33、絶望
恐怖心が神聖術を強くする。
世界でただ一人、クララというイレギュラーだけが提唱する理論だ。
とはいっても、一人で勝手に言っているだけで広めている訳でもなんでもないので提唱する理論というのはおかしいかもしれないが、とにかく理論だ。
もしもこれをクララ本人に聞けば、これが自分を強くしたと何の躊躇いもなく自信を持って答えるだろう。きっと、こうすれば強くなれると何の疑問もなしに言う。
間違っているなど心の底からまったく考えていないし、自分が特別なのだとも思わない。
それに、胸を張って答えるくらいの気概と自信はあるのだ。
誰に言うのだとしても、クララは真顔でその理論を説明するだろう。自分がこうなのだから他人も同じ手段でいけるだろ、くらいの感覚だ。
だから、気軽にその感覚のままに他人にこの理論教えて、その先まで望まれれば同様に鍛えてやる。
他の異端審問官には、適当な子どもを拾い上げ、真っ当な弟子を育てる者も居るのだ。それを見ているクララは、まあ自分にもできるだろう、と考えていた。
だが、この理論で成功した例は一つしかない。
俗に言う天才であった幼馴染の少年を、死の淵にまで追いやってようやく成功したくらいだった。
強い恐怖心を生む状況を無理矢理作り出し、そこに陥れる形でようやく感覚を掴ませたのだ。それ以外に成功例は何一つとしてない。
クララの理論がクララの中でしか成立しないというラインを、ギリギリで踏み止まらせているのは彼の存在だった。彼が居る限り、一応は絶対に間違った理論ではないのだ。
しかし、七年経った今ではそれもかなり薄れてしまった。
問題なのは、それで彼が強くなってしまった事だ。
恐怖心が人を強くするのは、人が恐怖心から逃げようと足掻くから。
充分に足掻いて、充分に距離を開けた彼にとっては、恐怖心はかなり縁遠いものに変わってしまった。
クララには及ばすとも、人間に限定するならば、今や彼は世界で十指に入る実力者なのだ。魔物も人も、彼からすればその大半が格下で、戦って負けることなどほぼあり得ない。
だから、彼の強さの一つは薄くなってしまった。
クララの理論の脆弱さが現れてしまったのだ。
さらに言えば、これは理論の終わりでもあった。つまり、もしも彼以外の成功者が生まれたとして、彼にも、まだ見ぬ可能性にも、その先に展望はないということなのだ。
恐怖心が神聖術を強くする
これは使えない。
恐怖心を克服できれば、弱くなるというのも同義だ。
彼が今もなお強い理由は、彼自身の素質の問題である。あくまでも恐怖心は神聖術を使えるようになるためのきっかけであり、今は自分の解釈で、自分で力を引き出しているのだ。
彼にとってはただの足がかりであり、もう必要のないものなのだろう。
だが、クララ本人だけは違った。
提唱者のクララからしてみれば、それで弱くなる彼の方がおかしいのだ。
確かに彼は強いだろう。何でもできる彼は、何でも小器用にこなしてみせる。
恐怖心など無くとも神を信じ、神聖力を引き出せる。
そこからは彼のものだ。
何を思い、何を感じ、何を願って力を借りて、どう戦うかの理屈は、彼の中にしかないのである。
けれども、それを言うなら、だ。
それを言うなら、他にはあり得ない、クララだけの素質が存在するだろう。
クララという存在、魂に刻み込まれたソレだ。
十数年生きていても衰えず、なおも苛む毒のようなソレ。
根源的な『死にたくない』という衝動。
クララは前世をほとんど覚えていない。
家族や友人の顔も分からないし、元の世界の知識も曖昧だ。
そんな憐れな魂に残ったのは、死にたくないという生存欲求だけだった。
強固な意志も、立派な志もなく、ただ生き残りたいから生き残った。
その果てがクララだ。
生への渇望という呪いと、少しの特別なナニカがクララを作り上げている。
恐怖心とは、その呪いの事だ。
絶えず精神を蝕むそれこそ、神へと力を縋らせる。
今すぐ救ってくれ、助けてくれ、何で自分がこんな目に。それが無ければ、理論は成り立たない。
だからクララの強さは異常なのだ。
異常な心理から異常な信仰が生まれる、というだけのこと。そして、異常な信仰は強い意味を持ち、強さへと還元される。
神という存在への確信
祈りへの深い理解
世界を外から見るような視点
それから生まれる神への不遜さ
恐怖心
これらがクララを強くする。
だから、本気で怯えたクララは強い。
それこそ、上位精霊を七体まとめたよりも。
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壊れる
メイスを一振りすれば、男が身を守るために創造したシェルターが粉微塵だ。
これは『土の上位精霊』から作り出した合金。硬さは金剛石を軽く上回り、重さを重視して作られたそれは人間一人分の体積で万人集まるよりもなお重い。
それが紙くずのように軽く飛ばされる。
そのパワーは手が付けられないどころではない。これまでは近付けさせないから上手くいっていたが、男に近付かなくてもその怪力の影響が来る。
完全に男には、その力は対処不可能になっていた。
崩れる
クララにとっては一歩だ。
だが、向かって来られる男にとっては一歩どころか千歩でも足りない。
男は全力で後方へ引くことだけに力を注いでいる。けれども、それだけで何もできない。『風の上位精霊』の力で風に流される男は、音もなく音を超える。さらには『光の上位精霊』で姿を隠しているために、男は完全に無色透明だ。
姿は見えず、音は聞こえず、高速で動き回る男。
それへクララは攻撃をし続けた。
クララが取った手は雑にメイスを振るうだけ。
大体ここに居るだろう、と思った場所へ振ると、暴風と衝撃が生まれる。
地面が大きくめくれ、巻き上げられた砂が嵐のように吹き荒れた。超広範囲の爆撃のようなものだ。
防ぐので精一杯。
攻勢に出るなど、死ねと言っているようなものだった。
強い
選択を間違えれば死ぬ。
クララという暴虐に対して、男は引く事しかできない。それも、繊細な作業の上に成り立つものだ。逃げればいいというものでもなく、頭を使わなければすぐに詰む。
これまでのクララの神聖力は凄まじいものだった。
だが、言葉に、仕草に、心に恐怖が滲み出してからは、その比ではないほどに力が上がったのだ。いくつかの町どころか、多数の都市を覆うほどの力の塊。結界で覆われていなければ、遠く離れたトロンの都にさえ届くほどだ。
それを、その全てを男を殺すために使われている
クララの体を突き動かす力には限界はなく、男を殺すためにかける労力にも限度はない。
死ぬ
男は自分の眼前に死が広がっていると気付く。
そこから逃れようと必死になって、神に等しいはずの精霊をこき使った。
これまでの教えと積み上げた経験をかなぐり捨てて、助けてほしいと本気で願いながら精霊術を使う。
皮肉なことに、この時の男は過去最高の力を発揮していた。精霊へ感謝しながら祈ったときより、仲間を侮辱されて怒ったときより、逃げるための行動こそが至高に近かった。
だが悲しいことに、それでは超えられないほど敵は強かった。
「クソッ!」
壁は壊される。
指向性をもった衝撃は、簡単に防御を貫通して男を痛めつけるのだ。
男は地面に叩きつけられ、グルグルと視界を回した。
だが、蹲ってはいられない。
動くのを止めるというのは、そのまま男の死に直結するのだ。
すぐにまた立ち上がり、動き出す。宛もなく、打開策もなく、ただひたすらに逃げるために。
そんな男をよそに、追うクララはひたすらに静かだった。
「…………」
クララは必死な男をゆるりと追い詰めていく。
一言も発さず、男への殺意と恐怖だけを胸に秘め、何ものこらない荒れ果てさせた地を踏みしめる。
その目には、言いようのない猜疑が籠もっていた。
異常なほどの警戒は、クララの歩を緩ませる。一つ一つ、罠がないかを確認しながら慎重に進んでいく。
森は敵のテリトリーだという事を肝に銘じ、剥げていない土地を踏み入る前は絶対にその全てを壊していった。
元々、男とクララとの戦いの余波によって原型などとどめていない森だったが、残った残骸を塵に変えていく。念入りに念入りに、偏執的に壊していく。
今のクララを誰も止められなかった。
魔物も、人間も、精霊も変わらない。
クララに近付けば全てが粉微塵になるだけだ。何も語らない、何も感じない化け物は、目に付いた物をすべて壊していく。
これが知能のない、化け物の形をした化け物だったならもう少し納得がいくだろうが、クララは人間だった。
人間が化け物のような行動を、機械のように実行していた。
理屈ではない気持ち悪さを感じる。
だから、男はその気持ち悪い化け物が居る方向へ顔を向けた。向かざるを得なかった。
まだ微かに残る木々と距離のせいで肉眼では見えないのだが、そんなことは関係なかった。
あまりの存在感に、見ずにはいられないのだ。
「はあ……はあ……はあ……」
嫌な汗が滲む。
肩で息をする男だが、その息がやけに熱く感じた。まるで自分の命が溢れていくかのような、不吉な感覚だ。
ふとした瞬間に自分が死にかけていることに気付く。
男は、恐ろしくて仕方がなかった。
だから、男は必死だった。
化け物と少しでも距離を取りたくて、逃げたくて。
人間とはかけ離れたソレを相手にしたくなくて。
はじめに自分と同じかもしれないと思ったのは、勘違いも甚だしかったのだと悟った。
男は人間だった。
天才だともてはやされ、最強を自負し、それに見合った結果を受け取ってきた。男は特別扱いされるだけの能力を持っていたし、選ばれた存在なのは間違いはない。
しかし、どこまで行っても人間なのだ。
人を超えた化け物には勝てない。
男にとって、向かって来るのは絶望だ。
ハリボテの神聖さを纏い、その実は魔物などよりもよほど質の悪い悪夢だ。
逃げ切れるのなら、手足を放り出してでもみっともなく逃げ出してしまいたい。命乞いが通じるのなら、手と額を頭に付けて懇願したい。
だが、それを敵が許す訳がないと知っている。
「…………!」
自身の無様さを自嘲する間もなく、場面は動き続ける。
男はその場から全力で飛び退いた。
飛び退いた次の瞬間には、何かが男の目で追える許容速度を遥かに超えて何かが地面に打ち付けられる。丁度、男が居た地面にだ。
大きく凹んだ地面から、どれだけの威力であったかが分かる。
やって来たのは石だった。
膨大な神聖力が込められたソレは、摩擦で真っ赤に燃えている。本当なら燃え尽きてしまうはずの石は、神聖術によって無理矢理再生させられて形を保ったのだ。
そして男にとって問題なのは、遠距離攻撃の手段をクララが行ったこと。そして、正確に石を飛ばしてきたということ。
攻撃が飛んできたのだ。これまでのような雑な攻撃とは違い、位置を特定した完璧な攻撃だった。
これまで隠密を貫いてきたからこそ、男は理解した。
隠密に慣れられてしまった、と。
男の隠密にしても、力を使ったという痕跡は残るのだ。男の卓越した技術によって上手く誤魔化してきたが、何度も何度も見せれば糸口を掴まれるのは当然のこと。
もう既にクララはかなり正確に位置を割り出し、攻撃を行える。
完璧に詰みだった。
逃げるしか手が無かったというのに、その逃げすらも潰されかかっている。
「ここで終わり、か……」
確信していた。
もう、終わりが近いということを。
自然と頬が釣り上がる。
こんな訳のわからない化け物に殺されて終わりなのかと、笑うしかない。
誇りがあったのだ。
どんな強者が相手だとしても、負けない自信があったのだ。
それも突如として現れた、本物の化け物によって砕かれてしまった。皆を守ってみせるのが義務であり、力を持つ者だけが出来る権利だったはずなのに。
戦えない者を逃がすだなんてとんでもない。
時間稼ぎだなんてとんでもない。
有利だなんてとんでもない。
小さな、いや、男にとっては圧倒的な不利すらも、ねじ切って叩き壊す事が化け物には容易だったのだ。
理不尽の極みである。
そしてこんな化け物を寄越した神も恨みたいが、男にはもうそんな気力はなかった。
(…………)
化け物が暴れた後には、きっと何も残らないだろう。
これまでの人の命も、これまでの長い歴史も。精霊という存在すらも消え去ってしまう。
覚えている人間が死に絶えるのだ。
自分の中の大切なものも、すべてが無になる。
残ったとしても、間違いなく化け物が壊して終わる。
それを許容するしかないのだ。
「いや、違う」
終わる。
化け物が言うように何の意味もなく、ただただ死ぬだけだ。
「そんな事が、許せるはずがない……」
誰であろうと関係ない。
部下も、妻も、子も、死ぬ。
「俺は、こんな所で死ぬ訳には……!」
立ち上がる。
そして、
男が気付くと再び地面に伏していた。
気が付けば、男の脚は半ばから千切られていた。
※※※※※※※※
神聖術は人の願いを神が形作ったものだ。
人々が神へ助けてほしいという願い。
神がそれを叶えてあげる形によって成り立っている。
それを知る人間はそう多くない。だが、世の神官がそれを祈りこそが原動力と思い、使うという正しい形を保っているのは神の意思だ。
祈りや願いに具体性を求めてしまえば、純粋な想いが薄れてしまう。
だから、皆はただ祈る。
しかしクララは、そこに具体性を付け足した。
クララはそれの漠然とした願いに詳細な認識を作り出し、具体的な言葉を加えていたのだ。
本来ならば、それでは神聖術は弱まってしまう。力の主が強大で、理解不能であるからこそ人は純粋に祈れるのだ。理解不能の部分を削ってしまえば、どうしても信仰心に陰りが出る。不信とまでは行かないが、理解できればそれだけ神へ近付いたということ。
手が届かないからこそ崇め奉る。
だが、クララにとってはまったく問題がない。
神への敬意なしに、クララは力を引き抜ける。
全く別の視点から成立させる神聖術は、並の人間よりも遥かに強力だ。
具体性を持たせるデメリットは存在しない。
クララが神聖力を引き出すために必要なのは、神は力を無限にくれるという認識と、死にたくないという恐怖心だ。
神への敬意などあったものではない。
そんなクララには、神聖術においてデメリットはなくともメリットだけが残る。メリットとは、より深く願いに近付いたことによってさらに術の自由度が上がり、普通では考えられない力を発揮すること。
例えば三つの神聖術の一つ、『回復術』は『あるべき形へ戻す』という願いが元なのだ。これは人間の傷を癒やす事を目的としている。
だが、クララからすればその対象に物も含まれるのだ。
曖昧な認識の元で神聖術を使う、無機物を治すなど考え付きもしない他の人間と比べればその自由度は明らかだろう。
例えばの延長になるが、『結界術』も同様だ。
『我らを守り給へ』という願いを理解しているクララには、より自由な結界を作り出せる。
透明な手足もそのお陰だ。身を守るための術として発現させた能力の一端である。
ここまで自由に形をイジれる者は居ない。何でも作れる訳ではないが、義手の役割を担える物を作れるのだ。
仮にだが、結界に棘を生み出す事もできるだろう。
そしてその棘を操って、敵を攻撃する事だって出来るはずだ。
その結果が、今だった。
男の脚には透明な棘が突き刺さっている。
場所は『聖域』の一箇所。そこが盛り上がり、鋭く尖りながら男の脚目掛けて伸びてきたのだ。
「な、に……?」
男は訳も分からず、倒れ臥す。
鋭い痛みが走り、そこを見ればだらだらと血が流れている。
出鼻を挫かれるどころではない。何とか自分を奮い立たせようとしたが、その瞬間にコレだった。
男は頭が真っ白になる。
先程まで浮かんだ妻や子の顔、仲間や自分の中にある誇りに、このまま終われないという決意も無に帰る。
それは、とても致命的な隙であった。
「ぐ、うおお……!」
棘は一本では終わらない。
男が居る位置に、大まかに、滅茶苦茶に棘が刺さった。
避けられる量ではない。何百という硬く、鋭い棘は男に逃げ道など一切与えない。
腕に、脚に、腹に、穴が開く。
本当に紙一重で頭や心臓は避けたが、重傷だった。治せはするが、それを許すほど敵は甘くはない。
もう逃げられない。
「やっと捕まえた……」
衝撃波が巻き起こる。
まだ残っていた木々は吹き飛ばされ、跡形もなくなった。執拗に男を追い詰めていた化け物の姿が現れる。
それは黒い髪に黒い瞳を持つ、神聖さとおぞましさを宿した少女の形をしていた。声は驚くほど低く、見目は形だけのものだと男に心から思わせる。
そして何よりも、場違いなほどにソレは恐れを抱いていた。
「君には聞きたい事があるんだ。素直に答えてくれるなら、楽に殺してあげる」
男は動けない。
透明な何かに動きを阻害されて、空中に磔にされる。男の力ではそれを壊すことは出来そうにない。
耳を塞ぎ、顔を背けたくとも動けなかった。
男はその時、初めて敗北を知った。




