65、祈り笑い改め嗤う
ガイアは笑う。
数百年の長い生の中で一度たりとも経験したことのない、絶対的な死を笑う。
あまりにも鮮烈で、甘美なソレを笑うしかない。
退屈を耐えるだけの時間を生と呼ぶ訳ではないのだと、教えてくれたのだ。色褪せすぎてなんでもないような生を、鮮やかに彩ってくれたのだ。
だから、ガイアは彼らに愛を抱いた。
リョウヘイ、アイリス、カイル、ラトルカ。
ガイアは死した後もその名を忘れぬよう、強く己に刻みつける。
無駄でもなんでもいいのだ。
無駄だと思っていた事が、実は有用だったという例も先程知った。彼は物事を学べる生き物であり、学べば実践もしたくなる男だ。
その愛は、永遠なのだ。
だから、彼は祈る。
彼らの道行きが、最大の苦難と、最高の幸福が満ちていますようにと。
『ケヒ、ヒヒヒ……』
深い感謝を捧げる。
嗚呼神よ、彼らを寄越してくれてありがとう、と。
この素晴らしい出会いに、奇跡に、深い深い愛を捧げ続けた。
けれども一つだけ、引っかかる事がある。
何もせずに彼らを見守っていた一番強い男が、ガイアとは最後まで戦おうとしなかったのだ。
直接拳を交えた訳ではないが、間違いなくアレは化け物だ。もしも戦えば、良い勝負が出来ただろうに。
以前は戦えさえすればそれでいいと思っていた。
だが、知ればより良いモノを得ようとするのは人の性というやつだ。
だから、本当に惜しい。
本当にそれだけが、残念でならない。
※※※※※※※
四体の王者の一角が沈んだ。
このことを聞いたとき、砦の兵士たちは全員が狂気的なほどに沸いた。涙を流し、お互いを抱き合い、あまりの興奮に叫び出した者も少なくない。
それだけ、凄まじい出来事だったのだ。
人類を苦しめ続けた災害の一角が、ついに崩落した。これだけで、数百年に渡って語り継がれるほどの偉業。それが目の前で行われたのだから、興奮もする。
それに、これ以上の地獄はもう起こらない。
心を少しずつ蝕んでいく延々と続く苦行、それが繰り返される事がもう永遠にないのだ。
命が惜しい兵士たちにとって、こんなに嬉しいことはなかったろう。
兵士たちは、勇者一行に感謝を評した。
勇者一行たちが傷を癒やすために三日かけた後、兵士たちが彼らを巻き込んだ宴を一晩中続けたくらいには嬉しかった。
だが、兵士たちはそこで終わりでも、リョウヘイたちにはまだ終わりはない。
彼らには、まだまだ次がある。
そして、次がある彼らは共に西の戦線を後にしようとしていた。
「本当に、色々あったね」
多くの死を見た。
多くの生を見た。
その結果、彼らはそれに少なくない影響を受けた。
それは、きっとアイリスが一番大きかったことだろう。
「私は、『聖女』失格ね……」
アイリスは、溜息と共にそう言う。
どこか諦めたようで、深い自嘲を感じられるあまり明るくない声だった。
戦いが終わってからただ、ずっと思い返すのだ。
助けてくれと願い、それを叶えられたという、それだけの事を忘れる事が出来なかった。忘れ去るにはあまりにも鮮烈過ぎて、顔が熱くなる。
これまでの七年、ずっと苦しかった。
だが、その苦しみは今を、勇者一行を上手く運営するためのものだ。
全て上手くいっていた訳ではないが、それでも『聖女』の仮面は及第点以上は出し続けてきた。
それを、アイリスはもう被れない。
仮面は壊れてしまったのだ。
「そんなことないよ」
「そんなことはある。私がちゃんと『聖女』じゃないなら、リョウヘイは今もあの部屋で閉じこもってたかもしれないよ?」
「……そんなことないよ」
そして、その仮面を壊した張本人はアイリスの言葉を軽く否定した。二回目の否定は少し詰まったが、別にそれはいい。
リョウヘイは、これまで一歩引いていたというアイリスが歩み寄ってくれた事を喜んだ。
「はじめから素を晒してくれてたら良かったんだ。俺は、俺たちはきっと普通に受け入れたよ」
「そういう問題じゃないの。私は勇者一行を懐柔する事が目的。そのために私は『聖女』を作ってきた。警戒を解いて、相手を安心させて、心を開かせる。そのための仕草、声色、トークにその他諸々を研究して取り入れた」
全て虚構だったのだ。
勇者一行が王者討伐へのモチベーションを維持させるため、磨いてきた対人のスキル。
少なくとも、リョウヘイとカイルはそれに絆されていた。その嘘偽りは、間違いなく有用だった。
「でも、疲れてたんだろ?」
「……うん、疲れてた」
偽らずに、疲れていたと語る。
ずっと気を張り詰めていなければならない状況が、いったいどれだけ続いたことか。
アイリスの神経はそこまで図太くない。
覚悟と、アイリス本人の心の質は別だ。
「まあ、大事なのはこれからのことだよ。それに秘密だったけど、実は『様』付けって落ち着かなくてちょっと嫌だった」
「満更でもなかったくせに……」
二人は本音で話し合う。
素の彼らは、勇者一行の『勇者』と『聖女』ではなく、ただの二人の男女だった。
確かな信頼と、愛があった。
「王者はまだ三体。まだまだこれからだよ」
「ああ、分かってる」
彼らには、次があるのだ。
苦しい戦いではあったが、同じような事をあと三度繰り返さなければならない。
それでも、大丈夫だろう。
一度乗り越えたのだからもう一度、と彼らは考える事が出来た。
他の二人も、素を晒したアイリスを心から拒絶することはない。
まだまだ粗が目立つ勇者一行だが、全員に確かな想いが存在する。強い意志の元、彼らは困難を乗り越えることが出来る。
「そう、それで良い」
「!」「!」
二人の背後から突如声がかけられた。
一瞬警戒するリョウヘイだったが、その人物を見て気を緩める。
その大き過ぎる体を見間違えるはずもない。
異端審問官デドレイト・カーネバルトだ。
「すまないな。せっかくの逢瀬を邪魔した」
「お、逢瀬って……」
「冗談はやめてください。それで、何の用です?」
逢瀬をするような甘やかな関係ではないとアイリスが否定するが、リョウヘイと共にやや頬を赤くしていた。デドレイトにとって、子どもの照れ隠しにしか見えなかっただろう。
けれども、あまりイジり過ぎれば話にならない、と反応は薄く笑って肩をすくめるだけに留める。
リョウヘイとアイリスが、『あ、これ分かってない』となんとなく察していようと無視だ。
それより、彼は話がしたかった。
「役立たずの我を置いて、よくぞ『獣王』を倒したと改めて称賛したかっただけよ」
「役立たずって……」
「結局、結界は必要なかったらしいしな」
デドレイトが朗らかに笑う。
リョウヘイはそれを否定しようとするが、デドレイトにとってはただ事実を語っただけだ。
あの時、デドレイトの結界は発動しなかった。
リョウヘイたちは、王者の力を抑えるという結界をなしに、『獣王』を倒していたのだ。
デドレイトが自嘲するのも仕方がない。
「はっはっは! 我が役立たずなのは昔からだ! 気にすることはない!」
「いや、それは貴方が言うことじゃ……ていうかそうじゃなくて……」
少々ズレた発言だが、デドレイトがそんな事で止まるはずがない。
豪快に笑い飛ばすだけで、面倒なことを気に留めることをしない。
「ずっと、手の焼ける子どもたちだと思っていた。だが、汝らはその評価を覆した」
「…………」
「デドレイト、様……」
「『様』付けなど必要ない。汝は、もうソレをする必要もないのだ」
その言葉とは裏腹に、デドレイトはその大きな手でリョウヘイとアイリスの頭を撫でた。
良く出来ました、と褒めるように。
完全に子ども扱いで、デドレイトは本当に優しい笑みを浮かべていた。
「よくやった」
「…………」
「…………」
なんとなく、それを邪魔してはいけない気がした。
デドレイトにとって、これは最大限の餞別で、口に出してはいけないモノも含まれていた。
これを、『愛』という以外にどう表そうか?
異端審問官と勇者一行という、本来ならばただの味方という立場だが、それ以上の私情が入っている。
「ハハハ! 我の後輩たちと違って可愛いな! 奴ら、昔コレをしたら我の腕をブッ壊したのだ!」
完全に笑い事ではない事を笑って言うのだが、気にするだけ無駄だ。
デドレイトがゆっくりと手を引っ込める。
するとリョウヘイは、自然と頭を下げた。
「ありがとうございました、デドレイトさん」
「……どういたしましてだ」
互いの中にある敬意を言葉にするには、これだけで充分だった。
本当に世話になった。
保護者の居ない子どもたちの、最終的な精神の支柱になってくれた。戦線という場において、胸の内にあっただろう不安をなんとか収めてくれた事もある。
戦線の場で、デドレイトはよくやった。
『獣王』が倒れるまでの数週間だけではない。戦線を何百年も維持してきたのだ。
リョウヘイもアイリスもカイルも、ラトルカですらひっそりと敬意を評していた。
「ガイアの奴も、汝らに倒されたのなら本望だっただろう」
「……?」
「こちらの話だ」
デドレイトの笑みは、これまでにないほど晴れやかなものだった。
そこにある喜びを、リョウヘイも受け入れる。
「次は南の戦線だったな」
「ええ、はい」
「ならば、現地の異端審問官、リリーロクス殿によろしく言っておいてくれ」
「はい」
「おそらく、次は東か北の戦線で会うだろう」
デドレイトは笑う。
未熟ではない子どもたちへ向けて。
「では、最後に仕事をしよう」
「?」
「……どういう?」
豪快な笑いはそのままに、デドレイトは二人へ改めて言った。
あの場では、役立たずの異端審問官だったのだ。
せめてこれくらいは、と。
ゴホン、と咳払いをした後にデドレイトは続ける。
「南の戦線へ行く前に、トロンの国に寄れ。さすれば、汝らを導く神の使徒が待っている」
「デドレイト、さん?」
「神の言葉、確かに伝えたぞ」
デドレイトはそれだけ言うと、砦とは逆の方向へと歩いていった。
方向は東、おそらくは聖国に向かうのだろう。
引き止めることはしなかった。
もう、西の戦線は終わりなのだ。
「…………」
「…………」
二人は顔を見合わせた。
どうしようか、とお互いが訴えている。
それから、
「おーい! リョウヘイ、アイリス!」
「…………」
後ろから、また声がかけられた。
デドレイトのように至近距離からいきなりではない。遠くから、大声でカイルが呼んでいる。
振り向けば、カイルが不機嫌そうなラトルカを捕まえて、こちらへ走っていた。
しかも旅の支度は万全のようで、四人分の荷物も背負っている。
「じゃあ、次はトロンか」
「そうね」
二人は仲間を待つ。
そして、その後出発するのだろう。
「リョウヘイ」
「ん?」
「これからよろしく」
そっぽを向きながら、アイリスは言った。
明らかに照れ隠しだ。
白い髪からチラリと見える耳は、普段からは想像が付かないほど赤く染まっている。
「ああ、よろしく」
旅は続く。
まだまだ先は長い。
※※※※※※※
「神よ……我は、私はこれで良かったのか……?」
デドレイトは一人、荒野を歩む。
風に飛ばされた砂や砂利がデドレイトを打ち付けるが、それも無視して一人進んだ。
戦線の近辺は草一本生えていない更地だ。土地は赤くはないのだが、何故植生が死滅したかは誰にも分からない。本当に、寂しい大地だ。
だが、数百年前までは緑豊かな土地であった。
木々が高々に生え揃う緑の楽園から、今は何もない死の大地と化している。
まるで、戦線で死んだ怨霊たちの怨念が、その土地を呪っているかのように。
「あの結界。いったい何故あんな欠陥品を……?」
神への問いは、虚しく響くだけだ。
神より賜った結界が、理論的に絶対に発動しないモノだったなど、デドレイトしか知らない。
知らなくてもいい。
「……だが、私たちは神の道具」
けれども、そこに不信感など生まれない。
デドレイトの忠誠は、その数百年の人生で一度たりとも歪んだことはないのだ。
「嗚呼、神よ……」
デドレイトは祈る。
今より力がなかった頃から、ずっと祈りは欠かしたことが無い。
そして、それは何よりも純粋な祈りだ。
救いを求めるでも、勇者一行が無事である事を願うでもなく、ただの篤い信仰だ。
「神よ……」
デドレイトは笑う。
狂信的に、歪に嗤う。
面白ければブクマ登録お願いします。
あと下の☆を埋めてください。
これで二章終わりです。




