75、底知れない怪人
10時台が厳しかったら11時、12時にあげる可能性あるな
おそらくだが、睨み合い、と呼ぶにはいささか緊張感が足りないだろう。
何故なら、シモンがクララの発する濃い敵意を中和するほど、穏やかな雰囲気を作り出していたからだ。
技術としては大した事はない。
ただ、彼はその人が一番安心する笑い方をし、一番心安らぐ声色で話しかけ、一番安堵する態度を取っているだけだ。そこにどれだけシモン本人の心根が挟んであるかは一切理解出来ない。それに、理解しきれるだけの深さは、おそらくどんな人間にも無いだろう。
底が見えない
ある一定以上の実力者なら、そう評する。
人間が力を測るとき、まず一番に自分を物差しにするだろう。自分が天秤の皿に乗りすらしないのなら、過去に戦った敵や、知り合いの中から探す。
だが、誰が見ても分からないと答える。
強さというものに敏感な強者も、本能であらゆる敵を見抜く魔物も、それなりの年月を付き合ったクララでさえも、シモンの事は分からない。
強さの誤魔化し方が上手い。
今さっきクララの後ろを取ったように、気配の誤魔化し方も上手い。
何もかもが分からない。
かろうじて分かるのは、その容姿くらいだ。
真っ黒な吸い込まれそうな瞳。
色も含めて、どことなくクララに似た目。
髪とは対照的なその目が、真っ直ぐに暖かにクララを見つめて、クララはシモンの目を冷たく睨む。
「ジジイ、ここに何しに来た?」
「随分な挨拶だ。久しぶりに再会した師匠に」
クララは吐き捨てるように言う。
心からシモンの事を嫌っていると一瞬で分かる。姿だけを見れば孫と祖父のように見えるのに、本人同士の関係の悪さだけは最低だった。
まあ、クララが一方的に嫌っているだけだが。
シモンに限った話ではなく、クララはアレン以外全員を一方的に嫌っている。
だから、シモンもクララに慣れていた。
クララの暴言に必要以上反応はしない。
「困っているだろうと思ったんだ」
驚くほど柔らかな声で言う。
真にクララの事を心配して言ったようにしか思えない。人心掌握の教育も受けたクララですらそう思うほどだ。
クララが露骨な態度を取るのも、嫌いという事もあるが、気を張っていなければならないという側面がある。異端審問官という化け物たちを寄せ付けず、馴れ合わないようにするという理由だ。
そして、シモンは異端審問官最強の座を、数千年間誰にも譲ったことはない。
「アンタが来てる事に一番困ってる」
「そんな事言って。私が言っているのは任務の事さ。数が多くて討ち漏らしがいるんじゃないかって思ってる。真面目だねぇ」
クララは一欠片とてシモンに気を許していない。シモンの挙動に注目し、自分の情報を隠しつつも、敵の情報を探る。
完全に戦闘で行う警戒の仕方をしていた。
それだけシモンを評価している。
だが、シモンはそんなクララの努力を無駄なものと嘲るように、彼女の事を見抜いていた。
クララの思考はほとんどシモンに分かられている。実力、挙動共に同じくで、シモンがクララについて分からない事などほとんど無い。
「そういう所を、神は気に入ってるんだろうさ。君は私が見てきたどんな人間よりも真面目だ」
クララは身構えたまま、聞いている。
いつでもメイスを振れるように強く握り、それでいて奇襲を避けられるように重心はやや後ろに。
一応は味方だというのに、本当にまったくシモンを信用していない。
「私も好きだよ。君のそういう所」
「……お前らに好かれても嬉しくない」
「辛辣だなあ」
シモンは柔らかく、困ったように笑うだけだ。
似たような笑い方だというのに、フィリップのものとはまったく違う。フィリップは自然と心根が反映されているからこそ、優しく笑っている。
だが、シモンの笑顔はとても自然だ。自然すぎて、逆に怪しく感じてしまうほどに。
クララのように心からシモンを疑わなければ、信用しなければそうは思わないだろう。しかし、疑えば自然すぎて気味が悪いという感想が出てしまう。
そういう笑い方だ。
やはり、底が見えない笑みだ。
「君の本質は、嵐を前に備えて備えて、あらゆる危険から身を守ろうとする臆病者なのにね?」
「…………」
「君が強い言葉を使うのも、私や神を恐れているからだ。怯えた仔猫が人間を威嚇するのと同じ。カワイイねぇ?」
クララはシモンが神と並んで嫌いだ。
それは、シモンの事が分からないから。
理解出来ないものをクララは嫌うが、この嫌いはシモンの言葉の通りに恐ろしいから。
底の知れない、明らかな格上をクララは嫌う。幼少期に知らない大人たちを恐れたように、シモンに対して強烈な恐怖を持って接している。
クララが格下で、シモンが格上。
この差は覆らない。
クララの額から垂れる冷や汗は止まらない。
彼と接する時は確実に死を感じ取り、強い怖気を抑え込みながら話をする。
震えそうな手を強く握り締めながら言う。
「老害が……」
「良く吠えるね。でも、君はその老害を追い越せていないんだよ」
シモンは優しく棘を刺す。
挑発に近い、クララを刺激する言葉だ。
だが、クララには油断はない。
どんな言葉にも、どんな棘にも、クララは反応せずにシモンの一挙手一投足を観察する。
「今すぐ叩き潰してやってもいいんだぞ?」
「出来ないくせに。君は勝てない勝負はしない主義だ。出来ないことは出来ない。君には過少も過大もない。必要のないハッタリは止めなさい」
クララの何もかもがシモンには通じない。
挑発をするには、シモンの精神は老成し過ぎている。
やれやれ、とでも言いたげなシモンの態度に腹が立つ。クララの剣幕が鋭くなるが、シモンは簡単に流してしまう。
クララの目はシモンの急所を、隙を観察する。
完全に異端を相手する時と同じだ。
「殺すぞ?」
「だから出来ないだろう? 可愛らしいねえ?」
血管が千切れそうな音が鳴ったような気がした。
クララ本人も、愉快そうにしているシモンも聞こえた。露骨にキレているのが良く分かった。
クララの眉間にシワが寄っていく。
「それに、君は指揮を学んだ方がいい。もしもがあった時は君が私の後釜に付くんだ」
「自分より弱い奴を指揮して何になる? ジジイ、北の戦線もアンタ一人いればそれで解決するだろうが」
「ふふふ、面白い冗談だ。お前は神の意図をはき違えるようなことはしないだろう? それに少なくとも、君が今抱えてる問題は解決出来るさ」
「あ?」
煽る。
クララが一番嫌がりそうな、アルカイックな笑顔で。
同じ笑顔だというのに、本当にまるで印象が違う。一瞬本気で詰め寄ってからドツキ回してやろうか、という考えが湧いてしまうほど、クララの神経を大いに刺激する。
冷静なままに、しかし激情を込めて。
クララは構えを解かない。メイスの先端はシモンに向けたまま止まる。
動かず、様子を窺うだけだ。
どんな感情をもってしても、クララの手は、武器は動かない。動きそうになったとしても、クララの固い意志が警戒を緩ませない。
「手駒なんて持ってない」
「持ってないのは君とリリーロクスだけだ。デドレイトすら戦線以外での仕事は必要ならば手駒を使う。いい加減、上手いやり方を覚えなさい」
「じゃあ、あのサイコ女にも言え」
なぜ自分だけなのか?
言い訳の仕方が子どものそれだが、クララは本気だった。不貞腐れた顔で言う姿は完全に拗ねる孫のようにしか見えない。殺意満載とは言い難い。苛立ち、怒り、敵意は相当なものだが、それ以上のものには発展しない。
何もかもシモンの言葉通り、クララにはシモンを殺す気もない。なんなら害する気も一切ない。勝てない勝負をこんなにどうでもいい場面でするほど馬鹿ではなかった。
シモンは溜息を吐く。
取りあえずはクララが話を聞いてくれそうな疲れた顔をしていた。
無論本心かは分からない。
「アレが言うことを聞くわけがないだろう?」
「…………」
納得。
それ以上は言えない。
サイコ女と称したクララだったが、件のリリーロクスと同じ扱いを受けていないだけマシか、と納得してしまう。
とにかく、話を進めなければならない。
険しい顔のままにクララは、
「……どうしろと?」
取り敢えずだ。
命令を聞き入れる気はない。
話だけ聞いてさっさと帰らせようとしているつもりで続きを促す。
警戒をしながらシモンの言葉を、
「『信仰部隊』を使いなさい。彼らならよく……」
クララの警戒が一瞬緩む。
その単語を聞いた瞬間に湧いて出た、全てを焼き尽くす業火。クララの精神力によって爆発することは抑えられたが、警戒が異なる感情に変わるのはすぐだった。
瞬きのおよそ千分の一秒にも満たない時間。
警戒がなくなった瞬間に研ぎ澄まして、剣は振るわれる。
恐ろしく滑らかに、シモンは動く。
シモンは顔、体軸もそのままに、ほんの一歩を踏み出して剣を振った。
その動作に至るまでの一切を省略したかのような、言ってみれば時が飛んだかのような攻撃だった。
これは当たる。
確実に剣の切っ先がクララの喉に滑り込み、普通の人間なら致命傷になる攻撃。
例え一流の戦士が相手だろうと、一歩も動けずに終わる。何をされたか分からずに終わる。
だが、
「ジジイ、テメェどういうつもりだ?」
クララは半歩下がった。
たったそれだけで避けられる、必要最小限の攻撃だった。だが、間違いなく不可避の攻撃でもあった。
クララも反応は出来たが、首をハネられてもおかしくはない。いや、いつもならば確実にハネられていた。
シモンはそれをする。
身内だろうがなんだろうが、シモンの攻撃に反応出来ない者、平穏に溺れて気を緩ませた者は殺しにかかる。
しかも、クララ相手にはそれは激しい。
首をハネた程度ではクララは絶対に死なない。だから、もう斬首が仕置きの一環になっていた。この七年で胴と頭を別けられた回数は三桁では利かない。
だから、分かる。
クララには、シモンにしては温すぎると分かる。
一流の魔術師が分からずとも、クララにはそれが分身体だと分かる。
「分身体なんて、ルシエラのババアの真似か?」
「真似だ。彼女ほどの数は流石に用意出来ないが、性能は変わらない。慣れない事をするものではないな」
分身体を、自分の分身を作り出す魔術はある。
何かをそれらしく加工したモノ、実体を持たない幻術の類のモノ、そしてシモンが行うように実体を持つモノ。
前者二つは大して難しい術ではない。少し腕に覚えがあるなら軽くこなせる程度のものだ。
だが、後者は違う。
本人とまるで同じで、かつ独立した思考パターンをした人形を生み出す。超高性能なAIのようなものだ。強さもかなり再現する、最難関に位置する魔術だろう。
しかも、北の戦線から数百キロ離れた地に。
だが、クララはそれでも動じなかった。
舐めたことをしたシモンへの怒り、そんな程度の事で驚いてはいられないという納得が、余計な感情を掻き立てない。
「……どういうつもりなんだ?」
「はじめに言ったろう? 手伝う。数が多すぎるのだろう? 私が……。おい、なんて顔だ。仮にも女の子がそんな顔をしてはいけないよ?」
それはもう、筆舌に尽くしがたい顔をしているクララ。ルシエラ、シモンを相手に借りを作るのが嫌でしょうがないらしい。
嫌われ過ぎだろう、と苦笑いをしながら突っ込むシモンを前に、クララは深い軽蔑を示し続けた。
「ルシエラも、ちゃんと淑女教育をしてほしかったねぇ。とんだジャジャ馬だが、嫁に出す先が一人しか思い浮かばない」
「死ね」
「直球過ぎるよ。語彙はないのかい?」
身の毛もよだつ発言に、クララはさらに恐ろしい表情になっていった。
シモンの笑い方が朗らかなモノに戻る。
そう求められていると判断したために戻したのだろう。気味が悪すぎてまた顔を歪める。
「でも、私がしなければならない所もある」
「あ? 北の戦線の管理で忙しいんじゃねぇのか? さっさと隠居して死ね」
「戦線なら問題ない。あと五人増やしてもな。隠居も昔考えたが、やはり私は異端審問官しか出来ないんだ」
本心から言っているのか?
分からない。
シモンという人間が深すぎて分からない。
「それに、今回関わっているのは私の昔の失態が関係あるかもしれない」
「?」
「ルル族を知っているか?」
唐突な話題の転換だが、これが無関係な話題のはずがなかった。
それに、クララが知らない話だ。
ルル族など世界のどこにも居ない。
辺境に居るマイナーな部族なのかと考える。だが、失態だのなんだの言ってる時点で推測の骨が出来た。
おそらく、
「昔仕事で滅ぼした部族?」
「やっぱり知らないか……。一応常識だぞ? ルル族が神へ反逆を犯した大罪人の一族だと誰もが知っている」
「あーそう」
シモンがこめかみに手を当てる。
悩ましげな雰囲気を演出しているのは、どこから説明するべきか迷っているのか、クララに術と一般教養を叩き込んだルシエラの教育不足を嘆いているのか、興味のない事に冷め過ぎているクララを面倒だと思っているのか。
クララはシモンの説明を待っていた。いや、その偉そうな雰囲気は、どちらかと言えばシモンに説明を強制している。
まあ、シモンはそこには何も指摘はしなかった。
幼子を諭すように彼は、
「……千年ほど前に滅ぼした部族だ。確実に殲滅したはずだが、未だにその影が見える」
「? アンタが?」
「何が起こるか人生分からない。生き残りが居たのか、先祖返りか何かか、それとも見た目が似てるだけなのか」
「はあ……。簡潔に言えば?」
器用なのは、二人は話をしながらも常にお互いの領域に踏み込もうとせずに、隙を探り合っている所だ。
もしもそれを晒せば、目の前の味方を全力で手に持つ武器を叩きつけてやろうと考えている。それらしい感情の発露や、やり取りの間にも警戒は常に行っていた。
なんとも面倒で、歪な関係だ。
だが、師弟としてコレで育ったのだから、二人のおかしさが透けて見える。
「神いわく、今回の首魁はルル族らしい」
「チッ……!」
「簡潔に言ったのに、酷いね」
神の言う事に間違いも嘘もない。
だから、ルル族とやらが関わっているのは確実。さらにここまで大規模な反乱を起こしたのだから、その首魁が滅ぼされた恨みを抱えている可能性は高い。
そこまで至る手間、時間を考えれば、いったいどれだけの昔から計画されてきたのか。
クララが面倒くさそうに顔を歪める。
「まあ、実際に神に反逆者として認識されたのは一人だけだったんだけどね? あの時ほら、色々あったからさ。部族ごと滅ぼすことになっちゃったんだよ」
「部族ごと滅んでない可能性があるから、今の現状なんじゃないのか?」
「ぐうの音も出ないね」
本当にそう思っているのか。
反省している気がしない。
シモンが悔しそうにもしていないし、クララもシモンの失態を責めるつもりで言った訳ではないが。
「で? 殺すから特徴教えて」
「急かすねぇ」
「アンタの尻ぬぐいの可能性があるんだ。のんびりし過ぎんな、ジジイ」
シモンが額に手を当てる。
忘れていた何かを思い出そうとする老人のポーズだ。
クララは、そのままボケてしまえば殺せるのに、と残念そうにシモンが隙を晒さないか探っている。
そして数秒して、
「褐色の肌、アメジストの瞳。それとクララ、君みたいな綺麗な黒髪だったよ」
「はあ……。分かった。見かけたら殺しとく」
もう用はない。
クララは踵を返して、忌々しい鬼畜ジジイから離れたいと思っていた。
だが、その前にやる事がある。
単なる虚しい忠告で、意味のない釘刺しだ。
「あとジジイ」
「?」
「『信仰部隊』なんて胸クソ悪いモン、ボクは死んでも使わんからな?」
シモンはクララを何も言わずに見送った。
その姿があっという間に森の中に消えてからも、暫しその場で佇んでいた。
そして、どんな手段でもシモンの言葉が届かない範囲にまで、シモンがクララを認識出来なくなるまで遠く離れてから、本音で小さく呟いた。
「小娘め、生意気言いやがる」
愉快そうに、楽しそうに。
見た目なら六十は超えているように見えるシモンだが、その瞬間だけは、青年のように若く見えた。
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