32、激闘
すぐ真下からは火炎放射器のように一直線な炎が通る。
木の蔦が浮かび上がったクララを捉えようとするが、メイスを一振りすれば根本まで消え去った。
だが、それで終わりではない。八対一の状況、クララを舐めない男、高いスペックが揃っているのだ。
クララの命が尽きるまで、猛攻は止まらない。
「うっ!」
重力によって地面に叩きつけられた。
下はやはり沼のようにドロドロになっており、クララの体には衝撃ではなく生暖かさに包まれる。
しかし、それもすぐに変わった。
即座に土は固まったのだ。まるで鋼のような、土が固くなっただけのようには思えない性質へと変わる。さらには、その金属に電撃が走った。筋肉に直接走る異質な衝撃は、体を強く痙攣させる。
「…………!」
クララは腕を振り下ろす。
左手が地面に触れた瞬間、地割れのようにパックリと地面が裂けた。
それから抜け出し、攻撃に移ろうとする。
だが、一歩を踏み出そうとした場所には雷撃が炸裂した。クララの硬さも電撃には通じない。頑強な身体には、肉を麻痺させる力は防げないのだ。
だから、後ろに飛んで回避する。
避ける。
ただそれだけしか、クララは出来ていない。
防戦一方のまま、戦況は動かない。
熱という存在をこれでもかと詰め込んだ炎、そこら中の空気を一纏めにして放ったような一閃、生き物のように這い寄る鋭い植物。
一角の戦士だとしても、あっという間にどれかに捕まり殺されるだろう。威力も恐ろしいが、タイミングもいやらしく、常に絶え間なくクララを狙うのである。
三百六十度、全方位から、休む暇もなく凄まじい攻撃がクララへ押し寄せる。
一度捕まればもう抜け出せないだろう。
クララの膂力、攻撃は地に足をつけなければスピードとパワーは減退する。クララには滞空の術がないのだ。空中に投げ出されて戦闘の自由度を奪われれば、さらに活路は狭くなる。
だから間違いなく、あの手この手で地からクララを離しにかかるはずだ。
得意な領分で戦わせて貰えないのはかなり苦しい。
ハマれば抜け出せないなど、クララが最も恐れた形だ。もしもクララの命に届く事があるとするならば、そこだろうと自分で思っていた。
実際の所、男を殺すための決め手はない。
男は強かった。
クララを相手にして対等以上に戦える存在、それは人間に限定すれば二十人は確実に居ないだろう。
胸を張って言える事だが、男は偶に生まれる突然変異体、いわゆる天才だ。
思わず感心してしまうほど、クララは男の力を認めた。
猛攻の裏にも、男がクララを攻略するための手がいくつも存在する。
クララの周囲の空気は、クララの魔術によって生み出したものだ。『風の上位精霊』は常にクララの周囲を真空に保っていた。肺に直接空気を発生させているために呼吸は問題ないが、常時そこに意識と力を使わなければならない。
他にも、絶妙なタイミングで『光の上位精霊』が発光して目を焼くのだ。瞬時に回復可能だが、その一瞬は視覚が使えないのは厄介だった。
とにかく、気を散らせようとしてくる。
隙を作り出し、嫌がらせに近い妨害で集中を切らせて、物量で押し切るつもりだった。
油断できないし、気も抜けない。
そもそも、上位精霊を使役できる時点でかなりおかしいのだ。
クララの中の価値観でしかないが、上位の精霊となると位でいえば土着の神に近しい。決められた場でしか信仰を得られないが、その在り方は神と同じだ。無限のエネルギーを信者へと送り出し、事象を司るという規模の存在。
炎なら炎を、水なら水を、風なら風を、概念の領域にまで踏み込んで支配している。
人間が相手をしていいはずがない。
「…………っ!」
炎で視界が埋まった。
津波のように熱が押し寄せ、辺り一帯を呑み込む。熱波だけで木々に火が付き、一キロ先にもそれを感知させたほどだ。金属化した地面を溶かし、再び沼を作り出した。
まるで溶鉱炉の中に叩き込まれたようで、クララはマグマのような液体の中で揉まれる。咄嗟に作り出した結界によって事なきを得たが、流石に内臓を異物で焼かれると処理が面倒だった。
クララは結界を押し広げて金属から脱する。
グルリと周囲を見回し、男の所在を探った。
だが、
居ない
気配はないし、精霊独特のエネルギーは辺りに満ち過ぎて当てにならない。
大方『光の上位精霊』で誤魔化しているのだろうと考えていた。本来なら一体で国を滅ぼせる戦力を、クララの気を使わせるためだけに使っている。
贅沢な使用法ではあるが、それで圧されているのだからクララは文句も言えない。
また神聖力で周囲を吹き飛ばそうと考えていると、
「やばっ!」
違和感に気付く。
微かな空気の流れの不自然さを感知したのだ。
攻撃を行うであろう方向を察知し、空中で身体をひねって回避しようとした。
同時にメイスを回転の勢いのままぶん投げる。隕石のようにその場所へ突っ込み、液状になった地面へ巨大な水柱を作り出す。
当たらずとも、これである程度は余裕が生まれたと確信するクララ。
それを見て安堵していた、男。
「くっ!」
クララは自分の間抜けさを内心罵る。
敵には『風の上位精霊』が居るというのに、不自然な空気の流れなどといういくらでも誤魔化しが効くものに飛びついてしまったのだ。
警戒していた場所とはまったく別の方向から攻撃が来る。ビー玉ほどの大きさの水の玉が、超高速でクララにぶち当たった。
空中で踏ん切りが付かないクララは抵抗もできずに飛んでいく。
かなり飛ばされたようで、まともな地面に叩きつけられた。受け身を取り、身体を起した瞬間、またもや攻撃を受ける
今度は水のレーザーだった。
超高圧で噴出された、極細の水のノコギリ。全力で回避したが、脚に刃が届いてしまった。
クララの皮膚を、筋肉を切り裂き、骨にまで達する。両断までは程遠かったが、それでも驚くべきことだった。
手傷と呼べる負傷を負ったのは、クララにとっては本当に久しぶりだった。
まあ、これが首にいっても即死はないし、即死がないなら一瞬で治せる。だが、クララにとっては命には届かずとも、届くかもしれないと思わせた事が普通ではない。
というのも、クララと男とでは相性が良くないのだ。
パワーとスピードとタフさだけで遠距離攻撃の手段が乏しく、近距離が最も得意なクララ。多くの属性と自由な術を持つ多彩さを武器に、遠距離から攻撃して敵を近付けさせない男。
二人が戦えばどうなるかは、今起こっている通りだった。
さらに言えば、男の強みは限界がない事だ。
これまで大規模な精霊術を多数使ってきたが、力を使っているのは精霊そのものだ。自然の結晶であると信じられるそれは、言うなれば自然さえあれば精霊は不滅という事。
星に自然というものが存在する限り、精霊は無限のエネルギーを内包しているのだ。
まさしく、神と同じように。
だから、クララは無制限の神聖力に任せて持久戦を取れない。相手も同じく無限なら、千日手のままだ。
どうしようかを考える。
体を動かしながら、思考は絶え間なく現状を打破する方法を探し続けた。
森を逃げるようにして駆け回る。
クララは目にも留まらぬ激しい動きで、あっという間に男の視界から消え去った。
だが、
「マジかよ」
男は稀代の精霊術使い手であり、現在は上位精霊を召喚している。
自然そのものであるそれらの目から、自然の中で逃れられるはずもない。だから、自然を術者の視点から共有する男がクララを見逃す事もなかった。
何度目か分からない驚愕だ。
何十度目か分からない危機だ。
真空の空間は脱した。空気が存在する場所で空気を生み出す術は必要ないと既に切った後だった。
クララは自力で肺に空気を送り出しのだが、そこで気付く。
気温が急激に下がっている。
肺が激痛を訴え、息が吸えない。
皮膚と眼球、気道と肺と胃まで凍ったような感覚に襲われる。
体に氷が張ったのではなく、体が『凍った』のだ。
炎も、雷も、植物も光もそうだが、ただ自然と発生した本物とはまったく異なる。温度ならば温度そのもの以上の熱や寒気が襲う。
クララの体に纏わりつくのは、氷よりも遥かに冷たい氷だ。硬度は鋼よりも固く、ただの熱で溶けるほど甘くない。
遠距離にしても遠距離すぎる。
クララは逃走の際に十秒ほどで軽く一キロ半先に逃れたはずなのだ。
それから間を置かずに補足し、精霊術によって精密な攻撃を届かせるなど予想外だった。
クララは即座に対処に動く。
「ガアア!!」
体表に付いた氷は全て、体を動かして振り払う。
体内の氷は神聖術で『あるべき形へ戻す』。純粋なエネルギーとして還元され、息と共に吐き出す。
隠した札として伏せていたものだが、クララの炎の魔術ではこの氷は溶かせないから仕方がない。
その次には氷の槍が足元から生え、腹に刺さる。
衝撃を押し殺して弾かれないように耐えると、何もない空中から同じ氷槍が幾つも幾つも生成されては体に刺さった。体が宙に浮き、足がブラブラと揺れる。
刺さりはしても、血が流れることはない。
クララは氷の槍を振り払おうとしたのだが、その先端には何かが埋まっている事に気が付いた。
それからは、凄まじいエネルギーが眠っている。
氷のエネルギーに紛れていたが、それが『炎の上位精霊』の破片だと気付くのは少し遅れてからだった。
――――――――――――!!!!
光り、破裂し、音が鳴る。
炎よりもずっと熱い炎が広がり、人一人分の大きさになれば何かに押さえつけられたように拡大をやめる。
本来ならば街一つ分を焼け野原にする威力が、恐ろしく狭い範囲で凝縮されたのだ。そこに閉じ込められた熱とエネルギーは、計り知れない。
見えなくなる。
炎の繭に包まれた中身は、外からは伺う事ができない。
『炎の上位精霊』の全力の炎は、概念レベルで対象を焼き尽くす。
感じる熱と焼く炎はどんな生物にも有効で、燃焼と延焼はあらゆる物質に適応する。つまりは、どれほど炎に対して耐性があろうとも関係ないという事。例えばそれが水であろうと、無機物であろうと、炎に対してすら燃える。
必殺と呼んであまりある殺傷性だ。本来、人間一人殺すのにここまでの威力は必要ない。
「死ね。頼む、死んでくれ……!」
男の声がした。
心から願うような、切望の声だった。
あれだけ攻撃したのだから、死んでもおかしくはない。死に至らずとも、相当な力を消耗したはずだと考えるしかない。
ここまでして死なない方がおかしいのだ。
人間なのに魔物よりも魔物らしいタフさを持っていたとしても、これは無理なはずだと自分に言い聞かせる。
だから、炎の繭が溶けた時には、男は絶句した。
クララは地面を両足でしっかりと踏みしめた。
燃えた服や小さな火傷が、凄まじい速度で再生していく。瞬きをした後には、何事もなかったようにクララは立っていた。
確かに、炎は凄まじい威力だ。
あの炎はあらゆる防御を貫通し、あの状況まで追い込まれれば対象へ絶対に当たる。
仮に強力な結界、それこそ先の『聖域』を小規模に展開したとしてもそれごと燃やし尽くすはずだった。
けれども、クララはそれをねじ伏せた。
とある方法で極限を超えて身体を頑強にしている。強化も何もない素の状態でアームベアを粉々にできるほどに強く、一級品の武器や防具に負けないほど硬い。
そんなクララが防御のために全力で強化を行えば、概念に干渉する炎が相手でも長い時間を耐えることができよう。
そして、その時間で神聖術で炎を戻した。
神聖術の一つ、『回復術』の根底だ。
精霊が概念に干渉できるなら、神の御業である神聖術にそれが出来ないはずがない。クララは時間をかけてそれを考え、発見し、理解した。
神聖術とは神が祈りに答えた結果。その中で『回復術』に込められた祈りというものは、『あるべき形へ戻す』こと。
クララは他人は治せない。しかし、自身の生命の維持を心から望む歪な思想は、それ以外の期待する存在を戻す事を可能にする。
上位精霊、神の炎であろうと、時間をかければすべてエネルギーに『回帰』させられるのだ。
(傷はたったのあれだけ……しかもすぐに回復……)
男にとっては、まったく効いていないようにしか見えないだろう。
実を言うなら効いたし、少し何かが違えばクララは死んでいた。
時間稼ぎの結界の維持をしながら、奥義にも近い『回帰』の術を行い、同時に体も癒やし続ける。それも、神の炎に焼かれ続ける苦痛と間違えれば死ぬというプレッシャーの元で。
幾つも力を分割し、別個に違う命令を働かせるのは相当な離れ業なのだ。熟達した手合だったとしても、十回に一度ほどしか成功しない技術だろう。
命を何よりも優先するクララにそれを使わせた時点で、男の力量は常軌を逸している。
彼女を知る人間が居たなら、手を叩いて男を称えるだろう。
まあ、その状況でそんな術を十回して十回成功させるのがクララなのだが……
絶望的だった。
ただ硬く、体が丈夫という次元の話ではない。
男は心が折れかけた。
だが、ここで死ねば一族全員が死ぬという確信と、守らねばというなけなしの義務感が男を立ち上がらせる。
対して、無傷のクララは男を睨む。
これまでになく顔を歪めた。男が強くクララの死を願ったのと同様に、クララは男への殺意を込めている。
これまで冷静さをとどめていたクララに、怒りの感情が湧いて出る。
攻撃を受け続けた痛みから、それなりの怒りは溜まっていたのだ。
男の言葉に、言葉で返す。
「テメエが、しね!」
クララは体をひねって構えを取る。大きく身を翻し、背を向けるような構えだ。
これまでの戦闘法とは違い、隙だらけだった。
だが、これまでとは違う威圧感がそこにはあった。
ただでさえ膨大な神聖力が爆発的に高まっていき、街を一つ覆ってもおかしくはないほどに増える。これが爆発すれば、どれだけの被害が生まれるか分からない。
しかし、真に恐ろしいのはその力が完璧に支配下に置かれている所だ。
危なげなく、完璧に、力を一定の範囲内に収めている。
男もこれは無理だと察するレベルだ。
男は一瞬引こうかと迷ったが、そこを突く事を決める。
重力で押さえつけた、足を取らせて体を埋めた、氷で動きを阻害した、植物は口と耳へ入り込み、雷でまともに動けないように麻痺させた。
集中を乱して操作を誤れば、そのエネルギーに振り回せされて自爆することを期待をして。
そんな男の必死の努力を嘲笑うように、クララはメイスを振り抜く。
地面に激突して、
男は、世界が終わったのかと錯覚した。
フワリと体が浮いた感覚がしたと思えば、次の瞬間には土を舐めていたのだ。
体中が痛みを訴え、頭を下げながら『水の上位精霊』と『樹の上位精霊』の力で癒やしていく。
うめき声をあげながら体を起こして周囲を見渡せば、
「なっ!」
森は消えていた。
その衝撃は何もかもを呑み込んで、全てを消し去った。
男はどこまでも広がるクレーターの中で倒れていたのだ。端から端まで、三百メートルは下らない。
咄嗟の判断で『土の上位精霊』の力を使って特殊な合金を作り出し、身を守ったのが功を奏する。
もしも防御をしなければ、死んでいた。
「強い、強いな、君は……」
男が絶句していると、女の声が響いた。
低い低い、少女とは思えないほど低い声だ。思わず男が身震いしてしまうほどに、恐ろしい声をしていた。男は思わず目を伏せてしまい、少女の顔を見ることができない。
それほど恐ろしいにも関わらず、その声には怒りも、怨嗟も、殺意すらも存在していなかった。
それは、そこにあった感情は、恐怖と呼んでいいだろう。
男がクララは恐れたように、クララもそれ以上の恐怖をもって男を迎えていたのだ。
「こんなに強いなんて、本当に想定外だ。戦いで、ボクの命にこんなに近づくことなんてなかなか無かった」
男は恐れていた。
クララの得体の知れなさと、容赦のなさを心から恐れた。徐々に見せるクララの力を感じ取り、嫌な予感を募らせてもいた。
強大すぎる敵に相対して、死を覚悟していた。
そしてそれと同じか、それ以上にクララは男を恐れた。
場違いなほどに恐れていた。
これまで致命傷どころか大怪我すら負っていない。
この攻防が何十度続いたとして、クララは絶対に死なないだろう。
男がクララを殺すまでの道のりは、途方も無く長い。
今押しているのは、有利なのは間違いなくクララのはずなのだ。
だというのに、何なのだろうか?
「怖いね、死ぬって」
男もずっと下を向いてはいられず、前を見る。
ゆるゆるとそちらを見ると、死にそうな顔の少女が居た。
ほんの十数秒前とはまるで違う。なにかのスイッチが切り替わったようだった。
震えながら息を吐く。
死にかけてなどいないのに、死にそうなほど震えている。
あり得ないほど青白い顔で男を見つめていた。
「怖い」
男は意味が分からない。
何を恐れる事があるのだろうか?
どうして死を憂慮する必要があるのだろうか?
怖いもの知らずでいられる化け物が、自ら心に恐怖を作り出しているおかしな光景を、男はただ見ていた。
「怖い怖い怖い。怖いから、殺す」
神聖力が跳ね上がる。
見ているだけで目眩がするほど、濃く、大きく変わっていく。
まるで恐怖心を燃料に、強くなったようだった。
化け物は男へ襲いかかる。
本気を出した化け物を前に、男は生き残るために足掻くことだけを考えていた。




