72、一方通行な話し合い
夜にクララは一人で駆ける。
屋根伝いに走り回り、視線をあちこちに飛ばしながら、注意深く慎重に、徹底して隠密を行う。
普段なら苛烈で、何かを隠すなど出来るのかと疑問に思うかもしれないが、クララはそういう類の技術は実は得意だ。
隠密や消音、演技などなど、暗殺に使えそうな技術は大概一流以上にはなっていた。
それはもう凄まじく、気配は希薄で、足音は立たず、手練でも姿を捉えるのは苦心するだろう。凄腕の本職が数十人守っていた屋敷の主を、誰にも気付かれずに暗殺したこともある。
今行っているような隠密には邪魔な神聖力も消し、魔力も一切外には漏らしていない。
最早、そこにクララは居ない。
そう表現出来るほど、熟達している。
誰にも気付かれないままに、クララは『とある人物』たちを探し続けた。
「……居ない」
夜の冷たい風が体に染みる。
北部にかなり近づいてきたのだ。気温は当然の如く低くなり、吹く風も冷気を纏っている。
息は白く染まっていた。
手はかじかんで動かし難い。
しかもクララは走っているために、余計に冷たい風が体に吹き付けていた。
有り体に言えば、結構寒い。
「この服、結構厚めなのに寒……」
もう少し北に行けば雪まで降る。
だから、これからさらに寒くなるだろう。
クララにとっては気が滅入る話だ。魔力を使っては隠密の意味が無いので暖を取れないし、この後何度も同じことを繰り返すのだから、今の内に慣れておかなければならない。
だが、思い返せば昔の孤児院のようだ。
昔は冬はひもじく、凍えるほど寒かった。
今とは違って、それを克服する術がなかったのだ。それを思えば、多少は今もマシかもしれない。
「アイリスたちは南かな?」
南は暖かい。
アイリスが寒さに苦しむのも、もっと後だと思えば少し安心する。
しかも、アイリスは『獣王』ガイアを倒した。
アレを倒せるのなら、他の王者も倒せるようになる。しかも、クララが最も信頼する男が側に付いているのだ。クララの不安はかなり減った。
減った分を仕事に費やす。
そういう約束だ。
ちゃんと意識を集中させて、殺しを捗らせる。
そういう、契約だ。
「見つけた」
音も無く飛ぶ。
屋根から、街道を歩いている一人に狙いを付けて一直線だ。
凄まじい脚力で屋根を蹴ったというのに、瓦が一枚割れただけで、それ以外の破壊はない。
極一点に集中した力は破壊を生まず、純粋な速度としてクララの体に還元された。その速度はまさしく目にも止まらない。誰一人として、クララには気付かない。
クララに首をへし折られた男も、その周辺の人々も、クララの影の形も認識出来なかった。
「おっとっと」
既にクララは別の家の屋根に居た。
人一人分の空白に、誰も気付かない。
クララは事切れている男の体を寝かせて、発動した火の魔術によって火葬した。ほんの一瞬の出来事で、魔術反応を感知出来た者は居ないだろう。
本来なら使いたくはないが、ケジメのようなものである。最低限、殺したのならその程度はしようというこだわりだ。
「まったく、抜けてるのか用意周到なのか分からないな。いや、神もこんな事想定してなかったのかも……」
燃える死体を眺めるクララ。
肉が溶け、骨は無くなり、灰になる。
異臭や煙に引くこともなく、クララはただ男だったものを冷めた目で見た。
そこにあるのは、人体には存在しないもの。
小さな金属の塊がそこにあった。
「神聖鋼か……囚人を管理するためとはいえ、なんてモン飲ませるんだ?」
今回の対象である囚人たちには、こういうマーキングが付けてある。
いわば、商品管理のためのタグのようなものだ。
囚人たちは、神聖鋼という、神聖術に強い親和性を持つ金属を加工したものを飲まされる。神聖力に反応して術の効果を高めるというそこそこ希少なものだが、それを応用すれば、ということだ。
体内に潜めた神聖力を羅針盤代わりにして、反応を示す相手を殺す。
反応と言っても恐ろしく微かで、それをするにはとてつもない技量が必要なのだが、クララならば問題ない。今の所百発百中で、二百メートル以内なら反応を見逃さない。
「これで七人目か……結構多いな……」
街を隈なく探した。
囚人たちは見つかるが、残念な事にそれ以外は見つからない。
「でも、この辺りじゃ見つからないだろうなぁ……あの監獄を破れる組織の人間が無闇に囚人に顔晒してると思えないし……」
今回は、いちいち拷問をしてられない。
時間が勿体ないのと、してもどうせ無駄だと思っているからだ。
何故かはクララの言葉の通りである。
サルベ牢獄は、世界一の大監獄だ。堅牢、堅固、頑強であり、一度入れば二度と出られない。動員されている人材も優秀な者たちばかりであり、真の意味で不動の要塞だ。
そこを半壊させる組織となれば、どんな特徴を持つかはあたりが付く。
頭が良く、統率力があり、おそらくは少数精鋭。
それに、囚人たちの解放はあくまでも戦力増強のためだろう。そんな捨て駒相手に、顔を晒すリスクを取るとは思えなかった。
だから目に付いた相手は全員殺している。
聞いても、意味が無いからだ。
あとは、急がなくても問題はないから。
「どーせ、ヒロベストには来るだろうし」
囚人たちを北に集めている。
既に南、東、西に向かおうとした少数は殺したが、北が多すぎる。何かする気なのは間違いない。
囮という線も考えたが、他の方角に向かった人数も、質もあまり良くない。戦争をふっかけるにせよ、何かの儀式の生贄にするにせよ、あれではロクに何も出来まい。
狙いは分からないが、おそらくその組織には、聖国に、神に喧嘩を売ってまで成し遂げたい願いと、それを成就させる確かなプランがあるのだろう。
願いもなしに、こんな大規模な事はしない。
神に喧嘩を売るということは、世界を敵に回すのと同義。そこに異端審問官が派遣されるだろうと分かっていてもやるのだから、人生の全てを捧げる覚悟がなければ出来ない。
根拠もなしに、こんな馬鹿なことをしない。
解放した囚人たちの動きを北に絞っているという杜撰を許容しているのだ。サルベを落とした者たちが、そこで途端に雑になる訳がない。人さえ集まれば、舞台を丸ごとひっくり返せるという確信があるのだろう。世界中を敵に回しても、勝てるという確信が。
「まったく、舐められたもんだよ」
何をする気かは知らない。
興味もないし、どうでもいい。
しかし、神に喧嘩を売った馬鹿を殺すのがクララの唯一といっていい仕事である。
どれだけの人を殺そうと、どれだけの国を滅ぼそうと、全くもって問題ない。世界を滅ぼす計画を握っていたとしても、思い悩む理由にならない。
その程度で異端審問官を止められるはずがない。
「……本当に気の毒だ」
何を勘違いしているのか?
どんな英雄が集まったとして、どんな天才が尽くしたとして、教会には勝てないのに。まさか、もしも、にかけて叶いもしない夢を見る。教会の、神の力は絶対だというのに。
無知を責める気はないが、その代価が命なのだから、本当に笑えない。
囚人たちも、監獄の中でもう二度と外には出られないと絶望しきっていたろうに、見せかけだけの希望に縋り付いている。どうせ出た後もクララに殺されるとも知らず、とにかく外に出たいと足掻いている。
憐れ過ぎて、何も言えない。
クララは再び気配を消して、捜索を始めた。
これまでの七回と同じように、八回目も慎重に、静かに、そして素早く。
屋根を伝って、殺しに備える。
相当な実力者でも対応は出来まい。
己の中にある神聖力からの微かな反応を頼りにして、神経を集中させて、
「…………?」
ノイズが入った。
外から魔力による干渉。
しかも、覚えのある人物からの。
クララは隠密を解く。
依然として索敵を続けたまま、その魔力の主からの干渉を受け入れた。
「……どうしたの、アレン?」
『久しぶりだな、クララ』
『伝心』の魔術。
かけてきたのは、アレンだった。
クララは疑問と共に、彼の声を迎え入れる。
『いやあ、俺が抜けてる分クララには迷惑かけてるんじゃないかと思ってな』
申し訳無さそうに言うアレン。
わざわざ詫びるために連絡をしてきたらしい。
マメな男だ、とほんの少し笑いながら、クララはアレンの言葉に応える。
「いや、そもそもボクのワガママが原因だ。君が心配する必要はないよ」
『そうか……上手くやってるだろうな?』
「誰に物を言ってるんだ? あらかたは殺した。あとは北に集まっているのをまとめて殺すだけだ」
クララからすれば受話器越し、という認識だが、向こう側の見えないアレンが沈黙した。魔力の揺らぎから何かを考えているのは分かるが、内容までは分からない。
クララはアレンが応えるまで黙る。
今日はずっと気が沈んで、気分が悪かった。だが、しっかり休んだのと、久しぶりの友人の声を聞いて持ち直している。
クララは気を悪くする事なく待った。
そして、
『そうか、ならいい……』
「不満げに聞こえるけど?」
『いや、いいんだ』
クララは自然と引き下がった。
アレンはアレコレ良くモノを考えてから動く。そして、その思考には必ず意味がある。
信頼しているから、特に何も追及しない。
してもどうにもならないし、まあ別に良いだろう、と放っておける。
「で、それだけ? 終わりならわざわざどうもって感じなんだけど?」
『ああ、いや、もう一つだけ』
「?」
『勇者一行に合流した』
僅かに固い声でアレンは言った。クララに勇者一行の話をする事を一瞬躊躇ったようにも思える。
だが、それに対してクララは冷静だった。ただ淡々と事実を受け入れ、処理しているようだ。
執着の対象であるアイリスの話になるのだから、興奮やら何やらで飛び付いて来ると思っていたアレンは肩透かしだ。
「そっか」
『……もっと食い入るように来ると思ってたんだが。体調でも悪いのか?』
「違うよ。ボクの事を何だと思ってんのさ」
『暴走しまくりの気狂い』
アレンの暴言にピクリと一瞬青筋を立てるが、すぐに怒りを呑み込んだ。
クララは大きめに息を吐いてから小さく首を振る。向こう側にいるアレンには伝わらないジェスチャーだが、自然とそうしていた。
「勘違いだよ。ちゃんと君が勇者一行に入ったって事は、ボクの目的はほとんど達成してるんだ。別に興奮するような事じゃない。ただ良かったってだけの話だ」
『自分はアイリスに会えないからって、会える立場の俺に嫉妬するものだとばっかり……』
「おいコラ。ボクの方から頼んだのにそんな事する訳ないだろ。常識で考えろ」
クララから飛び出た『常識』の言葉にアレンは首を傾げたが、幸いそれはクララには伝わらない。
だが、かなり冷静らしい彼女の様子にホッと息を付いた。
アレンの危惧した通りに、あの言葉が実現する可能性があると思っていたのだ。その場で暴れたり、呪詛を吐かれるならまだマシだが、次に会ったときに八つ当たりに合うのではないか、と身の危険を感じていた。
だから、本当に冷静過ぎて怖いくらいだ。
内心で軽く戦慄しているアレンをよそに、クララはゆったりとアレンに言う。
「アイリス以外の勇者一行はどうだい? アイリスを任せられる?」
『……全員大丈夫だ。『勇者』はちゃんとそれらしい。他の二人も、まあ一人は問題児だが、悪い奴じゃない』
「なら良かった」
普段のクララからはかけ離れていると思えるほど穏やかな空気だ。
アレンはいっそ不気味にすら思っている。
『本当に大丈夫か? やっぱり気でも狂ったんじゃ?』
「だから何にもないって。別におかしな事はしてないさ。勇者一行は君の目で見て、それで問題はなかったんでしょ? なら、それでいいんだ。アイリスは大丈夫そうだからね」
何よりも慈しみを込めて、クララは言う。
そこに込められた大きすぎる愛を見逃すことも、見間違えることもない。
クララはアイリスを愛している。
何物にも代えることが出来ない少女の無事を祝っている。
彼女にとって、アイリスの安否を確認できただけでも山のように高く積まれた黄金よりも価値がある。大切な宝が無事に輝いていると知って、安堵しているというだけだ。そこに、烈火のごとき激情は必要なく、国を滅ぼすような暴力も用なしである。
ただ、アイリスを愛している。
それだけのことをアレンに分からせた。
通信越しのアレンは、その巨大な愛に向き合うことが出来ず、俯いてしまった。
「ああ、やっぱり一つだけ」
『……なんだ?』
「アイリスは、美人?」
遥かなる土地から愛する人のことを問う。
未だに見ない、七年会っていない彼女はどんな容姿なのか?
強い強い、強すぎる願いを込めている彼女に、アレンは気圧された。これまでいくらでもクララに気圧されたことも、恐れたことも、負けたこともあるというのに、この時だけはいつもとの違いに、何も言えなくなる。
その圧倒的な力に引いたのではない。
その途方もない愛に、感動した。
同時に、その愛を大いに哀れんだ。
『ああ、綺麗だよ。会ったら腰抜かすぞ?』
「そう……よかった……」
クララはしみじみと呟く。
いつもクララの苛烈な面しか見てこなかったアレン。
こんなにも慈悲に溢れた、それこそ『聖女』のようなクララを、なんと表現すればいいのか分からない。
ただ、これだけは聞いておきたかった。
『なあ、クララ……。お前、アイリスに会う気はないのか?』
「…………」
『お前は一応、巡礼中の神官って設定だろ? 俺たちも転移陣は使わずに移動している。ばったり会ったってことにしても問題ないと思うぞ』
アレンは、クララの事だけを想って言う。
クララのアイリスへの愛に及ばずとも、彼は相応の想いを胸にして彼女へ問うた。
だが、クララは首を振る。
アレンには伝わらなくとも、その後の言葉によって全てを悟る。
「良いんだ」
拒絶
弱く、そして強い否定の言葉。
クララの意志は、それを告げた。
『でも、』
「アレン。良い。ボクはもう、二度とアイリスとは会わない」
全てはアイリスのためだけに。
アレンの納得などという、彼女にとっては羽毛よりも軽い理由のために曲げるような覚悟をしていない。
アイリスのためなら何でもする。
アイリスの幸せのためならあらゆる手は尽くす。
異端審問官になる前から決めていたことだ。そして、異端審問官になってからもその意志に一欠片の陰りはない。アイリスという少女のためなら、どんな泥でも被り、どんな毒酒でも飲み干すと決めていたのだ。
そこに、クララの幸せは必要ない。
それが覚悟というものだ。
「もう切るよ。まだ、異端は残ってる」
『……俺は認めないからな』
アレンはそれだけ言うと、通信を切った。
とてつもなく不機嫌そうな彼の声がおかしくて、クララは薄く笑った。
自らの言葉など、クララの根底には届かないと知っているのに。それでもあの言葉を言うしかなかった彼の心に喜んだ。
とても気分が良い
これまで、アイリスの話など知らない有象無象の口伝でしか聞いたことがなかった。それが、今日だけは信頼できる友人から聞くことが出来た。
思った以上に嬉しかった。
どんな甘味を食べたときより、どんなに面白い小説を読んだ時より。
そのおかげで、生理の気持ち悪さなど吹き飛んだ。
いったい何を思い悩んでいたのだろうと、少し前までの自分を嘲るくらいに余裕が出来た。明日からも問題なくやっていけそうだ。
「――――――♪」
クララの鼻歌は響かない。
あくまでも隠密をしながらだ。だから、音は小さく、彼女の近くでしか聞くことは出来ない。下の人混みに居る異端たちは、まず気づくことはないだろう。
鼻歌を歌いながら、クララは八度目を行った。
鼻歌を歌いながら、クララは八人目を処理した。
殺された女は、人生の最期のほんの数瞬に不思議な、聞いたことのない歌を聞いたのだが、クララにとってはどうでもいいことだ。
クララはその後、六回同じ作業を行った。
晴れやかな気持ちで、七人殺した。
この街で、人知れずに異端は十四人減った。
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