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85、強き者たち

 


「私は本当に奇怪な人間とばかり縁がある」



 にこやかにシモンは言う。

 剣の腹を見ながら、とても穏やかな様子だ。

 そこが死地である事などまるで関係ないとでも言うかのように、余裕な態度を崩さない。

 シモンの中にあるものを図る事は出来ないが、恐怖など塵一つ分すらも存在しないのは分かる。

 

 その剣に、その鎧に、彼の強さと精神には、一切の曇りはない。

 目の前の敵を殺すのに、何一つとしてシモンを阻む者は居ないのだ。

 憂う事など一切合切端からない。

 


「デドレイト、リリーロクス、アレン、クララ、そしてルシエラ。私たち異端審問官は全員が、少々まともではないらしいのだ」



 軽い調子でシモンは語る。

 スラスラと世間話をするくらいの気軽さで、というよりは、本当に世間話をしているのだ。

 目の前に居る、自身を恨む怨の結晶に。

 神経が図太いにも程がある。

 そのおかしさは、ただただ不気味だ。



「そんなまともではない連中ばかりを、神は異端審問官にする。それは何故か、君には分かるかい?」


「どうでもいいわ」



 煮え滾るような怒りを抱えて、男は言う。

 脳に直接思考を送り込む術を介した発言ではなく、男自身の肉声だ。

 思念によるものでも凄まじい怨念がこもっていたが、肉声はそれに負けず劣らずの悍ましさがある。

 

 背の高い男だ。

 黒い髪と、赤い瞳に褐色の肌をした男。

 そのしわがれた老人の声に反して、見た目はまだ青年と呼んでいいほどに若い。

 男は瞳の赤さに負けないほどの炎を灯して、シモンを凄まじい剣幕で睨みつけた。



「貴様らが何だろうが私に、俺にとってはどうでもいい。この怒りを、恨みを晴らす事が一番だ! 我が一族の執念を甘く見るなよ!」


「それはね、只人には務まらないからさ」



 だが、シモンは気にしない。

 語りかけている、という形は取っているが、何一つとして男の存在を認知していない。

 男の執念の炎に当てられながらも、何でもないようにシモンは語りかけるふりをする。実際には、男の事など正しく認識すらしていない。



「何せ、殺しが多い仕事だからね。強さは勿論の事、精神性もそれなりのものが必要でね。何万を殺してもちゃんと平気でいないとね」



 シモンは剣を撫でながら言う。

 その世界には、ただ一人しか居ない。

 会話など、男からの言葉など一切求めていない。同意を取るような話し方をしているが、シモンは男の意思になど興味は毛ほどもなかった。

 その怨念も、怒りも、シモンの遠く完全な心には届いてはいなかった。



「術理はイメージが大切だ。魔術も神聖術も、その他の技術でも、明確な想像が無ければ成功しない。だから、長生きには頑強な精神が必要なのさ」



 男を無視してシモンは言う。

 完全に挑発にしか聞こえない。

 こんな状況でなければ、魔術や神聖術の授業として成り立つのだが、普通に真面目な内容を煽りとして使われていた。

 まともに見えて頭がおかしい。

 男が振りまく、人間にとっては猛毒にも近い魔力量を受けても、シモンは涼しい顔で話している。


 

「きっさまあ……!」


「私は、というか古参の異端審問官全員が神聖術によって老いを治しているという認識さ。老いは人体にエラーが起こり続けた結果だ。『回復術』は人体の異常を元に戻す術だからね」


 

 シモンは弟子に術理を教えるように言う。

 アレンやクララに懇切丁寧に技術を叩き込んでいた時は、こうして言葉を尽くしていた。

 言葉だけは優しく、分かりやすく。

 シモンには男を馬鹿にする意図はない。

 どこまでも二人の師らしくある。



「君のそれは意識の転写か? 術式に記憶や性格、君の情報を記録して()()()()()と化す。寿命の克服の仕方は色々あったが、これは初めて見たパターンだ」


「ペラペラとよく喋る! 貴様は、」


「どんな儀式をするかは知らないが、本当に良くやるものだよ。もしかすれば、本当に神殺しの可能性が百万に一つはあるかもしれないな」



 褒めているのに馬鹿にしているようにしか思えないのが不思議だ。

 男は屈辱に震えながら、



「そうだ! 貴様らを弑するために、俺はこの千年を生きてきたのだ!」


「本当によくやっているよ。その体とて、人らしくはしているが金属を元にしている。脆弱な人体ではなく、人間以上の体を強化する。想像を絶する身体能力を発揮するはずだ」



 男の肉体は、筋肉質な好青年のようだ。

 シモンが言うように、人造のものには思えない。だが、男はそれを否定しなかった。

 笑いかけながら、

 


「まともじゃないね」


「貴様……!」



 どの口が言うか、と男は言えない。

 シモンは男の言葉を遮る。

 


「本当に手が込んでいる。君はかなり厄介だ。復讐に囚われているように見えて、その実かなり冷静。なかなか演技が上手いね」


「…………」



 シモンはクララの師だ。

 クララがやった事は、元を辿れば全てシモンに行き着く。それは肉体や武器の使い方だけではなく、言葉を使った挑発も含めて全て、シモンが仕込んだ。

 敵を激高させれば何かとやりやすい。

 恨みを持つのなら、大概は乗ってくるから便利なものだ。だから、色々と試してみた。

 だが、効果は薄いらしい。



「ふぅむ、難しいな。人を辞めてまで挑んできた者たちは居るが、ここまで強いのは初めてだ」


「…………」


「だが、それだけだな」

 


 拍子抜け、とでも言いたげだ。

 大概シモンはパターンをいくつも考える。

 得た情報から、少なくとも最高と最低は想定する。異端審問官として、かなり便利に使えるスキルだ。

 だが、今回は神から直接首謀者についての情報を与えられた。普段なら、どこにどんな組織や個人の最低限を教えるだけだというのに、今回はかなり詳細に教えられた。つまりは、神はこの一幕に対して強い興味を示しているという事だ。


 そのパターンは厄介事になる。

 シモンはこういう場合は大抵は、他とは違う特殊なナニカがあると分かっている。

 だが、



「他と変わらない。君に脅威は感じない」



 挑発の意味もある。

 だが、これはかなり本音も含まれる。

 さもがっかりした、という雰囲気はなんとなくだが理解出来た。

 シモンは肩をすくめながら、



「魔術は出来る。この陣を敷くほどだ。大魔術師と呼ぶ技工はあるだろう。それに、その立ち振る舞い。全ては分からんが、体術についても一級品以上のはず。それが人間よりも遥かに強靭な肉体で暴れる訳か……」



 世界最高硬度の金属、オリハルコン。

 魔力の伝導率が最も高い金属、ミスリル。


 この辺りを使っているだろう。

 硬いのは当たり前で、ミスリルの影響で魔術の威力も増大する。魔術師はよく魔術の効果を強めるために杖を使うが、男は全身が杖の役割を担っている。

 作り手の技術、素材によって強化率は変わる。技術に関してはシモンは知るところではないが、素材に関しては聞くだけで身が震えるほどの質と量だ。

 第一階梯の魔術でも、威力は桁が大きく変わる。


 あとは体術も相当のものだ。

 間違いなく超一流と呼べるだろう。

 シモンの一挙手一投足を警戒し、どの角度、どのタイミングで切り込んでも正確に対処される。ただ突っ立っている訳ではなく、自然体の構えを取っているのだろう。ただ熟達しているというだけでは、絶対に辿り着けない領域に居るのが分かる。

 それに、素の身体能力はかなり高そうだ。

 人間が構造的に至れないほどの強さにあるのは当然。そこから魔力で強化をかけるのだから、言ってみればこれは魔物と呼んだ方が近いかもしれない。


 数値として見れば、弱い要素がない。

 しかしだ。



「つまりは、クララの互換か」



 シモンにとって、問題ではない。

 この程度なら事シモンは、何度も経験している。



「……驕りだ」


「余裕だよ」



 シモンは剣を構える。

 姿勢は背筋に針金でも通ったように真っ直ぐで、剣も同じく立てていた。

 まるでお手本のような構え。

 しかしその構えには、ただの人間が行ったものにはない凄味がある。

 恐ろしく静かで、凪のような構えだった。


 男は硬く握った。

 腰を低く落として、左腕は地面に垂直に。右腕は腰の近くに持ってくる。

 それにシモンとは反対に、男の覇気と魔力、憎悪が入り混じり、凄まじい圧力を生み出していた。


 一瞬睨み合う。

 ほんの一瞬だけ。



「シモオオォォォン!」



 男の雄叫びと共に、戦いは始まった。



 ※※※※※※※※



「くっ!」


「コイツ……!」



 クララとフィリップの戦いは激化した。

 大地をえぐりながら、戦闘の領域を少しずつ広げていく。それだけ二人の攻撃が化け物じみているのだ。

 いや、より正確に言えばクララが。


 メイスと剣がぶつかれば、その衝撃波で周りの地面が壊れる。

 クララのメイスの破壊力が凄まじく、圧力だけで大地を砕く事が出来る。ぶつかれば壊れる、とは言うが、そこにある力の九割九分がクララによるもの。

 凄まじい力を有しているのは分かる。

 クララの怪力は既にトップギアだ。事前に膨大な神聖力を保持しており、エネルギーの最大値を活用しながら、その場その場で最大火力を叩き込んでいる。

 一撃一撃が必死の攻撃だ。

 まともに受ければ、フィリップの剣をへし折りながら、彼の体を跡形も残さず壊し尽くすだろう。

 だが、まだクララは殺せない。


 フィリップは、クララの必死の一撃たちを繊細な技術で上手く流している。

 受け流す、とはとても初歩的な技術だ。

 力の向きをそっと変える。魔術を使えばある程度理解出来るが、そこにあるエネルギーの向きを少し変えてやる、という認識だ。

 凄まじい超パワーの一撃でも、そこには流れがあり、様々な理がある。この理を解して、フィリップは流れをほんの少しだけ変えているのだ。

 勿論、クララほど体術が熟達していれば、そこにある理も複雑化し、受け流すどころか見切る事も難しい。クララの埒外の膂力や、一つ間違えれば死ぬという緊張も難易度を馬鹿げたものに押し上げている。

 しかし、それを単純な技量だけで為しているフィリップは、クララとは違うベクトルで天才だと言えよう。

 


「死ね!」


「…………!」



 クララの攻撃をいなし、躱す。

 メイスの軌道を予測して、常に完璧以上だけを行い続けている。

 今も、メイスの横薙ぎをしゃがんで回避し、迫る右からの蹴撃を剣の頭上へいなした。

 剣に対して素足で対応している所は、突っ込む必要はない。クララの肉体の破茶滅茶さは、フィリップは良く分かっている。



「ク、ララァァ!」


「がああ!」



 フィリップは咆える。

 クララの殺意がこもった攻撃から、命からがら逃げながら、丁寧に繊細に。

 危なかったと安堵する。

 もしもこれでクララが()()なら、という恐ろしい想像をしながら、想像と今襲いかかっている現実のクララに震えた。


 

「『アーススピア』!」


「『アースウォール』!」



 どちらも第二階梯の魔術だ。

 土を操り、大地で出来た槍と壁を作り出す。

 クララの槍は、フィリップの壁に阻まれる。

 二人の凄まじい所は、これだけの肉弾戦を行いながらも、魔術による追撃も怠らない所だ。


 二人の攻撃は、人工的に作った廊下を壊せるだけの力を持っている。

 その場所が不安定なのは語るまでもなく、地下なのだから下手をすれば倒壊して生き埋めだ。

 二人は魔術で周囲を補強をしながら戦う。

 場合によってはあえて補強を外して、相手の攻撃を躱したりズラしたりするために使った。

 大地を操る魔術を重点的に使っているのは、今はそれ以外の質が落ちると判断したから。

 針に糸を通す集中力が必要になる。



「お、ああ!」


「チィィ!」



 クララの舌打ちが響き、すぐにその後の攻撃の轟音に掻き消される。

 フィリップの足場の土を盛り上げて隙を作るのは失敗だ。僅かな魔力の流れを察され、避けられる。


 これまでもそうだが、当たらない。

 とにかくクララの攻撃はフィリップにもかすりはせず、全てが空を切る。

 だが、フィリップの攻撃は、



「フン!」


「チッ!」



 フィリップの剣先がクララの胸に当たる。

 だが、薄皮すら切れてはいない。

 胸に当たれども心臓を貫くには足りな過ぎた。


 けれども、当たるのは事実だ。

 クララの嵐のような攻撃の隙間を縫って、攻撃を繰り出す。細い糸の橋をを渡るようなもの。途中で切れれば即座に奈落に落ちていき、間違いなく死ぬ。

 


「し、ねええ!」



 クララの叫びが響いた。

 剣での攻撃を受けたというのに、まったく弱った様子は見られなかった。


 悲しいことに、フィリップの攻撃は通じない。

 フィリップの小さな小さな反撃は、クララにとっては針で刺されるほとだ。

 生身だというのに鎧よりも硬い。

 理不尽過ぎてどう言い表したらいいのかも、フィリップには分からなかった。


 クララの服、肌、筋肉に骨。

 これら全てがフィリップの攻撃を阻む。

 その小さな体に何が詰め込まれているのか問い正したいほど、クララは人間離れしていた。



「当たれ!」


「当たるか!」



 踵落とし、上段蹴り、メイスの強襲。

 連続で、スムーズに繋がっていく。

 だが、クララのそれは紙一重で躱されてしまう。シモンのように狙って紙一重なのではなく、本当に危うく当たりかけたという違いはある。だが、どちらにせよ当たらないのだ。

 クララは苛立ちを隠さない。

 普段なら、あくまでも冷徹に対処するだけだったというのに、その不要な感情を隠せない。


 フィリップはその隙を突く。

 あらゆる攻撃を、あらゆる力を、感情の揺らぎを狙って動く。

 出来ないなどという言い訳は不可能だ。

 言い訳も出来ずに殺されるだけだから。



「…………!」



 神聖力が一層強まる。

 より大きく、より強くあろうと、クララが強く力を求めたからこそだ。

 クララの身体能力も勿論上がる。

 それに呼応して、フィリップも技を洗練させる。

 


「『重雨』」


「う!」



 瞬間、クララも含めた周辺の重力が強まった。

 あまりの重さにフィリップは膝を付きかけ、くるぶしの辺りまで地面にめり込んだ。

 

 第六階梯魔術『重雨』


 効果範囲内の重力は増し、物体は重くなる。

 このクロスレンジのスピードバトルで、いきなり高位の魔術を、しかも自分を巻き込んで使うとは予想外だった。

 数十倍に跳ね上がった重力以前に、その驚異がフィリップの動きを止める。

 しかし、クララは止まらない。

 重くなった世界の中でも、クララはそのパワーで捻じ曲げる。

 

 一歩、一振りだ。

 それだけの間合いを維持していたフィリップ。

 クララにとってはそれだけで事足りた間合いを管理し、ギリギリで攻撃を躱し続けた彼。

 クララは繊細なフィリップの技を、豪快に、強引に捻じ伏せる。



「!」


「もう、死んでくれ」



 メイスを振るう。

 無我にも近いほど無感情に、しかし一切の手加減はなしにして振るう。

 直撃すれば致死の一撃。

 あらゆる生命を叩き潰す、暴力の権化。

 剣を盾にして前に突き出したが、クララにはまったくもって問題はない。

 剣をへし折り、壊し尽くす。


 クララの全力の一撃が、無情にもフィリップの腹に叩き込まれた。




「…………」



 クララは上を見上げる。

 打ち上げるようにして叩き込んだために、フィリップの体は上へと飛んだのだろう。

 地下から灰色の雲と、白い雪が見えていた。

 出来た大穴を、クララは睨む。



「しぶとい」



 血は飛び散っているが、肉片がない。

 クララの攻撃はフィリップを肉団子に変えられるはずなのに、死体の一部すら転がっていないのは不自然だ。

 それに、明らかにインパクトの瞬間に感じた感触がおかしかった。

 柔らかい何かを叩いたような、人体と剣を殴ったとは思えない感覚だった。



「まだ生きてる」



 怒りを滲ませ、クララは言う。

 失われつつある冷静さを取り戻す時間も取ることはなく、クララは地上へと飛んだ。

 

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