52、戦線へ
『バカをしたのう、小娘』
老婆が一人、少女が一人。
少女は見えない力によって戒められ、老婆は愉快そうにその無様を嗤っている。
少女が手を伸ばせば届く距離だ。
真ん前で煽るようにそんな事を言われれば、青筋の一つや二つは立つだろう。手足を縛られ、魔術を封じられていなければ、少女は老婆を殴りかかっただろう。
老婆は、今少女はそれが出来ないと分かっていてソレをしているとのだから、とても性格が悪い。
少女は、ラトルカは睨みつける。
怨念を込めた目で、老婆を、そこには居ない老婆の仲間をずっと見ていた。
『アイリスの奴は優秀な弟子じゃ。ワシがいくらか情報を与えてやれば、大体のことは察してくれる』
「…………」
『あの小僧を殺そうとするとは、なかなかに大胆なことをしよる。世界中を敵に回すに等しいぞ?』
老婆はやはり愉快そうに語る。
された事を考えれば、激昂してラトルカを殺してもおかしくはないはずなのだ。天文学的な不利益をもたらそうとした彼女を相手に、老婆は余裕を崩さない。興味深そうにラトルカという人間を観察している。
『ま、そんなことはお主にとってどうでもいいんじゃろうなぁ』
「…………」
『そういう人間は偶に居る。人類の命運はお前にかかっている、と言われてもやる気のない奴は居る』
長い長い時間を生きてきた老婆だ。その知識には、ウンチクと切り捨てられないほど重いものがあった。
過去の経験を語るという行為は、語られる側に聞く気が無ければ時間の無駄だ。だが、長く生きすぎた老婆は、他人に聞かせる姿勢を取らせる事ができた。
ラトルカには老婆の話など聞きたくはないのだが、自然と頭には言葉が入ってきてしまう。
『不思議なことに、そういう人間ほど強い力を持っているものでな。人類にとっては損失に違いない』
「…………」
『じゃが、そういう輩はあの手この手で戦線で戦わせるんじゃよ。お主が契約で縛られておるように、な』
老婆がラトルカの額を指でピンっと弾く。
その小枝のような指先は、ラトルカの体の中にある魔術に形を与えた。
幾何学模様を描くその術式は、氷の結晶のように美しく、宝石のように輝いて、茨のように痛々しい。まるでラトルカの体に絡みつくように展開されたソレは、彼女を強く戒める。
『契約は始まった。お主は持てる力の限りをもって、あの子らに協力せねばならん』
「……いちいち分かっていることを」
『おお、ようやっと喋ったのう』
愉快そうに、皺だらけの顔を歪める。穏やかな空気を流す老婆だが、ラトルカの機嫌を損ねるだけだった。
心底嬉しそうに言う老婆を、睨み殺さんばかりの剣幕でラトルカは見る。
『若者との会話は楽しい。老い先短い老人の話し相手をしてくれる気になるとは、優しいのう』
「はん! 千年以上生きてる人間の老い先が短い? 老い過ぎて頭が沸いたか?」
我慢の限界だった。このフザケすぎている老婆を前にして、黙っていられる訳がなかった。質が悪いことに、ラトルカの背景を全て理解して無神経を演じているのだ。
無視しなければ余計に面倒なことになるとは分かっている。だが、分かっていても止めることは出来なかった。怒りを発散させたいという自分を抑えることが出来ないまま、彼女は言う。
「私は人類の命運なんぞ知らん。勝手に生き延びるも、滅びるも好きにすればいい。だが、何故私がそれに付き合わねばならんのだ? 勝手にやって、勝手に終わっていればいい」
『その末に滅びが待っていれば、お主も死ぬことになるのは分かっておるのか?』
「よくもいけしゃあしゃあと」
空気がどんどん悪くなる。とはいえ、一方的にラトルカが悪くしているだけであり、それに巻き込まれている老婆はまったく堪えていない。
ラトルカの感情に伴って、彼女を縛る魔術もどんどん荒ぶれていった。ビリビリと辺りを張り詰めさせるほどの圧力を作り出す。
彼女の戒めは、体内の魔力をダムのように堰き止めるというものなのだ。そのダムを決壊させるほど、凄まじい魔力が集まって暴れた。
『やめんか』
「うっ!」
パン、と魔力が霧散した。ただの一言で、空気を揺らすほどのラトルカの暴走が消え去ったのだ。体内で暴走させたにも関わらず、外へ影響を及ぼすほどの膨大な魔力が、だ。
ラトルカですら目を剥くほどの、老婆の神業だ。ダムに一瞬で小さな穴を開け、中で荒ぶっていた魔力を抜いてから老婆が創り出した魔力タンクの中へ移動させたのである。
他人の魔力を操るのは、自分の魔力を操作するのとはまったく難易度が違う。その他人が無抵抗に全てを操作する人間に身を任せたとして、一人前の魔術師でも息も絶え絶えになるほどの苦行だ。
この時、もちろんラトルカは老婆に気を許してはいなかったし、魔力の主導権を与える気もなかった。だが、老婆はそんなことは関係ないとばかりに、ラトルカの魔力を操りきったのである。ラトルカという超一流の魔術師を相手に、なんの苦もなく。
「化け物め……!」
『長く生きていれば、こういう事は簡単に出来るようになるさ』
人間技ではなかった。人間に出来ていい技術でもなかった。
まさしく神業としか言えない。
世界最高の術師の実力は、ラトルカを大幅に上回っていると分かるだろう。それを分からされたラトルカは分からされてなお、いや、分からされたからこそ言う。
「私が、私たちが、居なくても、お前たちがやれば、いいだろう?」
これだけの力がありながら、いったいどうして戦うことをしないのか?
ラトルカには理解出来ない。
力の差は歴然で、これなら異端審問官がそれぞれ王者を狩れるだろう。この力があって、戦線に停滞を生ませる要因が、ラトルカには分からなかった。
だが、老婆は何も分からない子供へ優しく語りかける。それは本質を履き違えていると首を振って、
『ワシらは動けん。動くことが出来ない、王者を倒せない理由があるのじゃ』
「あ?」
『この世界で最も力を有する存在である神が、王者を排さずに結界を張るだけなのと同じじゃ。ワシら異端審問官に王者を殺す事は出来ず、その役目は勇者とその仲間でなければならん』
誤魔化されているラトルカは、それに納得出来ない。
仇である人間の仲間のやる事など、元より全てが気に喰わないのだ。戒められた手足を動かして、なんとか抜け出そうと無駄に足掻く。足掻いて、老婆を一発殴ってやろうと歯を食いしばって。
「ふざけんな! そんな曖昧な事聞いて納得いく訳ねぇだろが! 私は嫌だぞ! 絶対に王者なんか倒さない! アイツらが死にかけるなら絶対に見捨ててやる!」
『悪いが、ワシからは言えんのじゃ。それに言ったところでどうこうなる話ではない。あと、お主の参加は強制じゃ。契約で、持てる力の限りをもって勇者に協力すると誓っておろう?』
「お前たちが子供の私に無理矢理契らせただけだろうが! 私の意思じゃない!」
何も分からない子供に契約を結ばせた。
当時から、ルーメン・ラヴルージは異端審問官に目を付けられていたのだ。その力と才能と、禁忌に触れかねない危うさから、契約を結ばされていた。
彼の一族で最も才能がある人間、孫娘であるラトルカを勇者一行の魔術師として同行させなければならなかった。ラトルカは生まれてから二年もしない内に、将来は決められていたのだ。
「化け物め! 人間に成りすまして、人間を食い物にする化け物どもめ!」
『ワシらは一人残らず人間じゃ。全員タガが外れたロクでなしなだけで、の』
このままでは絶対に二人は交わらない。老婆が何をしたとして、ラトルカは絶対に気を許さない。
それほどに彼女の怨みは深く、押し付けた理不尽に怒っていたのだ。
老婆は仕方がない、と肩をすくめる。
おちゃらけた雰囲気から一転して、ラトルカを真っ直ぐに見つめながら言った。
『じゃあ誰があの小僧を、ルーメン・ラヴルージを殺したか、教えてやろうか?』
「!?」
ラトルカの心臓が不意に高まった。驚きと興奮から、短く息を呑む彼女の姿を見て、老婆はさらに続ける。
『ワシら異端審問官は全員残らずロクでなしじゃ。他の誰に何を聞いたところで、いちいち殺した相手のことなど覚えていない、で終わりじゃろうて』
異端審問官は全員、殺しに慣れすぎている。
一人一人、殺した人間の顔を覚えているほど、殺しに思い入れを作らない。どれだけ凄惨な事態を起こしたとして、次の日には『ああ、そういえばそんな事もあった』で終わり。
有名人を殺すとなっても、それでも一年すれば完全に記憶の彼方だ。もう二年前の殺しであるルーメン・ラヴルージの名前も、死んだこと自体知らないか、とぼけるでもなく素で忘れているかである。
ここでヒントを得られなければ、永遠に下手人は分からないままだ。
『今、異端審問官は六人。ワシではないから、候補は五人。当たりなど付けず、手当り次第に全員殺すにしても、異端審問官はそうヤワではない。一人殺すのでも奇跡じゃ。二人目は確実に殺せない』
「…………」
『今決めるといい。何も出来ずに、不本意のままに無為に戦うか、多少なりとも意味を見出すか』
ラトルカは、黙り込んだ。
どうすればいいのか分からずに、何度も言葉が声になる前に消えていった。
仇の仲間からの施しは受けないと突っぱねる事は出来ず、さりとてその話に乗ることも出来ない。
どうしようもないモヤだけが、ラトルカの心の中を支配する。
『どちらにせよ、ワシからの修行は受けてもらうぞ。アレが仕上がるまでに、あと二月はかかるからのう』
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そして、月日は流れ、戦線へ
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