171、予知
学校始まった〜とても嫌だ〜
料理、裁縫、洗濯、掃除。
基本的な家事のスキルは当たり前で、そこにプラスで物資運搬、設備補填等の力作業もあったりする。
大規模な搬入がある場合は、下町の人間を雇う時もあるくらいだ。日雇をするのは流石に珍しいが、食料を仕入れたり、金を運んだりと力はとても必要になる。
子供たちの世話も見なければならない。
小さな子供がおかしな事をしないように、成長した子供たちは学が付くように、それぞれで面倒を見る。
子供はもちろん、大人がちゃんと手を引いて、導いてやる必要がある。
小さな子供はちゃんと危険を払う。遊ばせて、休ませて、そして勉強もさせる。孤児院は優しく、厳しく、大人が保育していく施設なのだ。
それに、一部は職に出来る技術を磨いたり、教わったりもする。
少しでも子供の選択肢を広げられるように、世間に出た時に役に立つ知識や技を仕込んでいく。孤児院の人間でも仕込める部分は多く、教える人間はそれを子供に分かるように器用でなくてはならない。それに、未来の人材が欲しい人間が、孤児院の子供を見に来る事も、金を貰って子供に技を仕込む事も珍しくない。
接待や教育、何にせよ人と接する作業であるために、広い視野と知識が必要になる。
他にも、実は下町に繰り出す事もある。
下町からは少し離れて、移動してしまったが、繋がりが途絶えたわけではない。
慈善活動は定期的に行われている。
怪我人、病人を神聖術で癒やす事もあれば、炊き出しで食料を配給する時もある。
聖職者によって運営されている孤児院だ。
人を助ける事に躊躇いはなく、隣人には優しくせよ、が基本的な指針だった。
繋がりが、いざという時助けになるからだ。
孤児院の出というだけで、下町で優しくされるくらいになるのが目標となっている。
人員の管理や帳簿などの頭脳労働も重要だ。
備品、食料など、人間なのだから、生きていれば必ず金がきってしまう。
それなりの規模の集まりとなったのだ。
動く金の量も当然多くなり、そうなればきちんと管理されなければならない。
金は人を動かす力の一つであり、その流れが杜撰になれば、組織は瞬く間に崩壊するだろう。そうなれば、巻き込まれて多くの子供が路頭に迷う。
金には出来る限り汚く、みみっちく、大切さが理解できる人間が好ましい。
信用があり、さらには頭も良くなければ。
孤児院を回す上で不可欠な仕事である。
さて、これまで色々と例を挙げてきた。
どれも必要とされる能力があり、それに適した人間が各仕事に当てられる。
カレンがちゃんと見分けて、割り当てる。
今、問題なく管理された上で機能している孤児院だが、ここに異物のクララが放り込まれるのだ。クララは当然仕事をするつもりだったし、カレンもさせるつもりだった。
ならば、クララはどこに配置されるのか?
では、クララが孤児院で何が出来るか?
答えは、ほぼ全て、であった。
『…………』
孤児院は領主カールの直営だ。
基本的には、トップであるカールが派遣する、代官のような人間が金回りを管理している。
一部孤児院の人間に任せたり、帳簿を学んだ子供の実践練習のために残された箇所もある。だが、最終的にチェックし、カールに報告するのは、その代官の仕事だ。
だから、クララの仕事は、手付かずの箇所を仕上げてから代官に提出すること。
やる範囲はその代官に決められている。
決められているの、だが、
『まさかとは思ったけど……』
任せた仕事の量は、十分多かった。
平均的に、人に任せれば一日かかるくらいのはず。
クララを紹介された後で、彼は取り敢えず仕事を一部任せてみた。
すると、一時間もかからない頃だ。
いきなり立ち上がって、文字を書き込んだ紙束を彼の机に出した後でどこかに消えた。
紙束が何かは、彼はもちろん知っている。
任せた仕事なのだが、それは数字と文字で埋め尽くされている。
彼はすぐに精査したが、まったく問題はない。
仕事をするにしても、早すぎたし、完璧だった。
正直、出来そうとは思ってはいたのだ。
というか、カレンからクララを一番最初にここで仕事させるように頼まれた。
しかし、少し目を離した隙にクララが消え、代官の男があんぐりと大口を空けて目を剥いている様子を見た瞬間に、事態は急変したのだ。
しかも、これはあくまで例の一つ。
信じ難いが、まだある。
『本当に……』
力仕事は、かなり多かった。
例えばなのだが、孤児院には定期的に仕送りと支援、予算が渡される。
中身はもちろん金で、沢山の子供と職員を食わせるために、それなりの額に昇る。
金は重く、人一人では持ち運べない重力だ。
大の男でも、三人は欲しい作業である。
荷車に乗せられた金を特注の金庫まで運ばなければならないのだが、気が付けば作業は終わっていた。
他にも多く、男手が必要な、一日がかりの作業があったはずなのに、何故かもう終わっている。
手持ち無沙汰になった男たちが、いつの間にか用意されていた茶をしばいている所を見ると、何とも言えなくなる。
家事は総じて時間がかかる。
雑巾でシミはなかなか落ちないし、衣服の汚れは水で多少すすっても消えない。料理も数十分はかかるもので、裁縫なんてチマチマした作業が簡単に済むはずない。
だが、気が付けば全て終わっている。
床にまちまちあったのに、いつの間にか消えている。溜めていたはずの洗濯物は全て干されている。いつの間にか昼食が人数分用意され、破れやほつれがあった服にぬいぐるみが全て直っている。
こんな所まで早くなくても良かろうに。
それぞれの仕事を任された雇われの女性が困惑している様子は、もうどうすればいいか分からない。
クララの事を見るように言われたが、現状の良し悪しが判断出来ない。
『本当に人間なのか……?』
働きぶりを見るように言われたヴァウは、心底恐れ慄いていた。
目を離したのは、本当に僅かな時間だ。
その場から、子供たちの様子を見るために十数分ほどだっただろう。
明らかにその僅かな時間で出来る訳がない仕事量をこなして、消えた。そして、ヴァウがクララを探し回っている間に、彼女は同等以上の仕事を片付けていたようである。
ヴァウは現場を見ていないが、凄まじい速度で事を為されていたのは確かだ。
率直に言って、完全にスペックが人間以上でなければ出来ないような所業である。
思わず、あり得ない可能性を考えた。
もしかすれば、子供の頃から人の皮を被って人間に紛れて生活していた魔物ではないのか、と。
そんな訳がないのだが、否定できない。
今朝、何故気配を消した自分に気付いたのか、と詰問された。
ヴァウはその時、匂いからだと指摘した。
しかも、クララの下の事情から余計に気付けたのだから、本当に言い難かったのだ。幸いそこまで気付かれた様子はないが、どうやら匂いという要素は刻まれたらしい。
今朝から、まったくクララの匂いがしない。
ついさっき言われて直せるような欠点ではないはずだが、本当に理解できない。
『彼女は、いったい、何なんだ……?』
彼がこれまで接してきた誰よりも、能力が高い。
そんなバカなと何度も思ったが、クララの何もかもが頭一つ以上抜けている。
戦闘能力などの、まだ見ていない面もだ。
クララはヴァウのあらゆる点を上回る。
自身の能力は理解しているヴァウだったが、己を遥かに上回る手合はこれで二つ目。
トラウマに近い形で刻まれた、強者への畏怖。
体の震えを止められない。
クララという存在を、魂から恐れている。
『彼女は、俺の手に負えない……』
頼まれても、無理なものは無理だ。
ヴァウは、もう決めていた。
早くクララから離れるために、カレンに自分では出来ないと申告するしかない。
一刻も早く、逃げるしかない。
彼女のお目付け役など、誰にも務まるはずがないのだから。
とまあ、ヴァウは色々追い詰められた。
クララは恐れを抱く対象ではあるが、関わりを持ちたいと思うような相手ではない。
だが、これはヴァウの都合だ。
そんなものが、カレンに通じるはずがない。
「駄目です」
ヴァウは絶望していた。
カレンから、ここで生活するクララのお目付け役を任されたのだが、その役目からは逃げられないと悟ったからだ。
どうしてもクララから離れられない。
鋭い爪牙を持つ怪物と、離れて平穏に生活する事が出来ない。
関わるだけで命の危機を感じるのだ。
出来る限り触れたくはない。
ヴァウは、とにかく焦った表情で続ける。
「俺じゃ無理ですよ。く、クララさんと接して分かりました。あの人は、俺の目なんて簡単にすり抜ける。お目付け役なんて仕方ないですよ」
「何をしたかを見る人間が必要なのです。別に現行でなくてもいい」
ヴァウはクララが苦手だった。
あの我の強そうな感じが、どうにもキツイのだ。
なのに、カレンはヴァウをクララに近付けようとしているきらいがある。
勘弁してくれと言いたいが、カレンはヴァウを拾ってくれた恩人で、あまり強く出られない。
嫌と恩の板挟みになって、苦しそうに顔を顰めるしかない。
「で、ですが、」
「問題ありませんよ。根は良い子です。すぐに貴方にも分かります」
「俺には合いませんよ……」
「大丈夫です。すぐに慣れます」
カレンはただ、静かに言うだけだ。
ヴァウの苦悩も理解しつつ、その上で問題ないと自信を持って言っている。
「振り回されるでしょうし、何かと問題はあるでしょうが、それも経験です」
「……そんな経験したくないです」
「理不尽に見舞われる事は多々あります。理不尽というものに、少しでも慣れる必要があると言っているのです」
聞く耳を持ってくれる気がしない。
カレンは善意でそう言っているのだ。
ヴァウの対人経験の少なさを鑑みて、色々なタイプの人間に関わらせようとしている。
余計なお世話とも言い難い。
致命的に嫌な状況ではあるが、別に一ヶ月限定なのだから、これくらいさせても良いだろう。
ヴァウも納得しかけてしまう。
想われる事は悪い事ではないと、知っているから。
「貴方はあの子に触れていてくれればいい。人となりを知って、話をして、話を聞いてくれれば。最後に、少し私にその事を報告するなら完璧です」
「…………」
「別に取って食われたりしませんよ。苦い薬を飲むようなものです」
未来の事を案じてくれる。
今だけでなく、先を見せてくれる。
こんなに喜ばしい事は、ヴァウにはない。
だから、期待を裏切れない。
カレンは心底から、他人を案じているだけなのだ。
文句を言えず、反論も言えない。
甘んじて、厳しい愛を受け入れるしかない。
「わかり、ました……なんとか、頑張ります……」
「大丈夫ですよ。気にしているほど、大変ではありません。あの子は良い子ですから」
彼女がカレンの愛娘というのは変わらない。
愛しているから、期待している。
ヴァウもクララも、二人共に期待している。
カレンの愛を拒めない。
クララに関わり続ければいずれは殺されるのではないか、という不安感は、押し込めるしかない。
ヴァウは困ったように眉を下げる。
何も言う事はなく、仕方なしにクララを見つけに行こうとした。
すると、
「あ、ちょっと待った」
「?」
「クララは、真面目に仕事をしていましたか?」
返答に困った。
真面目と言えば真面目なのだが、いささかやり過ぎと感じてしまう。
一瞬答えに詰まった。
だが、取り敢えずそのまま報告しようと決める。
「まあ、そうですね。帳簿関係、運搬、家事までやってくれましたよ。他の人たちが仕事を奪われて暇そうでした」
「…………」
と、そこで失敗したかもしれないと思った。
明らかに、カレンの雰囲気が変わったのだ。
柔らかで穏やかな老婆が、なんとなく怒っているように思えたのだ。匂いや音から、人よりも深く事情が分かるヴァウからすれば、それは明らかな変化だ。
これは巡り巡って、自分に不幸が帰って来るパターンだと察しが付く。
「分かりました」
嫌な、分かりました、だ。
正直なところ、分かってほしくない。
「クララを夜にここに呼んでください。それから、明日から貴方はクララと行動するように。大丈夫です、ちゃんと説得しておきますから」
「…………」
やらかした、とヴァウは思った。
そして、その予感は正解だった。
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