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6、綻び


「神への祈りを忘れずに。神はいつでも貴方たちを見ています」


 日に数度、孤児院では必ず神へ祈りを捧げる。

 朝起きてから、食前、食後、就寝前。

 そういうルールができているから、というのもあるが、もう一つ理由がある。

 何かと言えば、子どもたちを導くシスターの仕事の一つだ。



「そうですよ、アイリス。貴女と神は一対一。神の前ではすべてがさらけ出されます」



 一心不乱に祈るアイリスを褒める。

 この集中が必要なのだと伝えるようにだ。

 深く、深く、シスターの声すらも聞こえないほど入り込んでいる彼女に満足そうにしている。

 他の子どもたちも同様に祈りを続けているのを見て、同様に良しとした。

 

 シスターの仕事。

 それは、新たな聖職者を育てること。


 神へ祈ることは特別な意味があるのだ。

 この世界の聖職者は、神へ祈りを捧げることで特別な力を授けられ、『神聖術』という技術を使えるようになる。

 人を癒やし、守る超常の力だ。

 魔法と異なるのは、祈祷によって聖職者だけが得られるエネルギー、聖力を用いること。

 傷を治すことは魔法にはできないため、聖職者の需要はとても高い。

 しかも実際に聖職者となれる人材は限られているために尚更だろう。


 強く、強く祈らなければならないのだ。

 ただ祈って力が得られるとしたら、聖職者への道は難関などと言われていない。

 何よりも神に対して純粋でなければならないのだが、



「ん?」



 シスターの視線が一人の少女に停まる。

 子どもたちの中で最年長組の一人にして、一番の問題児の少女。

 短い黒髪がユラユラと揺れているのが分かる。

 目を瞑り、膝を付き、手を組む姿は一見敬虔な信徒に見えるだろう。

 だが、長年聖職者として神へ祈りを捧げてきた彼女には瞭然だった。


 

「コラッ! 寝るな!」


「ふぎゃっ!」



 頭をしばかれ、悲鳴をあげる。

 それに釣られて他の子どもたちもこちらに注目を始めた。

 ほぼ毎日のことなのだが、これで祈りが途切れる者も多い。



「なんで毎日毎日寝るのです!? もう少し真面目にしなさい! 神の御前ですよ!」


「いちいち神様がこんなしょぼくれた孤児院の様子なんて見ないでしょ」


「いいえ!神はいつも我らを見守ってくれているのです!」


「僕は見たことないなぁ…………」


「そういう問題ではないのです!」



 やいのやいのと響く声。

 二人の言い合いはいつも長く続く。

 神への理解などなんのその、なクララは敬虔な信徒たるシスターと折り合いが悪い。


 基本不真面目にしか見えない彼女に一際厳しく、罰も多く受ける。

 年下からはまさに反面教師とされていたのだが、鈍い彼女は気付かない。

 その現状を知っているために、シスターは規範になるように指導する。

 だが、説教など右から左であるためにまた繰り返される、という循環だ。


 いつものことながら、これで集中して神へ祈るというのはとても難しい。



「アイリスをご覧なさい! いつも熱心に祈っているでしょう!? 今もこちらに目もくれません!」


「アイリスはアイリスですよ。僕はそういうの何か無理っていうか?」


「この娘はこの歳でもう聖力を得ているのですよ! 神聖術の一番はじめの基礎、『回復術』だって使えます。ちょっとは見習おうという気はないのですか? 聖職者になれれば、それだけで優遇されるのですよ?」



 

 確かにアイリスは才能に満ちている。

 長年を費やしてようやくできるかどうか。

 無理な者は一生不可能と言われる聖職者への第一歩、聖力の会得と人を癒やす術である『回復術』の使用を十歳で行ったのだ。

 十分な才能を有しているし、本気で神に仕えることを目指しているのならば、目標にしようと思えるだろう。

 けれども、



「いや、そういうのいいんで」



 冷めてる。

 どうでもいい、と言わんばかりに。

 けれども、本当に神などどうでも良いのだから仕方がない。

 神の存在を端から疑っているクララには、意味のないどころか関係ない話だ。

 論外、というやつである。

 彼女からしてみれば、どうして会ったこともない神を信じることができるのか分かりはしない。

 死んだときにも神には会っていないのだ。

 何をどうすれば信じる気になれようか?




「もう、貴女はそうやって……」


「あ、じゃあ失礼しました!アレン借りますね」


「は?」



 さらに続くと察したクララは突然、我関せずのアレンの裾を引っ張っていく。

 え? という顔を浮かべたアレン。

 いいからいいから、と言わんばかりにそのまま走るクララ。

 追いかけようとしたが、次に帰ってきたらとっちめよう、と顔を引つらせるシスター。


 一応、この世界で祈りは王侯貴族から一般市民まで広がる習慣であるのだが、まったく彼女には関係ないことであった。



 ※※※※※※※※



「紙がない」



 アレンが祈りの場から連れ出されてすぐ、クララから告げられた言葉である。

 彼は一度自分の頬をつねり、耳に垢が詰まっていないことを確認。

 咳払いの後、言葉を返した。



「なんて?」


「だから、紙を失くした。アレだよ、ボクらが書き続けてたアレ」 


 

 思い切り溜息を吐く。

 まさか昨日の今日で失くすとは思わなかった。

 ドジだしアホだし、ポンコツだとは思っていたが、まさかここまでとは、と呆れた。

 他の何かを失くすのとは訳が違う。

 アレンはもう呆れるしかする事がない。



「だから気を付けろって言ったのに……」


「うっ!」



 何も言い返せない。

 クララからしてみれば精神年齢的に年下の少年に思いっきり呆れられた状況に恥でしかないのだが、まさか彼の言葉の通りになるとは思わなかったのだ。

 普段は変わらない表情が小さく歪む。

 十年を共にした彼からして、なかなかにレアな反応で少し愉快だった。

 

 だが、その様子を見て、アレンは本気で悩んだ。

 普段から彼女は一人で何でも片付けてしまう。

 それができるだけの能力を有しているし、気質的にアイリス以外を避ける傾向にある。

 アレンはまだマシな部類ではあるが、他の子どもとなど積極的に会話することもない。

 

 そのクララが、アレンを頼った。

 どれだけ緊急度が高いかは聞くまでもない。

 


「で? 仮にこのままならどうなる?」


「アレには裏の店が山程書いてある。全部じゃないだろうけど、バレたら血眼になって持ち主を探すと思う」



 バレにくいから、この立地で商売をしているのだ。

 そこを突き止めた奴が居るのだとすれば、関係者全員を敵に回す事になるのは道理。

 そんな事になれば、逃げようとしても無駄だ。

 疑わしい者は全員殺される。

 言い訳なんて通じない。

 かもしれない、と思われた瞬間、終わりだ。 

 

 

「でも向こうはこっちの正体は分からないだろ? こっちは子どもだ。正体がガキなんて夢にも思わない」


 

 子どもなのだ。

 しかも、文字が書ける。

 識字率がそもそも高くないこの場で、ここまで色々書いている地図の作者が子どもとは思えまい。

 体力や強さ、知能から考えて、選択肢にも上がらない。

 危険な状態ではあるが、まだ首の皮一枚で繋がってるはず。


 だが、クララは真剣な表情を解かない。

 眉間のシワはさらに深くなり、首を横に振った。

 


「いや、問題はそこじゃないよ」


「? 何だ?」


「失くしたのは孤児院でだ。小さい子が破いたりして捨てたならまだいい。でも、マズいのはアイリスやシスターが捨てなかった場合」



 アレンは、ああそうか、と得心いった。

 もしも、あの地図を見つけたならばどんな行動を取るか。

 保存、破棄、告発、持ち主を探す?

 どれを取っても危険が付き纏う。

 もしアイリスならば書いてある内容が難し過ぎて理解できないだろう。

 無知ゆえに、持ち主を探すという選択を選ぶこともなくはない。

 もしシスターなら、中身を理解できるだろう。

 それと同時に、なまじ理解できるだけきっと持て余す。

 保存ならばまだいい。

 だが、それが告発に向かってしまえば、足が付いてしまう。

 

 

「マズいな……」


「だからマズいんだって」



 これでもしも選択肢をミスすればゲームオーバー。

 少なくとも孤児院の全員が、取り敢えず、で殺される。


 まさかこんな事になるとは思わなかった。

 ずっと肌見離さず保管していたというのに、無くすなんて。

 危険な場所を調べて、離れてを繰り返す内に、こんな簡単なリスクに気付けなかった。

 何でも出来る気になっていた。

 調子に乗っていた。

 だから、初歩的なミスをしてしまった。

 

 クララの頭では、もしも、という想像が抜けない。

 もしも、が実現してしまった時のことを考えれば、身がすくむ。

 あの時の再来だ。

 狂死を恐れたあの時と。



「アイリス……」



 ぼやく。

 救いを求めるように、悲しげに、少女らしく。

 いつもは決して見せない弱さ。

 それがつい、漏れてしまった。


 

「…………」



 アレンは驚き、見惚れる。

 普段からは想像も付かない姿だった。

 いつもは飄々としていて、でも肝心な所はドジで、頭が良くて、考えても考えても理解できないことを裏でする彼女。

 一人で何でもしてしまう彼女が、自分を頼って、そして今弱っている。

 歳は同じでもどこか超越した雰囲気のクララが、年相応の少女らしくなるまで弱くなった。


 珍しい、なんてものじゃない。

 明日頭上に隕石が降ったとしても、何ら疑問を覚えないだろう。

 貴重で、希少で、包み込んでしまいたくなる。

 ずっとずっと、見ていたくなる。


 だが、いつまでも見てはいられない。

 

 

「で、シスターやアイリスにこの事を言う気は?」


「余計なことは言わなくていい。特にシスターには」



 慮って、ではないと知っている。

 心配をかけさせないための手段ではないと、アレンは分かっている。

 彼女の根本を理解している。

 これは、保身だ。

 他人のためであることなど断じてない。

 


「手に負えないなら、捨てても仕方ない……」



 恐れているのだろう。

 居場所を失ってしまえば、それだけ死へのリスクは高まる。

 追い出されて一人になった子どもなど、どうなるかは誰にでも想像がつく。

 弱いから群れるのだ。

 弱いのに独りなど、冗談にしかならない。

 

 だが、



(コイツは本当に……)



 思考の根本には自分の命が結びつく。

 どんな生き物であろうと、結局は自分の命を守ることを優先的に考える。

 生命を維持するために当たり前のことだ。

 だが、度が過ぎればただ利己的であるだけ。

 他を敬い、尊重するからこそ、他人を守ることができよう。

 クララは利己の傾向が強い、というより、命に支配されている。

 他人を想うことができないのだ。

 彼女は何よりも自分を優先するだろう。

 だから、シスターが身を呈しても守る、など考えもしない。



「バカだな、本当…………」



 十年間、一番彼女を見てきた。

 誰よりも何よりも、心配だったから。

 


「これに懲りたら、もう危ないことすんなよ」



 きっとこの気遣いも、彼女には届かない。

 この■は、実らないと分かっている。

 それでも……



 

「え?いやでもちゃんとクリアリングはしとかないと……」


「黙れ、バーカ」



 

 それでもいいのだ。


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