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31、世界最高の精霊術士

  

 男は最強だった。

 

 幼い頃から神童と崇められ、同年代の人間に負けた事はただの一度だってない。いや、大人が相手でも負けた事は一切なかった。自分よりも強い人間などこれまで見たことがなかったし、十五まではそんなものは存在しないと本気で信じていたのだ。

 周囲にとっては必死の努力の末の力だったとしても、男にとってはほんの小手先でしかない。強さなどという価値観に囚われない、本物の天才だった。

 その強さは最早、異質と呼ぶしかない。

 彼とその他とではまるで違う生物だった。


 周囲の人間も彼をそう捉えていた。

 精霊が至上である『精霊信仰』にとっては、精霊術を上手く使えればその分だけ偉いのだ。精霊術がそのまま序列に影響するために、男は最も精霊に近い戦士だと崇められた。

 埒外の天才であった彼の事を、妬むでも、羨むでもなく、ただ崇めた。

 彼の親や兄弟といった血縁でさえ、人間としてではなく神の使徒として扱ったのである。


 男はずっと、そうやって生きてきた。

 それを当然として、これまで生を謳歌してきた。


 最強として生き、どんな敵が相手でも勝つ事が当然だったのだ。精霊に仕える戦士として、敗北など決して許されない。誰よりも誇り高い人間である事を望まれる。

 しかし、男は勝手にかけられた期待を裏切らない。

 誰よりも才能に恵まれながら、誰よりも鍛錬を積んできた。周囲の人間の誇りを重んじ、命よりも誇りを選んだ事が何度もあった。

 苦しみを苦しみとも思わずに、何度も何度も傷を負った。

 そしてその度に男は強くなっていった。

 肉体的にも、精神的にも。

 幼少期から誰にも彼には勝てなかったというのに、さらに成長しきった彼に誰が勝てるというのか?

 男は、いわば物語の主人公だったのだ。  

 決して負けず、他を慮り、どんなものでも守ってしまう、英雄譚で語られるような、特別な人間だった。

 


 だから、男は今回も勝てると思っていた。

 異端審問官の話は聞いていたが、所詮は一個人の、人間の話。精霊の加護を一身に受けた最強の戦士であり、主である精霊も協力してくれる。外に居る()()からは充分な情報を得ていたし、それを聞いても勝てると確信した。

 これで負ける訳がない。負けていいはずがない。

 慢心、というほどではないが、余裕が心にはあった。


 しかし、それも対峙した瞬間に霧散した。


 出会った瞬間に理解したのだ。

 コレは自分と同じく世の理の外側を生きている、と。

 

 異質としか言えなかった。

 これまで見てきた、殺してきた神聖術使いとは何もかもが違ったのだ。

 初めて自分を外から見たような、奇妙な感覚。自分と似た人種が存在した事への微かな驚き。それが敵対しているという恐怖。そして何よりも、自分と同種の人間に出会った事への喜び。

 すべてが初めての感覚だった。

 けれども、男がそれに酔いしれることはない。

 油断する事なく、一切の躊躇なく、絶対に息の根を自分が止めるという希望を胸に戦おうとした。



 ほんの少しの時間だけ



 少しの時間を経て気付く。男とソレはまったく違ったのだ。


 男は戦士だ。

 誇りを重んじ、鍛錬に励み、自身を愛する精霊へと感謝の祈りを捧げる。積み上げた負を上回る正が人生にはある。部下にも、妻にも、子にも恵まれたのだ。

 誰からも愛されたし、誰しもを愛した。

 それが男だ。


 だが、ソレは違った。

 誇りなどない。感謝も、礼も、何もない。ただ異端と認知された者を殺すためだけの存在だった。

 そんなものに男のような実りなどあるはずがない。

 称賛される事も、愛を向けられる事も、誰かを頼ることもない。

 すべてが自分で完結していた。

 ソレが敵だ。



「…………」



 何も言えない。

 一体どんな感情で立っているのか、自分でも分かっていない。

 男はただ、ソレを見ていた。

 壮絶な惨状を前にして、怒る訳でも、嘆く訳でも、悔やむ訳でもなく見るだけだった。


 先程まで、視界が真っ赤になるほどの怒りがあったというのに、今はただ呆然とソレを見ている。

 そこら中に赤色が飛び散り、物言わぬ死体となった仲間が倒れていたというのに、本当に虚しかった。

 枯れ木から赤い樹脂を流すような老人。死んだ事に気が付かずに武器を強く握り続ける戦士。何かを覆い隠すように倒れる女。最悪の有様を眺めている男のように何かが抜け落ちた顔をした子どもの顔。少女の姿をしたソレの足の裏には赤子の首だけが……



「…………」



 あったのは、驚愕だった。


 目の前のソレが行った、途方も無い術。

 その規模は感知不能なほどに広く、込められた力は計り知れないということしか分からないほど巨大だった。男が逆立ちしても出来そうにないというのは確かだ。一体何人の人間が犠牲になれば成立するのか分からない。

 さらに、少女はそんな力を用いても顔色一つ変えないのだ。

 あり得ないという言葉で片付けるのを躊躇ってしまうほどに、あり得なかった。

 こんな状況でなければ、開いた口が塞がらなかっただろう。

 これを驚愕と言わずなんと言おうか?


 同時に、男は安堵があった。


 こんな化け物が自分を相手に全力で戦わないという幸運に、心の底から精霊へ感謝した。

 男が戦った過去最強の相手を天秤にかけても、軽すぎると思えるほどに敵は強い。敵を前にして恐怖を覚えるなど、初めての経験であった。

 

 最後に、男には恐怖があった。


 ソレの容赦のなさは、もう語るまでもない。

 ソレの目的は、さらに言うまでもない。

 しかし、ソレの強さは、言い表せない。   




「死ね」


「…………!」


 

 

 男とソレの戦いが始まった。

 


 ※※※※※※※※



 クララは走る。

 

 敵へ向けて、最速最短の道を通ってだ。途中にあった木々を折りながら、それでも一切の減速はしない。

 メイスを大きく振りかぶり、男の脳天と地面を同じ高さにするために全力で振り下ろした。それはいつかの熊に向けた一撃とは比べ物にならない。 

 生まれたしなりは金属の硬さを無視したような曲がり方を見せ、破壊力を格段に上げていた。左腕からメイスの先端までが鞭のようだ。

 音など遥か後ろに置いていき、衝撃波だけで木々を刻む。

 

 まさしく必殺。

 人外の膂力と速さによって成立する、人外の暴力。

 受け流す技を断ち切り、反抗する力を叩き潰す、圧倒的なパワーである。

 

 

 男は練る。


 クララが最速最短の道を通るまでの間に、準備は整えていた。

 結界『聖域』を展開したクララが刹那の時間で、本来長い時間をかけて行う準備を行ったように、男も同じようなことはできる。

 敵を討ち滅ぼすための最善の手だ。


 精霊術とは、自然の化身である精霊へと助力を請い、その力の一端を預かり受ける術である。より純粋に、より強く願うほどに精霊は祈り手に力を与える。

 神聖術と異なる点は、信仰の対象が神か精霊かという事。だが、そこがこの二つの術をまったく違う技術に変える。

 神の神聖術は人を救う術であり、精霊の精霊術は自然と一体化する術なのだ。

 つまりは、精霊術は自然を自由自在に扱う術であると言える。


 男が術を展開すると、効果は劇的だった。



 音を越えるクララの動きが鈍る。

 本来ならばその鞭は男の頭蓋を砕き、その中身を飛ばすはずだった。だが、大きく狙いを外して地面に向けて叩きつけられることになった。

 異変はそれだけではない。

 叩かれた地面はボスン、とメイスを沈めたのだ。まるでとろみが付いた液体を殴ったように、地面はクララの怪力を呑み込んだのだ。

 しかも、重い。

 土から泥へと変わった地面に完全に吸い付かれたようで、まともな力では引き抜くことはできないほどに絡みつかれたようだった。


 クララは男を睨む。

 それと同時に観察する。一体何が起こったのかを知るために。

 すると、



『――――――――!!!』



 人間には識別できない悲鳴が聞こえた気がした。

 気がした、というのも、クララの超人的な聴覚をもっても捉えられない音だったのだ。

 恐ろしく高い超音波となった音は、人にとっては無音のままで周囲に響く。その微妙な揺らぎによって悲鳴と判断したが、クララには意味が分からない。

 一応、この悲鳴は男のものではないのは確かだった。

 男は口を閉じていたし、今も祈るように錫杖を振っている。

 どこかと言えば、その背後から鳴ったのだろう。

 

 それをクララは無視する。

 重いメイスを無理矢理引き抜き、さらにもう一撃を与えるために振りかぶった。

 今度は横一文字に、男の胴を切断しようとする。

 だが、結果は失敗に終わった。



「…………! 虫!?」



 刃のような牙を持った虫が、クララの目に刺さったのだ。しかもその虫は一匹にとどまらず、十もニ十も百も寄ってくる。

 その種類だけではなく、ほかの虫もである。毒々しい百足や緑色の蟻、ドス黒い赤色をした蝶々などなど。

 種類でいえば二百は下らない。

 これの原因は、考えるまでもないだろう。



(さっきの音か!)



 クララは目から中に入られる前に、突き刺ささった虫を握り潰し、既に体に噛み付いたものは無視した。

 クララは一時的に標的を変更する。

 メイスを男へではなく、虫へ向けた。 


 その風圧は、非力な虫を潰すには充分だ。

 しかし、できた隙は大きい。



「…………」



 男は黙ってクララを殺す最適を打つ。

 男に比べて、クララの身体能力は遥かに上だ。だから手段は揺動、足止めに注力する必要がある。

 真正面から戦えば、死ぬのは男の方だ。クララという化け物は、能力という面では手が付けられないほど強い。もしも攻撃が直撃すれば致命になるのは、もう既に分かっていた。

 そして、男の方が手に優れているとも分かっていた。


 土で足を鈍らせ、虫で注意を散漫させ、最後に光を用いて姿を消した。

 光を操るのは、精霊術の中では最難関の技である。きっちり人間一人分の光を操作し、他人から見えないようにするコレは、使えたのは長い歴史の中でも男を入れて五人といない。

 確実な手札を、タイミングに合わせて切っていく。

 だから男は強い。



(……死ね)



 男が持つ錫杖はただの錫杖ではない。

 精霊術が使える鍛冶師が、幻の鉱石であるオリハルコンを素材に三日三晩かけて作り上げた逸品だ。

 世界最硬の鉱物であり、武器として加工する際に受けた性質を強く反映する特性を持つ至高の素材。たっぷりと精霊術を浴びせたソレは、使用者の精霊術を大幅に高める性質を持つ。

 

 男が錫杖に込める力は、風。

 高められ、洗練された風には一切の揺らぎが無い。巨大な竜巻を凝縮したようなもののはずだが、クララが勘づけないほど静かなものだった。

 錫杖の先端一点に集められた暴風は、触れた物を消し飛ばす威力を持つ。

 

 男はそれを、槍の如く鋭くクララの心臓へ……



「そこかぁ……!」


「なっ!」



 クララとは違うが、間違いなく男の攻撃は必殺だった。

 本来、この風に当たればその箇所は崩壊するのだ。生物、無生物関係ない。

 極限まで高められた力、その凝縮が弱い訳がないし、人間に耐えられる訳もない。

 だが残念なことに、敵は化け物だった。



「傷一つ……!」



 クララの肌には何も起こっていない。

 触れた箇所の衣類は崩れ落ちたが、その下の軟そうな肌には何の変化もない。

 そして男が気になったのは、その感触だ。

 山を相手に突いたかのような重さに、鋼を上回る硬さ。明らかに人間を攻撃した感覚ではなかった。

 

 そして今さらだったが、男はクララへ齧りついた虫たちを見た。

 足に四、腹にニ、首に一匹居たが、そこから血は流れていない。

 この虫たち、剣牙虫は群体で獲物に襲いかかり、その強靭な顎と牙で食い散らかす凶悪な魔物だ。未熟な戦士がコレに殺される例は毎年のようにある。

 剣牙虫の悪食さは有名で、人間の肉どころか武器に使われた加工済みの金属すらも食うほどだ。

 勿論、生身で剣牙虫の噛み付きを耐えられる人間は存在しない。

 

 クララは真後ろの見えない男に蹴りを放つ。

 槍を向けられるほど速い。蹴る、というよりも斬る、と言った方がいい。

 男は紙一重で避けられた。頬に出来た切り傷からは血が垂れる。顔面にもらえば、頭が吹き飛んでいた。



「チィ……!」


「化け物め!」



 距離を詰める。

 クララは男に何もさせないために、最も得意にする距離で戦おうとする。どんな多彩な手を使っても、間に合わないほど近付く。

 何をされても叩き潰して勝つために。


 距離を取る。

 男はクララに何もさせないために、化け物を相手にするのに最も適した距離を選ぶ。近中遠すべてできる男であったが、中距離以下は踏み潰されると理解していた。

 だから、遠距離から切り札を切ることを躊躇わない。

 


「精霊よ、我に力を……! 我らの敵を討ち滅ぼすための術を与え給え! 我、尊き貴方へ仕えし下僕、名は、」



 魔術や神聖術、精霊術は起こしたい事象に相当する命令を込めて発動する。その中で、陣を描くのはとても一般的な手ではあるが、命令の込め方はそれだけではないのだ。

 その手段は無数にあるが、陣と同等以上に一般的なのは、詠唱である。決まった言葉を口に出し、イメージを高める。

 陣よりも簡単であり、本当によく使われる手段なのだ。


 それは、駆け出しでも熟練でも変わらない。

 駆け出しは詠唱だけの事が多いが、腕を上げるほどに陣の比率も増えていく。だが、熟練になれば詠唱と陣の両方を用いて、より難関な技を成功させるという事もできる。

 詠唱は誰もが、何処でも多く使う手なのだ。

 

 

(何する気だ? いや、大体分かるけど……)



 男は言うまでもなく熟練の方だ。

 わざわざ時間がかかる詠唱も交えて行うのならば、用意している術は相当高位のものなのだろう。

 早々に潰してしまいたいが、それも難しい。



「精霊よ、嗚呼あの敵が見えるか!? 貴方を穢し、害するあの敵だ! あの愚行を誅するための、」



 本命は詠唱と陣で準備する。そして、クララを足止めするための術は本命とは別の陣で並行して展開する。

 かなり高等な技術だ。

 難なく行い、肉体を強化しながら回避まで行っているのだから、男の強さが知れる。

 

 

「チッ……!」



 クララの舌打ちが口の中だけで響く。

 本命のために力と意識をかなり割いているはずなのに、手数が多すぎるのだ。

 地面はぬかるみ、クララの周囲の重力は十倍を超え、空気は無になり、硬い甲殻を持つ虫が行く手を阻む。

 たった一人で数十の術士を相手にしているようだ。


 これだけ力を使っているというのに、男のエネルギーは尚も膨れ上がっていた。

 クララの威圧のような、押し潰されそうなほどの力だ。

 そして、



召喚(サモン)火炎上位精霊(イフリート)



 生きた炎が現れた。

 その熱は明らかに火炎という枠組みを超え、ただ熱いと生物に思わせる。熱を認知できない一部の虫ですら、その熱さに身を震わせたほどだ。

 そして何よりもエネルギーに満ちている。

 炎などという、ただの事象には決して孕み得ない力だった。



(……面倒くさいな)



 クララは内心で吐き捨てる。

 それぞれの名前を持つ上位精霊というものは、一体で国を滅ぼせる力を持っているのだ。

 これまでクララが狩ってきたBランクの魔物とは比べ物にならない力を持っている。

 枠組みでいえばAランク。ほんの一部の規格外に与えられる、世界でも有数の脅威である。


 

(でも、問題ない。上位精霊程度なら……)



「『召喚(サモン)水の上位精霊(ウンディーネ)』『召喚(サモン)樹の上位精霊(ドリアード)』『召喚(サモン)雷の上位精霊(ヴォルト)』『召喚(サモン)地の上位精霊(ノーム)』『召喚(サモン)光の上位精霊(ウィスプ)』『召喚(サモン)風の上位精霊(ジン)』」

 

「ふぇ?」



 クララの動きが一瞬止まった。

 間抜けな声と共に、つい動く事を止めてしまった。

 


「…………!」



 クララの体に大きな切り傷が出来た。左の肩口から右の脇腹へかけて、袈裟斬りにされる。

 体自体は薄皮一枚切られるにとどまったが、クララの体に守られなかった地面には深いクレバスが発生した。


 クララが男を睨めば、そこには蠢いている生きた風が居た。どうやら、ソレが一部をクララへ飛ばしたらしい。

 クララの体に傷を付けるなど、尋常ではない。



「八対一だが、悪く思うな。貴様が強すぎるのが悪い」



 警戒を含んだ声で、男は告げる。

 そこには余裕など一切なく、全力を尽くしてクララを殺すことだけを考えていた。

 男はクララにとって、はじめて脅威と呼べる存在へと化したのだ。



「死ね、化け物」



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