保存済み』
スマホを奪っても無駄になり、僕が対抗する手段は奪われてしまう。
指先から聞こえてくる一言一言を繋ぎ合わせていく作業は、僕を追い込んでいく言葉に変わっていた。
そして土曜日、指定された時間に『宗家高峯庵』に来ていた。老舗の和菓子屋であり、想像よりも大きい店構えである。自宅は店舗に隣接しており、当然のように和風建築で立派な家だった。
「あの、凛花さんのクラスメイトで夏目涼介と言います」
着物姿の店員らしき女性に声を掛けると、「はい。伺っております。少々お待ちください」と言い残して奥へ行ってしまった。
店の中では琴の音色でBGMが流れていて、厳かな雰囲気がある。これまで、こんな場所と無縁だったこともあり少しだけ緊張していた。
――まさか、休みの日に高峯さんの家に来るなんて……
それも緊張している理由になっていた。本性を現したとしても、異性として意識せざるを得ない魅力を高峯凛花は持っている。
――んっ?……どうしたんだ?
しばらく待っていても高峯凛花は現れず、店の奥が慌ただしくなっているように感じた。僕が来た時にいた客も帰っているので、店内には僕以外に客はいない。厳密には僕も客ではない。
――何があったんだろう?
奥から僅かに聞こえてくる声に集中してみると、BGMに交じって機械的な音が聞こえてくる。極々小さな音ではあったが、僕には言葉として理解出来た。
――これって、モールス信号だ。……どうして?
間違いなくモールス信号だった。何を伝えているのか解読してみる。
――ニ、ワ、テ、゛、カ、シ、゛、ヒ、ヲ、ケ、セ。……、えっ!?『庭で火事、火を消せ』って。……えっ!?
僕は慌てて店の外に出て、自宅と店舗の間にある庭を見た。
「ヤバい。本当に煙が上がってる」
自宅の門は開けられており、消火活動をするために人が出入りしているのかもしれない。そう考えた僕は、慌てて庭に走っていた。
庭に入ると高峯凛花が立っていて、後ろには煙が上がっている。
「高峯さん!……大丈夫なの!?」
僕が叫んでいると、煙の近くに立っている男性がバケツの水を掛けて簡単に火を消してしまった。
「……お母さん、こちらが夏目涼介君です」
「えっ?」
高峯凛花の横には着物姿の女性が立っていて、僕のことを見ていた。二人とも笑顔なので状況が飲み込めない。
「……あの、高峯さん?……火事は?」
「見てたましたよね?たった今、無事に消火されました」
「あぁ、そうなんだ。……え?」
混乱している僕を高峯凛花は笑顔で見ていた。その表情で、現在の状況は仕組まれていたことを徐々に理解し始めている。
「こんにちは。凛花の母です。……娘がお世話になっております」
「あっ、はい。……えっと夏目涼介です。よろしくお願いします」
和服姿の女性は高峯凛花の母親だった。雰囲気は似ていて美人ではあるが、こんな状況の中でも落ち着いていることに不審さはあった。
「はい。こちらこそお願いします。……あとで出勤が可能な日を教えてくださいね」
「……出勤?……出勤って何の話ですか?」
「ええ、面接の結果、合格です。詳しい話は娘が説明しますので、今日はゆっくりしていってください」
それだけを言い残して高峯凛花の母は家の中に入ってしまった。
「それじゃぁ、私たちも入りましょうか。……どうぞ、こっちです」
放心状態に近かった僕の腕を高峯凛花が掴んで家の中まで案内してくれた。行き先は彼女の部屋だったが、ゆっくり驚く時間もない。
「ここに座ってください。今、お茶を持って待ってきますね」
少し冷静になって見回すと女の子の部屋だった。それも高峯凛花の部屋になる。自分の部屋とは全く異質な空間であり、柔らかい空気が漂っていた。ここにきて、急に心臓がドキドキしているのを感じてしまう。
改めて、遠慮がちに室内を見回しているところに、
「……私の部屋に入れるなんて嬉しいですか?……でも、あまりジロジロ見ないでくださいね」
「えっ!?……あっ、ゴメン」
当たり前かもしれないが、日本茶と和菓子が出される。葛を使った和菓子は見た目も綺麗で涼し気な物だった。
「どうぞ、召し上がって」
言われるままに一口食べてみた。冷たさと甘さが気持ちまでも落ち着かせてくれるようで、これまでのバタバタした感覚を忘れさせてくれてた。
「……どうですか?」
「すごく美味しい。……和菓子は好きだから」
「知ってます。……茶道部に入ろうとしてましたよね?でも、『茶菓子食べたかったけど、女子ばっかりで止めちゃった』って」
「どうして知ってるの?」
「話してるのが聞こえてたんです。……夏目君のように盗み聞きはしてませんよ」
それを言われると反論出来なくなる。実際には盗み聞きなどしてはいない。してはいなかったが、否定も出来ない疚しさもある。
あの写真と盗み聞きのネタで、これから先何が起こるのか不安になってしまった。それでも、あと二年半を耐えればいい。
「……説明をしてくれない?」
「ええ、もちろん。……夏目君は夏休み中、ウチでアルバイトすることになったんです。今日はその面接をさせてもらいました」
「面接?」
「母が『合格』って言ってましたけど、聞いてませんでしたか?夏目君はめでたく採用されました」
「まだ何も話してないんだけど?……それに採用って?」
「夏目君はモールス信号を理解して、急いで庭に来てくれました。あれがウチのお店で働く条件だったんです」
「あのモールス信号が条件なの?……どうして?」
「私の父、喉の病気で声が出しずらくなってるんです。だから、お店で働いてくれてる人たちへはモールス信号を使ってるんです。……もちろん、モールス信号を理解出来なくても仕事は出来るんですけど、聞き取れた方が便利なので」
「……そうなんだ」
お父さんの病気と聞いてしまえば、何も言い返す言葉はない。伝達方法としては特殊かもしれないが、苦労して思案したものに文句を言いたくはなかった。
そして、高峯凛花がモールス信号を理解している理由も納得できる。
「はい。職人さんたちも頑張って覚えてくれました。年配の職人さんは覚えきれてなかったんですけど。……でも、夏目君が一ヶ月足らずでマスターするなんて驚きました。そんなに私のことが知りたかったんですか?」
「えっ!?違うよ。そんなんじゃない」
「本当に否定できますか?……そんな気持ちは全くありませんでした?」
高峯凛花が僕の顔を覗き込むようにして追及してくる。正直、そんな気持ちが全くなかったとは言い切れないので黙秘することにした。