246 裏切り者の
「お願いします」
先程までの流れを、アイリスは知らない。
リョウヘイがどれだけ平和を望み、そのためにプライドすら投げ出しても構わないと、そう憚ることなく告げたことなど、聞いていない。
理解の範疇に、彼は居ない。
いち早く結論を叩き出し、早々に諦めてしまった心境に気づいていない。
リョウヘイは、どんな顔をしていたのか?
諦めるという後ろ向きな選択を誰よりも早く選び、逃げることを決めた彼だ。
この決断に、何の躊躇もなかったはずがない。
今まで積み上げてきたプライドや、これから神の手のひらの上で踊るというリスクを賭けて、逆らわない事を選んだのだ。
アイリスの希望が、彼の安息を蝕んでいく。
求めた人が、望まない道に進もうとする。
敢えて死の道を歩もうとしている。
行き着く先が断崖絶壁であることは明確なのに、さらに先、もっと奥へと。
止められない理由があるから、その通りに止まらない。
これを、危険と言わず、何という?
在るべく在るよう、道は違える。
絆を紡いだ仲間でさえも、儚く、あっさりと、向かう方向は変わるのだ。
「神を、どうしても倒したいんです」
リョウヘイは、内心で自分がこんなにも仲間たちと違うのかと小さく驚嘆していた。
彼らは、神に逆らう気概がある。そして自分には、そんなものは欠片もない。
勇気という美徳の面で、彼は優れていない。
英雄など、器ではなかろう。
リスクは当然避けるもので、リターンがあっても、安定を何よりも優先する。
彼は、危険に対して勇み足になれるようなイカレではないのだ。
「神に逆らってでも、助けたい人が居るの」
なるほど、それは納得だ。
しっかりと、命を賭けれる理由がある。
この世界の住民として、愛に生き、愛に死ぬ覚悟が出来ている。
羨ましいとも思える、強い想いだ。
「どうか、一緒に戦ってください」
リョウヘイの中に、黒い感情が灯る。
嫉妬、嫌悪、激怒に、不安が。
自分の人間の小ささに嫌気が差す。
どうしてこんなにも、違ってしまったのか?
考えれば、人間としての弱さが際立ってしまったのだと分かる。
その事実に、胸が痛くなる。
こんな自分に良くしてくれた人達に対して、申しが立たない。
とても、とても心苦しい。
「…………」
裏切りとは、これまでの信頼を無に帰す行為。
何故かは、関係ない。
行為そのものに負が宿り、己のプライドさえも、容易く地に落ちる。
いったい誰が、好き好んでやりたいか?
信を置く相手に刃を向けるという蛮行に、自分で心を痛めている。
滑稽なこと、この上ない。
道化を演じるにしても、過剰な滑稽さで人を苛立たせるなど、愚かの極みだ。
地に落ちて、そこからさらに、愚を犯す。
どこまで堕ちれば気が済むのか?
泥にまみれて、これ以上ないほど、己の軌跡を侮辱し尽くす。
咎を負わねば、こうはなるまい。
何故自分がと、ぼやいて、嘆いて、悪い方向にしか進むことが出来ない。
この道は、誤っている。
これを許すことは、出来ない。
だが、地獄に堕ちてもいいと思える、全てを賭けるに足る理由が出来た。
「!」
まず、ここはアレンとクララが創った。
この時の二人の意図は、二つだけ。
アイリスのストレスが最小限になることと、絶対に外に逃さないこと。
心休まる場所になるよう、傷付いた心が少しでも癒えるように。そして、神の意志に気付かれたため、気づいたコレらを閉じ込めるようとしたのだ。
秘密は、外に漏らさせないようにする。
その気になれば平気で殺めることも出来たのに、取った手段は軟禁という、生温いことこの上ない方法だったのは、端から誰もそんなことをするつもりがなかったから、というだけのこと。
異端審問官全員と、その元締めたる神は、勇者一行を消すつもりは一切なかったのだ。
そうした訳で、アレンとクララは、気絶した四人を担いでここに放り込んだ。
武器は全て、取り上げることもなく。
「え?」
「は?」
それに合理的な理由は、存在しない。
ただただ、二人が傲慢であったためでしかない。
コイツ等が武器を持っていたところで、どうということはない、という。
いや、二人だけではないのだろう。
これもまた、異端審問官と神の全員が同意した。
実際に、彼らの武器がそのままあったところで、二人の用意した空間は傷一つつけられない。
この舐め腐った判断が、これ以上ないほど正解だったということである。
だから、この場で彼らは己の武具を持参していた。
カイルとラトルカはほぼクセで、リョウヘイは、また別の意図を持って。
後者の意図とは、
「なん、で……?」
「…………」
金属と金属がぶつかり合う、甲高い音が鳴り響いた。
リョウヘイが聖剣を振り抜き、それをアレンが止めた形である。
完全な不意打ちだったはず。
リョウヘイも今となっては、既に一角の戦力だ。
アレンの実力は、それよりなおも高いのだろう。
目にも留まらぬ一撃を、完璧に防いだ。
両者とも強さを持っているが、アレンがリョウヘイのそれを上回っただけのことだ。
決して、弱い訳ではない。
事態を飲み込めず、未だ動けない三人も、戦闘に長けない弱者であった訳ではない。
目の前の景色の異常さは、それほど大きかったということだ。
「……よく防いだな、今の」
「予想はしてた。素手なら、そのまま殴られるつもりだった」
リョウヘイの蛮行に、目を見開かせるので忙しいのだ。
あり得ないことが、起こってしまった。
抜かれた聖剣は、正確にアレンの首へと振り抜かれ、そこを抜ければ、今度はアイリスの頸動脈へと向かっていただろう。速度と威力、そして何より、全身から漲る殺気が、その未来を物語っている。
アレンはともかく、アイリスへの、仲間に対する、明確な攻撃。
仲間に対する、裏切りだ。
「だが、少々過激すぎるな。一応、何故かを聞いておこうか?」
「……分かっているくせに、聞くのか?」
「言葉にしなきゃいけない事もある。少なくとも、俺以外は分かってないぞ?」
リョウヘイはちらと周囲を見回した。
啞然とした仲間たちの顔が、目に焼き付く。
「……ごめん、皆」
「!」
聖剣とアレンの無骨なナイフでは長さが釣り合わないが、鍔迫り合いと似た形にはなっていた。
だが、それも僅かな時間だけ。
拮抗状態から、刹那の脱力、その後リョウヘイは急加速、前進した。
変化と圧力に耐えきれず、アレンはリョウヘイに轢かれて押し込まれる。
屋敷の壁が菓子のように砕け、彼らの姿は見えなくなった。
「「「…………」」」
取り残された三人は、出来上がった一本道に釘付けになっていた。
何故が積み重なって、頭を支配する。
アレンは、正直まだ分かった。もしも裏切りがあるなら、コイツからだと言えるくらいに、底を見せようとしなかった。
だが、彼だけは違うはずなのだ。
どれだけ背景を探ったとしても、理由などどこにも見当たらない。
そのはずで、あってはならない。
「行こう」
彼らに、リョウヘイの心は分からない。
確固たる意志があり、全力で抗う理由がある彼らに、理解できるはずがない。
見届けなければ、何も分からないまま、終わってしまう。




