12、核心を得た狂人
クララ視点
神様なんて、見た事がなかった。
居るなんて塵一つ分だって思わなかったし、存在を疑ったことしかない。
それに、そんな存在が居るのなら、もっと人生幸せだろう。
貧富の差なんてものはなく、皆が皆仲良く、楽しく暮らせるはずだろう。
だが、実際はそうじゃないのだ。
そこら中に理不尽は溢れてるし、苦しんでいる人だってたくさん居る。
神様は別に人間を導いてはくれないのだ。
どれだけ苦しんでも意味はない。
祈りも、布施も、免罪符も意味はない。
ボクはきっと、神様が嫌いなんだ。
前世というものの記憶は薄いけれど、その時もあまり今の感想と変わらない気がする。
いや、酷くなった結果が今か。
はじめから神様への敬意が薄い。
それから転生なんて経験をして、神様なんてものが居ない事を知って、絶望を味わった。
薄かったのに、苦しんで、助けてもらえなかったから嫌いになった。
それだけ苦しかったのだ。
生まれた環境なんて些細なもの。
男の精神に女の体という意識の差異も、貧しさ故のひもじさも、大したものではない。
苦しめられたのは、死にたくない、というただそれだけの願いだ。
育ての親であるシスターには、祈りは通じる、と言っていた。
でも、祈りが通じたとは思えないのだ。
こんなにも死にたくないと祈っているのに、声を聞いたことなど一度たりともない。
神聖術、なんてものもあるけど、やっぱり胡散臭い。
どんな時だって、神様は助けてくれないのだ。
手足を失ったとしても、目を抉られたとしても。
情けなく泣いても、喚いても、失禁したとしても、神様は居なかった。
そう、思っていた。
でも、光を見たのだ。
眩く、優しく、温かい光。
それはボクを包み込んで、癒やしてくれた。
神様は居た。
こことは違うどこかから、アイリスを通して、ボクに癒しを注いでいった。
そうとしか言いようがなかったのだ。
少しオカルトチックに思えるかもしれないが、神様と繋がったのである。
間接的にでも、神様の存在を感知した。
それほど圧倒的な存在感があった。
だがボクはここで、嗚呼神様バンザイ、と手放しで喜べる性格ではない。
歴史の教科書に載っているような、聖人が神様の偉大さを知って傾倒するみたいな事は、残念ながら無かった。
思った事は、神様とは何だ、という疑問。
感じ取れた規格外のソレは何か気になった。
どういう法則で、どういう基準で、どういう根源で、どういう価値観で、どういう理屈で、どういう行動で、どういう力で、どういう術で、どういう関係で、どういう存在か。
疑問に思えば止まらない。
気が付けば、頭の中は言葉で溢れていた。
この世界では、神様に祈りを捧げる事によって力をいただくことにより、神聖術を使えるという。
魔術というものも存在するが、あくまでも自分のものである魔力を使って行使する魔術と、神様から貰った神聖力を使う神聖術は別物だそうだ。
魔術で身体を治すのと、神聖術で身体を治すのも違うらしい。
神聖術では簡単だが、魔術では難しいとか。
でも、それは別に良い。
神聖術は神への祈りの産物、という事。
神様は大して生活を助けてくれる訳じゃないけど、それでも力だけは貸してくれる。
祈りは神との対話、とかなんとか言っていた人が居た気がするけど、世間的にはそういう認識らしい。弱みをさらけ出し、救いを求めるという形だ。
そして祈りの結果、アイリスという、力を求めた少女に、力を授けてくれた。
だから、ボクは助かった。
人の規格を超えた力によって、救われたのだ。
決して治らないはずだった五つの傷の内二つ、左腕と右脚が再生している。
おそらくだが、あの契約よりもずっと強い力が働いたのだ。
治らない、が捻じ伏せられたから、治る、が優先された。
神聖術は大まかに分けて三種。
人を癒やす『回復術』、人を守る『結界術』、人を害する存在を退ける『退魔術』。
あの時、アイリスは神様に力を求めて与えられ、それを自身の感情のままに叩きつけた。
すると、なんとボクの傷は治ったのである。
では、神とは? 神聖力とは?
何度も言うが、神聖力というものは神様から与えられるエネルギーの事。
祈りを対価にしてもらえる力。
その力は人間が持っている魔力とは異なる性質を秘めており、神だけが保有しているのだ。
聖職者の数はそう多くないが、それでも五万は下らない。
それだけの人間に、何百年、何千年と力を渡し続けたのが、神という存在の偉大さ。
そしておそらく、神とは力の塊なのだ。
世界中の人間にエネルギーが与えられる、無限の力を持つ存在、だろうか?
そう考えるのがしっくりくる気がする。
そこまで考えれば当たり前だが、というかそうでなければここまで真面目に考えていないが、今ボクは、神様の存在を確信している。
実際に感じ取り、その力を貰った。
これまで聞き流してきた、シスターから教わった聖書の言葉が思い出される。
『神は誰にでも笑いかける』『救われたくて祈りを行えば、誰もが救われる』『神は何時でも、子たる我らの味方である』
そうして、今まで積み重ねたものをひっくり返し、思い出して、理解できた。
つまりは、神の存在、力、有り難みを知ったのである。
ボクは、神聖術をもう使える。
認識の問題なのだ。
きっと出来ないなんてことはない。
これまでは神の存在なんて信じていなかったし、そんな虚無に自分をさらけ出すのも、力を乞うのもバカらしいと思っていた。
信じていなかったボクが使えず、信じたアイリスは使えた。
今ボクは、神をちゃんと認識した。
ボクは、神とは人のためにエネルギーを分け与える便利な道具だと確信した。
なんて便利な存在かと、感動した。
確かに神は存在していたのだ。
人類の営みを便利にするための、立派な歯車として。
その時、名前も知らないどこかの誰かが、爆笑していた気がした。
※※※※※※※※※
孤児院。
そこでは、誰もが沈黙していた。
意識を失ったクララとアイリス。
二人をどう扱っていいのか、判断が付かなかったのだ。
アイリスが直前に見せた、あり得ないほどの神聖力を発揮し、クララを癒した。
そのクララは、右腕と左脚、左目を失っていた。
長い間、聖職者をしていたシスターですら戦慄するほどの力と、それをもってすら癒やしきれないクララの傷。
途方に暮れていた。
状況が閉じられていたから分からなかったし、これからどうすれば良いのかも分からない。
状況なんて理解もできない幼子は蚊帳の外だ。
だから、ここで話をするのは、三人。
アレン、シスターカレン、そして、二人に申し訳ない、と謝罪に来た騎士フィリップだ。
三人でテーブルを囲み、話をする。
暗い雰囲気で、顔を上げられないままに。
「……つまり、領主様は地図の製作者であるクララに興味を持った。それで、誤魔化したら嫌がらせにアイリスを連れ去ろうとした。そして彼女を取り返すために、クララは身体をかけた、と」
「ええ、その通りです……申し訳ない……」
責任は自分にある
そう説明しに来たフィリップは、深く頭を下げる。
終始、申し訳ない、という言葉が尽きることは無かった。
「シスター。俺が悪かったんだ。そもそも、俺が協力せずにクララを止めておけばよかった……」
アレンもそれ以上の言葉はない。
そもそも、はじめから、自分が悪い、なんて言葉ばかりが出るだけだ。
二人は青い顔を上げられなかった。
こんな事は経験した事がなかった。
弱い者を守ろうとし続けた二人だ。
片や家族を、片や民衆を、愛し、そのためを思って動いてきた男たちだ。
まさかそれが、裏目に出るとは思いもしない。
一人の少女を徹底的に痛めつける事になるとは、思いもしない。
二人は、この世界でどうやってあの少女がこの先生きていくのか、まったく想像ができなかった。
だからこそ思うのだ。
取り返しがつかない事をしてしまった、と。
「私に謝っても仕方ありません。私は責めません。責められません」
カレンは静かに、謝意を拒否するだけだ。
もし誰かに謝る気ならば、謝る相手が違う、と。
それだけに留まらず、さらに続ける。
「あの子もあの子で、愚かでした。そのツケが来ただけです。貴方たちにも確かに責任はありますが、クララにも責任があったんです」
慰めと、事実だ。
仕方のない事だった。
事を急いたクララが、自分を捧げるという結末しか用意できなかったという話だ。
せめてその場に自分が居ればもっとマシな結末になれたとしか、カレンは思えなかった。クララに重荷を背負わせるようなことはなかった。自分が負うはずだった、と今となっては悔いるしかなかった。
その場に居合わせられなかった。
カレンというカードをみすみす捨てたクララへの呆れと、捨てられた事への悲しみが、彼女の中の想いである。
二人は、カレンの言葉を重く受け止める。
何よりも自責が垣間見えた。
そしてその上で、言外に、そんな後悔は役に立たない、と言われていた気がしたのだ。
「あの子の行動はあの子のものです。自分よりも、アイリスを選んだということを、忘れてはいけません」
二人は、そこで他人の顔を初めて見た。
カレンは、静かな表情のまま二人を見つめるだけだ。
そして、アレンとフィリップはお互いの青く、情けない顔をしているのを見る。
そうすると、少し落ち着いた気がした。
後悔に塗れているのが自分だけではない事を見て、少し気が楽になったようだった。
憐れまれるような事はない。
クララの行動は同情を買うためにした訳ではない。
それよりも、知らなければならない事がある。
この後の行動を決めるために。
「それで、クララの傷は治らないのですね?」
フィリップへの質問だ。
言葉に鋭さが込められているようだった。
それを向けられたフィリップは肩を震わせたが、すぐに真面目な顔で答えた。
「はい。契約は絶対です。込めた術式はどんなに優れた魔術師でも逆らえません。自分の意思で行った決定を、何よりも優先させる事を魂に刻むという効果ですから」
「治す方法はあるのですか?」
「この場合、両者合意の元で契約の紙を破壊すれば。ですが、領主様は『自力で自分の所に来れれば』と言いました。であれば、とても難しいでしょう」
カール・サドレーは領主だ。
領主という者は、国の主である王から、直接その土地の一部の管理を任された人間。
立場は騎士とは比べ物にならない。
フィリップはカールの直属であるために、比較的簡単に会うことができるが、これが他の騎士だったなら、よほどの事がない限り会えないだろう。
下町生まれ、下町育ちの下級市民など、語るまでもない。
考える仕草を取るカレン。
悩む内容は、今の説明と状況の矛盾だ。
「では、いったい何故、あの子には手と足が残っているのです?」
「…………」
言葉が詰まる。
フィリップの悩む姿を見たカレンはそれでキリを付けた。
誰も、何も分からないということだ。
「貴方たちが院を出てすぐ、アイリスが暴走したんです。私なんて及びもしない神聖力で溢れて、左手と右脚のあるクララを見ました」
「ええ。私たちもアレは感じました。ですが、クララ殿が体をはった手前、戻る事はできないと館へ戻りました」
埒外の事が起こっている事は分かった。
頭が痛くなりそうだ。
原因が分からない。
だから、対処もできない。
このまま、アイリスが眠り続けてしまうという可能性が無くはないのだ。
それに、
「アイリスは、その契約の力を打ち破ってクララを治した……?」
「あり得ない、と言いたい所ですが、実際に起こっている事を否定はできません」
カレンの呟きに、フィリップが答える。
分かってはいる事だが、まさに絵空事が現実に起こったのだ。
フィリップとカレンはこれから起こり得る可能性を思い浮かべる。
下手をすれば、今以上にマズイ事になりかねない未来だ。
「あの、騎士様。契約を打ち破ってでも怪我を治せる聖職者って居るんですか?」
ここで、アレンがフィリップに問いを投げかけた。
実際にどれだけ凄まじい事か、理解するためだ。
しかし、フィリップは微妙な顔で答える。
「正直、聞いたことがありません。私が神聖術について詳しくない、世間知らずという事もありますが、契約は絶対なんです。おそらく、出来て世界に百人も居ないと思います」
想像ができない世界だ。
理解することも不可能な絶技を、たった十歳の少女がやってのけたという。
その才能は神に愛されていると言える。
だが、それで生まれる問題もある。
「彼女は、どうなるのでしょうか?」
フィリップはポツリと呟いた。
嫌な未来予想の一つである。
それを聞くと、カレンは何も言えず、アレンは一瞬なんのことかと尋ねそうになったが、即座に気が付いた。
これだけの才能を持つアイリスだ。すべての聖職者を管理する機関である教会が手を出さないはずがない。
今は別に良いかもしれないが、噂というものは必ず広まる。
どんな傷でも治してしまう天才が居る、と。
そうなれば、教会は、総本山である聖国に連れて行く。
アイリスは優しい子であり、傷付いた者を放ってはおけない性格だ。
一年か、二年か、それくらいにはきっとここには居られなくなる。
クララが手足と目を犠牲にしてまで引き留めようとしたアイリスが。
三人は全員が同じ発想に思い至る。
そんな中で、カレンは一番はじめに意見を述べた。
「でも、このままここに居させる訳にもいきません。アイリスがあれ程凄まじい力を持っているなら、あの子を狙う、悪意ある人間から守るには、力がありませんもの」
フィリップもアレンも、正しい意見だと思った。
そもそもとして、こんな風にアイリスの事を話し合う事が、あまり正しくない事だと分かっている。
どれだけ隠そうとしても、無駄だと言えるほどアイリスの力は大きすぎた。
その時、悪用しようとする人間の数は、分からない。
噂が教会に入る前に、そういう悪意ある人間が近付く方がきっと早い。孤児院があるのは、下町なのだから。
管理のしようが無いものは、きちんと管理できる所へ渡すべきだ。
カレンは聖職者としての位と資格も持っており、教会に有望な人間を送り込む権利がある。
教会と連絡を取り、アイリスを送る事は出来ない事ではない。
だから、教会に連絡し、預けるのが最善。
しかし、二人は、いやカレンも、心情的にはアイリスを他所へ渡したくはない。
クララの犠牲を見ると、正しい答えも薄れて見えた。
「…………」
誰も、何も言えない。
この話は、これ以上は何も出ない。
そう思えた。
そして、問題の少女はアイリスだけではない。
「クララは、どうしましょうか……?」
アレンの言葉は、話の主旨をアイリスからクララへ変える。
カレンとフィリップはその事を咎める事もなく、真面目にクララについて考えていた。
「あの子は、」
ドクン
「!?」
全員が同じ方向を一斉に向く。
あり得ないエネルギー、あり得ない力の奔流。
計り知れないナニカが渦巻いている。
溢れて、零れて、また溢れるを繰り返すような力が、いきなり現れたのだ。
それは未知であった。
本来ならば、不安にかられ、警戒し、遠ざけるものだ。
けれども、未知の中にも知り得る所があった。
今、遠ざける訳にはいかなかった。
聖職者であるカレンも、騎士として戦闘を重ねたフィリップも、ただの子どもであるアレンも理解した。
これは、神聖力だ、と。
三人ともが、同じ事を想像する。
アイリスが目覚めた。
すると、三人の足は自然と二人を寝かせていた部屋に向く。
早く会いたい、早く顔を見たい、早く君のせいではないのだと言いたい。
願望が三人の心を支配する。
期待と後悔と緊張が高まりながら、部屋の扉を開けた。
だが、体を起こし、目を開いているのは金髪ではなかった。
黒い髪と、存在しない片眼に、裾が垂れたズボンと上着。
間違いなく、クララだ。
「シスターカレン……彼女も、神聖術の才能が……?」
「いいえ……この子は、神聖力を得たこともない、はずです……」
自信なさげにカレンは答える。
信じられるものではない。
あの時、アイリスの爆発には劣るものの、凄まじい神聖力で満ちていたのだ。これまで神などまるで信じず、神聖力のしの字も無かったクララが。
動けない三人をよそに、クララは残った左腕で、失われた右腕と左脚を撫でた。
それから、確かめるように何度も頷く。
「うん、大体分かった」
何が分かったというのか?
それを聞ける雰囲気ではない。
意味も分からない。
けれども、クララの中では確かに、彼女にしか分からない何かが繋がったのだ。
それから、クララは首を回してグルリと辺りを見回す。
アイリスが目に入り、一瞬愛おしそうに彼女の寝顔を眺めたが、別の所へ視線をやった。
視線の先は、フィリップだ。
フィリップは蛇に睨まれたカエルのように、動けなかった。
「これから、領主の所に行く。案内してくれますよね?」
クララはそう言うと、薄く笑った。