#10
告白の言葉はまだ決めていない。決めるつもりもなかった。高峯凛花が目の前にいる時、思いついたままの言葉を伝えてみようと思っている。
――これで僕のアルバイトも終わるんだから、お店にも挨拶に行った方がいいのかな?
帰り道で、そんなことを考えてしまった。
――何だかんだで、楽しんでたからな……
もちろんアルバイトだけではなく、一緒に過ごした時間全てを楽しんでいた。
そのことは認めるしかない。他にもまだ認めるべきことはあるのだが、今更それを認めたところで何も意味はない。最初から告白の返事は分かっていた。
高峯凛花は何も嘘をついていないし、望んでいた通りの結果を得ている。
ただ、僕が関わらなくても先輩から告白されていたはずで、高峯凛花は無意味なことをしていたことになるかもしれない。
――僕にとっては無意味な時間じゃなくなってたけど……
それが僕にとっての答えだった。これまで過ごした時間を言葉にするだけでいい。高峯凛花の良さを伝えることよりも、今の僕が感じていることを伝えておきたかった。
月曜日の放課後、教室に誰もいなくなるまで待って高峯凛花と向き合っていた。
冷静に考えれば彼氏がいる子に告白をすることになり、三浦先輩にも申し訳ないとは思っていた。だが、告白の予約は僕が先に入れてあったので、気にするのは止めた。
「高峯さんは美人だし、スタイルも良いと思う。性格は意外過ぎて困惑したけど、慣れれば面白いかな」
「随分、慣れましたよね?」
「あぁ、慣れた。……慣れてしまうくらい、僕は高峯さんと一緒にいた」
「はい」
「そんな時間が、この先も続くと勘違いするくらいに自然なことになってた。もっと、ずっと一緒にいたいと思った」
「……はい」
緊張することもなく言葉は自然に出てきてくれた。これまでの時間がなければ、高峯凛花と向き合うだけでも緊張していただろう。
「告白の言葉を考えてる時、どこを好きになるのかを考えてみたけど、高峯さんのどこを好きなのかは分からない。……美人ではあるけど、多少は慣れたのかも」
「それでも時々、私に見惚れてましたよね?」
「だね。何度かドキッとさせられた。……高峯さんにしてみれば、僕の反応は狙い通りだったんでしょ?」
「はい。夏目君が単純な人で助かりました」
高峯凛花は嬉しそうに笑っていた。高峯凛花から見れば、僕は本当に単純で引っかかり易かったと思う。
「好きになろうと思って、好きになったわけじゃない。……これからも一緒にいたいと思った。一緒にいてほしいと思った。そう思える相手を、僕は好きになったんだ」
「……はい」
「だから、ずっと僕の傍にいてほしい」
「……ごめんなさい」
高峯凛花の返事で全ては終わる。
僕の告白の言葉が高峯凛花の望んだ物かは分からないが、ダメ出しはされなかった。結果は分かっていたとしてもショックは大きくて、僕はやり切った疲労感もあり机に座ってしまっていた。
黙ったままでいる高峯凛花を見ると、彼女の指先が動き始める。
――ス、テ、キ、ナ、コ、ト、ハ、゛、ヲ、ア、リ、カ、゛、ト、ウ。……『素敵な言葉をありがとう』か
とりあえず告白としては受け入れてもらえたらしい。ただし、この告白が僕の本心であることは隠しておくことにした。隠したとしても、高峯凛花なら僕の告白が演技ではないことを分かっていたと思う。
高峯凛花から返事を聞けただけでも満足だったのだが、
「……何だか、告白っぽくない告白でしたね。……それなら、最初に聞いた『好きです。付き合ってください。』がシンプルで良かったかもしれません」
聞かなくて済むと思っていたダメ出しがあり、こんな時にも容赦はなかった。
「えっ?……でも、今、『素敵な言葉』って」
「こんな時にまで何を錯覚してるんですか?……ちゃんとフラれた現実を受け止めて、悲壮感を持ってください」
「いや、錯覚って……。今のは目の前で見てたんだから間違いないんじゃ」
「人間は自分の見たい物を見てしまうんです。……それって現実逃避ですから気を付けてください。夏目君はフラれた現実を受け止めるべきですよ」
どうやら、高峯凛花は僕が感傷に浸ることも許してくれないらしい。
それでも高峯凛花らしいと思ってしまった。
「あと、何度も同じ手口に引っかかるのはどうかと思います」
「……同じ手口?」
そこで高峯凛花はスマホを取り出して操作を始めた。
「ちゃんと映像データは破棄しましたけど、また新しい弱味を作ってくれるなんて、夏目君は本当に優しいですね」
「弱味って……。まさか?」
「はい。しっかり今の告白は録音させてもらいました」
「はぁ!?録音してた?」
「録音だけじゃありませんよ。私のスマホには、夏目君が考えた告白の言葉が全部記録されてるんです」
「それって、ラインで送ったやつだろ?あんなのは違うって」
「いいえ。あれは全部、私に向けた愛の言葉です。まさか自分から記録させる方法で伝えてくれるなんて驚きました。録音する手間を省いてくれて助かりました」
直接伝えるのが恥ずかしかったので、僕からラインにしたいとお願いしていた。その時、高峯凛花が簡単に従ってくれたのは、これが理由だった。
「……もう僕の弱味なんて必要ないはずだろ?」
「そうですね。高校で夏目君に告白の基準になってもらうことはなくなりましたよ」
「高校で……、って何?」
「はい。夏目君には大学で告白する男性の基準になってもらいます」
フラれた現実を理解する余裕もなく、高峯凛花の話は大学まで進んでしまっている。この状況で混乱するなと言う方が無理である。
「先輩からの告白はお断りしました」
「えっ?……断った?……でも、彼氏ができたって」
「私、彼氏ができたなんて言ってませんよ。夏目君が勝手に勘違いしたんです」
「高峯さんだって、それっぽい態度を取ってただろ?」
「私に彼氏ができたと思って、ショックを受けてたんですよね?ちゃんと言葉で確認しないとダメだと思います」
確かに「彼氏ができた」と言葉で聞いたわけではない。先輩から「告白をされた」だけであり、結果は周囲の情報に頼ってしまっていた。
それでも、高峯凛花の態度は「彼氏ができた」的なものがあったはず。
「……部屋には入れられないって」
「あっ、部屋の模様替えをしてたんです。もう入っても大丈夫ですよ」
「それだけ?」
「はい。散らかっていただけです。散らかってる部屋に夏目君を入れるのは悪いと思ったんです」
「アルバイトは?……アルバイトの件も相手に相談するって」
「しましたよ。母に相談」
「……お母さんのことを相手って言うなよ。絶対に勘違いさせようとしれるだろ?」
「夏目君が勝手に勘違いしたんです。だから、『夏目君がバイト辞めたいって言ったら、どうする?』って聞いておきました」
「それで?」
「『辞めさせない』そうです」
絶対に僕の反応を面白がって見ていたはずだ。
それだけの会話で「彼氏ができた」と思い込んでしまった僕も迂闊だったが、あのタイミングでは仕方ない。高峯凛花も普段とは全然違う表情をしていたのだから。
「Aランクの先輩を断ってしまったら、高校で他の人から告白される可能性はなくなったと思うんです。……だから、次は大学で告白してくる人の基準になってもらいます」
「大学でって……。高峯さんと同じ大学を受けることになるの?」
「はい。夏目君なら私と同じ大学に合格出来ると思うので、それまで弱味を押さえておくことにしました」
「……でも、今、僕は告白してフラれたんだよね?」
「フラれましたね。だから、大学でもう一度、私に告白をしてもらいます」
「はぁ?フラれた相手に未練を持ち続けている男はランクが落ちるって、高峯さんが言ってたんだろ?」
「言いました。言いましたけど、私は特別なんです。私以外を好きになれない男の人がいるのは仕方ないことなんです。他の子の場合はランクが落ちますが、私に未練を持つことは当然のことです」
「そんな無茶苦茶な理屈……」
「大学で私に告白するまで、まだ時間はたっぷりあります。今回の言葉以上の告白を聞けることを楽しみにしてますね」
「……でも、大学で告白しても、僕はフラれる?」
「はい。間違いなくフラれます」
大学に行ってからもフラれることが確定しているらしい。それよりも、ここで高峯凛花と同じ大学へ進むことを決定させられたことになる。
だんだん何をしているのか分からなくなり混乱してきていた。
「この録音データは、大学で夏目君がフラれてくれた後に返します」
「もし拒否したら?」
「お昼の時間に、学校中で夏目君の告白が流れます」
想像するだけで地獄だった。録音データが残っているだけでも恥ずかしいことなのに、第三者に聞かれてしまえば二度と学校には来れなくなる。
「大学なら、夏目君以上の男性が大勢いるから安心ですね」
「先輩だって間違いなく僕以上だったのに、どうして断ったんだ?」
「えっ?夏目君以上の男性が告白してきたら付き合うとは言ってませんよ」
「……えっ?」
「『私に彼氏ができたら、夏目君を解放する』とは言いましたけど、告白されて付き合うかは別問題です。最初にちゃんと話を聞いてないから、こうなるんです」
「それじゃぁ、高峯さんに彼氏ができなかったら?」
「夏目君は私に何度も告白をして、何度もフラれることになるんです。……夏目君は簡単に弱味を握らせてくれるから助かります」
そう言うと高峯凛花は僕の告白を再生してしまう。とても耐えられない僕は必死に耳を塞いで聞かないようにしていたが、高峯凛花は嬉しそうに笑っていた。
両手で大事そうにスマホを持っていたが、片方の指先がゆっくりと動き始める。
――タ、゛、イ、ス、キ、タ、゛、ヨ。…………って、えっ!?
耳を塞いでいた手を離してみると、周囲は無音だった。
高峯凛花の指先は耳に届く言葉とは違う言葉を届けてきた。それでも、錯覚と言われてしまえば確認する術もない。ただ僕が弄ばれているだけになってしまう。
「……どうかしましたか?」
「えっ、今、指先で……」
「また私の声が聞こえてきたんですか?」
「いや……。どうせ、また錯覚って言うんだろ?」
高峯凛花は嬉しそうに笑っていた。僕の反応を面白がっている高峯凛花を見ていて、どちらの言葉を信じればいいのか分からなくなる。
モールス信号を読み間違えているとは思えないが、高峯凛花は認めてくれない。現に僕の告白は「ごめんなさい」と返されていた。
口から発せられる言葉を聞いて諦めようと思っても、指先が伝える言葉が高峯凛花を諦めさせてはくれない。僕は彼女の指先に翻弄され続けていた。
「でも、玄関でお話した時は、すごく深刻そうな顔をしていたんで驚きました」
「そっちが深刻そうな顔をしてたから、つられただけだ」
「そうでしたか?……私が先輩の告白を断るって思ってなかったんですか?」
「思わないでしょ。先輩だって告白を断られたのは想定外だったんじゃない?」
「だと思います」
「ショックだったんじゃないかな?」
「茫然としていました」
僕の場合は断られることが確定していたが先輩は違う。
「あの先輩なら自信満々で告白したんだろうな。……僕だって、先輩の告白を高峯さんが断るとは思ってなかった」
「思ってなかったんですか?」
「思わないよ。高峯さんはランクに拘って告白させようとしてたんでしょ?現段階で先輩以上の人なんていないんだから、普通は断らない」
「三浦先輩って、すごくカッコイイですよね」
認めてはいたが、高峯凛花の口からその言葉を聞くと腹が立ってしまう。だからと言って、否定することも出来ない。
「まぁ、カッコイイことは認めてる」
「でも、夏目君は美人だから私を好きになったんですか?」
「……それだけで人を好きにはならないよ」
「それと同じだと思います」
何か大切なことをサラリと言ってしまっていたような気がした。あまりにも自然な会話になってしまっていたが、違和感だけが残っている。
「私と付き合うための基準を覚えてますか?」
「覚えてるよ。Bランク以上に告白されて付き合えるようにしたいって言ってた。……いや、少し違うな。僕が基準になるから、『僕より上』のヤツってことか」
「あーぁ、そこを間違えてしまっているとダメですね」
「えっ?何か間違えてる?」
「はい。一番重要なところの解釈を間違えてます。算数からやり直しです」
「……算数?」
「私みたいに録音しておけば良かったです。録音さえしておけば、大事な言葉を繰り返し何度も聞けるんですよ」
高峯凛花はスマホを取り出して、また再生しようとする。僕が必死に止める様子を高峯凛花は嬉しそうに見ていた。
「これからも、私の言葉を聞き逃してはダメですよ。私の指先の動きも見逃してはダメですよ。どこで大切なことを言っているのか分かりませんからね」
「目を離すなってこと?」
「はい。……恋愛は始めることよりも、継続することが難しいんです。だから、夏目君にはフラれ続けてもらうんです」
これも意味が分からなかったが、僕がフラれ続けることは確定しているらしい。
情けないとは思いながらも、振り回され続けることになるのだ。
「僕に彼女はできないんだ」
「はい。できません。彼女はできませんが、告白し続けられる相手はいるんですから、幸せだと思いませんか?」
高峯凛花が『Sランク』だとすれば、僕は『Bランク』ではなく『Mランク』になるのだろうか。
(了)




