14、暴力と交渉
明日で一章終わります。
それからは一話ずつ、夜十時台に更新していきますので、宜しければ是非これからも読んでいただければ幸いです。
領主の住まう館には、警備が山程居る。
当たり前だ。
カールはかなりの立場を持つ人間なのだ。
他の、自身の領地を持たない貴族と比べれば、持つ財力も、動かせる人員も桁が違う。
場合によっては、ランクの高い冒険者や名の知れた傭兵を個人で雇うなどの金がかかる行為も余裕を持ってできるようになる。
実際に館に居るのは多くて五十人ほどだろう。
昼夜問わず、約五十人の猛者たちが館を彷徨いている。
潜入をするための隙間はとても小さく、しかも絶えず場所を変えていく。
一人に見つかれば、あっという間に囲まれるだろう。
大人数に包囲されるという状況は最悪だが、もっと最悪なのは、カールに雇われているだろう強者と相対する事。
逃げる事すらできずに、一瞬で終わる。
ここで、隠密は当たり前だ。素早く静かに、適切に動かなければ、資格すらない。それから足音と気配を消し、警備に見つからないような最適のルートを探す。強者に当たらないように祈りながら進んで行かねばならない。
仮に熟練の暗殺者とて難しい。
事前に準備と研究をし続けて、時間をかけて行う行為だ。
それをクララは、真正面から突入した。
「……めんどいな」
そんな定石など、クララには出来ない。
気配を消すことも、音を消すこともできるわけが無い。
一応はただの一般市民でしかない。
だからそもそも、隠れる事はしなかった。
「足が上手くいったのは良かった」
それに、実験もしてみたかった。
クララは今、普通に両の足で歩いている。いや、普通に両の足で歩いているかのように見せかけている。
さっき使えるようになった『結界術』だ。
円柱状の結界が、クララの無い足の機能を肩代わりしていた。
ややぎこちないが、問題はない。
片足で歩くよりもずっと順調に進んでいた。
「やっぱり、上手くいった。『結界術』は守る事がトリガーだけど、一度きっかけさえ掴めればある程度自由にできる。何で出来たんだろ? 後でちゃんと理論立ててみよう。ああ、でもやっぱり本来の使い方と違うから、」
パリンッ!
ドタッ!
「壊れやすい、か……」
義足代わりの結界が、音をたててガラスのように壊れる。
そのせいで、クララは思い切り顔を地面に打ち付けた。
夜の館はその音が遠くまで響くようだった。
クララは失敗を悟る。
結界の義足はついさっき思い付いた、ぶっつけ本番。というかそもそも、『結界術』自体使えるようになったのがさっきの話だ。
失敗は当たり前である。
紐状の結界も、何度も何度も千切れて、その度に作り直していただけ。
それに、クララは自分で『結界術』に足りないものがあると知っていた。
はじめは、アイリスを見て感情を沸き立たせた。
守りたい、と助けたい、という意識が自然と出るのだ。
眠ったままのアイリスの前で、それを考えた。
何も出来ないのなら、そのままアイリスが危機に陥ったとして、指を咥えて見ているしかない、と確信した。
その時の、一番はじめの結界は、一番硬かった。
それと比べれば、間違いなく想いが薄い。
コツを、やり方を掴んだから、なんとなくでやっているだけではいけなかった。
大体理解する事ができた。
やはり、神聖術や神聖力は、対応する気持ちが必要だ、と。
神聖術とは、人の想いが作用する力なのだ。
日々の祈りは、神に対して、救ってほしいという願い。
カレンは『回復術』を神聖術の基礎と言っていた。
それは、救いを求める祈りと『回復術』に求められる想いが合致するからと考えれば辻褄が合う。
その理屈なら、感情は切っても切れない縁。
神聖術を扱う上で、欠かせない燃料だと考えるのが良い。
思い付いた以上、最早そうとしかクララは思えなかった。
『おい、こっちだ!』『なんだ、あの音は!?』『侵入者か!』『速く来い。来て殺せ!』『久しぶりの仕事だぞ!』『他の連中も何人か呼んで来い!』
クララは、たくさんの声が近付いて来るのを感じた。
かなりの人数で、少なくとも十人は居る。
ドタドタという足音が床を揺らし、下に付いた手が同時に震えるのが分かる。
「もう正念場か……早かったなぁ……」
クララの初めての戦闘は、地面に這いつくばった状態で始まった。
※※※※※※※
血が舞っていた。
夜であるためにろくに見えないが、廊下のあちこちに血が飛び散る、いや血で溢れていた。
人間何十人分の血液。いくつものバスタブが満杯になる量がぶちまけられたのだ。
もう騒ぎなどというレベルではない。
両手では数え切れない人間が灯りを持ち、侵入者の元へ駆け寄った。
朝と夜の当番は決まっているが、関係ない。呼べる者は全員呼ばれる。
数で圧倒しなければ、勝てないのだ。
久しぶりの仕事だと張り切っていた者が居た。侵入者が生き残れたなら拷問にかけようと楽しみにしていた者が居た。別の者に殺されるだろうから高みの見物を決め込もうとした者が居た。
しかし、今は全員が必死の形相を浮かべている。
目の前の化け物を殺さねば、と。
「がああ!」
「うわあああ!」
化け物が警備の男の一人に噛み付く。
幸い腕にだが、首に噛みつかれれば男は死んでいただろう。
噛まれた箇所は、化け物の歯の形に沿って抉り取られていたのだ。肉も、筋も、骨も関係なくである。
「ぺっ!」
口に含んだものを吐き出す。
いくつかの歯が欠け、または抜けていたが、瞬きをした後にはすべて生え変わっている。
次の獲物はどれだ、と血走らせた目で周囲を一瞥した。
その時にも、警備の者たちは化け物に襲いかかる。
「死ね死ね! 死ねよ、化け物!」
化け物の後ろに居た別の男が、その隙に槍で串刺しにした。
背骨と腹を貫通し、そのまま地面に突き刺さる。
また新しい血が飛び散るが、そんなものは誰も気にしない。
自分たちと化け物の血で汚れていない場所などないのだから。
男は油断せずに化け物を見る。
逃さないように槍にさらなる力を込め、他の者が化け物の脳を破壊するまで待っていた。
しかし、それでは止められない。
化け物は自分で槍を掴み、左腕で体を無理矢理横に押し付けた。
ミリミリ、ブチブチという耳障りな音とともに、化け物は体に出来た横穴を代償にして、槍から抜け出す。
けれども、隙は大きい。
警備の者たちはさらに追撃した。
横から、上から、前から、同時に剣で斬りかかられる。
だがそれは無駄に終わってしまった。不自然に攻撃がピタリと止まったのだ。
見えない壁があるかのように、どうしても化け物の体には届かない。
繰り返す、繰り返す、繰り返す。
化け物は何をしても倒れない。いや、実際には倒れる事は何度もあるのだが、死なないのだ。
人数で有利なはずの警備側がジリジリと押される。
化け物の圧倒的な狂気に、警備側は引くしかなかったのだ。
手と足のある生き物だが、その本質が何よりもズレている。
神聖力という、襲撃者という立場には相応しくないものを纏って暴れまわっている。
それは未知だ。
戦闘経験は決して浅いわけではない警備たちでも、あり得ないとしか言えない化け物だった。
欠損が瞬きの内に再生する?
それを何十回も連発する?
多方面からの同時攻撃でも壊れない結界?
辺り一帯を覆うほどの神聖力?
一つですらあり得ない。
その身に宿る神聖さと、その結果引き起こる結果の乖離は目眩がするほどだ。
恐怖と意地が拮抗し、意地が勝る者だけが動けていた。
不死身の魔物を相手にした事がある者も中にはいたが、こんなものは見た事がない。
幸い、化け物は攻撃の能力が乏しいようで、死者は居なかった。
しかし、重傷者は多数、戦う以前の問題の者も居る。
ほぼ五分だが、戦況が傾くのは時間の問題だった。
化け物に勝てるのは、同じ領域に居る化け物だけなのだ。
「退け! 俺が殺る!」
声を聞くだけで、絶望的と嘆いていた者たちに活力が漲る。
頼もしい、強力な応援だ。
彼ならばもしや、と期待できる人間。
一言で言えば、強者である。
そこで、強者と呼ばれる男が現れたのだ。
各地を転々とし、数え切れない戦場を勝利に導いてきた凄腕二つ名を持つ傭兵、『武具壊し』のガントン。
巨大な戦槌で敵の装備を粉砕する姿から、そう呼ばれた。
化け物よりも遥かに巨大な体で、凄まじい重量と大きさの槌を振るった。
狙いは頭だ。見えない壁すら壊して、化け物の頭をトマトを潰したように粉砕するつもりだ。
「ああ!」
化け物は叫び声と共に素早く避ける。
足で地面を蹴って、ガントンの股下へ逃げた。避けきれずに足を潰されたが、瞬時に回復した。どうやって治ったのか見えないくらい鮮やかに。
すると、化け物はガントンの足を掴んで、それを基点に自分を放り投げた。
化け物の力は案外弱く、少し先に体を出ただけに思われたが、不自然に体が跳ね上がる。
まるで、何かによって打ち上げられたかのような。
化け物は口から大量の血を吐き出すが、上から出るそれは下に居た警備の者たちへの目くらましにもなった。
見えない足場を作り出し、上を行こうとする化け物。
しかし、それを逃がそうとするはずもない。
またもやガントンは、戦槌をもって化け物を粉々に砕こうと振りかぶる。
「…………!」
化け物はギリギリで反応したが、ほとんどの者にはまったく分からなかった。反応した化け物も、寒気がした、という曖昧な理由で動いただけだ。
一瞬足場を解くのが遅れていれば、戦槌がもろに当たり、首だけになっていた。
警戒した化け物は壁を作り出す。
戦いの場は、廊下という狭い道だ。
そこを完璧に封鎖するための、見えない壁を作り出すのは簡単だった。
だが、少しでも足止めできるようにしなければならない。
あらん限りの力と、守ってほしいという願いを込めて、五重の壁を作り上げた。
化け物は二本の足で走り出す。
不格好に、引きずるように、不自由に。
遅い動きで、なんとか距離を取ろうと走る。
壁に手を当てて、拙い走りを補助しながら行こうと七歩目を踏んだ瞬間、
「かああああ!!!」
ドン、とも、ボカンとも取れる爆音が鳴った。
化け物は悟る。
もう突破されてしまった、と。
「ぬん!」
必死であけた距離を、たった一歩で潰された。
化け物が咄嗟に張った壁は、化け物を即死させる事は無かったが、あらぬ方向へ体を運ばせる。
二秒ですべて治る傷だが、二秒は長い。
すぐにガントンが来ると判断した化け物は、壁を使って辺りを壊した。
目的の場所へ迷いながら辿り着くのは不可能だと判断したのだ。
化け物の身を包む信じ難いエネルギーの大半を用いて、壁を張った。
身を守るための最善の策として、広い屋敷全体を寸断してからグチャグチャに混ぜるようにして壁を作り、動かす。
ゴ ゥ ン !
重い音と共に、館の半分が壊れた。
そして、周囲には誰も居なくなる。
ようやく一息付ける、と化け物が肩をなでおろす。
すると、
「そこ!」
鈴を転がしたような声がした。
声と同時に、化け物は心臓を一突きにされ、吹き飛ばされる。
かろうじて見えたのは、青い髪の女がレイピアを握っていた所くらいだ。
視界がぐるぐると回り、気が付けば、
「あ……!」
囲まれていた。
これまでのような、まちまちの灯りではない。
そこだけ夜が明けたかのような、広い光。
化け物はようやく照らされる。正体を暴かれる。
※※※※※※※
「なんだと……?」「嘘だろ?」「馬鹿な!」「あり得ない」「まさか、そんな……!」「子ども、か……?」
化け物は、クララは、無数の大人に囲まれていた。
「……貴様、何者だ?」
ガントンは警戒を緩めない。緩めないが、酷く圧が弱くなったように感じた。
毒気を抜かれた、とまではいかないが、驚きによって少し戦闘の興奮が冷めていたのだ。
いや、それは誰もが同じ事。
こんな惨事を起こした相手が、
「子ども、なのか?」
黒い髪をした、小さな子どもにしか見えないのは、その場の大人たちに疑問符を浮かべさせる。
明らかに異常な敵だったのだ。
それ以外のものが見えなくなるほどの濃い神聖力。
常軌を逸した不死性に、見えない壁。
館を半壊にまで追い込んだ、最小で最悪の化け物だった。
それが、
「子どもって……」
「いや、でも、まさか……」
どうすればいいのか分からない、という空気になった。
情報を与えられた途端に動きが鈍っていく。
恐れと、戸惑い。
この時に動いたのは四人だ。
逃げようとしたクララ、殺そうとしたガントンに、クララを守ろうとした二人。
「何のつもりだ、お前たち?」
「そっくりそのままお返しします」
「彼女を殺す事は許さない」
レイピアを持った青髪の女性、騎士マナ・カーヴァス。
眩しい金髪の優男、フィリップ・サドレー。
二人の態度に、ガントンは眉をひそめる。
意識をクララだけでなく他二人にも割く。動けば何時でも叩き潰せるように。
それに対して、二人は頑として動かなかった。
何をされたとしてもクララを守れるように、ガントンの前に立ち塞がる。
二人の剣と殺気はガントンに向けられていた。
「俺は領主様をお守りするという任務を果たすだけだ。退け。ソイツは危険過ぎる」
「でも、子どもです。私は、子どもを殺すなんて出来ませんし、そんな非道は許しません。どれだけ力を持っていたとしてもです。ここは、ここだけは譲れません」
ガントンはマナを警戒しながら、視線をフィリップへ移す。
元より、そうだとは思っていたのだ。
フィリップと同じく、心根が腐っていない善人。
怠けていても金はもらえるのに、周りに流されず、己を磨いてきた女だ。
絵本の騎士のような存在に憧れを抱いた人間。
駄目なものは駄目、間違っているものは間違っていると言い切り、倫理を優先するに決まっていた。
その鋭い目で、言葉はなくともマナと同様の事を問いかけていた。
昼間にフラリと何処かへ消えたかと思えば、いきなり今になって戻って来たのだ。しかも、敵を守っている。
到底納得できるものではない。
「この子どもには、義理がある。だから、死なせる訳にはいかない」
多くは語らなかった。
だが、それだけでも多くが伝わった。
この場の誰よりも人と関わり、生きてきたガントンには、十分だった。
他ならぬ彼も、義理で護衛という役職を全うしているのだから。
「だが、俺はコイツを殺す」
「させません。私は騎士です。させません」
「……右に同じ」
一触即発だ。
誰かが動けば、残り二人も即座に動く。
緊張が走る場面だ。
しかし、
「で、領主様はどこですか?」
クララが壊した。
片方の足だけでしっかりと立ち、三人を静かに見ている。
未だに滝のような勢いで神聖力が湧き上がり続けており、それはガントンを威圧しているようだった。
ニ対一の状況が変わる。
「挑発しないで! 貴女は私とフィリップ様が守るから、大人しくしていて」
マナがクララに気を取られた。
クララの存在しない左脚と、右腕、閉じられた左目を見て一瞬顔を歪めるが、警告の声をあげる。
あくまでも子どもに対しての態度だ。
聞き分けのない子どもを叱るように言う。
それに、ガントンは動こうとした。
晒した隙を突くために。
だが、それは次の言葉で止められた。
「何を勘違いしているか知りませんが、ボクは領主様の客ですよ」
ガントンが、いや、全員が固まった。
言葉が通じないのかと一瞬思ったくらいだ。
だが、クララの態度には確かな自信が含まれており、苦し紛れの嘘には見えなかった。
真偽を判断できない。
フィリップまでもが、はあ? という顔のままだ。
「いや、クララ殿。いくらなんでもそれは……」
「騎士様。忘れたんですか? あの時、」
「何が起こったんだ?」
そこに、新たな声が割り込んだ。
誰もがよく知る男のものだ。
「領主様!」
ガントンは声を荒らげた。
ここから逃げろ、と言いたかった。
館が半壊し、戦っていた者たちも多くが瓦礫の下敷きになったのだ。
家の主であるカールは、声の集まる方へ寄った。
フィリップやガントンの声が居るであろう所へ。
ガントンは最適を行おうとした。
カールの方へ走り、身を挺して庇いつつ、そのまま逃げ去ろうと。
ガントンならばそれができたのだ。
他の三人とガントンなら、パワーもスピードもガントンに分がある。
だが、またしてもクララの言葉で止まることになった。
「領主様。クララです。約束、果たしに参りました」
クララがよく通る声で言ったのだ。
見れば、頭を下げ、礼を示している。
その領主の館で散々暴れまわった化け物が、だ。
クララの言った言葉など、戯言と切り捨てようとしたのに、これでは本当に信じてしまいそうだった。
そして、カールはクララを見ると驚いたような表情を取る。
額に手を当てた後、再びクララを一瞥する。
カールは少し考えると、彼女の意味と目的を理解した。
どこか愉快そうな声音で言う。
「昨日今日、なんて早さじゃないぞ? いったい何があったんだ?」
「いえ、領主様に手足と目を支払ってから世界の見え方が変わりまして。神を信じてしまったのですよ」
「聖職者が運営する孤児院育ちが? これまで信じてこなかったというのもおかしな話だが、今さら信じた結果がコレとは、天災か何かか?」
コレ、と言ったカールは辺りを見回した。
瓦礫や崩れ去った建物もそうだが、何よりもクララの手と足だ。
契約によって付けた傷は不可逆のはず。癒える事はあり得ないのだ。
だが、あり得ない、が起こっている。
「お陰様で、こんなに元気に成れましたよ。まさか、自分がこんな事をできるようになるなんて思いませんでした」
クララはそう言うと、懐から何かを取り出した。
透明で、尖っている。
不思議な物体でもなんでもない、ただのガラスの破片だ。
クララは何の躊躇いもなく、自身の喉を掻き切る。
血が飛沫として撒き散らされた。少し離れた位置に居たガントンの服にもかかるほど飛ぶ。
さしものカールも驚きを隠す事ができず、マナとガントン、見るのは二度目のフィリップもギョッとした。
だが、次に瞬きを挟めば何事もなかったかのように治っていた。
ついさっきまでの光景が嘘のようだ。
幻にかけられたのだと笑われても納得しそうだ。
カールはそれを見て、皮肉げに笑う。
「ふふふ、私の時はあんなに痛がっていたのに。神を信じれば痛みからも開放されるのか?」
「痛みとは、体に異常が起こった時に発生するサインです。体が正常ならそんな感覚は訪れません。体が異常を感じる前に正常に戻ったとしても同じです」
無茶苦茶を言っている。
だが、カールはそれを何とも思っていないようだった。
興味深そうにしているだけで、狂人の話についていっていた。
「おかしな事だ。神を信じれば、こんな人間が生まれるのか。私も神へ祈った事はいくらでもあるが、お前のようにはなれなかったよ。これが才能というやつかな?」
「いえいえ。神への認識を変えただけです。存在しない、ただ人が縋るためだけの偶像から、便利なエネルギータンクになったんですよ」
「ふふっ……神を道具扱いか?」
「その認識でこうなったんです。なら、神も間違ってはいないと思ったのでは? 救ってほしい、なんて思うだけだから足りないんです」
ふふふ
ははは
何が面白いのか、二人は笑う。
まるで旧知の友人同士のように、微笑ましくだ。
「それで、この損害をどうしてくれるつもりだ? まさかその生えた手足を捧げるのか?」
「冗談キツイですね。支払ったのにまた切らないといけないと? 私はただ領主様の言葉に従って館に来ただけなのに、ここまで大事にしたのは警備の人たちです。まあ、申し訳ないとは思ったんですよ? でも、言っても信じてくれませんし、というか殺しにかかって来たんです」
自分はさも被害者であるように主張していた。
夜にいきなり来たのも、こっそり侵入したのも、目的を説明していないのも話していない。
「……だが、少しこれは暴れ過ぎだ。こんな事をされては、極刑は避けられないぞ?」
「極刑は困りますね。ぼ、私はただ貴方の言葉の通りに、欠けた部位を返してほしかっただけなのに」
「ふむ。なら、もう少し条件を呑んで貰おうか? 新しい契約だ」
穏やかに言っているように思えるが、殺してほしくなければ言うことを聞け、という意味だ。
それにはクララは困ったような顔をする。
だが、それだけだった。
表情以上のリアクションをするわけではなく、黙ってカールの話を聞いている。
「フィリップのように、私の命令に従うようになってくれないか? それで、今回の件はチャラにしてやってもいい」
それは人生を縛り付けるための鎖だ。
カールは優れた人材が欲しい。
実力があり、優れた駒であるフィリップは、中央から引き抜きの話が出ていたのだ。
国王が直々に命令すれば、手塩に育ててきた強い騎士が没収されてしまう。
それに、フィリップを取られて困るのは、彼が強いからというだけではない。彼が、心優しき、英雄のように振舞うからだ。それによって、民衆の不満は静まる。いやむしろカールの評価が上がる。
そうすることでより統治しやすい環境を作ってきた。
マナを引き取り、育てたのもその穴埋めのためだ。
もともと、彼女はカールの配下の貴族の娘でしかなかったが、カールが剣才を見抜き、フィリップに憧れるようにカールが上手く誘導しながら育てさせた。
そこに、神聖術を尋常ではないレベルで扱う、聖女のような立ち回りをする者が居ればどうか?
民衆は往々にして、綺麗な話が好きだ。清く正しい騎士と神官という二本柱でこれからの領地を盛り上げる気だった。
さらに、もっと長い目で見るのなら、二人に弟子でも取らせるか、結婚させて子供を産ませ、そのノウハウを領地内で続けていくつもりでもいた。
「重いですね……もう少し軽くなりませんか?」
だから、多少の我儘は聞き入れる。
カールは、クララの自分への心象は最悪かと思っていたが、案外悪くはないようだったのだ。
優しさと寛大さ、メリットを見せつけ、悪くはないかもしれない、と思わせられたら良い。
内心で色々と企んでいたカール。
どう出るのか、観察しながらカールは聞く。
どんな言い訳や条件を出されても、潰し、躱して、最終的には自分が最大限得できるように思考を巡らせながら。
「ほう? 例えば、なんだ? 言ってみろ」
「手足と目を治してもらいに来ましたが、仕方ありません。返してもらうのは目だけで大丈夫です。残りは必要ありません。一生、片手と片足だけで生きていきましょう」
申し訳なさそうに言うだけだ。
しかし、それではカールは納得できない。
「君がここに居続けるなら話は別だが、それでは軽すぎる。君からすれば、どうってことはないだろうさ。片手と片足くらい。不可逆なはずなのに、どうして左腕と右脚はどうしたのかな?」
「意地悪な人ですね。分かっているでしょう? 本当に軽くて、必要がないならここには来ません。治せるなら勝手に治して、一生寄り付きませんよ」
微笑ましく、にこやかに睨みあう二人。
水面下ではどうやって自分の主張を通すかを考えていた。
しかし、
「領主様!」
ガントンは大きく声を張る。
悲しいことに、領主カールの事を一番に考えていた男は、カールの考えを理解できなかった。
そんなに器用なことができる男ではない。
「この娘は、大したことはありません! 私なら一人で殺せます! 調子に乗らせてはいけません! 命令してください、これを誅せと!」
今の状況を見て、三対一でカールという守護すべき対象がいるためにガントンが負ける、だから交渉という回りくどいことをしている、と勘違いしていた。
違うのだ。
今回の件を、状況を見て、カールはクララを引き込もうとした。
だから、求められていることが違う。
「怖い人が居たものです。話し合いの最中に脅しだなんて」
恐ろしい、などとまるで感じていないかのような口振りだ。
無骨な男にとっては、挑発と取られてもおかしくないような。
フィリップとマナは警戒を強める。
ガントンが襲いかかってくる可能性は無くはないのだ。
「貴様……! 領主様、ご覧ください! この者は、大罪を犯した事を悪いとも思っていません! 危険です!」
「一つお願いしただけでここまで悪しざまに言われるとは……それに大罪? 悪いと思う? ボクの事を事情も聞かずに殺そうとした貴方が言わないで欲しいです」
脅すというのは良くない。
カールの目指す関係は、もっと健全であるべきなのだ。
確かに、脅して従わせる事も不可能ではない。
ガントンが言うように、今は出来ずとも一対一なら彼はクララを殺せるだろう。それに、そんな手間は取らずとも、クララの大切なものは何か、どこに居るか分かっている。
しかし、それは禍根を残す。
契約を使ったとしても、その穴を突き、是が非でも助かろう、助けようとすれば鬱陶しくて仕方がないし、もしもというものは存在する。
関係はカールが利用する限りは続くのだ。
そして、その関係を捨てるには惜しい人材と約束をする。
大切な事は信用である。
不健全なやり方が出来るにも関わらず、行わない。
あくまでも約束によって縛る事で、両者が納得の上でいられるのだ。
だから、ここで配下が脅す、などという行動に出られては、
「困りましたね?」
カールは考え込んでしまう。
上手く落とし所を見つけようとしたのに、それが壊されてしまった。
相手も状況が分かっている。
「ガントン、黙っていろ」
「な、領主様!」
「黙っていろ。この小娘とは私が話しているのだ」
ガントンは悔しそうにしていた。
だが、カールの命令通りにそれ以上は何も言わない。
「フィリップ。そこの娘に何とか言ってやってくれ。私の命令を聞くようになったら、どんな利があるのか懇切丁寧に」
「……それは冗談ですか?」
ああそうだ、と思い出す。
おそらく遠くない未来に自分の手元を離れるのだから、と少し無茶な命令をしていたのだ。
この状況で通るわけがなかった。
カールは困ったように眉を下げた。
「いやあ、私としてはもう少し領主様といい関係で居たいと思うのですが」
これ以上は譲歩できないだろう。
カールは、この時点で諦めた。
「なら、一つこちらが条件を聞こう。そしてその条件はここに居る者たちだけの秘密だ。ああ、手足の残りは貰うぞ」
クララは笑った。
話し合いをするために貼り付けていた笑みではない、本物の笑顔。
他人からすれば、本当に少し、少しだけ口角を上げただけに見えた。
だが、何よりも安心が見て取れる表情だった。
「私たちの孤児院を、領主様が経営してください」
それが、求めていたものだったから。