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42、不自由


 その日も普通の日常だった。

 学校が終わって、家へ帰ろうとしていた最中のことだ。

 いつもの帰り道を通っていたが、信号で少しだけ待っていた。別に何も変わったことはなく、ただ青信号に間に合わなかっただけである。

 少しそれにイラつきながら信号が赤から変わるのを待ち、スマホを取り出して何をするでもなくただ見ていた。

 ボーッとしていると、その内信号は変わる。

 青になって、小走りで横断歩道を通り過ぎようとした途中のことだった。


 衝撃が横から走る。

 重い何かが、凄まじいスピードで、駆け抜けた。

 それが彼にぶち当たった。


人が乗っていた。それは男だった。なんとなく驚いたような顔をしていた。赤色の普通自動車だった。きっと信号無視をして横着したのだと察した。何度も目が回った。地面が近づいてきた。空は青かった。なのに自動車ではない赤色が散っていた。悲鳴が聞こえた。駆け寄る人間が居た。スマホを取り出している人間も居た。怒号が聞こえた。体が動かなかった。痛かった。野良犬が居たかもしれない。野良猫だったかもしれない。お金がかかると思った。腕の関節が二つになっていた。片目が見えなかった。口から何かが漏れ出ていた。声が声にならなった。誰かが駆け寄っていた。赤色がずっと散っていた。誰かが笑っていた。誰かが怒っていた。誰かが泣いていた。隠していた。楽しそうだった。喚いていた。命が零れていくのを感じた。思い出が溢れた。弟の顔が浮かんだ。父親の顔が浮かんだ。母親の顔が浮かんだ。友人の顔が浮かんだ。祖父母の顔が見えた。葬式の光景を思い出した。黒い黒い場所だった。これは死だと思った。つばか血か分からなかった。暗かった。明るかったのに暗かった。初めての経験だった。コンクリートが赤くて黒かった。何がなんだか分からなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。死にたくなかった。



 ※※※※※※※※



「だから、貴方が『勇者』なのです」


「…………」



 聖国の中央部


 最も奥にある、隠された部屋。

 調度品が揃えられた所と、その秘匿性を鑑みるに、きっと密談等の理由で使われる場所なのだろう。

 教会には神聖さがあれども、運営するためには政治が必要だ。勿論あくどい事も、後ろめたい事もしてきたのだろう。この部屋は、ある意味その証拠になる場所だった。


 部屋の中にいる人間は三人。

 一人は豪奢な神官服を着た老人だ。

 金色の髪には多く白髪が混じっているし、顔に見える深く刻まれた皺は数え切れない。

 明らかに七十は超えているだろうが、その背筋は曲がらず、瞳には隠しきれない知性が灯っていた。

 老人の名前はアドロフ・ガードナー。教会の最高権力者である、教皇である。


 そんな古狸と呼ばれるに相応しい彼は、凄まじい剣幕で話をしていた。

 鬼気迫る、という表現か相応しい。

 教皇という教会のトップにまで上り詰めた狡猾な彼が、必死になって話をしていたのだ。

 珍しいなんてものじゃない。普段はその蛇のような瞳を潜めて、好々爺を演じている彼が、だ。為政者に必要な厚い仮面を、決して外すことのない彼が、だ。


 剣呑な様子のアドルフ。

 それに対して二人目は、他人を落ち着かせるような優しい声で言う。

  


「私達を救ってほしいのです。傲慢とは分かっています。ですが、もう余裕がない」



 二人目は女。

 完全な白髪と赤い瞳を持つ、見目麗しい少女だ。その白い髪は絹のようで、その赤い瞳は紅玉のよう。女性らしい部分から、肢体や髪の先に至るまで、本当に惹かれる魅力がある。

 彼女は『聖女』アイリス。

 教会の象徴の一つでもある、世界で最も神に近い人間である。


 普段から優しさが所作や言葉に滲む彼女だが、今回ばかりは少しだけ違う色が出ていたように思える。

 焦りというべきか、強制というべきか。

 珍しく、似合いもしない圧力に近いものがあったように思える。


 そして、最後の一人。そんな世界でも最高に近い権力を持つ二人に囲まれているのは、黒い髪を持つ青年だった。

 これといって特徴のない、普通の青年だ。歳はアイリスと同じでかなり若く、挙動不審気味にアドルフとアイリスを交互に見ている。その中でも何度も何かを考え込むような仕草を取っており、二人に比べれば間違いなく貫禄がない弱気な人物だった。

 だが、彼が人類の希望と誰が信じるだろう?

 青年は、異世界から召喚された至高の存在。

 彼、サヤマ・リョウヘイは、『勇者』だ。



「俺が、『勇者』ぁ?」



 疑問と疑念が抜けない。

 まあ、仕方がない。ほんの少し前まで高校生をしていた、ただ青年が気が付いたらこの状況だ。

 それはとても信じられないだろう。

 暗闇の中のような記憶の端から、目が覚めればそこには見知らぬ人間だらけの場所。ドッキリか何かとするには、あまりにも浮世離れしている。

 首を傾げても、顎に手を当てても、天井を見上げても、答えは出そうにない。

 手っ取り早く答えを聞こうと、リョウヘイは二人に問うた。



「なんで俺なんかが? 『勇者』なんて立派な立場、俺なんかよりもずっと相応しい人が居るんじゃないですか?」


「かもしれません」



 それにアドルフが即答する。

 確かに自虐するような質問であったが、それを即座に肯定されるのは微妙な感情だ。

 リョウヘイは『まあ、俺が言ったんだけど』と小さく呟く。

 若干暗い雰囲気に陥った『勇者』を無視して、アドルフは厳格な声色で語った。



「ですが、『勇者召喚』には制限があります。我々が途方も無いほどの準備を重ねて、ようやく行った一度です。それが極悪人でさえなければ誰でも構いません」


「…………」



 リョウヘイはやはり微妙な気持ちだ。

 誰でも良いのに大役が自分に回ってきたというのは、運が良いと喜べばいいのか、面倒事を押し付けられたと嘆けば良いのか分からない。

 腕を組んで考え込む。

 何を聞くべきか、何をするべきか。

 どうする事が正解なのか、政治や腹芸などまるで分からない男子高校生には答えなど出そうもない。


 それを見て、アイリスが動いた。

 リョウヘイの混乱の糸を解くように、重要な事柄を説明する。



「ごめんなさい。いきなりで混乱しているのは分かっています。ですが、私たちには余裕がないんです。異世界人の貴方に頼るくらいに、状況は良くない」


「……救ってほしい、でしたね」


「ええ。人類の現況は、あまり良くありません」



 アイリスは、真に憂いた顔で語った。

 それを見れば、事情を知らない人間でも、かなり深刻なのだと分かるはずだ。泣きそうなほどに困り果てたような美少女の話を自然と聞こうと思うくらいには、リョウヘイは男子らしい男子だった。

 取り敢えず話だけでも、とリョウヘイは心の警戒具合を引き下げる。

 怪訝そうな顔をそのままに、黙ったままアイリスの話を促した。



「東西南北に四体、魔物たちの王が居ます。本来群れることのない強力な魔物すらその力で束ねられ、人類はジワジワと中央へ押し込まれ続けているんです」


「それなら、この世界の人間は……」


「このまま魔物の王、王者たちの進行が続けば、人間は滅びるでしょう。一人も生き残れません」



 滅びる。

 一人残らず死ぬ。


 その言葉には、重さがあった。

 アイリスは、これまでずっと王者や戦線、その歴史の教育が施されていたのだ。実物は見たことはなくとも、軽んじるほど知らない訳でもない。

 事情を知らない異世界人へ、その重さを少し伝えるくらいならなんともない。

 実際、その重みにリョウヘイは震えている。

 明確な死をイメージさせられる雰囲気は、小市民で平凡なの彼を脅すには十分だった。



「俺に、そいつ等を倒してほしい、と?」


「ええ。勿論『聖女』である私も、他に来る二名の仲間も付き添います。私たちは勇者一行として、王者を倒すために戦います。勿論、私たちは貴方を命がけで守ります」



 覚悟が桁違いだった。

 警戒はしつつも、どこか多少フワフワと浮かれていたリョウヘイ。だが、これを語るアイリスを見てそのままで居れるほど、能天気ではない。



「でも、俺は強くありません」


「貴方はそうでも、『勇者』は違います」


 

 誰であろうと、『勇者』に選ばれれば強くなる。

 天才でも凡才でも関係はない。

 この世界に召喚された時点で、その身にあり得ないほどのエネルギーを宿しているのだ。それを運用する術を学んでしまえば、どうとでもなる。

 どういうことか、とはてな顔のリョウヘイだが、それは何となく分かったようだ。自分に何か特別な力が与えられたのだと察する。



「召喚される時に神様が加護を与えてくれた、みたいな?」


「違います」


「後で説明しますからその話は今はいいです。とにかく、戦闘に関して不安はないとだけ分かっていてください」


「…………」



 バッサリと切り捨てられて少しヘコむ。

 ヘコむが、機微を察するのには人並みな彼にとって、二人が相当焦っていることは分かる。

 だが、少し考えれば分かる話だ。

 人類の存亡をかけて行った『勇者召喚』で呼び出した『勇者』が、協力拒否など洒落にならない。仮に強制的に従える何かがあったとして、それよりも心から賛同させて手伝ってもらった方が良いに決まっている。

 だから、とにかく了解の言葉が欲しくて仕方がないのだろう。この交渉に、リョウヘイには考えも付かないモノがかけられているのだから。



「……俺がもし、戦うのが嫌だって言ったら?」


 

 空気がピリつく。

 アドルフは鋭い眼光でリョウヘイの顔を伺い、アイリスは心配そうに二人を見つめる。ほんの一瞬だが、一触即発という最悪の状況に陥りそうだった。

 だが、それも仕方がない。どうやって『勇者』としてリョウヘイを召喚したのか、それは計画を統括していたアドルフが一番分かっている。それに、『勇者』がどれほど人類の期待をかけられているかも、十二分に分かっている。

 そこを台無しにするような発言に、心中穏やかではないのは当たり前だ。

 リョウヘイは緊張から唾を飲む。

  

 険悪とも言える雰囲気。

 しかし、それもすぐに霧散した。



「……先も言った通り、王者たちとその眷属は、着々と人類の生存圏を侵しています。『勇者』様が戦わないのなら、貴方ごと全員死ぬだけです」



 アドルフは静かに語る。

 感情を切り離したような、落ち着いた声色だ。

 多少不快に思っても、彼は政治が出来る大人だった。これまでが少し感情的すぎるくらいだ。

 軽く息を吐く彼からは、暴力的な空気を感じない。アイリスもリョウヘイもヒヤリとしたが、杞憂だったと胸をおろした。


 だが、アドルフの言葉はかなり物騒だ。それでいて、至極真っ当とも言える。

 リョウヘイにとっては、もうこの世界の問題は他人事では済まないのだ。引き込まれた時点で、もう選択肢などないに等しい。

 死にたくないなら、戦うしかない。

 これまでの言葉が嘘とも思えない。あくどい事をするのなら、もっとやりようも言いようもあるとリョウヘイでも思ってしまうからだ。



「心配しなくても、すぐに一流程度にはなれます。それから王者たちの戦線で戦えば、誰にも負けないくらい強くなれます」


「俺は……」


「貴方のこの世界での行動は、すべて我らが責任を取ります。我らにはそうする義務がある」



 自分たちの世界のことを、他の世界の人間に任せるという不甲斐なさを呑んだ言葉だった。

 苦しみに満ちた人間が、絞り出すような。この誠意があるから、リョウヘイも言葉を鵜呑みにしてしまう。


 リョウヘイは考え込む。

 ここまでされて、もう良いのではないかと思ってしまう。

 だから、最後に一つ聞くことにした。

 意を決したように、リョウヘイは言った。

 


「…………」


「『勇者』様?」


「これだけ、聞かせてください。俺は元の世界に、帰れるんですか?」



 ラノベみたいな展開に、何も思わないはずがない。

 すぐには信用しない最低限の注意深さはあっても、平凡な自分にはまず訪れないだろう状況に興奮するくらいの少年心はあった。異世界に『勇者』として呼ばれて、自分は特別なのかもしれないと思ったりもした。

 けれども、そうはいかないと理性が訴える。

 旨いだけの話なんて、あるはずがない。

 


「…………」


「……不可能です」



 言い淀んだアイリスに変わって、アドルフが答える。

 とても言い難いことだが、答えるしかない。

 呼び出した者が行う、呼び出された者へのせめてもの誠意だった。信用を得るためには、これを見せなければ話にならないからだ。

 アドルフは平坦な声で語った。



「術の性質上、迎え入れることは出来ても送り返すことはできません。それに私たちは貴方を肉体ごと呼び出した訳ではない。魂だけを呼び出して、そこに肉体を作ったのです。魂という非物質に限定するからこそ、次元の壁を超えられる。魂だけ戻すことなら理論上可能ですが、それに意味はないでしょう?」


「そうですね……」



 細かい理屈は分からない。

 それでも、帰還が絵に描いた餅だと分かる。

 それだけでも自然にがっくりと肩が下がるのが分かるが、その先にも帰れない理由があると知っている。

 リョウヘイがあえて触れなかった、思い出したくない領域だ。


 アドルフはそこに触れて、続ける。



「それに、貴方は元の世界では、もう死んでいるんです」


「そう、ですね……」



 異世界へと渡る前の最後の記憶を思い浮かべる。

 それは、車に轢かれて血まみれの自分。命がこぼれ落ちていく冷たい感覚に支配されていた。アレが夢幻とは思えないし、そのときの痛みは今でもちゃんと覚えている。

 死人に戻る場所は存在しない。

 分かっているが、なかなかに堪えるものだった。



「肉体がないから呼び出せます。それに死んでいるのなら、未練は少ないだろうから、死者を選んで召喚します」


「そうですか……」


「卑怯とは分かっていますが、道は一つしかないとご理解ください」



 頭を下げるアドルフを、リョウヘイは空虚な目で見つめていた。

 一番避けたいことを聞かされて、それでもリョウヘイが自分自身でも驚くほどに何も感じなかった。

 ただ、どこか疲れたように目を閉じる。


 

「『勇者』様……」


「私どもの勝手に巻き込まれ、死後の安寧を捻じ曲げられたことは分かります。厚かましいとは思いますが、どうか……」



 心配するアイリスと、利を優先するアドルフ。

 二人の違いが分からないくらいに、リョウヘイはどうすればいいのか分からなくなっていた。

 だが、そんな彼には選択を迫られている。

 ほとんど一択に近いが、それでも選ばなければならない。そして選べば、ずっと自分の選択に縛られることになるだろう。

 分かっている。一択とは分かっていて、選べない。


 だから、アドルフの言葉への返答は、実に曖昧なものになってしまった。



「すみません、時間を、ください」



 二人はそれで察してしまった。

 座って、悩み続けるリョウヘイを前にして席から立ち上がる。

 それから深く頭を下げた。



「どうか、宜しくお願いします」



 リョウヘイはそれを見送った。

 見送る以外に、何も出来なかった。


ブクマと評価お願いします。

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