78、横槍
紙一重。
まさしく紙一重だ。
一瞬でも気を抜けば持っていかれる。いつ命が散ってもおかしくはない、超速の殺し合い。一手のミス、読み違いが一瞬で自身の命を奪っていく。
選ばれた天才のみしか至れない領域で、その中で足掻く男と、その領域を踏み越えた化け物が戦っている。
この超高速で行われる攻防を、いったい誰が止められるというのだろうか?
「…………!」
「フー……!」
クララの得物はメイスだ。
身の丈ほどもある巨大、かつ重い武器。叩きつける事を目的とするソレは、クララの膂力、武器本来の重さ、神聖力に反応して硬質化するという性質と相まって、爆発的な破壊力を生み出す。
掠っただけでも、その部位の肉が削げるほどだ。馬鹿げた威力に、馬鹿げたスピード。
神から与えられた『超人』の名に恥じない、人間離れした身体能力。
相手がフィリップでなければ、もう既に肉団子になっていた所だ。
それに対して、フィリップは剣を振る。
一般的な長剣に見えるが、その材質とクララのメイスに打ち合えている事を考えれば相当な業物と分かる。
それもそのはずで、エネルギーに対して高い親和性を見せる超金属ミスリルと、硬さで言えば一級品のアダマンタイトの合金で出来ている。
さらに、フィリップの体捌き。
大したもの、というレベルではない。クララの攻撃を上手くいなし、ほぼ全ての力を逃しきっているのだ。
七年間、ずっと鍛錬に鍛錬を重ねただけのことはある。その熱意のこもった克己の日々は、確実に、そして飛躍的にフィリップの才能を伸ばしていたのだ。
だから、クララと一対一で戦えていた。
「く……ああ!」
だが、反撃には移れない。
一度もフィリップから攻撃を行うことはしない。
家から家へ、屋根から屋根へと飛び移りながら、最速で戦闘は続いていく。
フィリップは劣勢。
受け流すので精一杯で、防御一辺倒だ。
パワーもスピードもクララには及ばないというのに、よくぞここまで、と讃えても良い。
クララがそれで容赦するはずもないが。
「『水閃』」
「!」
鮮血が散る。
クララの何もない右手から飛ばされる水。
咄嗟にフィリップは躱して致命傷は避けたが、左肩にしっかりと指ほどの大きさの穴が出来上がっている。
第四階梯魔術『水閃』
水を生成、圧縮、放射する。
ただそれだけだが、圧縮と放射に関しては使い手次第で、どれだけ小さな範囲にまで水を抑え、どれだけ速く解放するかで威力が決まる。
フィリップがもしもここで剣で受ける、と選択していたのなら、彼の魔力で強化したその名剣ごと彼の心臓を貫いていたことだろう。
フィリップは戦慄する。
クララは魔術師として、神官として、戦士として、最高水準まで達していることに。
どれか一つだけなら分かる。
だが、器用貧乏ではなく、それらの強力な武器を正しく使いこなせるようになるのに、どれだけの鍛錬を積んだのか。
クララと戦えば、その暴力的な行動に目を奪われがちではある。しかし、クララの暴力には確かな理があり、全てを完璧に正しく行う技があった。
メイスの一撃がフィリップを襲う。
フィリップの剣に負けず劣らずの素材で出来たクララの硬いメイスが大きくしなるほどの速度。
避けたフィリップを追う二撃目はさらに速く、物理法則など無視したのではないかと疑問に思うレベルだった。
生まれた風圧、衝撃は抑える事が出来ずに、周囲の家々に少なくないダメージを与える。
(街が!)
「他人の心配か?」
クララはフィリップを追う。
恐ろしく冷たい瞳を旧知の彼に向けながら、人間一人には過分すぎるほどの暴力を向ける。
何も見えない無表情と、一刻も早く殺したいと訴えるように暴れる肉体。
身が凍えるほどおぞましい。
この化け物が自分一人のためだけにここまでするという容赦のなさが知れるから。
「待っ!」
「待つわけない」
フィリップの静止は聞き届けられない。
クララにとって大切なのは、異端を殺すことだ。
街中だろうが、人を巻き込もうが関係ない。
さらに戦闘は速度を増していく。
これでもかとクララはどんどんスピードを上げ、フィリップもそれに何とか付いていった。クララは全力には程遠く、少しずつ調子を戻している、戦闘用に意識と身体を慣らしている最中だ。
攻撃の威力も勿論上がっていく。
そこにある殺意は隠しようもなく、ただフィリップを殺すためだけに。
クララの神聖力と魔力がさらに膨れ上がった。
まだまだトップギアではない。
魔力はともかくとして、神聖力はいつもならしている蓄えを崩しているのだ。その分を引き出しきるまで、クララの身体能力は上がり続ける。
仮に蹴り一つとったとしても規格外。
最高速でなくとも、クララの蹴りによってカマイタチが発生する。
魔術ではない、純粋な身体能力で。
魔術ならば魔力から存在を感知出来るのだが、自然と発生したものは分からない。色でも付いていればマシだが、カマイタチは元が空気で、人の目には見えはしない。
「あぁあああ!」
フィリップの肉体は強大な魔力によって守られてはいるために、重傷にはならない。
だが、なんでもないただの蹴りが、しかも直撃どころか掠ってすらいないのにダメージを受ける。
彼我の差を思い知るには十分すぎる。
クララは止まらない。
攻撃の手段はメイスと右足、魔術の三つ。けれども、一つ一つが対処不能なほどに苛烈だ。
「ぐぅ!」
「チッ……!」
クララのメイスは避けられる。
持つ柄の箇所を攻防の中で瞬時に変えて、リーチを延ばすという奇襲は失敗だった。
遠くを持てばその分範囲は増えるが、遠心力から余計な力を必要とする。しかも、それをクララのスピードで行うのだから、かかる力はいったいどれほど強いのか想像もつかない。
常識で考えれば不可能な試み。
だからこそやってみたが、失敗だ。
力に振り回されたのではなく、フィリップが驚異的な反射神経によって避けたために。
フィリップからすればたまったものではない。
何故武器が壊れないのか不思議なほどに、クララの身体能力が常軌を逸している。
だが、心の中で悪態をつく暇もない。
追撃の間隔はさらに短くなっている。
体勢を立て直すまでもなく、顔面にクララの真っ直ぐに伸びた脚が飛んできた。
「おおぉぉおお!」
当たれば花火のように中身を散らす。
真っ赤に染まって、屋根のシミになって消えるだろう。痛みもなく、その人生に幕を引く。
だが、フィリップにそのつもりはない。
全身全霊で避ける。
無様に床に転がろうが関係ない。一秒先に来る攻撃を避けるために全てを出し切っている。
クララは、そんな彼の命を刈り取る気だ。
フィリップが転がった先から、下から上へ向かって滝が出来上がった。
第五階梯魔術『昇蒼竜』
昇る瀑布によって敵を打ち上げ、竜の口の中のようや水の牢に閉じ込める術。
勿論中に居れば息は吸えない。さらに、膨大な水量による水圧は閉じ込めた敵を苦しめる。クララの呼び出した水量は本物の大瀑布と変わらない。
だから、脱出のためには水の対処に適した魔術を使わなければならない。
フィリップを中心に、蒼色の竜は凍りつく。
一本の氷柱となって砕け散り、中から爆発したかのようにパッと弾けた。
弾けた氷たちはそのまま落ちる事はない。
突撃の合図を待つかのように宙に留まり。
「『アイスランス』!」
号令は鳴る。
幾百という氷の槍が、やたらめったらに発射する。
狙いを付けた訳ではない。
被害を出さないように屋根に限定して、クララを近寄らせないための弾幕として放ったのだ。
これは一度引くしかない。
守るにしても、これでは手数が多すぎる。防御に回す魔力量を考えれば、一度引くのが合理的だ。
常人の思考ならば。
「な!?」
「しぃぃぃいっ!」
フィリップには何が起きたか分からない。
距離を保とうと後ろに引いた瞬間には、クララが目の前にまで迫っていたのだ。
氷の槍で視界が塞がっていたために見えなかったが、クララは槍の雨の中を駆け抜けたのだ。
魔力の分散した、数だけの槍でクララの皮膚は突き破れない。まさか凶器の雨をノーガードで突き破って来るとは思えなかった。
クララはフィリップを殺すまで止まらない。
攻撃も苦痛も、フィリップが喚いてたとしても、どれだけ下で人が死のうとも、クララは手心を加えることはない。
むしろさらに速く、クララは攻撃する。
右足は高く振り上げられ、フィリップの首に向けて一直線に向かった。フィリップは、クララの軸足の左を足で払うことでコースをズラす。
だが、第二第三の攻撃はクララが体勢を整えるよりも前にやって来る。
存在を宙に固定したように、重力を無視したような追撃を行った。
サマーソルト、中段蹴り、左ストレートの流れを、繋がるはずのない速度でやってのける。
「『ウィンドスピア』!」
「…………」
至近距離からの魔術。
風の槍を放つという攻撃の中では初歩的なもの。
だが、フィリップの魔力、技量から放たれるそれは、硬い鋼鉄の盾をも貫く。
しかも、フィリップの手元と同時に、それはクララの背後からも発射されていた。手の届かない範囲に陣を構築する離れ業による奇襲は成功する。
数十の槍がクララの体に、
「なっ!」
「…………」
突き刺さることはない。
血が出るどころか、薄皮にも、服にすら傷一つとして付いてはいない。
街に被害が出ないように、規模が小さな低位の魔術を選びはした。
けれども、術者の力量次第では高位の術にも匹敵する威力は発揮できる。コンパクトで放ちやすい術でも、それは低威力である事とは結び付かない。
いくら手練でも、傷は付く。
例え手練の戦士が相手だとしても、防御に回らなければいけない攻撃だった。
しかし、クララはただ突っ立っていただけだ。
魔力を用いて捌く訳でも、防御を固める訳でもなく、自然体でそのままでいた。
「手を抜いたな?」
「……?」
「今の攻撃、どれも急所を避けてた。いくつか弾いたなら、もうそれだけで致命傷にはならない温いものだ」
フィリップは否定しない。
全力だったが、本気ではなかった。
いくらかは避けられると思っていたし、風穴が開いても死なない程度の場所を選んだ。
温いと言われても否定出来ない。
「腑抜けめ。敵だと分かるだろう? 妻子のために、目の前の敵を殺す気になる事も出来ないのか?」
クララはフィリップを見下ろして言う。
一層温度を下げた、冷たい瞳だ。
だが、クララにはクララの思想があり、それに反するものに憤慨するのは当然だった。
なにせ、お互い敵だと分かっている。そして、彼は妻子のためにと神の打倒を決めている。
そうでなければ、こんな事はしていない。
彼の人生に『愛しい人』という理由が出来たからこそ、彼は逃げることなく抗っているのだ。
それなのに、神の尖兵が顔見知りだったというだけで、手加減するフィリップの度胸のなさに憤っている。
そうではないはずなのだ。
天秤は必ずどちらかに傾くというのに、その結果を無視している。
彼の一番大切なものは、クララではない。
どれだけ捨てがたくとも、苦しくとも、捨てなければならないものは即時に切り捨てる。
それなのに、敵であるクララに手加減など、フィリップが彼自身の心意気を穢している。そして、その出汁にされている自分も同様だと思っている。
クララの『想い』に対する想いは、その愚行を決して許さない。
使命を押してでも、それだけは言いたかった。訴えることを止めようとはしなかった。
「殺す気でやれ。ボクはそうしている。それとも、このまま為すすべなく死んでいくのがお前の望みか?」
「く、クララ……。僕はただ、」
「お前が死んだあと、ボクはお前の妻子を殺すぞ」
より一層温度が下がる。
クララは本気で言っていると分からされた。
何もかもを殺し尽くしても、眉一つ動かさない冷徹さがある。異端審問官として、非情に敵を殺し続け、研ぎ澄まされていったクララはソレをやる。
赤子でも構わず殺してきた異端審問官たちの記録を、フィリップはクララを見て思い出した。
「ここまでだ」
クララは切り捨てる。
これ以上言っても変わらないのなら、そのまま殺してしまおうと。
フィリップを殺すことで、クララが心を動かすことはない。
メイスを殺すつもりで振り下ろす。音が遥か後ろを付いてくる速度で、フィリップの頭めがけて思いきり。
しかし、
「…………」
「ほう?」
クララのメイスはフィリップの体に傷をつけることはなかった。
確実に彼の正中線上に振り下ろしたというのに、メイスの着地点はフィリップの真隣。狙いと大分ズレている上に、差し込まれるようにメイスに触れていた剣がある。
クララは察しがついた。
途中に感じた感触からして、受け流された、と。
「!」
「やるね」
クララはフィリップの攻撃を受けた。
神速で振るわれたその剣は恐ろしく速い。いや、もっと厳密に言うのなら、恐ろしく速く見えた、だろう。
予備動作がない、というだけではない。剣舞のお手本のように振るわれたその動きは、クララの意識を縫い、確実に攻撃を届かせた。いうなれば、それこそ時が飛んだように。
しかも、全身の力と魔力の流れを完璧にコントロールしている彼の剣は、クララの硬い皮膚を斬り裂いている。僅かながらに血が漏れ出る程度だったが、クララに傷を与えた。
それだけではない。
今の攻防に、フィリップは計十五の魔術を同時に発動、付与を行った。
己の体に魔術を付け加えたり、ただ武器に魔力を纏わせて強化するのと違い、武器に魔術を込める術は扱いが難しい。魔力の操作を誤るか、その武器の許容を上回れば、たちまち武器は壊れてしまう。そういう『付与師』は、存在自体が希少だ。クララの攻撃を受け、傷を付けるような魔術を付与できるなど、世界でもそうはいない。
体技、魔技ともに最高クラス。
世界でも有数の戦力を有している。
クララは喉に薄っすらと流れた血を、無い右手で掠め取る。
手を退かした瞬間には、既に傷が塞がっていた。
「殺す」
「クララ……」
悲しそうなフィリップの声は無視だ。
ようやく土俵に立ってくれた敵に対して、クララは殺意だけを漲らせる。
覚悟があるなら殺すだけ。諦めて逃げても、地の果てまで追い詰めて殺す。どんな選択を取ったとしても、クララはフィリップを責めない。ただ憤り、完膚なきまでに息の根を止めるだけだ。
クララは既に完成している。
神の敵を殺す兵士として、どんなことでもする覚悟は出来ている。
抱える感情とは裏腹に、二人の感覚は研ぎ澄まされていった。
これまでの経験から来る本能が、自然とそうさせた。
いつでも敵を屠れるように、何があっても殺せるように。どんなことがあったとしても、自分の命だけは守ることが出来るように。
「おおおおお!」
「死ね」
クララのメイスがフィリップの脳天に迫る。
フィリップの剣がクララの心臓に迫る。
武器は交差し、互いが必殺になるだろう攻撃を放ち、
「クララは甘いね」
クララとフィリップは攻撃の軌道を変えて、気配がした方に攻撃した。
先ほどまでクララとフィリップしかいなかった場所。ほんの数瞬前まで、影も形もなかった場所だ。
だが、二人の攻撃は受け止められる。
ヌルリとした感触と共に受け流されてしまった。
クララは二撃目を選ぶ。
何をされたか、どうするのが正解かを瞬時に考え着いたのだ。
次第に速くなるクララのメイスだが、この時この日の最高速度を叩き出した。その速さ、強さ、重さは他の何かと比べるべくもない。その時の世界最高の破壊が込められた、最上の一撃だったことは言うまでもない。
フィリップは回避を選んだ。
自分の触れてはいけない未知と判断し、これはいけないと全力で逃げることを選んだ。そして、その判断は間違いではなく、ちょうどフィリップの首があった場所には、誰かの剣が滑りこまされていたのだ。
フィリップは全く剣が至る過程を見えなかった。
反射の速度で逃げることを選んでいなければ、既に命はなかった。
止まらないはずの闘争は、ただ一人の男によって中断される。
ただ一人の、全ての生命の頂に立つ男に。
男は、底知れない笑みを浮かべたまま二人の目の前で静止していた。
「どういうつもりだ、ジジイ……!」
クララもフィリップも、その顔を知っている。
その老人の事を、痛いほど知っている。
異端審問官シモンがそこに居た。
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