73、クララの意志
そんなつもりはなかった、と言えば噓になる。
あの日、あの時、俺はあの場面をやり直したとしても、きっと彼女を助けただろう。
何度だって、何時だって、僕は彼女を助けた。
それは、性分だったから。
母に言われた通り、僕は弱い者の立場を理解し、彼らを助ける事を何よりも優先する。それが、尊敬する母に誇れる生き方だと、ずっと知っていたからだ。
でも、今は違う。
その教えを忘れはしないけど、今の僕は、もっと別の利己的な理由で動くだろう。
それは僕が自分の在り方を変えたからじゃない。
その在り方とは別の道を、見つけたからだ。
彼女と出会った日。
僕はいったいどんな間抜け面を晒したのだろう?
あの頃僕はまだ騎士をやっていて、カッチリと硬い鎧に身を包んでいた。
剣は鏡のように磨き上げられていたけれど、あの時は真っ赤に染って、死体がそこら中に散らばっていた。
特に難しくない任務だった。
違法の奴隷の取引を確認したとかで、犯罪組織を潰しに行った。
奴隷はきちんと法律に則り、商売する国の上級貴族に許可を取り、奴隷と奴隷商人との間で結ばれた『契約』を行使するという義務がなければ扱えない。
だが、一部の犯罪者はそれを無視する。
本来ならば奴隷の権利を保証する『契約』を悪用し、縛り付け、人を人とも思わないような非道を働く。
被害者である違法奴隷たちは解放してあげなければいけない。
騎士としての仕事とか、義務とか関係なく、人を助けず捨て置くなど僕の信条に反する。
だから、運命だったのかもしれない。
僕は彼女に出会う運命だった。
そして、彼女が居たからこそ、出会ったからこそ、僕は騎士を辞めた。
褐色の肌
濃いアメジスト色の瞳
どこかの『誰か』のような漆黒の髪
彼女の種族の事は勿論知っていた。
でも、止められなかった。
止められる訳がなかった。
僕は初めて、恋をしたんだ。
※※※※※※※
「気分が良さそうだね」
「ええ、お陰様で」
フィリップが朝に起きて、宿屋の近くにあった食堂を訪ねた時、そこには既にクララの姿があった。食器は空になっており、腹を満たすという目的は終えたようだ。
だが、席から立つことはせずにフィリップの事を手招きした。そのままフィリップの食事を待ち、共に会話を楽しんでいたという次第である。
「すみませんね。昨日まではあまり気分が良くなかったもので」
「いや、いいさ。そういう事もある」
普段よりも二人の雰囲気が柔らかい。
お互いにお互いが何故ここまで機嫌が良いのか分からないが、共に旅をする相手がここまで明るいのなら、自分も気分が良かった。
食堂には少しずつ人が集まって来る。
フィリップも早起きだった。適正な時間帯に朝食を取ろうとした人間たちが来たのである。
ガヤガヤと騒がしくなってきたが、二人の会話の妨げにはならない。
「今日はどこまで進みましょうか?」
「普通に隣街まで進めばいいさ。それに、あと二つ街を越えればヒロベストだ」
「ええ、そうですね」
軽い確認。
軽い打ち合わせ。
二人で道行きの話をした。
とは言っても、二人共先を急ぐ訳ではない。
はじめの街から、中継点の街を四つ越えれば目的地だ。一日一街もかなり早いペースだ。二人からすれば野宿をしたくないので、昼にはのんびり歩いているが、日が暮れてくると走って間に合わせる、というのがこれまでだった。
二人はいつもと同じだろうと、それ以上は言わない。
旅の計画は本来ならば生死に関わる事だ。それをここまで適当に済ます彼らを、一人前の冒険者が居れば馬鹿にしているのか、と憤慨する所だ。
「やっぱり寒くなってきましたね」
「雪が降るかもしれないな」
「防寒対策ってしてますか?」
「ほら、コレ。マフラー」
なぜか自慢げに白を基調にした、手の込んだ柄のマフラーを見せつけるフィリップ。
クララは、こんな人だったっけ、と疑問に思わないでもなかったが、軽く流した。
実にのほほんとしているように見えるが、二人は腕っぷしがある。旅をするのに、護衛も計画も食料も必要ないくらいに滅茶苦茶だと気付ける人間は何人居るだろうか?
暇そうにしている二人を見て、カップルか何かだと勘違いする人間は居そうだが。
その手の視線に気付かない二人。
クララは呑気に茶をすすりながら、
「そういえば、フィリップさんは何でヒロベストに行くんですか?」
フィリップの表情は柔らかなままだ。
当然の質問だろう、と驚く事なく受け入れていた。
クララはなんの意図もなくさらりと言った事だったが、それと同じくらい自然とフィリップは言う。
「ちょっと会いたい人が居てね」
金色の髪を揺らしながら、フィリップは答えた。
微笑みながらクララに言う様は、本当に輝いて見える。いちいち仕草がカッコよく感じた。
紅茶を飲む姿は本当に様になっている。
貴族の話し合いは、きっとこういう風にするのだろうな、と思える。
フィリップを只者ではないと察する者たちは多いが、なんとなく近寄り難かった。
それは、食堂で護衛の売り込みのために溜まる冒険者たちもだ。
近寄れない者たちとは違い、クララは逆にフィリップに詰め寄る。
身の上話という事になるだろうが、彼が七年をどう過ごしたかは気になった。
真っ黒で吸い込まれそうな目をランランとさせる。
「どんな人なんです?」
「君、僕の話に興味あるんだね」
「そりゃ、フィリップさんですから」
クララも、身内の話には興味がある。
どうでもいい人間の話なら『あー、はいはい』で終わらせるが、フィリップならば話は別だ。アレンやシスターカレン、カールに、あとはガントンとマナも興味の範疇である。
この七年をどう過ごしたのか、それは聞きたいことだ。
「それを言うなら僕もだよ」
「……そんなに面白い話じゃありませんよ?」
「そうじゃなく、人間関係だよ。クララには、いい人は居ないのかい?」
まさかの恋バナだった。
予想外の方向に話が飛んだことに若干驚く。
クララは輝かせた目をすっと収めて、フィリップをジッと見た。
すると、フィリップもクララと同じく目を輝かせている。
優雅な仕草や態度のままではあるが、興味津々な目は誤魔化せない。
まあ、クララに答える義理はない。
フィリップの話し方は誰かに何かを強要するような強いものではないし、答えなくても肩をすくめるだけで追及はしないだろう。彼は騎士としてしっかりやってきた経験から、ちゃんと紳士を演じられる。
しかし、自分から相手を知りたい、と聞き始めたのだ。
そこは素直に話すことにする。
だが、クララは虚無を詰め込んだ表情のまま言う。
「居るわけないじゃないですか」
「えー、アレンともかい? 結構いい関係ってことは……」
「ありませんよ。彼とはちゃんと友人です」
フィリップはそれを聞いて、やはり笑う。
だが、笑いの種類が違っていること、フィリップの茶化しが嫌で顔を見ないクララは気付かない。
ただ優しくて、穏やかだった笑みから、『どうしようもないな』と『アレン、大変だな』という呆れと哀れみが混じってるなど思わない。
クララはこのままでは面白くない、と反撃する。
「そういうフィリップさんはどうなんです? 貴方も結構いい歳でしょう?」
すると、また誇らしげだ。
フィリップはふふん、とでも言葉の前に付きそうな表情だった。案外腹が立つ表情が出来るものだと感心する。
嫌味な空気にクララは目を逸らすが、耳まで塞いではいない。
一応、聞く姿勢だけは取っていた。
というか、そもそもフィリップへの反撃としては弱すぎる。
フィリップの見目の麗しさだけは本物なのだ。しかも、接すれば性格の良さが分かってしまう。クララからしても、こんな優良物件はないと思うほどだ。
女になど勝手に寄って来るだろうし、これまで異性との付き合いの経験も豊富だろう。
クララはこれを出汁にまた人間関係をイジられるのだろうと覚悟する。
(どうせ彼女が出来たとかそういう……)
「結婚したんだ」
え?
「え?」
「結婚した」
「は?」
「娘も居る。もうすぐ一歳」
のけ反る。
目頭を押さえて、その後凝視。
じっくりたっぷり間隔を開けてから、
「マジかぁぁぁああ……」
「そんなに?」
普段の口調も忘れて、嘆息した。
予想の斜め上過ぎた。
本当にいつの間に、としか思えない。
「いつの間に……」
「五年前に運命の人に会ったんだ」
顔を見なくても分かる。惚気だ。
一部の人間にとっては怒りを爆発させるような雰囲気で、一部の人間が大激怒するような内容を語る。
クララは別にそういう感情はないはずなのだが、その緩んだ顔を見れるとややムカついた。
運命の人、という表現も最早腹が立つ。
だが、冷静に考えるととんでもない。
結婚からの子どもなど、考えもしなかった。
確かに結婚も、子どもも、彼の年齢を考えれば不思議ではないのだが、それでも彼という個人を知っているクララからすれば、驚きもある。自分の知らない内にゴールインなど、反応しない方が無理だった。
黒い瞳をパチパチ瞬かせる。
未だに『えー……』という表情のままだ。
フィリップもコレは予想外である。
とても人間味あふれた挙動であり、クララがここまですると思っていなかった。クララは普通の人間とはかけ離れた、化け物だと思っていたから、人間らし過ぎて少し驚いた。
「まあ、君もその内会ってよ」
「え、はい」
結ばれた事の話を切り上げれる。
新しい家族に会ってくれ、というのがそうだ。
一転して、また笑みの種類を変えてきた。
緩んだ、ニヤニヤした笑顔から、また優しげないつも見る表情だ。
何かを訴えるように、フィリップは言う。
「僕も、これまで会ってなかった人たちに会いたいよ」
七年という時間へ、何かを訴える。
クララは彼がいったいどんな人生を送ったのかは知らないが、彼の言葉に強い共感を覚えた。
あってはならない感情だ。
クララは一人、心の中で己を戒める。
絶対にこの感情だけは抱いてはいけないと知っている。心から、己の未熟を自嘲した。こんな馬鹿げた事はないと、フィリップが気付かないほど僅かに眉をひそめる。
「君もそうだろう?」
「…………」
「ほら、アイリスさ。『聖女』をやっているし、今は会えないだろうけど、色々終わったらさ」
フィリップが思い浮かべるのは、一人の少女だ。
ただ一人、クララが異常な愛を示している、今は『聖女』として活躍している彼女。
きっと会いたいだろう。
クララはアイリスにべったりだった。フィリップも、クララがアイリスと一番仲がいいのも知っている。
今は『聖女』として忙しいアイリスだが、諸々終われば七年ぶりに会えるだろう。クララもそれを望んでいるはずだと、思っている。
だが、クララは軽く首を横に振った。
「ボクは彼女に、何も求めてませんよ」
「?」
フィリップはクララの言葉の意味が分からない。
何一つとして、彼女の異常性は理解出来ない。
だから、フィリップは首を傾げる。説得の足掛かりとなるはずで、確実に喰い付くはずなのに、思ったよりもずっと反応が薄かったのだ。
フィリップがクララにせっつき始める。
「でも、心配じゃないか? アイリスが『聖女』をやるなら、命を落とすかもしれない」
「…………」
「教会が、神が、アイリスを守ってくれるのか? クララ、君は神を信じているのか?」
クララは、反論しない。
神の元に仕える神官であるクララを前にして、それを言ってもいいのかと迷うことなく。
だが、間違いなく本音なのだ。
彼は見たこともない神が、もう一人の妹分を任せるに足るとは冗談でも言えない。彼はただ、アイリスが心配なだけなのだ。
そして、クララはフィリップ以上の感情を持っていると知っている。今思えば、アイリスとフィリップが旅立った日にクララが居なかったのは、教会にカチコミをかけに行ったのではないだろうか?
彼女はそれをする苛烈さがある。
だから、黙っているはずがないのだ。
はずがない。
だが、クララは微かに首を振る。
そうではない、と示している。
クララの事を理解しきれないフィリップには、絶対に伝わらない。
その行為の意味は、ずっとずっと深いのだ。
「ボクは、教会を、神をあまり良く思ってません」
「……? なら、」
「でも、ボクは誰よりも神を理解してますよ。神は、人間を愛しています」
フィリップは、顔をしかめた。
そうではないだろうと、お前はそんな事を言うような奴じゃないだろうと。
フィリップの知るクララは唯我独尊で、何でも自分一人で解決してしまう『超人』なのだ。アイリスのためなら、それこそ神すら殺してみせる、そういう凄味を持っている化け物だった。
変わっていないと思っていたが、七年前からは想像も出来ないほど違う。彼の恐れた化け物は、一体いつからここまで日和ったのだろうか?
そう思うのも仕方がない。
それに、フィリップは知っている。
クララが人間を愛すると言った神が、人間に隠れて何をしているかを。数年前に、どんな地獄を作り上げたかを、しかと見たのだ。
「クララ……君は……」
「おかしな事を言いますね?」
瞬間、気温が下がった気がした。
フィリップの額から冷や汗が流れる。体の末端は自然と震え、背中に凍ったかのような錯覚がした。
彼ほどの実力者にここまでさせる気配を放ったというのに、食堂の中は変わらない。客は各々の料理を食らい、近くの顔見知りの客と愉快そうに話をしている。
フィリップにしか届かない、限定的な威嚇。
クララの実力の一端を思い知る。
「ボクは神が嫌いです。でも、神の意に沿わない行動をするつもりはない」
「…………」
「アイリスの安全は、神の意に沿うことだ」
食器もそのままにクララは食堂を出た。
フィリップは、クララが去って姿を見せなくなるまで、ずっとその背を見続ける。
そして、冷静に思い返す。
クララの言葉は不自然で色々おかしい。
彼女は何かを隠しているのは丸わかりで、それはアイリス関連だとすぐに知れた。
「まさか……」
あの日、神の元に喧嘩を売りに行ったのかもしれない。
クララはとても有用で、きっと神は手元に置きたいと考えるだろう。忠実な下僕たる異端審問官に起用は出来ずとも、それ以外の使い道はいくらでもある。
自分が神の立場なら、アイリスを人質に取る。
そうすれば、クララという駒を上手く使える。
「…………」
推測は理が通っていた。
あり得なくはない仮定だ。
クララが神に縛られているのなら、きっと自分たちの計画を聞けばコチラに付くと確信する。
神に対する悪感情は明らかで、アイリスが絡めば確実に動く。
少しでも戦力が欲しいのが現状だ。
クララほどの力を持つ者なら歓迎する。
だから、フィリップは決めた。
絶対にクララを口説き落とす、と。
何よりも、誰よりも硬い意志を持つクララを。
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