表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狼獄の街に眠る灰花の夢  作者: kuro
本編2
7/46

006 決意

 屋敷を出る。

 庭園には、最初に目を覚ました時と同じ、()にたくさんの白色の小花を付けた植物が()れている。

 エフリールが気を取られて(なが)めていると、何やら鼻がむずがゆくなった。


「――くしゅんっ」


 (こら)え切れずに盛大にくしゃみをすると、グレースが気遣(きづか)うようにハンカチを差し出してくれた。

 受け取ったエフリールは、鼻を押さえながら尋ねる。


「ねえ、この花、なんていうの?」


「これはベロニカグレースという花です。観賞用の花なのですが、怪物たちはこれを嫌っているようで、魔除(まよ)け代わりになっていますね」


「へえ、グレースと同じ名前なの?」


「はい。私のお気に入りの花のひとつです。この庭園でなければ、もっと別の花もお見せできたのですが」


「ふうん……くしゅんっ」


 再びくしゃみが出た。エフリールは眉根(まゆね)を寄せた。


「……大丈夫ですか? 少し離れましょうか」


 (あるじ)の困り顔を見て、グレースが花の咲いていない片隅へ案内する。

 エフリールは特に不機嫌というわけでもなく庭園を振り返った。


「なんかむずむずするだけで、花は綺麗(きれい)だよ。グレースの髪とそっくりだね」


「気にいっていただけたのなら何よりです。……本来は、この花の色はこうではないのですが」


「そうなの? 何で違うの?」


(やまい)、と言いましょうか。この花は悪夢の影響で(むしば)まれてしまったのです。元々は紫の花をつけ、時期が移れば白く染まっていくのですが、今はどちらの色も失われて、灰に近い色へ変わってしまいました」


「ふうん。元には戻らないの?」


「それは無理です。長く、悪夢の中にいましたから。どれだけ手入れをしても、もう元に戻ることはない……」


 (うれ)いを帯びた瞳でグレースが庭園を見つめる。

 彼女にとっては、この庭園はよほど大事なものだったのだろうか。


「じゃあ、悪夢が終わったらまた咲くってこと?」


 何の気なしにエフリールが告げると、グレースは何故か息を止めるほど驚いていた。


「……ええ、ええ。きっとまた、鮮やかな色の花が生まれるでしょう」


 グレースがほころんだ顔を見せる。

 感じ入ったように頷く彼女の目の端には、(かす)かに光るものがあった気がした。


◆◆◆◆◆◆◆◆


「――<(パイル)>」


 門の(そば)、ベロニカの花が咲いていない庭の片隅で、エフリールは呪文を(とな)えた。

 ずずっ、と腕の内側で骨が(うごめ)き、わずかな痛みと共に手の(ひら)から先端が突き出てきた。

 エフリールはそのまま先端をつかみ、引き抜く。先の戦いの時と同じ、不気味で美しい、白い槍が姿を現した。

 手の平に()いた穴は、これも魔術の一端ということなのか、あるいはあまり深手でもないのか、すぐに(ふさ)がる。

 どうやら唱えさえすれば簡単に生成できるらしい。わざわざ肋骨(ろっこつ)を折る心配はなくなった。

 適当に槍を振り回してみる。エフリールの記憶にも知識にも槍の扱い方などないため、本当にただ棒を振り回す程度の練習だった。

 遠巻きにグレースがこちらを見守っている。

 エフリールは体を動かしながら、また彼女へ質問を投げかける。


「グレースは僕が目を覚ます前からここにいたんだよね?」


「はい、その通りです」


「じゃあそれまでは、何をしていたの?」


 ともすれば不快に思わせてしまうような質問を真っ向からぶつける。

 エフリールとしては、彼女に含むところがあるわけではない。

 ただ、怪物に対抗する力があるならここに(とど)まらず、もっと自由に動けそうなものだ。純粋に疑問だった。


貴方(あなた)の目覚めを、待っていました。貴方の眠りを、守っていました」


 グレースが穏やかに微笑(ほほえ)む。不躾(ぶしつけ)な問いに気分を害した様子など微塵(みじん)もない。


「この小さな箱庭で、ただひたすら、祈り続けました。悪夢が貴方をさらってしまわないように、必ずいつか目を開けてくれるようにと」


 グレースは手を組み、胸の前へ掲げる。


「ですので、今こうして貴方が立ち上がっていることが、私は何より嬉しいのです。……記憶を失われてしまったことは、私にとっても大きな痛みですが、それでも」


 告げる言葉には、強い感情が込められている。(うそ)(いつわ)りが入り込む余地など、ありそうにない。

 グレースが()くしてくれるのは、単なる役割以上の思いがあるからだと、エフリールは痛感する。

 同時に、若干(じゃっかん)憂鬱(ゆううつ)にもなる。

 記憶のない今、グレースがどんなに強く(した)ってくれていたとしても、それに(こた)えられる自分はいない。自分の素地(そじ)がない。どうしようもなく、申し訳ない話だ。


「……僕の記憶は、元に戻るんだろうか」


「……どういった形で戻るかについては、私にも分かりません。ですが、この街の奥へ進めば、必ず」


 何故、記憶は失われたのか。果たして記憶を失う前の自分は、どのような人物だったのか。

 グレースの(つか)える主人として相応(ふさわ)しい人間だったのか。それとも全く違ったのか。

 直接聞き出せば済むように思えるが、恐らくそれだけでは足りない。

 沈黙(ちんもく)を切り()くように槍を力強く振るう。


「グレース」


「はい、何でしょう」


「ありがとう」


 端的に礼を告げた。単なる行為への返礼であって、感情に応えたわけではない。今の自分に、応えられるはずもない。


「お礼の言葉など、もったいない限りです。これが私の役目。エフリール様がお気にする必要はございません」


 グレースは当然のように(ひか)え、頭を下げた。

 疑問は尽きないままだ。

 だが、だからこそ記憶を取り戻さなければならないと、エフリールは改めて思った。

 彼女の思いを受け止められる自分自身を取り戻しに行こう、と決意する。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ