70、道中
朝起きて、服を着る。
それだけの事なのだが、クララにとってはそれなりに憂鬱な行為だ。
嫌悪を隠すことはしない。
部屋に一人だけだからという事ではない。
本当に、それだけの事が嫌いなのだ。
「…………」
というのも、自分の裸を晒すからである。
誰かに見られるという訳ではない。ただ自分が肌を隠せない状況が嫌なのだ。出来る限り服の中に封じ込めて、表に出したくないだけだ。
表に出しても何も面白くはない。
何も楽しくはない。
自分の体があまり好きではない。
「ふー……」
目を固く瞑る。
出来る限り触れないように、出来るだけ見ないように。
避けるように、躱すように、逃げるように。
クララは、自分の体と意識との差異から逃れようという無駄な努力だ。
人間として、いや生物として、もう既に普通とはかけ離れた体ではあるが、それでも生物学的に女という事に変わりはない。
どうしても、思う所はある。
気持ちが悪いと思う事だってある。
だから、クララはいつでも厚手の服で自身の体を隠し続けている。
「……クソ」
嫌いだ。
何もかも、嫌いだ。
神官服は暑いし固いし、神の気配がする。
自分で選んだ服は好きだが、普段の神官服から着替えなければならない。
どこぞの誰かが選んだ服など言うに及ばずだ。
衣食住の内の衣だけで、どうしてここまで悩まなければならないのか分からない。けれどもそこだけで、一生分は悩まなければいけない気がした。
ずっとずっと、長い時間をだ。
昨日まではあんなに気分が良かったというのに、嘘のように気が沈む。
着替えは確かに憂鬱だが、沈み過ぎだ。
頭が痛い気もする。
面倒な事が起きているのかもしれない。
「チッ」
自分の駄目さに嫌気が差す。
これだけの力を持っているのに、なぜ何もする事が出来ないのだろうか?
独力で万を超える大軍を蹴散らし、どんな英雄も捻り潰し、大国をも滅ぼせる。
けれども……
神が嫌いだ。
全てが自分の手の平の上だと信じ込み、事実それをする力がある。異なる世界を知る者として、この世界を生きる人間として、ここまでふざけている事はない。
異端審問官が嫌いだ。
神のためにと全てを捧げた者たちに、強烈な嫌悪しか覚えない。神のためなら殺しすら厭わないロクでなしだとしか思えない。
そして、自分が嫌いだ。
神の手の平の上から動けず、ロクでなし共と同じ所まで堕ちてしまった。愛する人は穢れることのない純白のままで、自分は汚れきったヘドロのような黒色で。
クララはそう考えている。
そういう事にしなければならない。
自分は異端審問官であり、サドレーという地の孤児院のクララであり、アイリスを愛する一人の人間なのだから。
さしあたって、クララは悩んだ。
一体どうやって次の異端を殺そうかと。
※※※※※※※
「どうして教会に所属しようと思ったんだい?」
純粋な疑問を投げかけられたのは、二人旅を始めてからすぐの事だった。
フィリップからすれば、ある種当然の疑問だ。
クララが組織に所属する所が想像付かない。
昨日、クララが自分の事を、暴走しまくる気狂い、と評していたが、本当に間違いではない。
だから、上手くやれているのか、普段はどうしているかは気になった。
「貴方なら分かるでしょう? 教会くらいしか、出来る仕事なんてありません」
「そんな事はないだろう。教会で聖職者をするのなら色々と縛られることも多い。これが冒険者なら制約も少ない」
教会は組織だ。
そして、聖職者は制約を課される。
クララがどれだけ力を持っていたとして、神官ならば上の命令は絶対。階級が上なら下僕同然というのは、どこの世界でも一切変わらない。
だが、冒険者はマシだ。
実力主義と言われるのは伊達ではなく、他の組織に比べれば従わなければならない命令は少ない。偶に納税やギルドからの依頼など、断れないものもあるが、基本は自由だ。
クララにはそちらの方が余程向いている。
「そういう訳にもいかなかったんですよ」
「……興味が湧くね」
クララはずっと気怠げだ。
昨日にあれだけ語り尽くしたというのに、あまり多くを返そうとしてこない。
なんとなく、気が滅入っているようだ。
クララはあまり明るい方ではないが、それにしてもより一層暗い気がした。
「アイリスが『聖女』だからかい?」
「…………」
ダルそうな態度でフィリップを見る。
依然と歩く足は止まらないが、顔だけゆっくりと彼へ向ける様子は図星を突かれたようにも見える。
肯定の言葉も出さないのは、面倒だからか、あくまでも秘密という体を取っているのか。
「アイリスが大好きで心配性な君は、教会に身を置いてなんとか彼女を守りたかったとか?」
「…………」
クララの無表情は変わらない。
だが、どことなく機嫌が悪くなったように思う。
確かに、歩くか喋るかしかない時間だ。
黙って歩く訳にはいかないし、折角会えたのだからもっと話をしたいというのがフィリップの本音だ。
昨日もあれだけ話が出来たのだから、同じくらい自分について語ってほしい。フィリップは、ただクララが心から心配なだけである。
だから、フィリップは雑談を止めない。
特にそれ以外する事がないからだ。話しか出来ないなら、それをするだけだ。話をしないという選択肢は、彼の中には存在しない。
クララからはまだ何も聞いていない。
本人から教会が彼女にとってどうなのか、それを聞きたい。
それまで止められる気がしなかった。
「まあ、それはいいか。君の行動目的は知ってるよ。でも、他の人間とちゃんと上手くやってるのかい?」
「アレンが居ます……」
「彼は冒険者だろ。そうじゃなくて同僚とか、教会の人間と仲良く出来てるかってことだ」
北部へ続く整備された道を進む。
鬱蒼とした森を割るように一直線に伸びた道は、歩きやすいように大きな石やゴミの類が無い。定期的に管理者の土の魔術によって整えられ、常に今を維持しているからだ。
二人の歩も快適でスムーズである。
フィリップたちもかなり歩いたが、砂利道でも、坂道でもない整えられた平坦な道に、クララが疲れたとは思えない。
しかし、クララはダルそうだ。
拒まれているのか、とフィリップはほんの少しショックを受ける。
「ほら、同僚はどんな人たちなんだ? ちゃんと普段から丁寧に接しているんだろうな? 挨拶とか、会話とか、そういう所から人間関係は始まるんだぞ」
「…………」
「君の力は凄いが、それに驕って他の人間を下に見たりしてないだろうな? 一人じゃ困ることも多い。ちゃんと人に助けてもらえるような行動を取らないと、後々生き難くなるよ」
やや早口になりながら、フィリップはクララに人との関わりを説く。
フィリップから言わせれば、クララは気質的に一人になりやすい。十七歳で、一応酒も飲める歳ではあるが、彼の認識の底は危なっかしい少女からあまり変わっていない。
アレンとはまだ連絡を取り合っているようだが、それ以外に仲のいい人間は居ないのだろう。
フィリップはそう睨んでいる。
クララは興味の無いものへはとことんだ。人と関わるにしても、まずその眼鏡にかなわなければ始まらない。そして、クララの苛烈さを受け止められるかどうかはかなり鍵になってくる。
あの孤児院でも、クララが気にかけていたのは、クララと関係を保っていたシスターとアレン、そしてアイリスだけだ。クララという異常な存在に対して、相応の胆力を見せなければならない。
言ってはなんだが、まともな人間にクララの相手は務まらない。
関わるだけだというのに、難易度が高い。
フィリップの言葉は、その難易度の高さがなんとなく分かるからこそだ。
「あと、クララ。笑顔は大事だぞ。コミュニケーションの基本だ。ずっとそんな仏頂面なら誰もよって来ない。もうちょっと笑ってみたりとか……」
もうオロオロしている。
クララが予想以上に相手をしてくれないのと、どんどん機嫌が悪くなっている気がするからだ。
誤魔化すように、言葉を矢継ぎ早に紡いでいくのだが、悪化しているようにしか思えない。マズイとは思いつつ、言葉は止められない。
なんとか柔らかい雰囲気になるように笑みを浮かべるが、効果はなさそうだ。
ダルそうな無表情から、イラついている無表情に変わっている。
「ええと、クララ?」
「ウザい」
吐かれた毒に顔を歪める。
お気に召さない会話だったらしい。
「大体大きなお世話ですよ。ボクは貴方にそこまで心配されないといけないほど子どもじゃないです」
軽く眉間にシワを寄せ、ムッとした様子だ。
かなり機嫌が悪い。
もう斜めどころかねじ曲がっている。
フィリップも失態を悟る。
焦りすぎて気が付かなかったが、昨日よりもナイーブ気味なのかもしれない。昨日が盛り上がり過ぎて、正直今日は気分が悪いなどという可能性を思い付かなかった。
「人付き合いくらい出来ます。仕事の時と別けられます。なんですか、人との関わりって。保護者ですか? お兄ちゃん気取りですか?」
「いやだって、気になるじゃないか。君のことは妹みたいに思う所はあったし……」
「い……とにかく余計なお世話です。ボクは大抵何でも出来るんです」
傲慢な言葉だが、事実だった。
クララは大抵のことは解決出来る力がある。フィリップもよく知っているだろうに、今更人付き合いの話などどういうことか意味が分からない。
若干『妹』という言葉に引っかかりつつも、クララは未だに不機嫌そうだ。
木々が流れていくスピードが少し上がる。
フィリップもそれに合わせて歩を速める。
「人を治す、金を貰うの流れに何故人付き合いが必要なのか分かりません」
流れるように出る嘘だが、訂正する人間が居ないのならば真実だ。
旅の神官のほとんどは、金稼ぎに『回復術』で怪我人を癒やす事でまかなっている。だから、クララの言葉に違和感はないはずだ。
フィリップも事実、突っ込まない。
申し訳無さそうな顔のまま、どこへ置いたらいいのか分からない手をあちこちにやる。
「……本当に、いつからそんな事を言うようになったんですか?」
「……ウザい?」
「ウザいです。何度も言いますが、本当に大きなお世話ですよ」
保護者に口うるさく言われた子どものようだ。
そして、なんとなく傷付いている様子が、溺愛する妹に拒絶された兄のようだ。
クララにフィリップが振り回される、という形は変わらないらしい。
「それに、推測の仕方がカール様みたいでなんか嫌でした。親子ですね」
「……あの人と似てる、か」
カールの性悪さを知っているフィリップは、似ていると言われて、いったいどういう表情をすればいいのか分からない。
それに、嫌と言われた理由が推測の仕方とは、ちょっとどうしようもない。
フィリップの、クララを妹みたいに思う、という言葉に嘘はないのだ。
罪悪感云々は抜きにしても、クララを大切に思っているのは間違いない。ウザいなど言われた事はなかったから、本当に胸にグサリと来た。
「ウザい、ウザい、か……」
「だから、ボクはもう大丈夫って言ってるじゃないですか。なんでそんなに焦ってるんですか?」
フィリップの動きが止まる。
何気なく言ったクララの言葉だが、彼から体感の時を奪うほどの力を有していた。
フィリップはピタリと止まった後に、曖昧に笑いかける。そうしてなんとか、焦るという、これ以上適切な表現はないだろう言葉を受け止めた。
「焦る?」
「教会の話をそんなに聞きたかったんですか?」
クララも鬱陶しそうだ。
フィリップが笑う前に歩みを速め、さらにイライラしながら先へ進む。
だが、クララは背が低く、歩幅が狭い。
フィリップが少し急ぐだけで簡単に追い付かれる。
「焦ってる、ていうのはよく分からないけど、教会の話を聞きたいのは確かだよ」
「……チッ」
「え、舌打ち……?」
予想以上の不機嫌行動に思わず声が漏れる。
そんなに悪い事を言っているのだろうか、とフィリップは不安になってきた。ここまで邪険にされる事はしていない、自分は悪くない、と心の中で唱えた。
それだけ受けた衝撃は大きい。
女性の扱いは慣れていないことはないが、爆弾のようなクララは少し難し過ぎるらしい。
だが、それにしても今日は機嫌が悪過ぎる、と首を傾げて……
「ええと……」
「教会は、悪い所ではないです」
クララはポツリと呟く。
静かに、苛立ちながら。
悪くないとは言いつつも、まったくそうは思えない言い方だ。
「基本的に、本当に悪い所じゃないんです。そりゃあ、一部の権力者は腐ってます。でも、大半は心から神を敬い、祈りを捧げて、真面目に生きてます」
「…………」
「ボクみたいなエセじゃない。ちゃんと立派に聖職者してる人は多いんです」
溜息を吐きながら言うことだろうか?
クララの機嫌は悪い。
けれども、今は先程までのようにトゲトゲしく、触れれば誰にでも弾けるような激情ではない。
どうしようもない現状に、静かな怒りを燃やしているように見えた。
「でも、神はいけ好かない。仕える先がアレだと知れば、ちょっと可哀想です」
「……君は、」
「あの日もそうです。アイリスとフィリップさんが街を出ようとする少し前に、ボクは神の言葉を聞いた。そして、アレの元で働くことになって、その感情は強くなった」
珍しく顔を歪めながら、クララは言った。
フィリップはクララへ何かを言おうとして、
「今日はこれで終わりです。この辺りで休むことにしましょうか」
もう、次の街が見えてきていた。
クララは言葉の通り、それ以上のことは何も言おうとしなかった。
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