10、考えれば答えはすぐに出た
騒がしい日だった。
いつもは静かな浮浪者たちがザワザワと騒いでいるのを感じる。
いや、そうでなくとも、うるさかった。
だからか、クララは孤児院の全員に指示を出す。
今日は外には出るな、と
今まで周りとろくに関わりもしなかった問題児の言い分だ。
けれども、孤児院の中でも特に頭が良い人間の言葉だ。
何故、という問いは無駄だった。
分からないが、自分たちとは別のものが見えている、と思われていたのだ。
だから、特に理由を聞くでもなく、指示に従った。
誰も彼もがあっさりと。
だが、彼女に近い視点を持つ、シスターとアレン以外は、だが。
「さっきのはどういう事です?」
クララにシスターは詰め寄る。
寄られたクララは、とても面倒そうだ。
シスターは、クララのいつもと同じ無表情で、毒気を抜かれそうになる。
けれども、微妙に目が泳いでいるのを見逃さない。
分かりにくいようで分かりやすいのだ。
シスターは、クララが言い訳か、逃げようとするだろうと予想している。
しかし、予想に反して、クララは、ずっと何かを考える素振りをするだけだった。
だが、いつもならアレコレ理由を付けて逃げ出そうとするクララが逃げない。
シスターの中で、言いしれぬ不安が高まっていった。
彼女にとって、クララはどこか行動がおかしくはあるが、聡さはある子どもだ。
必ず行動の裏にはきちんとした理由がある。
そして、それを話すまではどこまでも言い続けるつもりでいた。
「うーんと、いや、違うんですよ」
「なにが、違うんですか? 普段はまったく動こうとしない貴女が、積極的になるなんて。どうしたんですか、本当に?」
クララが言い淀むのは言い訳のためだ。
今回、起こっているだろう騒動を、自分の責任ではないと上手く説明しなければならない。
アイリスのせいにも、アレンのせいにもできない。
ちゃんと考える事ができるシスターを騙せる、それらしく、納得のいく説明だ。
取り敢えず、噂話という事にでもしよう。
それから話を広げていこう、と。
そう決めたクララであったが、
「騎士が来てるんですよ」
シスターの後ろから声がかかった。
声変わり前の少年の声。
彼女らがよく知る、少年のものだ。
シスターはそちらを振り返って分からないが、クララは少年に向けてとてつもない顔をしていた。
何勝手してやがる、とふざけんなお前、が混ざったような、少女がしてはいけない顔だ。
アレンはそれがギリギリ見える位置に立っており、一応見えていたのだが、無視して話を続ける。
「騎士? いったいどうして?」
「ここら辺の犯罪をやってる場所を取り締まりに来たんだ。ちょっと前に、その情報を掴んだからね」
「ちょっと、アレン!」
止めようとするクララだが、それをシスターが止める。
五十を過ぎたというのに、その力は怪力以外では言い表せない。
非力なクララでは、片手でも容易に拘束できた。
「んー!」
「何故、それを知っているんですか?」
「元は、俺たちが原因なんです」
クララはその先は言うな、とシスターの腕の中で凄む。
いつもなら、言いたい事がある時は静かにじっと見つめているだけなのに、今は思い切り睨んでいた。
事前に釘を差しておいたはずが、足りなかったらしい。
憎しみにも近い感情で、クララはアレンに飛び付こうとする。
が、やはりシスターの拘束は解けない。
静かに語るアレン、静かに聞くシスターに喚くクララ。
そして、
「……だから、騎士が来ました。あの日から毎朝、確認していました。今日、日が昇ってから少しして、騎士が来たのを見たから、クララはああ言ったんです」
「…………」
最後まで、言葉は遮られなかった。
アレンが言い終えた所で、クララは力なく頭を垂れる。
「…………」
「…………」
何も言わず、シスターはクララを離した。
アレンとクララは何も話せない。
シスターの顔も見れなかった。
「はあ……」
シスターの溜息に、過敏に反応してしまう。
大袈裟なくらいに肩は震え、クララは泣いてしまいそうだった。
孤児院に居ると言う事自体が、子どもを守る鎧だったのだ。
それだけ孤児院が、というよりは、シスターが強い。
傷を負う事が多々ある下町で、回復の神聖術をタダ同然で行ってくれるシスターの存在は想像以上に大きいのだ。
彼女に恩を感じる人間は多くいる。
もし孤児院の子どもをに危害を加えたと分かれば、それなりの人間は敵に回る。
他に比べれば、遥かにマシで、良心的な環境だった。
放逐されれば、どう生きていいのか分からない。
だから、クララは狼狽える。
そうなれば、高い確率で死ぬだろうから。
そして、アレンも、もうどうしようもない、という顔でシスターの次の言葉を待っている。
クララと同じく、状況はよく分かっている。
だから、彼はクララと二人でどう生きるか、と考えていた。
二人とも追放されるなら、せめて助け合って生きなければ、と。
静かに、覚悟を決めていた。
「貴方たち、いいですか……。私は、」
「いやああ!!」
悲鳴が聞こえた。
唐突、突然、いきなり。
これまでの一連の流れを途切れさせる音だ。
アレンとシスターが呆然とするなか、クララだけはその悲鳴の方へ駆け出していた。
聞こえた瞬間だ。
耳に入るとほぼ同時に。
何故なら、
「アイリス……!」
彼女が最も愛する人間のものだと、気付いたからだ。
※※※※※※
アイリスは訳が分からなかった。
クララがいきなり、外には出るなと言ったかと思えば、シスターは二人だけで話がしたいとクララを連れて堂の方へ行ってしまった。
アレンも何故か悲しそうな顔をして、二人の後を追った。
止めても、大事な事だから、と言うだけだ。
弟妹たちを宥め、三人を待つ。
クララが言ったように、絶対に誰も外には出さないように。
少し待てば大丈夫だろう、という楽観と、何か知らない内にとんでもない事が起こっているのでは、という不安が入り乱れる。
どうしようもなく揺れる。
これからどうしようか、という悩みが大きくなる。
三人の所に行ってみたかったが、下手な口出しはいけないとわきまえている。
クララのおかげで、皆不安だったのだ。
弟妹たちを放り出す訳にもいかず、早く戻って来てほしいと願っていた。
そして、ドアの開く音がする。
話が終わったか、と思った。
けれども、三人が入って行ったドアとは別の方向だ。
音の出どころは、孤児院の入口。
そこには、二人の男が立っていた。
一人は、アイリスが少し前に会った騎士だ。
眩しい金髪が目を引き、十人の中で九人がカッコイイと言うだろう容姿をしている。
背も高く、脚も長く、まさに絵本から飛び出て来たような、騎士然とした男だ。
鎧はあの時よりも一層輝き、オーラがあるように思える。
騎士、フィリップだ。
二人目は、知らない男だ。
騎士と似た金髪と目元を持った、痩せた男。
歳は四十を回っているだろう。
フィリップもどこか余裕を感じさせる男ではあるが、けれどもここまでではない。
彼以上に、貴族らしい貴族。
知識がないアイリスではあるが、男が高貴な人間であると理解できた。
そして、
『ふむ』
男、カールが一瞥する。
そこには、みすぼらしい少年少女が並んでいるだけだ。
面白くもない景色であるというのに、慎重に、じっと観察し続ける。
『領主様。ここには何もありませんよ。諦めてください。見つけ出すなんて、できません』
フィリップが抑えた声でカールに言う。
チラとアイリスの方を一瞬見たが、意識はカールにしか向けてはいない。
向けようとしていない。
下手に気を使えば、何かを勘付かれる。
カールの人並み外れた観察眼は、何を拾ってくるのか分かりはしないのだ。
だから、何もしてはいけない。
表情を変えることも、他に視線を向けることも。
だが、
『そうか。では……』
『きゃっ!』
領主は足早アイリスへ駆け寄る。
他の子どもを押し退け、彼女の手を掴んだ。
『領主様!?』
『私の目を誤魔化せるとでも思ったか?』
驚くフィリップ。
だが、カールにとっては何も不思議な事もない。
『他の子どもは……。まあ、いい。外に出ろ。邪魔だ』
『う、あ……』
小さな子どもたちは動けない。
自分たちの姉に近い人が、弱々しく捕まっているのだ。
怖いし、不安だ。
どうすればいいのか分からず、けれども恐怖のあまり声もあげられない。
それを見て、カールは鬱陶しく思った。
『聞こえなかったか? 邪魔だから外へ出ろ』
『皆! ちょっとだけ、外に出てて!』
アイリスは思う。
ここで、この子たちを一緒に居させちゃいけない、と。
カールの目を見れば、邪魔だから殺す、と言っても不思議ではないと思ったのだ。
だから、指示を出す。
クララと同じく、だが別の意味で、アイリスの指示は簡単に子どもたちを動かせる。
『絶対に入ってきちゃダメ。私が良いって言うまで、中に入らないで』
なんとか、気丈に言う。
震えるアイリスを見て、子どもたちは一人、また一人と立ち去っていく。
それを見て、カールは機嫌良く言った。
『この子ども、お前の事を見ていたぞ? 私よりもお前の方が興味があったようだ。お前もお前で、隠していたようだがこの子どもに興味を示していた。顔見知りだったな?』
思わずフィリップは顔に手を当てる。
出ていたのか? と。
意識して表情をコントロールしていたが、カールにとっては何の意味もない。
視線、仕草、隠そうとした表情。
すべてを総合的に見れば、訳もない芸当だった。
『あの地図にしても、お前は本物と多少変えていただろう? おそらく本来は中央であろうこの場所を外し、目立たなくするために、歪になった場所があった』
アイリスは目を白黒させる。
状況がまったく分かっていない。
頭が混乱していた。
いきなり偉そうな人が乗り込み、腕を捕まれ、騎士と言い争いをしている。
誰か何が起きているか教えてほしい。
思い浮かぶのは、黒い髪の手のかかる妹。
彼女なら、落ち着かせてくれるかもしれない。
意味の分からないこの状況を上手く立ち回ってくれるかもしれない、と。
だが、その期待は叶わない事は分かっている。
アイリスにとって頼りになるクララも、アレンも、シスターも今は席を外しているのだ。
そこまで思い巡らせると、はたと気付く。
地図だ。
あの地図を求めて、この二人はここに来たのでは、と。
『…………!』
自身の失態を悟る。
クララの地図は、大切そうに抱えていたものだ。
アイリスはようやく、そこには自分が想像も付かない事が書かれていたのではないか、と思い至った。
自分のせい?
あそこで騎士様に地図を見せたから?
なら、この二人の目的は?
まさか、クララとアレンを……
急速に顔色が悪くなる。
まさかこんな事になるなんて、と。
『キャアアアアアアア!!』
怖くなった。
自分のせいで二人が何かされるのではないかと思うと、目の前が真っ暗になりそうだ。
だから、叫んだ。
怖かったし、悲しかったし、後悔した。
どこか泣くように、喧しく騒いだ。
誰か助けてほしいという、虚しい願いも込めて。
「アイリス!」
※※※※※※※※
そこには、喧騒があった。
小さな子どもたちは泣いていた。
見知らぬ男たちが言い争っていた。
そして、アイリスが泣いていた。
思考が一瞬止まる。
だが、一瞬だ。
クララは状況を精一杯で理解した。
あの地図が無関係な訳がない。
さらに、それを見せた騎士という存在は知っている。
そしてその騎士、フィリップが、悪人ではない可能性が高いという事も。
視界に飛び込んできたアイリスの腕を強引に引く男、カールの事は分からないが、貴族に違いないと確信した。
そして、
「……いかが致しましたか、貴族様?」
媚びる。
媚びるしか、ない。
口八丁で気持ち良くさせて、帰らせるしかないと判断した。
問題なのは、カールが貴族だという事。
彼がやりたい、したいと言った事は必ず叶えられる。
もしもそのまま、アイリスを連れていきたいと言えばその瞬間に終わるのだ。
最悪、カールが下級市民を虐めたいだけなら、何をしても無駄な可能性もあった。
だが、何もしない訳にはいかないのだ。
クララは扉を閉め、そこによりかかった。
そして閉じた扉を、さらにきつく、強く閉じる。
建物自体が古いだけあって、あまり強く閉めると扉は容易には開かなくなるのだ。
邪魔をされては、たまらない。
だから、封じる。
きっと、後ろに居る彼らはクララの予期せぬ事をするだろう。
一人の方がいいと信じた。
クララの登場に、反応は様々だ。
アイリスは喜びと恐怖が半々、フィリップは誰だ、という文字が顔にデカデカと書いてあった。
そして、カールは興味深そうだ。
この一瞬で、状況を理解されたと察したから。
「ほう? 話の通じそうなのが居るな」
「君、ここは離れていなさい! 僕たちは、」
「黙っていろ。私は、コレと少し話してみたい」
フィリップは内心、驚く。
確かに突然現れたクララの言動は少し異常ではあったが、彼女がカールが話をしたいと言うほどの者なのか、と。
アイリスと歳の変わらなそうな子どもが、だ。
そして、そのアイリスは何も言えない。
様々な言葉が浮かんでは、口に出る前に消えていく。
逃げろ、も助けて、も言えずに、クララを見つめていた。
「いやなに。このフィリップが少し前、面白い地図を見つけてな。なんと、下町でコソコソ行われていた犯罪を記した地図だ。私は、その製作者がここに居ると判断した」
「……ここは寂れた孤児院です。私のような知恵の回らない者しかいないココには居りません。貴族様が面白いと思われるような物を作れるなど……」
「いや、居るな。その地図はこの孤児院を中心に書かれている。あと、下町について相当詳しくなければ、コレは無理だ。ああそれに、犯罪の現場を調べるのには子どもを向かわせれるのは良いな。お前のような者が居れば、不可能ではない」
実際は確信するような要素は少ない。
カールが孤児院に来たのは、半分はカンで、もう半分は居れば良いなくらいの気持ちだった。
決めてかかるように言うのは、鎌かけだ。
クララがどう言い訳するのか。
少しだけ、遊んでみたいだけだ。
「それで、この娘を使えば良いと思ってな。私のものにすれば、脅しになると思ったんだ」
「「…………!」」
カールの言葉に、フィリップとクララが焦る。
二人共、カールよりも立場が低いのだ。
ここでカールがアイリスを自分の奴隷にする、と言えば、逆らう事はできない。
これ以上しらばっくれれば、カールは実際にそう宣言するだろう。
カールは追い詰めて、苦しむ所が見たいのだ。
曇るクララの顔を見て、笑顔が深まる。
「で、その地図は誰が書いた」
『クララ! 開けなさい、何が起きているのです!』
これに、クララは思わず振り向きそうになった。
だが、これは仕方がない。
声が漏れるのは当たり前なのだ。
とは言え、
「おや? 扉の向こうに誰か居るのかな?」
「この場に居れない者はお忘れください。彼女はただの老婆ですよ」
興味を持たせてはいけない。
シスターに発言権を与えれば、場が余計に混乱する。
クララからすれば、すべてを知ってしまったシスターは、その気になればクララに押し付ける事ができるのだ。
ここで関わらせれば、苦しい状況になる可能性は高い。
悲しい事に、シスターはそんな事をしない、という可能性をクララは信じられない。
だから、押しのけてしまった。
守ってくれる人物を、排してしまった。
「…………そうか」
「ええ、そうですとも」
「ではこれはどうだ?」
カールの顔が邪悪に歪む。
そして、クララは失敗を悟った。
「それらしい人物も居ないというなら、ここへは無駄足だったか。なんの成果もないというのは癪だし、この娘を貰っていこうか?」
「「なっ!」」
そうなるのか
クララとフィリップは声を漏らした。
突拍子もないカールの発言だが、それを言われるのは駄目だ。
『何が起こっているんです! クララ! 開けなさい!』
失敗だった。
クララは、シスターに突き出されればどうにもできないと思い、締め出した。
大人と子どもの言うことをどちらを聞くのか、考えるまでもないのだ。
間違いはなくクララの発言よりもシスターの発言が優先されるために、保身に走った結果、関わらせないという選択しか取れなかった。
だが、このせいで状況は変わる。
気にするな、という言葉に、向こうは頷いてしまった。
唯一の大人であるシスターという、地図の製作者に最も相応しい人物を締め出したのだ。
つまり、
「領主様。ここには大人が居るようです。地図の製作者というのも、その者では? この娘を連れて行く必要は……」
「しかしなぁ……。この者が扉の向こうの者は忘れろと言った。なら、話に上げるのは違うだろう? おそらく、介護が必要な老婆だろうて。ボケておるのよ。だから、関わらせないようにしたのだ」
いけしゃあしゃあと言うカール。
クララは固まってしまう。
選択肢を間違えてしまった。
一番怪しそうな人間に、押し付けてしまえば良かったのだ。
我が身可愛さと考える時間の欠如により、排するという表面的な解決法しか取れなかった。
「くっ……!」
「何だ? この娘はお前が気に入ったか? 済まないが、私が先だ。お前に回る頃には、少し傷が付いているかもしれんが我慢してくれ」
「父上!」
だが、クララは失敗を切り替える。
おそらくどんな状況になったとしても、この結果に持って行かれたはずだ、と。
完全に、クララとフィリップが苦しみ、悩む所を見たいだけの男なのだ。
ああ言えばこう言い、こうするつもりだった。
一番二人が困るだろう展開に。
だから、仕方がない。
仕方がないから、次の言葉を
何でもいいから早く、自分とアイリスを守る言葉を
「おや、私に逆らうのかな?」
「そういう訳ではありません! こんな少女でなくとも、もっと満足いく者が居るはずです! そもそも、家には高級娼婦がいくらでも居るでしょう!?」
「別に何でも良いだろう? 私たちは下級市民はどうしてもいいんだ。君が私を咎める理由はないはずだ」
「いえ、そうではなく!」
クララの思考が加速する。
外のノイズがやかましいが、クララには大して入って来なかった。
そんなことより、と考える。
どうするのが最良かを、考える。
アイリスをここで逃せば、ろくでもない事をされるのは間違いない。
絶対にそこは避けたい。
だが、何をしてでもクララ自身への害も避けたい。
どちらもを取らなければならないのだ。
自分か、アイリスかは、これまで考える事を避けてきた問題だ。
だから、今も同じ。
考える事を避けて、両方を取る。
そう決心して、アイリスを見た。
「…………」
ひどく怯えたアイリスの姿を、見た。
「―――――――――」
「―――――? ―――――」
誰かが何かを言っている。
だが、それはクララは受け付けられない。
弱っているアイリスを見て、それで、
「あの!」
答えは出た。




