43、救いを
悩んだ。
悩んで、悩んだ。
だが、答えは出ない。
リョウヘイはずっと、部屋に残って悩んでいた。
異世界に召喚され、元の世界では死んでいると聞かされ、何もしなければまた死ぬと告げられた。
彼の短い人生の中でも、こんなに悩んだことはない。進路のことだってもっと気楽に考えられた。
だが、これにはそんな余裕がないのだ。
ここで断ればどうなるか?
それはアドルフの言葉の通り。
全員まとめて死ぬだけだ。そこには当然ながら、リョウヘイ自身も含まれる。
王者がどんな存在かは、先程ほんの少し聞いただけだ。だが、人間すべてをこのまま行けば全滅という状況まで追い詰めているのだから、ヤバいということは考えなくても分かる。
人類の希望である『勇者』は確かに強かろうが、そこも説明された通りに、適切な鍛錬を積まねば一般人とそう変わらない。
断れば、死ぬ。
では、頷けばどうか?
それはきっと、断るよりも辛いかもしれない。
全ての人間の存亡をかけた戦いをせねばならない。さらに言えば、その要となるのは自分だ。それで負けたとなれば、ごめんなさいでは済まない。
平凡な彼には、荷が勝ちすぎるだろう。
押し潰されてしまうほどの重責を、自分から負うなど馬鹿げている。本音で言えば、逃げられるのなら逃げてしまいたい。
だが、それが許されるはずもない。
そんなことになれば、血眼になって彼らは逃げたリョウヘイを探すことになるだろう。逃亡生活のノウハウなどない彼など、簡単に連れ戻される。
本気で責任から逃げるのなら、首を括るしかない。
もちろん、そんな事はしたくないし、度胸もない。
「どうすれば……」
そうなれば、答えは一択だ。
戦うしか道はないし、責任は負うしかない。
何度も何度も苦しい思いをして、死にかけて、強くなって勝つしかハッピーエンドはない。
ババを引くしかない。何でこんな目に、と思わなくもない。
夢ならば良かったのだが、頬をつねっても痛むだけだ。二人の言い分が嘘ならばとも思ったが、感じ取れる覚悟と誠意がどうしても嘘とは思わせない。
それに、仮に嘘だとしていったい何だというのか?
向こうが権力者であることは見れば分かるし、それなら動員できる人間の数もかなり多いはずだ。特別な力を持っているらしいが、力の使い方を知らなければただの人。ねじ伏せるくらい訳もない。
それをせず、あくまでも誠意を見せ続けたのは、そういうことだろう。
目眩がしそうだ。
いきなり車に轢き殺された。
何か悪いことをした訳じゃない。人の金を奪ったこともないし、大怪我をさせたこともない。人を殺したこともない。ルールだってちゃんと守ってきた。死の間際も青信号で進んだのに、その仕打ちがこれだった。
本当に理不尽極まりない。悪くない者が割りを食うにしても、酷すぎる。
「…………」
手詰まりとしか言いようがない。
どんな手を取ったとして、ロクな未来が訪れない。
平凡な自分が異世界で『勇者』として選ばれたことを喜んで、楽天的にことを考える気にもなれない。
ないない尽くしだ。
こんなヘタレが『勇者』とは笑ってしまう。
代われるのなら誰かに代わりたい。もちろん出来る訳もなくどこまでいっても結果は頭をかかえるだけで、それでも心で何かが引っかかる。
どうしても、諦めて腹を括れない。
一日時間をくれと無駄な無理をしたのもそうだ。
不自由で、何も選ぶ権利のない立場と理解しつつも、無意味に悩んで時間を浪費している。無駄で無為でも、悩むくらいはしなければいけないと思ってしまっている。
これまでの行動の全てが逃げだということも、当然理解している。
だが、何か一歩足りない。
諦めさせてくれる、何か。
「ごめんください」
「…………!」
不意に、ノックが鳴った。
扉の奥から聞こえてくるのは、丁度昼間に話した人物のものだ。
警戒するようにゆっくりと歩み寄り、意を決して扉を開く。
すると、やはりそこには白髪の、『聖女』と呼ばれた少女が居た。
「夜分遅くに、ごめんなさい」
「いったいどうしたんですか? 俺に何か?」
「いえ、大した事ではないのです」
リョウヘイは、アイリスの雰囲気に呑まれていた。
優しげというか、儚げというか、このまま扉を閉めて無視しようとは思わせない程度には、印象深いものだった。
その仕草が、瞳が、リョウヘイに何かを訴えかけているように思える。
アイリスが目が覚めるような美少女というのもあるが、とにかく引き込まれるように魅入っていた。
「……とにかく、立ち話もなんですし」
自然と部屋の中に招き入れ、ソファに座らせる。
二人は机を挟んで向かい合い、お見合いのようにお互いがお互いの細やかな部分まで観察していた。
リョウヘイはアイリスから漂う高貴さに押されている。深窓の令嬢と言えるほどか細く、儚く、美しい。日本の男子高校生が送る日常生活では絶対に会えないような美少女を前に、緊張を隠せない。
昼は別の緊張があったために、アイリスの顔に集中できなかった。だが、今はゆっくりと見れるだけの思考の余裕があった。
一方のアイリスも、自分の立場上気まずさがこみ上げてくる。
彼は『勇者』で、自分は『聖女』だから、という理由だけではない。自分たちが自分たちの理由で一方的に引き込んでしまったことに、少なからず罪悪感はあった。
その事を恨まれているのなら、無遠慮をすれば信用を得るのに遠のくだろう。だから、少しだけ言葉を探している。
だから、二人は黙ってしまう。
「…………」
「…………」
どことなく気まずい空気が流れる。
どちらも両方をチラチラと見ているが、視線が合う度に気まずくて目を逸らす。そんな何とも言えない時間が流れていた。
だが、ずっとそれを流れさせるには居心地の悪い。
リョウヘイが沈黙を破ろうと、意を決して話しかけようとする。
けれども、その前にアイリスが声をかけた。
「少しだけ、話をしましょう」
「あ、え、話、ですか……?」
「ええ、話です」
イケると確信し、アイリスは本題へ入った。
空気が空気だけに上手く笑えなかったが、アイリスはリョウヘイの心臓をドキリと高鳴らせる微笑みを浮かべた。
「ずっと、話がしたかったんです」
リョウヘイはアイリスを拒否することなど考えにも浮かばない。
ただ、話をしてみたいと思った。
※※※※※※※※※※
「貴方にとって、私はどんな風に見えますか?」
「どんなって……」
会ったばかりの人間に、どんなも何もない。
見えてくるのは上辺だけで、知恵を絞ってあらゆる言葉を出したとしても、それは核心には程遠いものになるだろう。
それを言ってしまってもいいものか、とリョウヘイは悩む。
だが、ほんの少し考えれば、その上辺だけの言葉を相手が待っているのだと気付いた。
「…………」
それから、とにかく考えた。
アイリスを見ながら、これまでに彼女が放った言葉と取った仕草など、情報としては乏しいものを記憶から引っ張りだして、何とか言語にしようと試みる。難しい作業に悩み、時間がかかったが、その間もアイリスはずっと待っている。
邪魔するものもなく、ただ言葉を探し続けた。
先ず、思い付くのは美少女だ。
とにかく顔が良いし、スタイルも良い。ただボーッと生きているだけなら一生会えないと思えるほど見目麗しい。まるで本の中から飛び出してきたようで、流石は異世界だと思えるくらいに可愛らしかった。男として、こんな少女に尽くされるのなら喜びを隠せない。
それから、きっと優しい。
アドルフに色々と気圧されたときも、何かと気遣うようなことが多かったように思える。それはリョウヘイにだけでなく、アドルフにもだ。あんなにも険しげな老人を相手にして、それを気遣うなどリョウヘイには出来そうもない。仮に知り合い同士だったとしても、距離を置きたいと思う。それくらい怖い人間だったが、彼女にとっては心配の対象だ。
あとは、
「凄い人、だよ」
内面を考えれば、そう思えた。
ごく当たり前にその思考へと辿り着くのは、情けない自分と比べたからかもしれない。
「人類の命運とか、戦わないと死ぬとか、俺はもう震えが止まらないよ。俺みたいなただの学生が背負える責任じゃない」
「…………」
「でも、君はそんな重いものを背負おうとしてる。俺と歳も変わらないのに、素直に凄いと思う」
ウジウジと悩む自分の何と情けないことか。
アイリスは、これから命を賭して戦う気概を持っている。負ければ自分の亡骸に石を投げられることも理解しているだろう。彼女がどんな人生を送ってきたか、それはリョウヘイの知るところではないが、どれだけ苦しかったかを想像することは出来る。
既に一択に向き合い、挑もうとしているアイリス。未だに一択に迷い、遠ざけようと足掻く自分。比べればどれだけ違うか一瞬で分かってしまう。それに、どちらが情けないかなど誰だって分かる問題だ。
リョウヘイは心から思った事を言った。
だが、それにアイリスは首を振る。
「私はそこまで凄くありません」
リョウヘイには謙遜にしか聞こえない。
違うと口で言っているだけだ。立派なアイリスにとっては心からの言葉かもしれないが、それはリョウヘイにとって事実と異なるものだ。
少しだけ、アイリスの凄さに羨望を覚えてしまう。自分もこれくらい強かったらと思った。
それを察して、アイリスは弱く微笑む。
やんわりとリョウヘイの想像を否定するような表情に、彼は戸惑う。そんな顔をさせるような事を言ったのか、と思わず声に出しそうになるくらいに。
「私も、貴方と似た立場でした」
「それは、どういう?」
「いきなり『聖女』として連れて来られたんです。私が十歳の時だから、七年前に」
少しだけ意外だった。
この世界の仕組みなど何も知らないリョウヘイは、異世界らしく『聖女』に成れる人間を生まれた時から教会が保護して育てる、などかと想像していた。例えば、アルビノは『聖女』と呼ばれる条件の一つ、などとてもベタな話だ。
だが、そうではないらしい。
目を細めて、懐かしむようにアイリスは続ける。
「私は東側の大国リスフィア王国のサドレー領、その下町の貧しい孤児院で育ちました」
「それは……」
「十歳まで、本当にただの子どもでした」
笑いながら語るアイリスに、微かにリョウヘイは頬を染める。
愛らしい、可愛らしい、美しい。
長く見すぎると、恋に落ちてしまいそうだ。
「私が神聖術に目覚めた時、育ての親のシスターとも、孤児院の兄妹たちとも、別れたきりです」
その言葉は、きっと悲劇なのだろう。
人類の希望である『聖女』なんて約目を背負うのなら、それに伴った行動を伴わせる必要があるはずだ。慣れない生活どころではなかっただろう。いきなり、これまでの自分の全てを変えろと言われたのかもしれない。
苦しく、辛いものだったはずだ。当時十歳の少女が、いったい何を思って今に至るのだろうか?
少なくとも、リョウヘイは同じ立場なら嫌すぎて逃げようとする。
「シスターは厳しい人でした。よく叱られて、たくさん嫌な思いもしました。でも、それ以上に愛情をくれる優しい人でした。私もあの人から多くを学びました」
リョウヘイの母も似たようなものだ。
口うるさく何かを言ってくるし、それを何度もウザいと思った。だが、口うるさくとも返しきれないくらいのものを貰ったのは知っている。こっ恥ずかしくて言えないが、感謝していた。
「私たち孤児院を良くしてくれた貴族様が居ました。貴族なんて孤児はゴミくらいに思ってる人が多いのに、便宜を図ってくれたんです。よく視察にも来てくれて、護衛の方たちと一緒に父親代わりをしてくれました」
リョウヘイの父は、静かな人だった。
母がうるさい分、父はそれを差し引いたように静かだ。大体は会話は二言あれば伝わる、なんて馬鹿なことも言っていた。だが、悪い人ではなかったのは分かっている。言葉数は少ないが、その少ない言葉には強い価値が込められていたように思える。
「兄妹も沢山居ました。妹や弟たちは沢山居ました」
リョウヘイの弟は、やかましい奴だった。
母の口数を継いだとしか思えないほどペラペラと喋り、根っこが明るいから、クラスに一人は居るテンションの高い奴になっていった。兄弟だから喧嘩することも多かったが、最終的には全部忘れてケロリとする奴だ。嫌いじゃなかったし、自分なりに大切な弟だと思っていた。
「特に私と同じ歳の二人は仲が良かった。男の子のアレンはしっかりもので、私も兄のように思ってました。何でも器用に出来る、優しい人でした」
「…………」
「女の子のクララはどこか抜けた子で、妹みたいに思ってました。抜けてて、突拍子もなくおかしな事をする変な子で、でも頭の良い子でした」
「…………」
「家族が、大好きです」
どこか懐かしむようだった。
だが、その懐かしむという行為は、長らく彼女がリョウヘイの見知らぬ大切な人たちと顔を合わせていないのだと知らせていた。そして、彼女が七年の時を経てもなお、彼らを愛しているのだと分からせた。
きっと愛している家族と離れ離れにされて、それでもきっと彼女はひたむきに進んできたのだろう。めげる事なく、邁進し続けたことだろう。だが、それなら引き離した原因を恨んでもおかしくはない。きっとそれは、心が抉られる非道なのだ。
だから、その心意気が不思議だ。悪い事尽くめだというのに、立派に『聖女』をしようと努力している。
それが本当に、何故なのか?
「……嫌じゃ、なかったのか? 家族と離れ離れにされて、いきなり知らない土地に連れて来られて、その上とんでもない大役まで背負わされて」
彼女の語った通り、確かにリョウヘイと同じ立場だった。きっと、突然沢山の理不尽が襲いかかったのだろう。今さっき、リョウヘイが辛いだろうと思う事をすべて経験し尽くしたのがアイリスなのだ。
心が折れるだけの経験があったはずだ。何度も逃げたいと思ったはずだ。そうでなければおかしい。その前段階のリョウヘイでさえ、決めきれずに悩んでいるのだから。
それにアイリスは答える。
全てを見てきた彼女の、経験談だ。
「辛くないはずがないです」
それはそうだろう。
だが、彼女には死を恐れずに戦う意志がある。人類を救ってしまうほどの強い覚悟がある。辛く苦しい経験を経て、それでも今こうして前を向いているのは、きっと彼女自身の強さがあればこそだ。
リョウヘイには、やはり彼女の凄さしか伝わらない。何を言いたいのか、図れずにいた。
だが、アイリスはそれも否定する。
自分は大した事はないと、主張し続ける。
「でも私は、家族が居ました」
むしろ、自分の方が弱いと言っている。
謙遜ではなく、自分なりの確かな理論ではじめから答えていた。
「支えが居ました。私が折れれば、あの人たちも諸共。そう考えるだけで、必死になれました。私と貴方の立場は似てますが、ここだけは違います」
心に支えがあるかどうか
アイリスは、似ていてもここが違うから、あらゆるものが違っていると言いたいのだ。
アイリスの家族はまだ生きている。そして、彼らを想うからこそ頑張れてこれたのだというのだろう。彼女自身の強さもあるが、そこが大きいとアイリスは思っている。
だから、アイリスはリョウヘイが不憫でならないと思っていた。
「でも、貴方には理由がない。命をかけるための理由が、やはり自分の命しかないのは……」
「…………」
家族
そう、家族だ。
特別仲が悪かった訳でもない、普通の家族が居た。
何も言えずに別れてしまうことになったのは、胸に引っかかる何かと言えるのかもしれない。
ずっとモヤモヤしていたのだ。何ともいえない、腹を括るには足りない何かが、見えたかもしれなかった。
「ごめんなさい」
アイリスは、深く頭を下げた。
それは謝罪だった。
彼女が悪い訳でもないはずなのに、申し訳なさそうに、謝意を示している。
リョウヘイは理解出来ない心意気だ。
「ただ苦しい世界に呼び出してごめんなさい」
確かに苦しいのだろう。
その役目の辛さは、彼女こそが誰よりも分かっている。期待という呪いをかけられて、七年も向き合い続けた少女が言うのだ。それが間違いであるはずがない。
「せっかく得た二度目の命を、大切な人たちに会うために使わせてあげられなくてごめんなさい」
傲慢な言い分だったのかもしれない。
だが、アイリスの誠意はとても強く感じられた。それは彼女が家族を深く愛しているからで、胸の取っ掛かりを分かってくれているからだ。
アイリスの言葉が、強く沁みる。
「……それは、アイリスさんのせいじゃない」
「でも、」
「俺を殺したのも、この状況も、貴女のせいじゃない。気にしないでほしい」
アイリスの言葉が刺さった。
それと同時に、自分の幼稚な思考に気が付いた。
確かに嫌だった。大きな責任を負うことも、辛い想いをすることも、弱くて普通なリョウヘイは全力で避けたかった。
だが、避けたい理由はそれだけではなかった。
言ってみればそれは、元の世界への未練。別れの挨拶すら出来なかった家族や友人を思い出し、もう会えないと考えると悲しくて、とにかく全てを放棄したかった。
諦められなかった。思いの外強い想いは、リョウヘイの行動と心を止めていた。何も悪くない少女に謝らせるくらいに、不貞腐れていた。
(ダッセェ……)
リョウヘイに世界を救う心意気はない。
普通で平凡な彼には、出来るはずもないことだ。
だが、もう既に義務と義理が生まれている。
義務は勝手に出来た。
彼が『勇者』となったその時から、世界を救わなければならない。知ったことかと切り捨てても構わないが、それで死ぬのは自分も含めて全員だ。今アイリスが語った家族も死ぬし、アイリスも死ぬ。
あまり見たくない光景なのは確かだ。まだ会って一日の関係だが、それでも彼女が血塗れで倒れ伏す姿を防ぎたくないかと問われれば、防ぎたいに決まってる。
義理は勝手に生まれた。
本来ならば、こんな時間はなかったはずのだ。何も分からず、何も思わずに死ぬはずだったのに、今こうして息をし、言葉を吐いているのは間違いなく『勇者召喚』のおかげだ。
今、リョウヘイは死ぬつもりはない。なら、拾った命をうだうだ言うのは間違っている。自分の命に不満を持つなど、死んだほうがマシと言っているようなものだ。
答えは出た。
子どもらしく、泣き喚くつもりはない。
「……やろう」
「えっ?」
「やる。俺は、やるよ」
やるしかない。
そう覚悟を決めるのに時間はかかったが、人類の希望、『勇者』リョウヘイ・サヤマはこの瞬間に生まれ落ちた。
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