008 獣性と人間性
「よっと」
掛け声を上げて、エフリールは迫りくる怪物を打ち倒す。
顔面を叩き割られた馬が、数秒の間、足をばたつかせてもがいていたが、やがて灰になって消えていった。
猪が突進してくる。ただ体当たりをしてくるだけでなく、鋸のような歯を剥き出しにし、噛みつこうとしてくる。
エフリールは巨体を飛び越えて、あっさりと攻撃をかわした。
猪は反転しようとするが、グレースによって蔓で足を捕らえられ、横倒しになる。
そのまま背後からエフリールが止めを刺した。
今ので群れを退治しきったのを確認し、一息つく。
街に入ってから小一時間が経過しようとしていた。
エフリールとグレースは、幾度となく現れる怪物たちを退けながら、貧民街を進んだ。
その間に、エフリールは自身の体や魔術の性能について少しずつ理解を深めていた。
まず体についてだが、怪物たちと同じか、あるいはそれ以上に身軽で、強靭な力を秘めている。
試しに跳躍すれば、決して低くはない家屋の屋根に飛び乗ることが出来たし、近場にあった石像を押してみれば、片手で軽々と動かせた。
何より、傷が徐々に塞がっていくという特徴があった。
かすり傷程度ならば、数秒置くだけで治ってしまう。明らかに異常な造りをしていた。
〈杭〉については、使い続けると壊れるということが分かった。
どうも力が揮発でもしていくのか、何度も怪物へ振るったり、時間が経っていくと、威力が弱まり、脆くなっていく。最終的には形を保てず、粉々に砕けてしまう。
作り直せるので問題ないと言えばないのだが、手応えとして、生成にも限度があるようだった。
恐らくは身体を治癒する力と連動している。休まず使い続けると、初戦の人狼の時のように、負荷で気を失うのだろう。
自分の骨から作っているのだから、無尽蔵でないのも当たり前ではある。
エフリールは、丁度時間切れになって崩れていく〈杭〉の感触を確かめながら、周囲を見渡す。
灰の塊がいくつもある。どれもここまでの道のりで現れた怪物を倒した跡だ。
入り口にいた街の住民は、怪物の群れを前に無残な屍となるしかなかった。
だが自分は、造作もなく怪物を退治していった。
その事実に、エフリールは知らず知らず、おかしさが込み上げてくる。
「楽しんで、いるのですか?」
グレースが近寄りながら尋ねてきた。
「楽しむ? 僕が?」
「そう見えましたので」
エフリールはぼんやりと考え、答える。
「……そうかな。そうかも」
先ほどまでの怪物たちとのしのぎ合いと、少しずつ戦い方を覚える自分とに、高揚を覚えないと言えば嘘になる。
するとグレースが厳しい表情になって口を開く。
「いけません。どうか決して、そのようなお考えはなさらないでください。それはあの異形たちと、同じ領域に踏み込むということに他なりません」
はっきりと咎める言い方だった。
エフリールは驚くが、グレースは構わず話を続ける。
「いいですか、エフリール様。人が理性という手綱を自ら手放し、獣性に身を委ねるなど、本来あってはならない行為なのです。あなたは人間なのです。決して、彼らと同じ場所へ堕ちてはいけません」
今まで同様、ただただ主の身を慮っての苦言、というのは伝わる。
だが、グレースが具体的にどのような部分について危機感を抱いているのか、エフリールには分からなかった。
楽しんではいけないと言うが、戦えば自然と気分は昂る。
戦いを避ける方法も今はないし、抑え込むのは困難だ。
そう思いながらも、グレースの信頼を損ねたくはないと、曖昧に濁した答えが口を突いて出る。
「……気を付けるよ」
◆◆◆◆◆◆◆◆
枯れた水路の傍までやってきていた。
付近の建物の下を通っており、ここを進めば一段街の奥まで辿り着けそうだ。
とはいえ内部は薄暗い。更に霧が立ち込めており、すこぶる視界が悪い。怪物とこの中で戦う羽目になれば、地上の時ほどうまくはいかないだろう。
相手の目からも逃れやすくはあるが、人狼は鼻が利く。身を潜めながら進むという手にはあまり期待できない。
「崩落の危険はなさそうですが、ここを抜ける前に他の道も探してみましょう」
グレースの提案に頷き、ひとまず水路は後回しにする。
結果的にそれは失敗だった。
近辺の道は、どれも通り抜けることが不可能だった。
単純に塞がれているだけの街路もあったが、問題はそこではない。
封鎖されているだけなら強引に乗り越えて行けばいい。だが試しても道の先に進むことは出来ず、いつの間にか反転して元の道へ戻ってきてしまった。
懲りずに何度も挑戦してみたが、結果は一緒だった。通り抜けることは出来ず、強制的に引き戻される。
「……これは悪夢の檻の端に来ている、ということでしょうか。こちらから奥へ向かうのは不可能なようですね」
怪物を外へ出さないための機構。これも一種の魔術ということだろう。
突き出した腕が自分に向けて戻ってくるのをしげしげと眺めながら、エフリールは振り返る。
「グレースも初めて見るの?」
「ええ。私も、街の内部に関してはあまり詳しくないのです。真っ直ぐご案内出来れば良かったのですが……申し訳ございません」
悪くもないのに頭を下げるグレースへ「それはいいけど」と告げる。
「進むならあの水路じゃなきゃダメってことだよね。真っ暗だから、大丈夫かな?」
「でしたら、どこかで明かりを見つけていきましょう。今後も役立つでしょうし」
「明かりかー。えーっと……あ」
エフリールは驚いて声を上げた。
見回した周囲の家屋のひとつに、一瞬照明が点き、そしてすぐさま消えたからだ。
隣にいたグレースが囁く。
「今のは……」
互いに顔を見合わせる。
グレースも目撃しているのなら見間違いではない。
エフリールたちは、明かりの点いた家へ、そっと近寄っていった。