84、絶望の戦士
クララとフィリップの見解の違いはどこか?
お互いがお互いを気に入り、分かり合えるはずの二人。理解を示せるというのに、理解し合えないクララとフィリップ。
その要因はどこにあるか。
それは、知っているかどうかだ。
クララは神の元で七年生きた。
フィリップは愛しい人と六年弱生きた。
そこには大きな差がある。その年月が二人を大きく成長させ、強くしたというのに、悲しいほどに大きな差が生まれてしまった。
二人共が己の愛する者のために自己を高めたというのに、血の滲むような努力をしてきたというのに、肝心な場所はどうしてここまで違うのだろうか?
取り返しのつかないほどの、強烈な差異。
これこそが、この結末を生んだのだ。
※※※※※※※
「まず、どうして加担したんです?」
クララは問う。
嘘やはぐらかしは通用しない。
それを行った瞬間に交渉は決裂し、クララはフィリップを殺す気だ。いつでもメイスを振れるように、僅かに後方へ傾けている。
フィリップはそれに対して真摯だ。
真っ直ぐに、そして誠実に、
「僕の妻はルル族の先祖返りだ。生まれた時からロクに愛されずに育ち、十五になった日には奴隷として売られた。それから主人を転々として、最後は僕が助けた」
「…………」
「彼女に惚れた。愛してる。娘も出来た」
クララには大体分かる。
一度異端として認定された部族がどんな末路を辿るか、異端審問官として知らないはずがない。新たな生贄が見つかるまで、世間からは虫にも劣る扱いを受けるだろう。
まあ、そうする者たちは大体根絶やしだが、フィリップが言ったように、似た特徴が現れる事もある。そんな被害者たちは間引きのために縊り殺されるか、絶滅した部族の珍しい生き残りとして奴隷に売られる。
「ルル族の見た目は目立つ。それに、彼女を迎え入れた時から少しすれば僕は戦線に駆り出された。だから、僕は騎士を辞めて、二人で静かに過ごす事にした。彼女の事を受け入れてくれた、小さくて、暖かい村で、数年過ごしたよ。でもね、」
静かに語るフィリップ。
その静かさは、真面目な雰囲気を出しているというよりは、胸の内に秘めた激情を押し込めるようだった。
怒り、悲哀、怨念。
どれもがない混ぜになっている。
「それは、異端審問官に壊された」
クララを通して誰かを見ている。
きっとその誰かは、クララのよく知る誰かだろう。
鋭利なナイフのような視線を投げかけて、フィリップはその誰かを呪うように言う。
「妻と生まれたばかりの娘を連れて、僕達だけはなんとか逃げれた。でも、他は全員殺されたよ。男も女も老人も、赤ん坊さえもね!」
「…………」
クララはその光景を感じ取れた。
きっと家々は燃えて赤かった。
赤い炎が病のように移りに移って、どんどん村という場所を壊していったのだろう。
それだけではない。
地面には、沢山の死体が転がっていたはずだ。
首がもげたもの、胴体から真っ二つになったもの、焼けたもの、原型すら留めなかったもの。
この世の地獄がそこにはあったのだろう。
クララにはその地獄が分かる。
むせ返るような血の匂いや、内臓を蝕むほどの炎の熱まで理解出来た。
なぜなら、クララはこの七年で、それと似たような光景を引き起こしてきたからだ。
クララはフィリップの怒りが分かる。
その怨念は、これまでの日々の中で散々投げかけられたものだからだ。
「それから組織に誘われた。神を打倒する事を目的にした彼らは、僕らを庇護下に置いてくれた」
「なら、庇護下に置かれたままでいれば良かった。ここまで出しゃばるんじゃなく、ただそこに居れば良かった」
クララは本気で思っている。
ただ庇護下に入るだけだったなら、危なくなればすぐに見切りを付けられる。だが、フィリップが今こうして参加する事を選んでしまえば、否応なしに深くまで巻き込まれる。
そうなれば、逃げる暇もない。
クララはどうしても、何があってもフィリップの事を殺さなくてはならなくなる。
「そうもいかないよ」
「いや、そうしないといけなかった」
「守ってもらっておいて、利用し尽くして逃げるなんて出来る訳ないじゃないか」
クララはそれを聞いて侮蔑を隠さない。
そんな事を言う、中途半端な人間だったのかと失望の色を露骨に出している。
クララはフィリップをキツく睨みながら、
「どうでもいい奴らのために命を捨てる気か? それは愚かにもほどがあるぞ」
「昔から、そうしろと教わっていたんだ」
知っている。
クララはその話を聞いたことがある。
亡き母との約束があるのは知っているし、フィリップの優しさの源となった部分だ。クララは彼のそういう所が嫌いではなかったが、今となっては違う。
妻と娘が居る。
そこを押してでも、彼にとって一番大切なものを後回しにしてでも、やらなくてはならないのか甚だ疑問だ。
「お前は、亡き者の奴隷か?」
「違う。大切な事を大切と呼ぶ事の何が悪い? 僕の心根は、助けろと言っているんだ。僕は何も間違えていない」
二人は合わない。
性根が、基準がまったく違う。
「誰かを助ける事と、大切な人たちを守る事は矛盾しない。サルベを襲撃したのもそうだ! クララ、聞いてくれ。あの場所は最低最悪の地獄なんだ」
クララにとって、他人のために動くその様は確かに尊く、尊敬に値する。
しかし同時に、それは傲慢でもある。
組織に協力したことも、サルベを襲ったことも、クララを今こうして引き抜こうとしている事だって、クララからすれば傲慢の証なのだ。
だから、フィリップの家族を想う心に陰りありと認定してしまう。そんな輩が何を言うかと、クララの心はささくれ立っている。
だが、フィリップは止まらない。
クララの不満も呑み込むほどの熱意をもって、強く強く訴えかけた。
「あそこでは日夜、神聖術や魔術の研究が行われている。それは囚人たちを実験台にしてだ。人を人とも思わずに弄くり回して、死んでもなお尊厳を踏み躙られる!」
「…………」
「『信仰部隊』もそうだ! 彼らは囚人たちの成れの果て。おぞましい実験の結果出来上がった生体兵器。何十人もの人間が継ぎ接ぎされて出来てる!」
「…………」
「しかも、使われてる人間のほとんどが罪無き人々だ。ただ異端の一族と認識されただけで、幼い子どもまでもが実験に使われる! 捕まった異端たちの最悪の末路がアソコだ! なあ、クララ。これが教会だぞ!」
フィリップの言葉には力があった。
嘘はなく、誤魔化しも、はぐらかしもない。
ただ彼の中にある真実だけを、クララに説明している。心から願いを込めている。
分かり合えると心から信じている。
「クララ、教会を抜けろ。そして、僕たちに付け。あんな悲惨な実験を、虐殺を繰り返させる神と異端審問官を倒そう! あんな所にアイリスを預けても良いのか!?」
「…………」
嘘はない。
きっとこう言えば共感を得られると思ってのものだが、フィリップ自身の本音もある。
フィリップは知っている。
罪無き者たちが異端に認定されて、凄絶な責め苦の末に死んでいく記録を見た。そこには何の区別もなく、異端だから何をしてもいいと言わんばかりに、平然と非道を為していく。
妻であるライラは、危うくその被害者になりかけたのだ。何かが一つでも違っていれば、フィリップに会う事もなく殺されてもおかしくはなかった。
そんなもの、
「間違っている」
「…………」
フィリップは訴える。
異端として認定される者たちの嘆き、全てを理不尽に薙ぎ払われる者たちの怒り、その魂に刻み付けられた者たちの痛みは、忘れ去られるべきものではない。異端だからと納得されて良い訳がない。
間違っているものは間違っている。
それを声に出す事が出来ない世界など、神など、居なくなった方が良い。
理不尽を押し付ける人でなしに妹分を預けようと思うほど、フィリップの感性は狂ってはいない。
「なあ、クララ。教会は間違っている」
「…………」
クララは黙りこくったままだ。
その沈黙は、肯定と変わりない。
フィリップの言い分にケチなど付けられるはずがない。フィリップが正しいし、フィリップが正義だ。
だから、もしもここでフィリップの手を取ったとしても、それはクララが正しい。
きっと何かの英雄譚なら、この説得に応じるのだろう。示された正義に共感し、愛する者を守るためにその力を彼に貸すのがそれらしい。
「…………」
「さあ、こっちに来てくれ。アイリスだって、いつまで無事で居られるか分からないんだ」
フィリップの危機感は本物だ。
彼の懸念は当然のもので、神の、教会のこれまでの行動を見れば本当によく分かる。
クララならこの手を取るはずだと、フィリップは強く確信している。
クララは行動を見れば苛烈で荒々しく思えるが、本質はとてもよく考える人間だ。賢いクララが、フィリップにも思い付くような事を考えなかったはずがない。そして、そこを考え付いた時点で、神にカチコミをかけるような行動力もある。
だが、クララは今は神の使徒。
不可思議に思えるが、順当に考えるのならば、そこには逆らえなかった理由があるのだ。
まだ手を取ろうとしないクララに向けて、フィリップは最後の札を切ることにした。
「僕たちは神に勝てる。クララ、これを見ろ」
クララの足元に投げ捨てられた紙。
それを拾い上げて、フィリップに意識を留めつつ、その中身を確認した。
すると、
「……冗談だろ?」
クララの素が漏れる。
珍しく目を全開で見開き、無警戒を晒す。
食い入るように紙の内容を反芻して口の中で唱えて、なんとか思考をまとめようとしていた。空いた手の親指の爪を噛んで、狂気的なほどに集中している。
その様子は尋常ではない。
何かが壊れたように、クララはその内容を何度も何度も繰り返し吟味する。
あまりにも内容が衝撃的過ぎて、これまで考えていた事が全て吹き飛んだ。
フィリップの訴えも、抱えていた不満も、刺激された神への鬱屈とした感情も、全てがどこかへ消えてしまった。
クララの中にあるのは、何故、という二文字だけだ。圧倒的な疑問に頭の中がいっぱいで、完全に支配されていた。
それもそのはずだ。
なぜなら、
「何故、ルーメン・ラヴルージの術式が漏れている?」
クララは突然、ポツリと呟いた。
疑問や質問にしては、その声は乾いている。
本当にただ自然に心の中身が漏れ出てしまったかのような、それだけ空虚なものだった。
「あの時確かに燃やしたはずだ。ルーメン・ラヴルージが作成した魔導書は全部、このボクが探して処分した……」
クララの記憶の中には、確かにちゃんと全てを灰にしていたはずだ。
ルーメン・ラヴルージのその術式だけは本当に危険だと判断し、何日もかけて漏れが無いかをチェックした。どんな些細な謎も見逃さず、彼が関わったものは消し尽くした。
だが、目の前にソレがある。
クララがルーメン・ラヴルージを殺した後に、完成前に彼を殺しておいて本当に良かったと安堵するほど危険な、世界の根底をひっくり返すようなその術式が。
天才、ルーメン・ラヴルージの全てを注ぎ込んだであろうその術式が。
「何故、何故何故? あの時確かに……」
「クララ」
戦慄し続けるクララに、フィリップは慎重に声をかける。
予想外の反応だが、勝算は分かったはずだ。
起動さえする事が出来れば、神を神の座から引きずり下ろせるかもしれない魔法。
これを知れば、もう神に付くとは言えない。
「こちらに来い。僕らは勝てる」
「…………」
フィリップは真っ直ぐクララを見る。
優しい彼の真摯で誠実な瞳は、クララの心臓を鷲掴みにした。選択を迫られているという緊張で、血流が速くなっていくのが分かる。
もしかすれば、を示された。
これまで選ぶ事がなかった選択肢を再び叩き付けられて、別の道があるのではないかと考えてしまう。もしかすれば、フィリップと戦わなくても、殺さなくてもいいのではないかと。
しかし、
その緊張がクララを落ち着かせた。
いや、緊張した自身を見て、ようやく自分を落ち着かせる気になった。
「……ボクは知ってました」
「?」
「全て、フィリップさんが今言ったことなんて、ずっと前から知ってました」
まずはじめに、勘違いを解かないといけない。
術式について語るのは後だ。
フィリップがそうしたように、順々に話を進める。交渉のテーブルには付いている。だから、相手が理解出来るように、丁寧に説明しなければならない。
クララは表情を消す。
有り余る驚愕は胸の奥にしまった。
中にある複雑な感情を読み取らせまいと、クララは努めて冷徹に話す。
「サルベの事は知ってました。教会が起こした惨劇も、ずっと前から知っていました。何百何千何万という犠牲が出たことも、ずっと前から知っていました」
「え?」
「知ってた上で、アイリスを神に託しました」
クララは今、平静を装っている。
フィリップのように熱はなく、ただ淡々と事実を述べるだけのような、そんな冷めた話し方だ。
フィリップでも、クララのその黒い目に何を宿しているのか分からない。人の目では暗い洞窟の中身を見通せないように、クララの底を見る事が出来なかった。
「何、故? アイリスの安全が一番じゃ……」
「神の元で保護される事が一番安全だからです。ボクが彼女を匿って、守ることになったしても、神には到底及ばない」
クララはかぶりを振る。
表情からはまるで感情を見せないが、その小さな動きはどことなく悔しさを表現している気がした。
「フィリップさん。確かにこの計画は凄い。どこからルーメン・ラヴルージの禁忌術式を引っ張り出したかは知らないけれど、コレなら神の打倒も現実味を帯びてくる」
「だったら、」
「でも、それだけです。神には勝てない」
クララは変わらない。
天を見つめながらそれを語るのは、神のことを見上げているようだった。敬うように、羨むように、フィリップの事を見ているのか、見ていないのか。
「勘違いしてますよ、貴方たち全員」
「…………?」
「何がどうなったとしても、神は倒せない。この術式も可能性はあるけど、それだけなんです。神の命にはとても届かない。どれだけ神と教会が間違っていたとしても、間違いが正解であるとしなければならない」
クララは何よりもアイリスを想っている。
そこに間違いはなく、フィリップもその部分をしっかりと見抜いていた。だが、悲しいことに、認識が甘かったと言わざるを得ない。
クララはそれなりに聡い。
フィリップが考え付くような事など、何年も前に辿り着いていた。アイリスが最も幸せに生きられる道を常に考えてきたのだ。
だから、クララは否を出す。
不可能だと心から理解しているために。
「ボクはアイリスのためなら、何でも出来る。フィリップさん。貴方の言う教会の為した非道とやらの一部は、ボクが喜んで協力した事だ」
「クララ……」
「何千人も殺しました。男も女も老人も、赤ん坊だって殺しました。それを後悔も反省もしていません。ボクを誘うのはそもそもが間違っている」
ただ、クララは本当に残念だった。
なにせ、あの術式をクララに見せた時点で、何が何でもフィリップを殺さなくてはならなくなったのだ。
アレはあまりにも危険すぎる。
アレの存在を知っている者は全員口封じする必要がある。もちろん、その関係者も含めて全員だ。
「クララ、待ってくれ! 君の力さえあれば勝てる! いや、君だけじゃない! アイリスや勇者一行だって、僕たちの話を聞けば協力してくれるはずだ! まだ間に合う!」
「とうの昔に手遅れです」
クララのソレは、どこか疲れたように見えた。
抑えきれないほどの諦念が感じ取れる。
「クララ、君は……」
フィリップは、クララの事を誰よりも強い人間だと思っていた。
アイリスという個人のためなら、どんな事でもする、出来る能力と苛烈さを持つ、選ばれた人間だと。クララにはきっと不可能なんてものはなく、強引に全てを解決出来るのだと。
だが、そんな御伽話はなかった。
クララはただ、自分の出来る事を最大限に、必死にこなしていただけなのだ。
聡いクララは、ちゃんと自分の分をわきまえている。その上で、自身の行動や言動はもちろんの事、心にまで『出来る』という事を強要しているのだ。
フィリップは知っている。
コレをなんと表現するのか、分かる。
「君は、」
「もういいです。死んでください」
そこには、希望はない。
無理だと判断した可能性の一切を排除し、アイリスと己の命を全ての欲望から守り抜く戦士。
フィリップは、ようやく本質が理解出来た。
クララは誰よりも、絶望していたのだ。
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