71、集い
最悪の朝だと摂理を憎む。
苦しく、痛いだけの日になると苛立つ。
長年の経験から、クララは苦痛に対して強い耐性を持っているが、それでもこの気の沈みだけは止められない。
この日から数日、面倒な事になりそうだ。
「…………」
ごく当たり前の現象ではあるが、自分の体の中で起きるソレには本当にどうにかなってほしいと願っている。
教科書で読むのとは訳が違うのだ。
股に広がる生暖かい感覚と、血の匂い。
気持ち悪過ぎて鳥肌が立つのは、もう何十回目か分かりはしない。
すぐに『浄化』の術で血を落とす。
直接目で赤色を見てしまえば、あまりの気色の悪さに気を失ってしまう。血液だけでなく、あらゆる体液や臓物を見てきたというのに、こればかりはどうにも受け付けない。
不思議なことだ。
仮にこの血が口から出てきたとしても一切嫌悪感など覚えないだろう。出てきた場所と原理が違うだけで、こうも感覚が違うのか。意識次第で大抵のことは何とかなって、意識次第でどうにもならない。
神聖術を扱う時も、考え方次第でイレギュラーな使い方が出来るようになる。クララもそれを利用してここまで来たが、そもそも生理的に無理なことをあまり考えたくない。コレについての考え方を改められそうにない。
クララはベッドの上でボーッと考えていた。
とにかく『どうでもいいこと』を考えていないと、なんの理由もなく気が沈むのだ。考えなくても気が沈むが、少しマシというだけのこと。
マシなだけで、何も大丈夫ではない。
「気持ちが悪い……」
意識だけは男なのだ。
男のはずで、女ではない。
精神と肉体の差異を感じるのは当然で、慣れてはいけないとも思っている。
クララという存在を構成する四つの要素。
アイリスへの愛、超常の武力、十七年の人生、そして前世の記憶。
この内のどれかが欠けてしまえば、間違いなくクララは生きてはいけない。
武が無ければ身を守れない。
人生の否定は今の自分の否定に繋がる。
愛がないなら生は死に反転する。
そして、記憶がないのならそれは最早自分に似たナニカに成り下がるということ。
女に慣れるとは、男を捨てるということ。
それは、前世の記憶を、今の自分を作り出す根底となっている意識を切り捨てるということ。
つまり、死なのである。
失ったなら、間違いなくその喪失感に耐えられずに狂死するだろう。生への執着を持つクララだが、執着とはすなわちこだわりでもある。
尋常ではないこだわりは、常人には理解出来ないような結論を導く。
クララは価値観を変えない。
あらゆる変化を否定し、苦しみ続ける。
楽な道に流れれば、そこに待つのはクララの定義した死に抵触するからだ。
「死にたくない」
クララは自身にそう言い聞かせる。
彼女を縛る呪いは解けない。
彼女が変化を否定する限り、永遠に藻掻き苦しむことになるだろう。
※※※※※※※※※
「…………」
結局、クララの様子を見てフィリップは一日街で休みを取る事に決めていた。
明らかに普通ではなかったし、まず無い話ではあるが、万が一という可能性もあった。
フィリップは、はじめから街には寄る予定であったし、折角なのでクララをしっかり休ませてから先へ行こうという結論になったのは不思議なことではない。
その時、クララは断ろうといくつか言葉を重ねたのだが、最終的には折れたのだ。
一応気を遣って、フィリップはクララを朝食にでも誘おうとしたのだが、クララはベッドの隅で固まったまま、今日一日はここを動かないと宣言した。本当に沈みこんだ声色から、フィリップはそっとしておく事に決める。
という訳で、フィリップは一人で街をブラブラと歩いていた。
「…………」
森の中にはなかったザワザワとした雰囲気を肌で感じている。
その街はかなり賑わっていた。
まあ、それも当然の話で、二人は北部の大国ヒロベストに至るまでの道のりの最中だ。北の戦線に最も近い大国である彼の国は、戦線への兵站のために食料品等を輸入する事が多い。そして、輸入品の一部はこの街を通るのだ。
その分もちろん人の流れは大きくなるし、街の発展も促される。二人が通るルート上にある、ヒロベストまでに寄る街は大体こういう風に賑わっているのだ。
つまり、人が多い。
店やら何やら、寄って離れて人波となる。
さらには、フィリップが人を多少なりとも引き寄せるのだから、彼にとっては騒がしさは倍増しているようにも感じてしまう。
注目される事には結構慣れていて、色々な視線を浴びるのもよくある事だった。
見惚れられる事もあるし、羨望の目で見られる事もある。騎士をしていた頃は、綺麗な鎧と剣から見て取れる身分に釣られて、という面が強かった。だが、騎士を辞めてからは身なりに気を遣うようになり、視線を集めるようになった。
「もう少し、か……」
フィリップはそれを気にしない。
慣れしまったから、そして、視線よりも気にしないといけない事があるからだ。
フィリップは、別に目的なしに歩いていた訳ではない。
やらなければいけない事があった。
北部に寄るついでに、この街で会おうと思っていた人が居たのだ。
フィリップにとっては、ここでのクララの不調は割と有り難かったのである。
元より、同行者など予定になかったのだ。
本当にばったり会ってしまった。
これが巡り合わせかと旅に誘ったのも、当然と言えば当然のことだ。
あとは一欠片の打算も含める。
フィリップは、アレコレ考えながらとある喫茶店の中に入った。
少し店内を見回してから、
「ケビンさん」
「フィリップくん」
フィリップは知り合いであるケビンの名を呼んだ後に、前の席に座った。
ケビンと呼ばれた男は、普通の男だ。
歳は三十代前半ほど。特別顔が整っている訳ではなく、中年に片足を踏み入れている彼には細かな皺が見える。髪は淡い金髪で、特に珍しい髪色でもない。
親しげにフィリップの名を呼ぶ彼は、本当に穏やかな雰囲気だ。
フィリップも、ケビンと同じく穏やかに、優しく彼に接していた
「久しぶりだね。三ヶ月前の聖国以来か」
「ええ。ケビンさんはこの三ヶ月、上手くやってたみたいですね」
「勿論だよ。僕はこういうのは得意だからね」
久しぶりの友人に出会った時の会話だ。
だが、少しずつ他人が聞けば首を傾げる部分もある。
上手くやるとは、何だろうか?
これに答える人間は誰も居ない。二人はリラックスしながら、会話を続ける。
「驚いたよ。もしかしたら会えないかもしれない、と連絡が来たときは」
「すみません……まさか、あんな所に知り合いが居るとは……それに、どうしても気になる娘で……」
「いや、責めてるんじゃないんだ。それに、実際にこうして会ってるんだからいい」
「すみません……」
ケビンは既に手元にあったコーヒーを飲む。
一呼吸、といった様子だ。
フィリップの申し訳無さそうな表現に苦笑いを浮かべつつ、穏やかで優しい雰囲気で言う。
「その知り合いとやらはここには連れて来ないのかい?」
「ああ。彼女、少し様子がおかしくて。あまり体調が良くないみたいなので」
困ったような笑顔で言う。
フィリップの表情から、どれだけ気を遣うのに苦労してきたかが窺えた。
「会った日は機嫌良さげだったんですが、次の日から本当に機嫌が悪くて。今日もベッドの隅で、一日は絶対動かないって……」
ケビンはそれに小さく笑う。
フィリップの話に出てきたクララの事情を大体察したのと、それに振り回されているフィリップが面白かったからだ。
不思議そうにするフィリップに、ケビンは諭すように穏やかに言う。
「その娘も大変だね」
「?」
「いやね? 僕らが察して、なるべく優しくしてあげるのが大切だよ。その娘も年頃なんだろう? 女性と付き合うなら、色々分かってあげないといけないのは、君も良く知ってるはずだ」
フィリップは思い出した。
クララもソレがある歳なのだ。
納得と共に、自分が鈍かったと顔を歪める。
「失念してました……」
「まあ、その彼女も察せられたのを知られたくないだろうし、上手くやるんだよ」
「いやあ、大人になったんですね……」
ずっとクララは、自分が大人だと主張していた。
けれども、フィリップはずっと子どもの時と同じ感覚で接していた。色々言葉を交わして、歳を取ったのだと分かっていても簡単に変えられるものではない。
だが、それを聞くと不思議と成長を感じ取れる。
妹のように思っている、というのは嘘ではないのだ。嬉しく思い、感慨深くもある。
「他の子どもたちも、そうなんでしょうか?」
「そりゃあね。時間と共に子どもは成長する」
フィリップも考える。
今は冒険者をしているというアレン。
昔の彼は、フィリップの胸ほどの身長だった。だが、今はどれほど伸びているのだろうか?
まだ発展途上で細かった体も、男らしくガッシリとしているのだろうか?
今は『聖女』として活躍しているアイリス。
彼女もクララと同じく、いや、彼女以上に女性らしく成長しているかもしれない。
元が天真爛漫とした彼女のことだ。きっと明るく活発で、パーティーを盛り上げる優しい少女になっているだろう。
クララの変化が分かりにくいから微妙に想像し難かったのだが、時間とはそういうものらしい。
思ったよりもずっと、長い時間を過ごしたのかもしれない。なにせ、彼自身が大きな変化を体験している。それを思えば、やはり馬鹿にならない。
「時間はすぐに過ぎるものだ。君の娘も、すぐにその彼女みたくなるよ」
「あり得ませんね。どんな天才が居たとして、人間がクララのようにはなれません」
柔らかく笑うケビンに、フィリップも同じくらい穏やかに笑いながら答える。
知っているフィリップからすれば、クララへの認識の違いに笑うしかない。
「……その娘への認識がよく分からないね」
「化け物ですよ」
困ったような声色から、想像が付かないほど言葉の内容は突き放したものだった。
フィリップから見て取れる、クララへの親愛。けれども、そこには親愛と同じ以上に恐れがあった。
「大切な娘じゃないのかい?」
「妹みたいに思ってます。でも、それと同時に彼女の力を侮ってはいないんですよ」
それを聞いて、ケビンは笑みを深めた。
穏やかな、柔らかな笑いではない。
彼は、フィリップの言葉の意味を良く理解している。これまでの雑談とは違う。
凄みすら見える笑顔で、ケビンはフィリップの言葉を待っていた。
フィリップは緊張から唾を飲む。
「七年前から、素質は見えてました。ですが、今はそれに磨きがかかっている。隠してはいますが保有しているエネルギーもおそらくは絶大。立ち振る舞いも、かなり……」
「内面は?」
「教会への不信感を隠そうともしていません。それに、事情を話せば彼女がコチラへなびく根拠もあります」
硬い声で行われる話し合い。
フィリップの手によって、店中に防音用の結界まで張られているのだから、二人の会話がどれほど重要か理解出来る。
優しげで穏やかそうな二人は居ない。
そこに居るのは、狡猾な智将と、それに仕える歴戦の騎士だ。
客だった者たちも、カウンターでコップを磨いていた店主も、二人の会話に聞き耳を立てている。
この場に関係のない者は、一人も居ない。
「なら、その娘のことは君に任せる」
「はい」
「我らは負ける訳にはいかないのだ」
「はい」
「少しでも多く戦力を集めろ」
「はい」
緊張が走っていた。
目に冷徹さを宿しているケビンに、その場の全員が真剣な顔で注目している。
間違いなく、彼はリーダーだ。
何のかは知らないが、ケビンが中心となり、ケビンが率いる組織こそがコレだったのだろう。
「既に多くの同士が殺された。我らは彼らの遺志を継ぎ、計画を進めなければならない」
「はい」
「異端審問官は動いている。だが、それらしい人物の目撃証言が一切ない。おそらくは『超人』か『万能』のどちらかだ」
語るのは数年前から活動を始めた新たなる異端審問官たちのことだ。
他の者たちとは違い、恐ろしく狡猾で執念深い。
ご丁寧に、仕事を終えた地を離れる前に接触した人間の記憶を魔術で消しているのだ。自分たちの対策をされないために、よくぞそこまで徹底出来るなと感心するほど、情報を消している。
足跡の無さこそ、彼らの証拠だ。
見えない敵を相手取らなければならない。
「神の真実を知る我々が、世を正さねばならん」
その言葉と共に、彼らは店を後にする。
全員が相応の覚悟を目に宿し、去って行った。
残っているのはフィリップとケビンの二人だけだ。
フィリップは、ケビンに残らされていた。
ケビンには、どうしても知らせなければならないことがあったからだ。
フィリップにとって、最も大事な用事。
彼の行動理念そのものである。
「これ、彼女からの手紙」
「ありがとうございます」
「あまり君の妹分に入れ込み過ぎないようにね。浮気だと思われるよ?」
「え、はあ……」
ケビンはフィリップを茶化す。
茶化しに曖昧な返答で終わらせるあたり、フィリップの鈍さが分かる。
先程とは打って変わって、和やかな雰囲気だ。
フィリップは手紙を大切そうに眺める。彼が手渡された紙の中には、かけがえのない希望が詰まっていた。
「一度きちんと会っておくといい。神を引きずり下ろす、決戦の前にね」
「……はい」
このやり取りを最後に、二人は店を出た。
店には、誰も戻ることはなかった。
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