13、化け物が生まれた日
クララの要求はたった一つ。
領主の元へ連れて行け、というただそれだけ。
これには、クララをよく知るカレンもアレンも引いた。
朗らかに笑いかけてありがとうございます、など、自分たちの知っている彼女ではない。
どこか傲岸不遜で、自分以外を必要としない、仏頂面がクララの基本だったはずなのだ。
だが、クララは二人を無視して要求する。
二つ目の、領主の館への道案内をしろ、と。
「クララ殿。私は領主様から貴女を館へは連れてくるなと言われています。そのお願いは聞けません」
「なら、館がどこか教えていただけるだけで結構です。ぼ、私は一人で行きますから」
とんでもなく強引だ。
フィリップは眼の前の少女に押され気味だった。
確かに後ろめたさはあるが、それ以上に、言うことを聞かなくてはならないと思ってしまう圧力がある。
フィリップは一歩引きながら、クララと接していた。
近づきたくないと本能的に思ったからだ。
「まさか、今から行く気ですか? 警備の者が居ます。行っても領主様の元へは辿り着けません」
「そんなの最初から分かってます。問題ありません」
「いや、あるでしょう! 貴女は、」
「問題ありません」
有り余る自信だ。
どこからそこまで湧いて出るのか分からない。
クララは、不気味だった。
あれだけ酷い目に遭ったというのに、何の恐れもなく、カールの元に行くというのだ。あの惨劇からまだ一日も経っていない。あれは、一生心に残る傷になっていてもおかしくないというのに。
それなのに、何故行く気になるのか理解できない。
「もう大丈夫なんですよ」
「! 何が大丈夫というのですか!? 領主様に斬られたのをもう忘れたのですか!?」
「理解したんです」
クララへの恐れから、反応が一瞬遅れた。
その小さな手は、フィリップの剣へ伸び、あっという間に鞘から引き抜き、奪われる。
危ない、と叫ぼうとした。
腕を押さえて、剣を奪い返そうとした。
それよりも前に、クララは自分で自分の喉を掻き切った。
「な!?」
「馬鹿っ!」
カレンは驚きで声を漏らした。
アレンはその愚行を直接表現した。
短い発音でしかなかったが、それよりも速く、クララの血は地面に落ちる。
赤色の液体が、首の傷口から滝のように。
ベッドと床と服をその色に染める。
溢れ出た命は止める事はできず、そのまま彼女を死に至らしめるはずだった。
「え?」
誰の言葉か分からない。
アレンかもしれないし、フィリップかもしれないし、カレンかもしれないし、全員かもしれなかった。
思わず出た声は静かに響く。
それ以外も、以上も、何も言えない。
傷口は塞がっていた。
それどころか、床やベッドに広がった赤色もない。
染み込んだはずの命の源はどこにも存在せず、まるで時が戻ったかのように思える。
思わず見入ってしまうほど、異常だ。
「ほら、大丈夫でしょう?」
クララの言葉だけに集中していた。
「簡単な事だったんだ。力をいただく、なんて温い認識だからダメなんだ。神はエネルギーの貯蔵庫。そこから好きな分だけ取ってもいい。だって、それは無限なんだから。聖書でも、『神は誰にでも笑いかける』とある。許されない訳がない」
クララ本人にしか分からない独り言だ。
視線はどこにも向けられていない。
気が狂ったようなクララだったが、取り囲む三人は彼女の凶行を呑み込むので精一杯だ。
ひとり語りは止まらなかった。
「やっぱり興味深いし奥も深い。『回復術』と『結界術』と『退魔術』。この三つに分類するのも何か理由があるはずなんだ。魔術が意識や術、つまり命令次第で水を出したり、土を操ったりできるみたいに、神聖術も別の事が出来ないのか? いや、そもそも神聖術は力を借り受けて発動するという形式、考え方が確立しているから発想を変えるべきか? たくさんの人々が祈りという鍵を使用することで、武器庫から武器を預かるみたいな? なら、これは神によって作られた形? たったの三種類だけの話か? いや、今さっき自分で使ったという経験を忘れてはいけない。『回復術』を使って、その結果出た血まで消えているのはどういう事だ? 確かに自分の体に対して神聖力を取り敢えずぶつけてみた。アイリスがやっていた実際の形を真似して、それで力を注ぎまくった。いやそもそもアレで合ってたのか? 記憶が朧げで、適当にやってみた事が本当に正しい作用を残す訳がない。多分おそらくきっと、大切なのは治せ、という意識があった事なんだ。それを汲み取って神が適切な形に整えた、とか? そうじゃないとするなら、正しい命令の仕方があったのかもしれない。ちゃんと思い出せ。シスターから教わった言葉には、きっと核心がある。『神は誰にでも笑いかける』は、誰にでも、その気になれば神聖術が使えるということ。それはボクが証明といえる。神をタンク扱いしてるボクが使えたんだから、誰にだって。問題だったのは漫然と祈っていたからなんだ。力が欲しいと願わないといけないんだ。日々祈るのは、自分を救ってほしいという形の現れ。シスターは言ってたけど、聖職者は『回復術』を一番最初に覚える。それ以外の二つは必要によって覚えてもいいし、覚えなくてもいい。シスターは『回復術』以外使えないし、一番簡単なんだろう。いわば基礎だ。やはり救いを求めるから、救いの結果である癒やしが神聖術の代名詞にもなってるんだ。なら、『回復の術は人を癒やすためにある』なんてのはどうだ? 神聖術の『回復術』は人を治せる。治すってなんだ? 細胞を活性化させて傷を治すのか? いや、なら血まで消えるのは不自然だ。もっと言い方を変えるなら、『あるべき形へ戻る』ということ。シーツと服はきっと、血という汚れのない状態へ戻ったんだ。そういえば、神聖術に『浄化』とかいうのがあったな。確か効果は清める事。今回の事と同じ現象が起こってる。それもまた、『あるべき形へ戻る』事かもしれない。術者である人間からすれば、『あるべき形』なんだから。でも、そんなに人間主体で良いのか? けれども、神は何もしない。手を貸すだけで、手を使うのは人間だ。案外間違ってはないかもしれない。なら、今のボクの状態はどうなんだ? 今もボクの腕と脚は治らない。『あるべき形』なら、戻らないといけないのに。いや、阻害されてるのかそういえばさっきの『回復』の時は効果が働いているようには思えなかった。首と他にはあったのに、欠けた場所にはない。契約の影響で、この状態のままで固定されてるのか? なら、アイリスはどうやってその蓋を外したんだ? 考えるべき事ばかりが増えていく。ああそうだ! 今すぐ領主様の所へ行きたかったけどもう少し試したい事を試してからでいい! 一時間? いや、ちょっと短いな。今のボクなら、他の人が色々覚えるよりももっと早く習得できるはずだ。でも、取らなさ過ぎるのは間違いだ。よし、考えよう。考えればいい。考えればきっと答えは見えてくる。そうとなったら二時間? 三時間? うん、三時間にしよう。その間に神聖術の三種全部試して、使えそうなのを探っていこう。ボクなら簡単さ。だって、今は本当に気分が良いんだ。今だけなら、何だってできる気がする」
圧倒された。
それ以外の言葉なんて、意味のないものだ。
三人は話しかけられなかった。
邪魔をされれば、どうなるか分からない。
常軌を逸したクララは、人には見えなかった。
「嗚呼、本当に気分が良い……」
このニ時間後、クララはフィリップと共に領主の館へ向けて走っていた。
※※※※※※※※
何だ、これは?
フィリップのクララへの感想である。
信じられないのだ。
クララはついさっきまで、腕を斬られ、脚を落され、片眼を失い、その痛みに耐えきれずに泣き喚いていた。それはもうみっともなく、しまいには失禁したほどだ。
あれだけの苦痛を受けておきながら、いきなり途轍もない力と共に起きたかと思えば、今は元気に走り回っている。
いや、そんな生温い表現では言い表せない。本当に元気過ぎるのだ。
クララの片足は存在しない。
腿から下は無残にも切り捨てられ、今頃はカールが丁寧に飾っていることだろう。まあ、説明したいのはカールの残虐性の話ではなく、クララの規格外な状況だ。
今、クララは片足だけで走っているのだ。
『騎士様は、領主様からボクが館へ入る事を手伝うのを禁止されてますよね? なら、ボクを振り切るつもりで全力で走ってください。それなら、騎士様の契約には抵触しません』
追いかけっこになる前のクララの言葉だ。
やや正気に戻ったフィリップは、これを否定しそうになったが、アレンに止められた。
『何か様子がおかしいけど、言った通りにしてください。今のコイツに何を言っても無駄だから、とにかくやってみさせて無駄だと思わせないと諦めないと思います』
長年共に生活したからなのか、アレンにはどこか諦念が感じられた。こういう、突拍子もなく無茶を試そうとすることはあったらしいのだ。
確かに、諦めそうもなかった。
ランランと輝く目が、何が何でも付いて行く、と語っていたのである。
そして、片足の女児と自分のどちらが足が速いかを考えた。
考えるまでもない事だから、アレンにやってみせてほしい、と言われるまで忘れていたが、クララが追い付ける訳がないのだ。
色々とおかしな事が起こりはした。クララという少女の狂行と異常は目を剥くものがあった。
だが、それで全力で走るフィリップに追い付けるはずがない。
フィリップは常日頃から鍛えている。身に付いた筋肉と体力はクララとは比べ物にならない。それに、戦う者、誰しもが知っている身体能力を魔力で強化する技術、『戦技』まである。
これで負けるはずがない。
諦めてもらって、おとなしくしてほしい。
そう思っていた。
「はあ、はあ、はあ!」
全力で走っていた。
重しはいくらかあるが、『戦技』を使っているため、金属の塊である剣と鎧は紙のように軽い。現在、常人の目には、何かが通り過ぎた、としか思えない速度で走っている。
だが、その後ろには、
「あっはははは! はっや!」
クララはフィリップの後ろにピッタリ付いて来る。
離れる事は一切なく、走り始めてから一度も振り切れてもいない。
はしゃぐように言うクララ。
その無邪気さに、寒気を感じる事しかできない。
「クッソ!」
「うおっ!?」
埒が明かないと民家の壁を蹴り、屋根に飛び乗る。
軽業で引き離せないか、というせめてもの抵抗だ。
しかし、
「すっご!」
声は後ろから離れない。
どうやってここまで動いているのか、まったく分からなかった。
存在そのものに理不尽を感じる。
何が起こったのか知らないが、つい昨日まで何でもなかった少女に体技で突き放せないのだ。
不甲斐ない、とも情けない、とも思う。
そして、悔しくも思うし、少し羨ましいとも思った。
これが本物の天才かと、自分の小ささを知ったからだ。
結局、領主の館へ着くまで、クララのはしゃぎ声が途切れることは無かった。
※※※※※※※※
クララは薄く笑っていた。
フィリップには少し実験に付き合ってもらったが、とても有意義な結果だったからだ。
クララはこれまで、神聖術といえば『回復術』しか知らなかった。そして、神聖術を使ったのもさっきが初めてだ。
だから、他のものを使えないかと思った。
すなわち、『結界術』と『退魔術』。
そして、取り敢えず試してみて、案外できそうだったのだ。
これまでできなかった神聖術。
できる前と後とで、様々な新しい認識が生まれた。
神は便利な存在であるとか、神聖力を貰う時はとにかく奪うくらいの気持ちでなくてはならないとか。
すべて引っ括めて言えば、全部意識の問題だったのだ。
少し認識が変わっただけで、まったく違う事ができるようになった。
だから、クララは思う。
やろうと思えば、何でもできる、と。
必要なのは正しい視点だったのだ。
視点次第でこれまでどうしても出来なかった事が、出来るものに変わっていた。
彼女は、世界中の誰も彼もが、神聖術への認識を間違えていると確信した。
自分ならばどうするのか
それを探るための行動。
正しい視点はどこかを探るための、実験。
治そう、と願えば『回復術』で傷を癒せる。
それは助けたい、助かりたいという願いが源であるはずだ。
最も分かりやすい条件、感情であった。
あとの二種類に必要と言える感情は何かを考える。
『結界術』と『退魔術』。
両方とも、外敵が関係する術だった。
ならば、とクララは『結界術』は守る事であり、『退魔術』は害する事と予想してみる。
その結果、使えたのは『結界術』のみ。
仕方がないから、『結界術』を違う形に変えてみる。
自分を囲うような楕円、真球を作るのは簡単だった。
そして、円を部分的に出っ張らせたり、引っ込ませたり、立方体も作ってみた。
形をかなり自由に変えられると思い付いて、紐状の結界を思い付くまでで、一時間だ。
小さな結界を、一定の硬さになるまで展開し続けた。
さらに一時間すれば、納得のいく完成品が出来上がる。
クララはフィリップに付いて行ったのではない。
ただ、引っ張ってもらっていただけだった。
紐状の、見えない結界。
フィリップならば感じ取る事ができたが、クララから発せられる膨大な神聖力が邪魔をして気付けない。
膝に手を付き、息をあげているフィリップをよそに、クララは館へ足を踏み入れる。
とても機嫌良さげに、ゆっくりと。
「ば、化け物……」
フィリップの呟きは、クララには届く事はなかった。