29、探索・殲滅
森を歩く。
地図を頼りに、どこに居るかを探りながら、異端を探していく。人の暮らせる範囲の場所だ。当たりさえ付けてしまえば、見つかるのは時間の問題だと思っていた。
だが、予想外にも見つからない。近くを通れば分かるはずだが、どこを見ても木だけだ。
朝日はほとんど届かない、人の手の加わっていない自然。生い茂る木の景色は変わらない。そしてその変わらなさが人を迷わせる。そこには小動物さえも居らず、クララという名の人間しか居なかった。
何もない。一切の不自然さはない。
だが、クララは確かな違和感を感じていた。
「なるほど、小賢しい……」
ただの脳筋ならこれで誤魔化せただろう。魔術に対する深い造形がなければ、気付くのはとても難しい隠蔽だった。
だが異端たちにとっては残念な事に、クララの魔術の知識は下手な本職よりもよほど高い。使える人間に、こういう場合を想定して叩き込まれてきたからだ。
クララの神聖力とは別のエネルギーが燃える。魔力というクララ自身の力はその髪のように黒く光り、意味ある形を作り出していく。魔術の基本中の基本である、魔導陣だ。半径1メートルほどの円と、その中に紋様が刻まれていった。
「魔術は複雑だから嫌だ……」
魔術というものは魔力を燃料にして超常の力を起こす技術のことである。神聖術と同じく、ただ魔力を思いのままに使えば出来るものではない。そこには、術者の命令を込めなければいけない繊細な技術が必要だ。
その技術は、術式と呼ばれている。魔力を操り、命令に相当する表現がこもった形を作る。それによって、ただのエネルギーから様々なものが生み出されるのだ。
例えば、炎の槍を生み出す魔術、『火炎槍』を出すとする。そこには『炎生成』『貫通』『射出』の三つの命令を込めた陣が必要になるのだ。
今回のクララの術式に込められた命令は、『魔力感知』『術式感知』『破壊』『乱れ』『霧散』の五つ。三つ同時に命令式を描ければ一人前と言われる中で、神官のクララがそれ以上の高等魔術を使ってみせた。
「解呪」
難易度で言えば、上から四番目のグレードの魔術。その効果は魔力に込められた命令を乱し、対象の魔術を無効化する事。何かと制限の多い魔術ではあるが、発動さえすればその力は火を見るより明らかだった。
覆い隠されたものは剥がれる。秘密は白日の下に晒され、クララが欲しかった答えが見えていた。
「見つけた」
小さな、けれどもゾッとする声だ。平坦で、何ともないように思えるが、それよりも得体の知れないという印象が深い。何を思っているかは分からないが、ロクでもない事だ。
あとはその目。
それは、人間の目をしていなかった。憎しみも、怒りも、苛虐心もない。ただ純粋に、獲物を殺すことだけを目的にしている。まさしく機械のような、おそろしく冷たい目。
それで映すのは、人間の足跡だ。それだけではなく、いくつか誤魔化したような工夫も見える。だがよほど急いでいたのか、消した跡や周囲の草木への配慮はとても雑だ。
追跡者も同じように焦っていたならきっと気付かずにいたかもしれないが、クララにはそんな隙はない。しっかりと見逃さずに、足跡が続く方へと……
「向こうかな?」
行かない。
足の向かう先はそれとはまったくの別方向。そこには『解呪』の後にも何かがあった訳ではない。けれども、クララは確信を持ってそこへ行く。そして、しゃがみ込んで地面をじっと見つめた。
睨む訳でもないが、凄まじい眼力だ。恐ろしいと誰もが怯えるほど、何かが詰まった行為に思えた。
「分からない訳ないよね?」
ヘドロのように粘り着く、執着のようなものがあった。変わらない表情のまま、変わらずに恐ろしく。
クララが見ていたのは残滓だ。隠蔽に使われた魔術の、その破片のようなもの。感じ取れるのはとても微かで、意味のないものに一見思える。しかし、先の雑な足跡を隠していたものとは違う別の魔術が働いていたのが分かったのだ。
二つの魔術が使われており、破られれば二つ同時に消え去ってしまうように作られていた。一番見られてはいけない場所に繋がるといけないから、はじめの魔術だけでも十分なのに、もしもに備えて。
ダッと駆ける。
冒険者がわざわざそんな大掛かりな魔術を使ってまで痕跡を消す必要はない。予想通り、確実に異端が居ると確信する。もしやは必ず存在するのだ。あり得ない想像と切り捨てることのできない、最悪の場合は往々にして起きると知っている。
ここまで来て、歩いてはいられなかった。全速力で走っていく。息は切れない、一歩踏み出す度に地面が沈む。蹴り出せば土が散弾のように後ろの木を抉る。
速さはまるで矢のごとく、障害物などすべてを無視して真っ直ぐに進んだ。
「どこだ……?」
物が消えるほど速く流れていく。消えては新しい木が現れては消え、消えては現れ。現れる少しあとに何かがへし折られて倒れるような音もするが、クララは真っ直ぐ進んだ。
今までは魔物たちがクララの存在を探知すればすぐに逃げるか飛んできたのだが、今はクララが魔物を翻弄する。逃げ出そうとするものも、立ち向かおうとするものも、クララに轢かれてすべてペチャンコになっていた。
「どこだ、どこだ?」
近くに居るのは間違いなかった。ただ、問題なのは足跡がいつ付いたのか分からない事だ。魔術を使えば、誤魔化せる時間は込めた魔力の分だけ。
けれども、『精霊信仰』には奥の手があるのだ。彼らにとっては当たり前にあるただの札で、他にとってはそうではないだけなのだが、その当たり前が厄介だ。原理がまったく異なるために、どんな事ができるのか分からない。
「…………あ」
そこまでして、クララは別の可能性を思い付いた。
異端である『精霊信仰』の精霊とは自然の結晶であり、彼らからすればこの場も勿論その影響下だろう。出来ないなんてことは無い。森の中は既に敵の手の平の上なら、何かしらの攻撃を受けていてもおかしくはない。
そして、魔術の話ではあるが、対象の感覚を狂わせる妨害の魔術というものは存在する。同じ場所をグルグル巡っていたとしても、本人は永遠に気付けないはずだ。
そして、クララは一度立ち止まった。
「なんでも試してみるか……」
考えすぎの可能性はある。だが、異端は精霊を、つまりは自然を信仰している連中なのだ。
森と共に暮らしてきたのなら、それなりの下地というものができている。魔術を使えるならば、その下地を利用して大規模な仕掛けを施す事は簡単だ。
例えばではあるが、『森の中では「精霊信仰」の人間は外敵に見つからない』だとか。先のような個人が行った隠蔽ではなく、長い歴史の中で刻まれていった儀式に近い形のものだ。強力なのは言うまでもなく、それでいて繊細な部分も存在する。
「壊すか治すかしか、できないもんなぁ……」
それは自分への皮肉だったかもしれない。唯一の友人とは違って、クララには本当にそれだけしかできないのだ。だからこそ、彼より異端審問官に向いていたというのはクララにとっては残念な話だ。
そして、そんな弱ったような口ぶりとは違い、クララの肉体は攻撃のための行動に移っていた。
クララは体を大きくひねる。まるで背を向けるようにねじり、その左手を極限まで遠くへ持っていった。遠ざける左手はメイスの柄の先端を握っており、ミシミシという音が鳴っている。
それから、
ゴ オ オ ォ !
薙ぎ払った。
クララの全力を尽くして、ただメイスを横に振った。
ただそれだけで、更地が出来た。
「…………」
五百を越える木が衝撃でへし折られて、それ以上が発生した風圧によって吹き飛ばされる。その範囲内に居た魔物も、木と何も変わらない。大半は衝撃に耐えきれずにミンチになり、生き残った個体も天高く弾き飛ばされた。
たった一人のただの一撃は、あり得ない惨状を作り出した。まるで、巨大な何かが通り過ぎたような有様だ。これを人間が引き起こしたと言われても、誰も信じない。
これが魔術でもなんでもない、ただの膂力だけなのだからなおさらだ。
魔力や神聖力で肉体を強化し、素の状態の数十倍もの力を発揮する技術は、この世界に確立している。一応これも魔術に数えられ、前衛の人間には必須のものであるために、世界で一番使用されている魔術と認知されていた。
だから、クララの異常ぶりは戦いを知る者なら全員が言葉を尽くして解説できる。
身体能力を強化すると言っても、そこには限界が存在するのだ。
限界の正体は二つ。
一つ目は才能の限界。用いるエネルギーの量、運用技術による限界だ。これには個々の素質に頼る部分がとても大きい。
そして二つ目は、生物としての限界。強化するにも体には負担がかかるものであり、その負担に耐えきれなくなるラインが存在するのだ。この限界へ到達できるのは、前者で高い天井を持つ者だけだが、その才能ある人間でもこれは超えられない。
そして、今のクララはその二つを完全に無視したものだ。こんな強化をすれば肉体が弾け飛んでもおかしくはないし、そもそもここまで出来る人間が世界には他に居ない。クララが人から『超人』と呼ばれた所以の一つであった。
「……居たね」
クララの視界の先に居たのは、男だ。浅黒い肌を持っている、独特な民族衣装のようなものを着た男が三人。
距離にすればおよそ一キロほど先で口論をしており、クララの存在には気付いていない。
「おい! 何が起きた!?」
「知らねぇよ、そんなの! それよりヤベェ! ラランネンの脚が折れてる!」
「俺はいいから周囲の警戒をしろ! このタイミングでこんなめちゃくちゃ、あのガキみてぇな異端審問官しか居ねぇだ……」
ラランネン、と呼ばれた男が言い切る前に、前の二人の命は終わっていた。何も分からないまま、一瞬にして背後からの一撃によって首を断たれたのだ。
血が吹き出てから、遅れて死体が膝から崩れ落ち、ラランネンの視点から下手人の顔が明らかになる。
クララはまったく表情を変えずに、ラランネンを見た。その、人間のものでは絶対にない最悪の目で。
気温が数度下がったと錯覚するほどの恐ろしい寒気が、辺り一帯を支配する。
「おかしいね? アレに巻き込まれて死んでもおかしくなかったのにね?」
肝が冷える、なんて生易しいものではなかった。
ラランネンは、戦士である。精霊を信じ、人生を捧げることを選び、戦いを続けた恐れ知らずの戦士だ。どんな状況でも戦いを選んできた。己が死にかけても、友が死んでも、戦いを止める事はなかった本物の戦士だ。
だが彼は、生まれて初めて感じる本物の恐怖に支配された。
こんな得体の知れないものに触れた事はなかった。
「まあ、いいや。それよりも、他の仲間の居場所を吐け。そうすれば楽に殺してやる」
死体が二つから三つに増えたのは、この発言から僅か五分後の事である。
そこには、明らかに一人分ではない量の血が地面を染めていた。




