163、弱気
僕を慰めて……不安を和らげて……
カーペットはとても柔らかい。
踏みしめる度に優しく反発して、靴越しでも心地良さを伝えてくれる。どこの糸を、どう紡いだかなど知らないし、その技術の高さも同様である。
染色も鮮やかで、血よりも紅い赤色は、目の中を美しく彩ってくれる。
職人とやらが心血を注いで作った逸品のはずだ。
多分、きっと、おそらく。
途中で見える絵や花瓶も良い味だ。
個人の価値観が全面に押し出され、これが美というものだと主張してくる。
何だか凄そう、と思わせる感じがする。
それが実際に優れているかはもちろん彼女の知る所ではないが、雰囲気も相まって『ぽさ』を感じるのだ。
どこまで行っても曖昧なままだが、そうとしか言えないのだから仕方がない。
隅々まで掃除が行き届いている。
壁は真っ白で、窓辺にはホコリ一つない。
シミの一つでも天井にあるのが普通だろうが、ここは人の死角にまで気を払うらしい。
どこか安堵出来る感覚が嗅覚を刺激しながら入り込んでくるのは、見えない所で香でも焚いているからか。
廊下を歩いているだけでも、庶民とは意識が違うと良く分かる。
領主の館として、相応しいものだろう。
王から土地を分け与えられ、そこを管理する重要な任務を任された貴族。
権力があり、品位があり、力がある。
この何でもない場所を歩くだけでも、他とは一線を画すのだと感じられる。
ゆったりと見て回る余裕があれば、読み取れる部分は数多くあった。
こうも貴族らしい場所を、彼女は見たことがない。
聖国もかなりの金をかけて建てられた聖堂や、高位神官用の宿がある。だが、あれはあくまで神の名の下に作られた施設であって、本質は荘厳、尊さだ。
あからさまに、という良さはない。見せつけるような、宝石の如き輝きはない。
七年前と何も変わらなかった。
クララが前に見たまま、感じたままである。
「…………」
クララは、物品に関する感覚は全て小市民だ。
コレが高いと言われても、安いものとの違いが分からない。コレが凄いと言われても、『凄そう』くらいしか言うことがない。
異端審問官は、貴族の一員として数えられる。
そのため一応教養として高級品にも触れてきたが、『これがなんの役に立つの?』と『だからどうしたの?』と思ってしまう。
専門の教育も受けたが、赤点スレスレを常に進んだ。ちなみに、それを教え込んだ老婆は、同じ生徒である青年との差に頭を抱えた。
戦闘以外の才能を、残念ながら彼女は殆ど持ち合わせてはいなかった。
「……んー」
興味がないから、違いが分からない。
高いという事前情報があるから、一応はそれっぽいと分からんでもない。
だが、その『それっぽい』も高いという情報に引っ張られているからかもしれない。
クララがじっくり見ても、何も得られない。
そこは、昔から変わらない。
何度か訪れた事はあるが、芸術を見て、何かを思う事はついぞなかった。
だが、ここまで来て感じる事はある。
芸術品やら何やらではなく、場所そのものにだ。
こっそりと忍び込み、無理矢理領主に会いに行った事があったなと思い出す。
当時は多勢に無勢で負けかけた。
戦闘で命の危機を感じたのは、アレが初めてだ。
嫌な思い出なのだが、しっかり鮮烈に頭の中に刻み込まれている。
「…………」
微妙な感情が沸き立つ。
そして、その原因もなんとなく分かる。
今も昔も、クララは運が悪いのだ。
ロクでもない事が起こる兆候というものを感じられるようになったのはいつだったか?
こういう場面で、大抵予想外の事が起きる。
間違いなく、絶対に起こる。平穏に事を収められた試しは一度としてない。
クララの人生の中で発生した問題は、九割方暴力で解決してきた。
彼女は暴力と不運に愛されている。
今も、状況を考えればかなり危ない。
またもや、正式な手順を踏まずに権力者の館に侵入する事になったのだから。
「なんか、嫌な予感……」
昔の事を嫌でも思い出す。
あの時、クララはまだ未熟で、自分の能力の制御すらもままならなかった。上手く体を動かせずに、気が付けば倒れてしまった。一つの失態が、あっという間に命の危機を作り出した。
慎重には、さらなる慎重を重ねるべきだ。
特にマズイ事が起こるかもしれないなら、なおさらどころではない。
もはや、進むのを止めるべきである。
「でもなあ……」
流石にそれは出来ない。
このまま進んで、向かい来る敵は全員無力化。
正直、マナとの会話を吹っ切ってしまったのはあまり良い手ではなかった。
普通に彼女に案内させれば、こそこそする必要はない。客として館を歩けたはずだ。
しかし、結局逃げた。
彼女と話を続けるのが辛くて、気まずくて。
痛みや苦しみならいくらでも耐えられるのに、耐えられなかった。
この状況はそのツケでしかない。
クララは渋々慎重に進む。
変に音を立てればきっと、目をつけられる。
自分のせいでしかないのだから、自分の失敗を雪ぐのは当たり前である。
丁度良いくらいだと気を持ち直す。
そして、
「仕方ないなあ……じゃあ、」
「うう、え……」
「え?」
しまった、と心の中で思った瞬間には手遅れだ。
口を塞ごうにも、ソレを抱えているために両手は使えなかった。
予期できる事態だったろうに。
想像力を欠いたから、こういう事になる。
「うええええええん!」
「やっちまった……」
うるさい、響く。
ここの警備を任された人間は腕利きだ。
異常な音を感じ取れば、すぐに駆けつけて問題の対処を行うだろう。
前も同じように、不用意に音を立てた。
その結果から、同じような状況になる。
「うわあ、やべえ……。よしよし、どうしたのさ? 泣き止んで……」
「うえええええええん!」
苦々しい顔のまま固まる。
どうすればいいか分からなくなり、警戒心すらも薄れてしまう。
食事は与えた、下の世話もしたばかり。
泣くような事になる原因は、全て街に着く前にやった。街に入ってからは、まだ一時間も経っていない。
流石にどうすればいいか分からない。
「うわあ、どうしよ……」
壊してはならないもの。
暴力で解決出来ないもの。
どうにも、クララはそれが苦手だ。
「ああ、ええと、どうしよう……」
手がない。
どうしようにも、道具もない。
殴っても蹴っても解決しないから、頭を抱えるだけで何も出来ない。
意見を聞こうにも、相手は言葉も話せない。
精神操作の魔術を使えばどうにかなるかもしれないが、流石に廃人になる可能性がある魔術は使えない。
クララの得意分野が、ことごとく使えない。
「えええええええええん!!」
「だ、誰か、どうしたらいいか教えて……」
「何をしているんだ、君は?」
クララが振り返ると、そこには男が居た。
誰かに良く似た金髪と碧眼の男だ。
クララの記憶よりもずっと歳を取っていて、けれども全く弱さを感じさせない。
高そうな服、真っ直ぐな姿勢、値踏みをするような居心地が悪くなる目。どこを見ても、細かな部分は変わっていないように思えた。
「た、助けてくれませんか、カール様?」
「久しぶりなのに、開口一番それかね?」
とても、クララはバツが悪かった。
※※※※※※※※※
「君は、相変わらずよく考えているように見えて、案外浅慮だね?」
飛び切りの悪口だった。
考えなしは、言ってしまえば能無しである。
暴力は確かに強い武器だが、それだけで何でも切り抜けられるほど世の中は単純ではないのだ。
暴力だけではどうしょうもない場合があり、そこで活躍するのが知恵だったり、知能だったりする。
そして、今回は知が問われる状況であり、クララは見事に狼狽えるだけだった。
クララは、普段からものを良く考える。
だが、敢えて愚を犯した上に、そのまま解決すらも出来なかったのなら、それはただ馬鹿だっただけ。
考えているつもりになっているだけだ。
だから、反論は出来ない。
甘んじて、嫌すぎる評価を受けるしかない。
それだけ無様を晒したのだから。
「…………」
「君は強いし、慎重だ。なのに、こうして失敗した。何故そうなったか分かるかい?」
クララは苦い顔だ。
こういう説教などは久しぶりで、けれども昔から説教にいい思い出がない。
自分が悪いから反抗も出来ないのだ。
嫌いな相手から何をされたとしても、自分を抑えるしかないという状況が仕上がっている。
クララは気が短いのだ。
だから、ストレスが山のように溜まっていく。
「君はなんというか、痛みや苦しみに対しての理解が高すぎるんだ。自分が傷付く事を厭わない。知らない誰かがどうなってもいい。その認識で仕事をしているんだから、これは言うまでもないね」
「…………」
「でも、その他がてんで駄目だ。君は人の追い詰め方は知っているが、希望の与え方を知らない」
クララの専門分野は、今カールが指摘した通りの部分だ。
そして、クララは専門分野以下は、つまり興味が示さない分野には、まったくもって理解がない。
「だから、相手を知ろうとする努力をしないのさ。こうする事が必要だ、という認識がなくて、とても狭い分野でしか能力を発揮出来ない」
「やる気がない奴は、何しても駄目ってこと?」
「そういうこと」
いやみったらしくカールは言う。
優雅な所作で目の前の紅茶に手を付けるが、クララにはそれすらも煽りに見えてくる。
自分の方が必要だとみなして手を広げた範囲が広いのだ、と見せつけられるようだ。
「君が何を目的にしてここに来たかは知らないが、間違いなく私に用があった。なら、私が納得出来るような条件や借りを作っておくべきだった。逆に借りを作らせるような事をしてどうするんだ? 交渉の必要がないからと、交渉の技を磨かないのは良くない」
「…………」
「そもそも、あの赤子を孤児院に先に預ければよかった。偶々私が君を一番に見つけて、メイドたちに任せたから良かったが、君は大切な赤子を腕に抱えながら戦うつもりだったのか?」
「……まあ、どうにかなるかと」
「だろうね、厄介なことに。だが、出来る事を無理矢理やり通す必要がどこにある?」
「まあ、はい……」
つまり、準備不足だったという事だ。
何でもかんでも、その能力によって問題を全て踏み潰していく。
クララはその悪癖を指摘されている。
日々が暴力的であるからといって、魂まで暴力で支配されるのはどうなのか?
何でも暴力で解決出来るからいいや、と努力を怠った結果があの無様であった。
カールからすれば、クララは腹芸等の技能は落第だ。
彼の言葉が正しいから、クララも反論しない。
反論したところで、口でカールに勝てる気がしなかった、というのも原因の一つだろう。
「君は反省が早いね。それは、良い所だ」
「褒められている気がしない……」
「褒めているとも。愚息たちは、フィリップは特に物分りが悪かったからね」
その瞬間、空気が変わったのをカールは感じた。
クララの雰囲気が、なんとなく重苦しくなったように思えたのだ。
とても微妙な変化ではあったが、カールの目は誤魔化せない。
クララが何か言いたげなのは分かっている。
「……さて、今日はどのようなな用向きで? 異端審問官クララ・ランフェルス卿?」
「……本当に、嫌な人だ」
クララは顔を歪める。
見抜かれた事がなかなか面白くないらしい。
だが、会話のペースをいつまでも握られているのも、それはそれで面白くない。
気持ちを切り替え、冷静さを密かに被る。
油断ならない男を前に一分の隙すら出さないように、努めて、冷徹に。
そして、本題を切り出す。
「カール・サドレー。今日、ボクは、貴方の親族を返しに来たんだ」
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