87、幕は彼が死ぬまで終わらない
すみません。
昨日は運転免許取りに行ってて忙しかったんです……
フィリップの勝ち筋は消耗戦だ。
クララの攻撃を全て躱しきり、所有するエネルギーを消耗させきること。
神聖術も無限に使える訳ではない。
祈りによって神から与えられたエネルギーを、その祈りに沿う形で発言させるのが神聖術だ。神聖術は人間の力を使って発動するのではない。どこまでも神が介入し、一人の人間に介入出来る許容限度が存在する。
まあまず無い話だが、許容を超える量の神聖力を体に当て続けるのは危険な行為なのだ。
クララは神聖術を扱う時には、使うものとは別にストックを作っておく。戦闘時に体の周囲に漂わせるソレは、必要な時に即座に使えるためと、戦闘で使うにしても体内に留めておくには多すぎるからなのだ。
必要に応じて体内に取り込むスタイルは、継続戦闘能力を大幅に底上げし、クララの肉体の許容量自体は底なしではない事を示している。
どんなものも、取り込みすぎれば毒になる。
神聖術で体を癒やすのにも限度がある。
クララが昔シモンと殺し合いをしたとき、クララは一週間戦い続け、限界が来た。
フィリップにそんな過去を知る由もないが、勝つには最低でもそれだけの時間が必要になる。
ここで、誰もが考えるだろう。
そんな事は無理だ、と。
クララの能力は人間離れして高い。神から賜った『超人』の名に恥じないどころか、それをしても測りきれないほどの力を有している。
そんな化物に対して一週間。しかも、その一週間にしても、シモンという確実にクララにダメージを与えられる攻撃力を持つさらなる化物が、絶えずクララに傷を与え続けたからこその時間だ。
その時間を再現するには、傷を癒やす神聖力と、身体能力を高めるための神聖力の両方を異常すぎるほどに使わせなければならない。つまりは、フィリップはクララに勝つために、一週間を超える時間を戦い続けなければならなくなる。
あの、クララを相手にだ。
一週間という期間を飲まず食わずの不眠不休で戦うなど、本当に些細なこと。どんな苦痛よりも、どんな困難よりも、クララを相手に長期間生き延びるという条件の方が、フィリップを殺しにかかっている。
不可能、絶対に無理、いきなり天地がひっくり返るようなものだ。
クララを相手に一日持つ者など、人間には片手で数えられるほどしか居ない。
哀れ、フィリップは無理難題を押し付けられてあっさり死ぬ。逃げるという選択肢を取ろうとも、クララは地獄の果てまで追いかける。クララから逃げるも、戦うも、恐ろしく細い糸の橋を渡りきるしかない。
確実にコレは詰みだ。
道はあれども、現実的にあり得ない。
フィリップにこの問題を解決出来る能力はない。
ほんの少し前のフィリップならば。
「…………!」
「クララ!」
化け物じみている。
あらゆる技を叩き潰せる、怪物の力を持つクララ。そして、その力を完全に手玉に取るほどの技を持つフィリップ。
この一対一をどう表現すれば良いのか?
常に攻守を入れ替えて、高速で移動し続ける。
地に足を付けていたかと思えば、次の瞬間には空中に、さらに気づけば元の位置から百メートル以上離れた場所に着地している。
剣とメイスが真っ向から打ち合った。
フィリップの意思と、クララの意志の削り合いの形を正しく表現するかのように。
「クララ! 何故、そこまでするんだ!?」
フィリップの魂の叫びが響き渡った。
一音発する度に、そこかしこに移動し続けるその声を、他の誰かは理解することが出来ない。理解される必要もないと、フィリップは思っている。
ただ一人だけに届けば良いのだ。
ただ一人だけに、伝われば良いのだ。
そしてそれを、フィリップに付き合うクララだけは言葉を全て分かっている。
言葉だけでなく、そこにこもった想いまでも。
「そのメイス、その装備は、何だ!? 悍ましいにも程がある! 君は本当に、そこまで堕ちなければいけなかったのか!?」
「…………」
フィリップに切られたメイスは既に直って、いや再生していた。
クララは物に対して神聖術をかけられる。
少し前に魔力に対して使ったように、クララならば、メイスに神聖術を使う事くらいわけない。
だが、クララの身に付けているものは特別製だ。それは神聖術によって直るのではなく、ちゃんと治る。
クララのソレは、一般的に禁忌だろう。
同じことをしようとする人間は、まず間違いなく居ないと断言出来るほど。
なぜなら、
「それは、君の体を使っているな!?」
下着や服は髪の毛となめした皮膚に、筋繊維。
その異端審問官だけが使える意匠をこしらえた首飾りも、その大部分はクララの骨から作り出していた。
メイスに至っては、オリハルコンを素材の大元にして、クララを丸ごと混ぜ込んである。
悍ましい、墜ちる、そんな言葉をクララは否定しない。どこまでも悍ましく、どこまでも墜ち続けた自覚があるから。
クララは言葉ではなく、行動で示す。
強い拒絶を、その肉体によって。
「クララ! 身を削る日々は楽しかったか? 来る日も来る日も異端を殺し続ける日々は喜ばしかったか? 異端たちを痛ぶる日々は心地よかったか?」
「…………」
クララのメイスの振り下ろし。
凄まじい速度、凄まじい威力だが、それは左手でしか行われないのだ。フィリップがクララの右側に寄るだけで、どうしても物理的に振り難くなり、二撃目は体を開くという工程が挟むために遅くなる。
その隙をフィリップは逃さない。
腕を振るう前段階に入る瞬間に、フィリップの足は防波堤として機能した。力が込められる寸前ならば、フィリップのひ弱な力でも充分だった。
さらにクララの攻撃は一瞬遅れる。
クララが脚を振り上げるよりも前に、フィリップの剣先がクララの腹に届いた。
しかし、クララの臓腑には到底届かず、僅かに皮膚を割く程度に留まった。
腹から熱い血が流れても、まったくクララの態度は変わらなかった。
クララはフィリップを否定も肯定もしないのだ。
繊細に戦いながらも、熱い言葉をクララに投げかけるフィリップ。豪快に攻撃を振りながら、冷徹にフィリップを殺しにかかるクララ。
ただ自分の在り方が表に出ているだけなのか、それとも相手に合わせようとしないからそうなるのか。
フィリップは痛ましそうに顔を歪め、クララは仮面を被ったような無表情だ。どこまでも無情に、そしてどこまでも悲しく、二人の殺し合いは続いていく。
「そんな訳がないはずだ!」
「…………」
フィリップは怒号と共に斬りかかる。
上段からの強烈な振り下ろしを、クララはメイスの柄で受けた。
神聖力を凄まじい勢いで注ぎ込むメイスは、フィリップの剣とは内包するエネルギーの密度が違い過ぎる。刃は柄を切り裂けず、フィリップが押し込み、クララが抵抗する形に落ち着いた。
フィリップの剣が初めてクララを押した瞬間だ。
これまでクララが嵐のような攻撃を仕掛けた事も、それを縫ってフィリップが攻撃を行った事も、頭がおかしくなるほど繰り返された。
だが、クララが受け身になった事はない。
「クララ! 引き返せる、戻れる! 頼むから、この剣をこれ以上振らせないでくれ!」
「…………」
クララの右脚を剣で抑える。
だが、クララの肉体の方が剣よりも強く、硬いのだ。出鼻を挫き、ほんの数瞬だけ最高速に達するまでの時間を伸ばすだけ。しかし、メイスでの攻撃と蹴撃は同時には成り立たない。
その数瞬だけは、クララは攻撃手段を失う。
フィリップの数少ない反撃のチャンスだ。今度はフィリップの蹴りがクララの喉に突き刺さる。常人なら首が飛び、戦える人間でも血を吐いて完全にその箇所が潰れるだろう。
だが、クララの瞳に怖気はない。
怯む事もせずに止まった蹴りを再び放つ。
しかし、フィリップは既にクララの脚の範囲内には居なかった。
「クララ!」
クララはまたもやメイス振り下ろす。
フィリップはこれまでと同じく横に飛ぼうとしたが、途中で止めてしゃがんだ。
凄まじい速度と力で真っ直ぐに落ちていくメイスだが、途中で直角に曲がった。慣性的に、絶対に曲げられない威力であったが、そんな法則は関係ないと嘲笑うように。
そんな馬鹿げた攻撃をした後でも、クララは止まらない。直角に飛ばしたメイスをさらに力を下に加えて、今度はしゃがんだフィリップの顔面目掛けて斜めに振り下ろす。
だが、フィリップはさらに対応しきる。
元より膝が地に付くほど低い姿勢だったが、その四肢で這うように体勢を下へ持っていった。
そこから繰り出されるのは、剣によるかち上げ。
クララの顎に入り、そのまま脳天を貫く勢いで弾き出されるが、口内までは刺さらない。クララの異常な肉体は、安々とフィリップの攻撃を止めた。
「その力も、どうやって手に入れた!?」
クララの魔術がフィリップを襲う。
地面を揺らし、地震を引き起こす魔術『アースクエイク』は、術者であるクララの僅か周囲三メートルに収まった。そのまま魔力を解放するだけで、その百倍の範囲は揺らせるのに、術の気配を隠すため、そして範囲内の効果をより高めるために使用される。
だが、フィリップは地に足を付けていない。
魔力で空中に足場を作り出し、クララに奇襲をしかけていたのだ。
「人が、エネルギーで肉体を強化するには、許容限度がある! だが! 君のそれは! 限界を超えすぎだ!」
剣が舞っている。
そうとしか表現出来ないほど、フィリップの剣技は美しかった。
恐ろしく繊細で、効果的な剣戟だ。
だが、フィリップの怒りはその美しさを掻き消す。
見た目の上では完璧だが、術理の奥にはどうしようもないほどの憤怒が眠っていた。
その理由も仕方がない。
クララの肉体は、明らかに普通とは違うのだ。
エネルギーで肉体を強化するには許容限度がある。そこを超えれば肉体は強化に耐えられず、たちまち崩壊し、死に至るだろう。だが、クララはそんな限界など知らないとばかりに、人間には耐えられないエネルギーをじゃぶじゃぶと、湯水の如く使い続けていた。
「何故崩壊しない? 何故生きていられる? 人間を、辞めたかクララ!?」
「…………」
クララは答えない。
彼女が忌み嫌う『信仰部隊』のように、あくまでも機械的に、恐ろしく無情に、フィリップを攻撃し続けた。
フィリップはまるで虚にでも叫んでいるようだ。どんな嘆きも激情も、クララにはまるで通じない。フィリップの全てを拒絶しているのが、どうしても分かってしまう。
フィリップは辛かった。
攻撃がロクに通じない事よりも、言葉がまったく通じない事が苦しかった。クララがあまりにも痛ましくて、見ているのも胸が苦しくなった。
クララは前に、アイリスに会いたくないと言っていたのを覚えている。
アイリス狂いのクララが、自身の中で最も大切な彼女に会いたくないとはどういうことか、今の今まで考えていた。
だが、今ならなんとなく分かる。
クララはきっと、自分を見てほしくないのだろう。異端審問官として多くを殺して、悲しみと絶望を撒き散らした人外の化物になった自分の事を隠したいのだ。
なんて報われない。
アイリスを神に握られて、そんなアイリスを守るためにここまでしたというのに、その努力を一番守りたい人には見せたくはない。どこまでも報いというものを拒絶し、そのために己の全てをかける彼女を、フィリップは嘆く。
ここに来て、フィリップは戦いへの認識が少しだけ変わった。
フィリップはただ、クララに報いを受けてほしいだけなのかもしれない。どこまでも救いを受け付けない彼女を、救い出したいだけなのかもしれない。
ただ、無償の想いを届けてみたい。
自分が妻にやったように。
けれども、クララはそれを死んでも受けない。
剣を振りたくはない。
もう全てを止めにしたい。
しかし、悲しいかな、これは殺し合いだ。
「クララァァァ!」
フィリップは技に磨きがかかっていた。
これまでの神経を削る死闘が、死への恐怖が、クララへの想いが、鍛錬では絶対に辿り着けない領域へと彼を連れて行く。
どこまでも彼は成長していた。
その戦慄するほどの才能は、クララを踏み台にしてさらなる高みへと登っていた。
フェイント。
相手を騙して、虚を突くための動き。
クララはそれを恐怖で見抜く。
死に対して小動物よりも敏感なクララは、どれが自分の命に届き得るかを本能で見分けてしまう。これは理屈ではなく、魔法にも似たナニカだ。クララにもその全てを理解出来ないが、クララは使いこなす。
クララにはフェイントは通じない。
そこには『死の気配』がしないから。
だが、
「…………!」
フェイントは偽物。
斬るつもりなどない太刀筋は、相手をするまでもなく、本物だけを対処すれば良い。
しかし、クララはフェイントに驚愕した。
フェイントは突如、本物に変わった。
「ガアアア!」
「マズ……!」
フィリップの攻撃に芯が入る。
見抜き、避ける必要もないと判断したソレ。
明らかに攻撃ではない攻撃に対して、気を抜いてしまった。クララは思わず封印していた声を発する。
それから、フィリップがこの一瞬で行った術を解析してから、
「…………!」
目を貫かれた。
脳天にまで、剣は突き刺さる。
ドロリと剣から真っ赤な脳漿がこぼれ落ちた。
クララの魂が漏れ出たようで、けれども確かにそれはクララの命の一部であったことに変わりはない。
クララは初めて、背を地面に付ける。
そして、これまでの猛攻が嘘のように静寂に包まれてしまった。
クララの体にしんしんと雪が降り積もる。
「……クララ」
殺してしまったと、涙を流す。
こんなはずではなかったと泣く。
脳を壊されれば人は死ぬ。
肉体がどれだけ頑強であろうとも、唯一目だけは柔く、その中身はさらに脆い。
間違いなく即死で、神聖術などかけようがない。
「だから、言ったんだ……。僕に、君を、殺させないでくれと……」
酷く、深く後悔した。
もっと上手くやれれば、こんな事にはならなかったのではないか、と。
具体的にどうしていれば、と言われても答えられない。それでも、もっとやりようがあったのではないかと思ってしまう。
少なくとも、一人の少女を殺める事にはならなかったのかもしれない。
どこまでもクララは、己を貫いた。
誰かの救いでも、報いでもなく、己の絶望だけを最期まで信じ抜いたのだ。
頑固にもほどがある。
クララはフィリップを愚かと罵るが、それに負けず劣らずクララも愚かだった。どんな可能性よりも、道筋よりも、自分の選んだ道だけを見続けたのだから。
「クソ……!」
血が滴るほど拳を硬く握る。
口の中に広がる血の味が気持ち悪い。
「クララ……どうして、報われてくれなかったんだ?」
一人、少女を想って涙を流す。
しんしんと降りしきる雪の中で、
「TASかよ、クソが……」
「は?」
クララの声がした。
間違いなく、クララのもの。
脳を破壊されて、確実に死んだ彼女のもの。
疑いの目を向ければ、そこに彼女は居た。
焦点の合わない目を右往左往させ、彷徨うように意識を散らしている。
神聖術は、極々一部の例外を除いて、死んだものには通用しない。自分の体を癒せたとしても、即死してしまえば何の意味もない無用の長物だ。
クララを確実に殺すために、脳髄を掻き乱した。神聖術も確かな技術だ。発動、展開するには思考能力と演算能力が必要になる。脳を破壊するということは、最低限の神聖術も魔術も使わせないという対策の意味も有していた。
なのに、
「慣性を外す魔術? 重力を横に加える魔術? それから肉体を無理矢理制御する魔術か? そんなクソ高度な魔術を咄嗟にやるとか、ホントマジでTASじゃん。不公平だ。そんなことボクなら逆立ちしても出来ないのに」
「クララ……?」
様子がおかしい。
ブツブツと何かを呟くその様は、どう見てもいつものクララではない。
「いや、TASってなんだ? ボクは何の話をしてる? フィリップ? 誰、いや、フィリップさんはフィリップさんだ。ゲームってなに? 魔術? そんなファンタジーある訳がないだろ、いい加減に、あ? 炎を『ファイアーバレット』構築して作成して放出して展開して。ボクはどこ? 死ぬのは誰だったの明日天気カレーと寿司明は友達と愛して愛されて、死んでたのかもはあれ? あれ? お母さん? それって誰? あれ、何で女? ボクは男なのに? いや、女だったっけ? 何が何が?」
壊れた玩具のように滑稽に喚く。
これまでとは恐ろしさのベクトルが違って、鳥肌が止まらない。
クララの体は細かく痙攣している。
そこも含めて、どこまでも気味が悪く感じた。
そして、
「 神
が
そ
れ を
の
ぞ ま れ
れ
た」
痙攣が収まる。
何も映していなかった瞳に理性が宿る。
フィリップは思わず身構えて、クララに剣を向けた。冷や汗が止まらず、危機感が肌を刺すように訴える。
クララは静かになった。
先程まで破損していたのが嘘のように、
「クラ、ラ?」
「さっきので死んでてくれたら楽だったのに、なんでまだ生きてる?」
クララは構える。
先程と何ら変わらない、けれども凄味が増したように思える姿だった。
フィリップの背筋が凍るほど、冷徹な瞳をフィリップに向けながら。
「これからはもっと悪辣に行くぞ?」
クララは走り出す。
速く、速く、異端を殺すために。
悲しい殺し合いは終わらない。
何度クララを殺しても、それは決して幕にはならないのだから。
面白ければブクマ登録お願いします。
下の☆を埋めてくれると嬉しいです。




