55、若さゆえの愚か
皆が寝静まる深夜
異端審問官デドレイトは、一人砦の見張り台の上に居た。
休んでいるのではない。睡眠を取っている訳でもない。ただ、魔物たちが夜襲を仕掛ける可能性を見過ごせないだけだ。
というのも、西の戦線の王者である『獣王』は、手駒である眷属を生み出すために夜は動けないからだ。その作業に集中しなければ、翌日産み落とされるのは中途半端な弱い魔物になってしまう。
もちろんだが、王者には相応の知能がある。デドレイトという存在が、眷属創造の隙に襲ってきても対処可能なように、夜には全ての眷属を集めるのだ。
という理屈を盾にして、夜に襲ってくる事もある。
だから、彼は眠らない。
夜を眠る必要のない彼は、毎晩こうして一人で戦線の赤い土を眺め続ける。たった一人で、毎夜毎夜遠くを見つめる。気を緩める瞬間など、少なくともこの五百年、両の手で数えられるほどしか存在しない。
「……フフフ」
だが、思い出にふけることもある。
別に気を抜いているわけでも、警戒を怠ってはいないが、昔を懐かしむことや、未来に思いを馳せることもあるだろう。デドレイトはただ、楽しそうに顔を緩める。
本当に期待以上だったからだ。
彼が『勇者』の存在を聞いた時には、そんなのに任せて大丈夫か、と心配した。
神の言うことに間違いはない。これまで、神の言葉を疑ったこともない彼も、少し納得に時間がかかったものだ。
なにせ、看過できない問題があるのである。コストや成功率の話ではなく、その『勇者』とやらに、戦いの才能があるのかどうかという、致命的な問題。一歩間違えれば召喚失敗以下に成り得る最低以下の結末に成りかねない欠陥。
彼はずっと、それを危惧していた。
ここでいう戦いの才能とは、剣を上手く振るうことでも、難しい魔術を使うことでとない。ただ、戦える心意気があるかどうか。本当に、それだけの話なのだ。
「皆、本当に素晴らしい……」
戦線での初めての戦闘。防衛戦を兼ねた、デドレイトから四人への試練。
それを見事に合格したのが、今回の安堵と夢想の理由だ。
説明もロクにせずに、魔物たちがいきなり襲ってきたために即座に戦場に出させたが、彼らは見事に自分たちの役割を理解して対応したのである。
リョウヘイとカイルは背を預けあって、魔物たちを最前線で殺し続けた。
ラトルカはタイミングを見計らってからの大魔術で広範囲殲滅という、戦争のセオリーを抑えていた。
アイリスは真っ先に治療院に足を運び、怪我をした兵士たちを一人残らず回復させた。
全員が全員、初めての戦線で、満点近い回答を見せていた。
若い人間の有望さは、デドレイトにとって嬉しいばかりだ。自分の役目がもうすぐ終わるというのは、とても感慨深い。
七年前も、同じことを思ったものだ。
長らく四人だけだった異端審問官に二人の新米が来た。何百年も停滞していた状況に、新しい風が生まれた。あの二人の異常な戦闘の才能には、戦慄を隠せなかった。
「神よ、憐れな魂たちを救い給え……」
これまで、多くの命を奪ってきた。
人も魔も平等に、デドレイトがその手によって粉砕してきた者は星の数ほど居る。
だがきっと、殺しもひとまず終わりだ。おそらく、数十年はこうして祈る時間が増えることだろう。異端審問官になる前のように、寝食を忘れてずっとだ。
まず一度祈った所で、デドレイトは立ち上がった。
その所作一つ取っても、その姿はまるで熊のようで、かなり迫力がある。
デドレイトは、そのままゆっくりと後ろを振り向いてから言う。
「仕掛けてこないのか?」
『爆心』
一瞬の詠唱、一瞬の術の構築。
デドレイトが言った瞬間、爆発が起こる。
爆発音、爆風、熱の爆発に伴う現象が、すべてデドレイトを中心として半径二メートル以内に留められている。人間程度、骨も残さず消滅するであろう威力だ。
第五階梯魔術『爆心』
その効果はデドレイトに降りかかった通り。
超低範囲に限定して、金属すらも消し炭にする威力の爆発が発生する。
そんな術を、もしも超凄腕の魔術師が行ったとするならば、耐えられる物質などほとんど存在しないだろう。
だが、
「ハッハッハ! なかなか高威力! 火傷するかと思ったぞ!」
デドレイトには通じない。
彼の肉体には痕は残っておらず、服にも焦げ目すらない。
仮にAランクの魔物が対象であったとしても、肉も骨も焼き尽くしていたはずだ。
この魔術は、彼女が発動したのだ。それを、火傷しそうになる、で済ますのは規格外すぎる。
デドレイトは笑う。
笑い事で済むはずがないのだが、彼にとってはたいていは笑い事だ。
仮に味方に後ろから刺されたとしても、刺したナイフの方が折れる。そして、笑い飛ばして裏切りを許す。彼はそういう男なのである。
「ラトルカ殿! 姿を隠さず、現れませい!」
『…………』
デドレイトは一点を見つめながら言う。
すると、虚空から突如として藍色の髪の少女が現れた。先程まで一切存在していなかった強い魔力と共に、不機嫌そうな顔でデドレイトを睨む。
だが、睨まれたデドレイトはやはり笑っている。
完全に殺る気で来られたというのに、仔猫が戯れているくらいの感覚だった。
「そういえば、お迎えしてからすぐに魔物たちが来たために自己紹介もしていなかったな! その無礼討ちといったところか?」
「…………」
「ずっと気を悪くしていたのはそういうことか! 申し訳ない! 我は気の回らぬ粗忽者ゆえ、どうか許してほしい!」
勝手に話を進めるデドレイト。
ラトルカの殺意の中に、何言ってんだコイツ、という呆れが混じるが、それに気付いた様子もない。
彼女は無駄な会話をしたくないから黙っているのだが、デドレイトに伝わることはなかった。
デドレイトは勝手に進め、勝手に満足する。
「やあやあ我こそは、神より『武天』の名を賜った下僕の一人! 異端審問官デドレイト・カーネバルト! 以後よしなにしてほしい、ラトルカ殿!」
「…………」
「ハッハッハ!」
放っておけばいつまでも笑っていそうだ。
ラトルカはこめかみに青筋を立てる。
何も分かっていないまま、勝手にやり続ける所が腹立たしくてしょうがない。
異端審問官とは、こんな変人ばかりなのかとウンザリしてしまう。
だが、ウンザリしたままで終わるのなら何も為せずに終わってしまう。
ラトルカは意を決して、低い声で言う。
「お前は、ルーメン・ラヴルージを知っているか?」
「……? ああ、南の戦線の英雄か! 彼がいったいどうしたのだ?」
魔術師の英雄はその性質上、南の戦線に居ることが多い。
ルーメンの名を知らない可能性もあったために、この反応は想定内だった。
ラトルカは目を細めながらデドレイトを見た。
ずっと聞こうと思っていたのである。
戦線に英雄など腐るほど居ただろうが、もしもその記憶の中に祖父にまつわるものがあるのだとしたら、彼女はそれの情報が欲しい。特に、その死に関わるものを。
「私の祖父だ」
「おお! かの御仁の孫娘とは。勇者一行に選ばれて、ルーメン殿もさぞ鼻が高かろう!」
「……知らないのか?」
「何がであるか?」
「ルーメン・ラヴルージはもう死んでる」
そう聞くと、デドレイトは軽く目を見開いた後に手を合わせてから祈った。
静かにゆるりと目を閉じて、その死を悼む。
その態度が予想外でラトルカは内心驚いたが、彼女はデドレイトはそのまま待った。あれほど異端審問官を嫌悪していたのに、祖父の死に触れることを許している。
そして、コイツじゃないなと分かってしまう。
「初耳だ……」
「そうかよ」
「やはり、戦線とは恐ろしい。かの術師の手腕は、知れ渡っている。ルシエラ殿も珍しく褒めていたよ」
ルシエラのような魔術に長けた手合いならともかく、デドレイトのような者は『看破』の魔術を誤魔化せない。
つまり、嘘は吐いていない。
デドレイトは本当にルーメンのことについては初耳で、本当にその死を悼んでいる。
警戒が少しずつ緩んでいく。
予想以上に漏れ出ている人間味に、ラトルカはほんの少しだけ絆されていた。近付けるほどではないが、無理に遠ざけることもない。嫌う理由がなくなっているという表現が正しいかもしれない。
「戦線では死んでいない」
「ほう? 病気か? いや、高位の魔術師に老いも病もない。……まさか、殺された?」
同じく寿命を超越した者の視点だ。死ぬというのなら、どんな道があるのかは理解出来る。
だが、不可解そうな表情は崩さない。
その高みまで至った相手なら、彼には戦線以外で死ぬという道はおかしい。戦線と他の場所では危険度がまったく違うのである。
そして、殺されるとしたら、相手はかなり限られているだろう。
「異端審問官に、殺された」
「……なるほど」
夜の風が激しくなってきた。
冷たい風が二人に当たり、薄い雲が月を隠す。辺りは一段暗くなり、二人が喋らない静かな時間が流れる。
この状況を不穏というのかもしれない。あるいは、嵐の前の静けさとも。
「そうか、それは仕方がないな」
「…………」
デドレイトは笑みを消す。
恐ろしいほど平坦な声で語る姿は、先程までとはまるで別物だった。
ラトルカも、その変化を感じ取っている。自然と敵を前にしたように、警戒を顕にした。
「罪を犯した者にしか神は我らを送り出さん。むしろ、一族郎党根絶やしにされていない分、よほど優しい」
「私の師を、私の祖父を殺したことが、優しいと?」
「事実優しい。派遣されたのが『大聖堂』リリーロクス・ガーレイでないことを幸運に思え。彼女なら、ルーメンを街ごと消してもおかしくなかった」
厳しく語るデドレイトは、驚くほど異端審問官だった。異端と認定された人間に対して、その死に納得している。
仲間がラトルカの祖父を殺したことには何も感じていないのだろう。
ラトルカはデドレイトを冷たく見つめる。
「異端審問官は六人だったな?」
「そうだ」
「お前と、リリーロクスとやらではないなら、あと四人だ」
ラトルカはルシエラを信用していない。
アレは嘘を上手く吐ける人間だ。もしも本気でラトルカを騙そうとするのなら、自分ではどうにもならないという確信があった。
ラトルカは正しい判断と、正しい評価を付けられる人間だと、デドレイトは見抜いている。
だから、大きく溜息を吐いた。
「やめておけ。殺されるぞ」
「お前にどうこう言われる筋合いはない」
「ある。我は異端審問官で、汝は勇者一行の魔術師だ。我は汝らを守らねばならん義務がある」
「それなら、他の異端審問官も私を殺せない」
デドレイトの言葉は、終始ラトルカに寄り添うものだった。彼女の身を案じて、若い芽が摘まれないように努力する大人のものだ。
だが、ラトルカには通じない。一番大切な部分を、デドレイトが履き違えているから、彼の言葉は届かない。
「あ奴らなら、汝を殺さずとも無力化は可能だ。汝らが王者を討伐するまで姿を隠すだろう」
「私はお前たちの言う通りにはしない。何も分かっていないお前が、何を言っても無駄だ」
「……異端に何故そうまでする?」
デドレイトにとって、大切なのは異端か、そうではないかだ。
異端である親兄弟が死んだとしても、ついでに異端認定されなかった事を幸運に思うべきで、復讐など考える必要など一切存在しない。
「お前は身内を殺されたことをどうとも思わないのか? 仲間や家族が死ぬことを、本当にどうとも思わないのか?」
「…………」
意識をしても、デドレイトには通じない。
異端審問官として戦い続けた彼には、そんな人間らしい感覚はとうの昔に擦り切れていた。
何も言い返さないデドレイトを見れば、それは透けて見える。
異端審問官のこういう部分に、ラトルカは嫌悪が湧いていたことを思い出す。ルシエラもデドレイトも、表層は多少違っても、その心の底はあまり変わらない。
「神はそんなに偉大か? お前たちが、」
「やめろ」
デドレイトが凄まじい圧を発する。
目はきつく閉じられていた。
「それ以上、言ってはいけない。神がどこで汝を異端に認定するか分からない」
「…………」
恐ろしい、どころではない。
ラトルカは心臓を鷲掴みにされたのではないかと本気で思ってしまった。
強烈すぎる気配は、要塞全体を揺らす。十キロ以内の生物全てが叩き起こされ、逃げ去るか、その場で慌てふためく。
デドレイトの強さは、あらゆる存在から隔絶していた。
ラトルカでも、コレは無理だと強く、激しく、その本能に刻み込まれてしまう。
「我は異端審問官の中でも強い方ではない。その我相手ですらコレとは。復讐などはじめから無理なことだ」
「…………」
デドレイトは強い。
彼よりも強い生物など、全世界に十居ない。魔物も、人間も、勝てる存在はほんの一握りだ。
「王者に勝つ事だけを考えろ。奴は我ほど優しくはない。情け容赦なく、奴は殺しにかかるぞ」
ラトルカから滝のような汗が流れる。
力が抜けて、膝を付く。
彼女はそのまま掠れた声で言う。
「じゃあ、誰が、殺した……?」
「汝はまだ言うか?」
「候補を言う、だけで、いい。それくらい、言っても、いいだろう……?」
デドレイトは信じられないような目で見る。
だが、ラトルカはまだ噛み付いた。
「そうしないと、私は何をするか分からないぞ? 契約で私は王者討伐に力を尽くすことになってるが、私以外はその限りではない」
「はあ……恐れ入るよ、汝の執念は……」
これには、流石に手に負えない。
ラトルカの意志を曲げようと思うのなら、それこそデドレイトに出来るのは殺すことだけだ。異端以外を殺すことは出来ない。
気が滅入るが、折れるしかない。
超一流の魔術師は、数十という手を用意しているものだ。デドレイトが折れなかったおかげで、どこでどんな被害が生まれるか分からない。
「……汝の仇は、我ではないのは確実だ。そして、汝が仇の正体を知らない時点でリリーロクス殿ではない」
「なら、候補はやっぱり四人?」
「いいや、ルシエラ殿も違う。あの方は弟子に嘘は吐かん。汝はあの方に一時期とはいえ鍛えられたのだろう? なら、確実に違う」
なら、残りは三人だ。
ラトルカはさらに続けさせる。
「候補は七年前に異端審問官になった新米二人のどちらかか、我ら異端審問官の筆頭殿だ」
「名前と背格好、容姿は?」
「それは言えぬ。教えれば、ついうっかり会えば汝は教えた者を殺そうとするだろう? 業務に差し支える」
ラトルカは少し考えるが、妥協した。
デドレイトの言葉に少し突っかかりを感じたが、それでも候補は絞られた。
満足して、もう用はないとばかりに踵を返す。
だが、後ろからデドレイトは声をかけた。
「今の話、リリーロクス殿にはするなよ。彼女に話は通じん。理屈抜きに殺しにかかるぞ!」
ラトルカの姿は掻き消える。
あっという間に一瞬で。
「…………」
デドレイトは見張りに戻る。
若い芽が、おかしな事をしでかさない事を、ずっとずっと神に祈りながら。
だが、彼の心配はラトルカに届くことはない。
それを分かっていながらも、ただ彼には祈る事しか出来なかった。
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