58、戦い戦う
「…………」
西の戦線の『獣王』の腹心、『三獣士』の最後の一体であるヴァウツォウヘルンは警戒を緩めない。
その金色の双眸を注意深く輝かせ、四本ある柱のように太く、硬い四肢は悠然と大地を踏みしめる。雄々しい二つの角は捻れを持ちつつも芸術的なほどに美しく、白の毛並みは神の使いを思わせる。
敵であるはずの魔物が、これほど美しく、いっそ神々しいとさえ思わせるとは、人間にとっては予想外だろう。
ヴァウツォウヘルンは、魔物ではあるが魔物らしくない魔物だ。
その外見もそうだが、一番は中身である。
「…………」
ヴァウツォウヘルンの体は『獣王』を除けば西の戦線における生物の中で最も大きく、しかし、その巨体に似合わないほど慎重だった。
他の魔物たちは本能に従って、手当り次第に人間を殺して回る。そこに思想や思考はなく、ただ殺せるから殺すのだ。自身の持つ武器を使うだけで殺せるのだから、粗雑も何もまったく問題はない。
けれども、ヴァウツォウヘルンにそれはない。
物事を深く考え、行動の前に一歩留まることが出来る、少し変わった魔物なのだ。
今もそうだが、戦闘時でもないのに警戒という、魔物にしては少しズレたことをしている。
だが彼からすれば、今は慎重に成らざるを得ないのだ。
「BMOOO……」
大きく息を吐く。
ヴァウツォウヘルンにとっては溜息だったが、人間にとっては嵐も同然である。彼の体と同じく白い砂埃をまきあげながら、注意深く辺りを確認する。
最近、立て続けに仲間が死んだのだ。
同じく『三獣士』であり、王を守るという使命を与えられる二体がである。
彼が生まれてから、そんなことは彼の生命の中で一度だってありはしなかった。
天変地異にも等しい事柄だ。
王者の手足である自分たちが、千切殺された。あってはならない。あり得てはならない。ここまでの屈辱は存在しない。ここまで恐ろしいことは存在しない。
自身の死は、主である『獣王』の格を下げることになると理解していた。
「BMOOOOO」
二百年生きた彼は、他の二体と違って死を恐れると共に、人間が出来る事を研究している。
人間の魔術という技術は、不可能を可能に変えるのだ。
大概の事はできると理解していた。
魔物は魔術を使わずとも超常の力を発揮出来る。
人間が魔術を使うために陣が必要なのは、ただ使っても意味がないからだ。術式という形を経てから、魔力という燃料を注がなければ効果は発揮しない。
彼の知らないところだが、そもそも魔術の歴史は魔物との戦争の歴史だ。
魔物はその肉体が、第二の心臓たる魔石が、人間でいうところの術式の役目を担っている。魔物はただ、体内の魔力を適当に使うだけで効果が現れるのである。
術式とは、人間がそれを研究し、真似たもの。
しかし、魔物が適当に使うものとは違い、その幅広さと奥深さはまるで違う。
罠で嵌め殺される可能性が思い浮かぶ。
これまで、戦線で戦うことは幾度となくあったが、ちゃんと彼はわきまえている。
他の二体と違って、自分は負けないという勘違いはしていない。自分が勝ってきたのは、異端審問官と戦ってこなかった事と、魔術を舐めなかったことに起因すると推察している。
大魔術は自分に傷を付け得る。
小さな魔術も自分を止め得る。
意識していなければ、生き残れない。
油断するなら、死ぬかもしれない。
だから、ヴァウツォウヘルンは強くなった今も、ずっとずっと警戒を怠らない。
その意識が、幾度となく彼を救ってきた。
「BMOOO」
それは、今回もそうだ。
ヴァウツォウヘルンの視線の先には、小さな魔術の反応がある。
もしも油断して、そのまま歩いていたのなら、間違いなくそこを踏み抜いていただろう。ここが神の結界の外側だからと、自分たちの領域だからと油断していたのならば。
だが、油断はない。
ここまで立て続けに『三獣士』が死んでいるのだから、人間がついに動き出したのだと考えるのが普通だ。
自分の領域だろうと、安心するのは駄目だろう。むしろ、攻められているという自覚をしなければならない。
「…………」
地面が凹む、水で溢れる、爆発する。
何が起きるか分からない。
そして、おあつらえ向きに用意された罠を、ヴァウツォウヘルンが踏む理由はない。
やるべきことは先ず、索敵だろう。
きっと罠を踏んだ後に攻撃を仕掛けるために、近くで見張っているはずだ。
だから、嗅覚と視覚で敵を探ろうとして、
触れてもいない罠から灰色のナニカが蠢いて、ヴァウツォウヘルンを襲った。
※※※※※※※
「行け!」
「分かってる!」
「ウルッセェぞ、コラ!」
ラトルカが指示を出すよりも前に、リョウヘイとカイルは飛び出した。
瞬きするよりも早く、リョウヘイとカイルは魔力で体を身に纏う。
魔力を流し込まれたことによって、リョウヘイの『聖剣』は眩く輝き、カイルの槍は紅色に染まった。
「BMOOO!!」
凄まじい轟音だ。
魔力で体を保護していなければ、衝撃で弾き飛ばされていただろう。
だが、ヴァウツォウヘルンは粘性の灰色のナニカによって囚われており動けない。
デドレイトからヴァウツォウヘルンの情報を聞いてから、パワー主体の魔物によく効く術を用意していた。
第六階梯魔術『亡者の灰』
生物の死体を媒介にした、灰色のナニカを生み出して操る魔術だ。
用意できる死体の量に比例して、操れるナニカの量も増えていく。だが、増えれば増えるほどに操作は不安定性を増し、最悪術士が呑まれるという危険な術でもある。
ここは戦線だ。用意できる死体の量は百や二百ではきかないほどであり、それを制御しきっているラトルカの技量を知れる。
まさしく、天才の手腕だ。
この魔術は物理的に引き剥がすのはとても難しい。実体を有している訳ではない。
ヴァウツォウヘルンのような、牛の、明らかにパワータイプの魔物には有効だろう。
「カイル!」
「分かってる!」
紅色の槍は熱を帯びる。
槍を渾身の力で振り抜ける、最適な形を取った。そのまま魔力はグングンと高まっていく。
その魔力に呼応して、槍の熱はさらに上がる。地面がグツグツと融解し、強く、激しく燃え盛る火炎を纏った。
そして、『死者の灰』に人一人分の穴が開く。
丁度カイルが通れるような、ヴァウツォウヘルンに続く道だ。
全身全霊で振り抜かれた槍は、金剛石を遥かに凌ぐヴァウツォウヘルンの毛皮と筋肉を貫通した。
さらには、熱によって刺した部分を炭化させるまで焼き尽くす。
「BMOOOOO!!!」
体に穴が空き、その部分が燃え盛るという痛みに、ヴァウツォウヘルンは暴れる。
しかし、『亡者の灰』は決して彼を離さない。亡者たちの執念を体現するかのようにしつこくまとわり付くソレは、ヴァウツォウヘルンの膂力をことごとく封印する。
その間に、リョウヘイの準備が出来上がった。
「でぇりゃあああ!!」
カイルと同じく、リョウヘイの高まり続ける魔力を注ぎ込まれた『聖剣』は、太陽のような眩い光を放った。
リョウヘイは剣を上段に構える。
動くつもりもなく、ベッタリと両足を地面に付けたまま、ヴァウツォウヘルンから少し離れた位置から、全力で剣を振り下ろした。
すると、『聖剣』から光が魔術のように飛ぶ。
その閃光は、ヴァウツォウヘルンの頭に巨大な切り傷を作り出した。
「このまま!」
さらに、ラトルカは『死者の灰』を操作する。
傷口からヴァウツォウヘルンの体内に潜り込ませようとした。体内から肉体を滅茶苦茶にして殺す魂胆だ。
強靭な肉と骨によって守られているヴァウツォウヘルンの命を奪うには、まだ柔らかい体内から壊すというのが合理的だった。
魔術的な手段がないのなら、抜け出せない。
しかし、そう簡単に事は運ばない。
「BMOOO!」
「な!」
第六階梯魔術『氷天劇』
ラトルカではない。
リョウヘイもこんな魔術は使えない。
使ったのは、ヴァウツォウヘルンだ。
ヴァウツォウヘルンによる氷の魔術は、『死者の灰』ごと全てを凍らせる。
空気も、地面もだ。
全てを伝って伝播する氷は、リョウヘイたちにも襲いかかる。
「魔物が魔術!?」
「リョウヘイ様! カイル様! 下がって!」
予想外の行動を取った時には回避だ。
二人はアイリスの声が届く前には反応していた。
アイリスの結界の範囲内まで余裕で届いていたために、誰も攻撃は受けない。
全ての氷を完璧にシャットアウトしており、ダメージはなしだ。
しかし、
「これは、なかなか……」
アイリスが結界を解除すると、辺りは氷の世界と化していた。
氷だけの、幻想的な美しい世界だ。
ヴァウツォウヘルンの体の一部は焼き焦げ、額からは真っ赤な血が流れている。しかし、それを見なかったとしても、真っ白なヴァウツォウヘルンが真っ白な世界の中心に佇んでいる姿は美しかった。
四人はその光景に息を呑む。
美しかったからではなく、凄まじかったからだ。
第六階梯の魔術は確かに高位の魔術ではあるが、ここまでの威力は本来ならばない。
術者にもよるが、半径三百メートルほどを氷の世界に変えるほどだろう。
だが、ヴァウツォウヘルンの氷の世界はその数倍に至ろうかという範囲と威力だ。
前を見ても、横を見ても、後ろを見ても、どこもかしこも氷で埋め尽くされている。
そのデタラメな魔力と、熟練の魔術師もかくやという魔力操作による『氷天劇』は、馬鹿げた力を発揮した。
「……魔物が魔術を使うのはおかしいか?」
「チッ……当り前でしょ? 魔術を使うのは人間の専売特許よ。一部例外を除いてね……」
リョウヘイの問いに、最も魔術に精通した人間であるラトルカが答える。
魔術について嘘を吐かない彼女の言葉は、全員の気を滅入らさせた。
その一部例外が目の前であり、こういう規格外の行動をいくらでもしてくると訴えている。
「アイツ、あの狼よりずっと強いな……」
「でも、逃げる訳にはいかないよな?」
カイルのぼやきに、リョウヘイは返す。
それにカイルは頷き、ラトルカは舌打ちをするが否定はしなかった。
最後にアイリスが、意を決して言う。
「行きましょう」
そして、激闘は始まった。
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