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狼獄の街に眠る灰花の夢  作者: kuro
本編2
6/46

005 異形と魔術

「お前には(すぐ)れた素質があるのだ」


 日の光の()す部屋の中で、椅子に座った幼いエフリールは、男が話すのをじっと聞いている。

 男の顔は、逆光のせいか、はっきりとは映らない。


「教団も魔術協会も駄目だった。私自身ですら届かなかった。だがお前は、お前の母と私の血により、耐えうる(うつわ)を持ち合わせた」


 エフリールは、目を(しばたた)かせて男を見上げる。

 男の語る話の意味が分からないからだ。


()()()()()()()()()()()()()。いずれ(きた)るべき時へ(そな)え、お前は(すこ)やかであればいい、息子よ」


 男の手が肩に置かれる。

 エフリールは、かけられた期待と言葉をただ茫洋(ぼうよう)と受け入れ、こくんと(うなず)いた。


◆◆◆◆◆◆◆◆


「…………」


 微睡(まどろ)んだ意識が浮かび上がってくる。

 エフリールが目を覚ますと、そこはどこかの建物の一室だった。

 古びた壁やテーブル、()り切れた絨毯(じゅうたん)、何年も使われた形跡のない暖炉、欠けた姿見鏡(すがたみかがみ)、絵の収まっていない(なな)めの額縁(がくぶち)など、所々荒れ果てている。

 鏡を見ると、ソファに寝かされ、丁寧(ていねい)に毛布まで掛けられている自分の姿が映っていた。

 エフリールはそこで初めて、自分の顔を認識した。

 闇に溶け込むような漆黒(しっこく)の髪と、ルビーのような赤い瞳。肌は平均的な白人種より少し濃い。顔立ちにはややあどけなさが残る。

 毛布に(くる)まれた姿は、雨を(しの)いでじっとうずくまる動物のようだ。

 これが自分、と呆然となる。


「エフリール様っ、お気付きになられましたか」


 振り向くと、すぐ(そば)にグレースが立っている。

 彼女は慌てて水の入った器と()れた布とをテーブルの上に置いた。

 水も布も赤く染まっていた。どうやら気を失っている間に血や汗を(ぬぐ)ってくれていたようだ。

 グレースは(かが)み込み、エフリールの怪我(けが)や体の具合を()てくる。


「どこも異常はありませんか?」


 グレースの(やわ)らかな手が触れる。特に怪我をした脇腹の辺りを何度も確かめる。

 エフリールも視線を落とす。


(……治ってる)


 不可解なことに、骨まで取り外したはずの怪我はどこにもなく、グレースより濃い色の肌が綺麗(きれい)にそこにあるだけだ。

 疑問符の浮かぶエフリールだが、それ以上は考えず、ただ傷はないという事実だけを受け止める。


「……うん。多分、大丈夫」


「本当に? ご気分が優れなかったり、熱っぽかったりはしませんか? 脈が早いとか、ここでない風景が見えたりとか」


 まくし立てるグレースの声は、(かす)かに震えている。

 切実なまでの――いっそ異常なほどの――心配振りだった。

 エフリールは彼女の執拗(しつよう)さを不思議には思うものの、特に驚きはせず。


「平気だよ」


 と素直に答えた。

 起きる前に夢を見た気もするが、よく覚えていなかった。


「そうですか。良かった……本当に……」


 グレースはようやくほっとした様子で手を引っ込めた。

 納得したところで、今度はエフリールがグレースへ聞く。


「グレースの方は? 傷、大丈夫なの?」


 背中にひどい怪我を()っていたはずだ。

 自分は何故か治ってしまっているが、彼女もそうだとは限らない。


「ええ、問題ありません。私はここで死ぬようなことはありませんから」


 グレースはにこりと微笑む。

 だが改めて見ると、その顔色はとても青白い。

 気丈(きじょう)に振る舞っているが、決して具合がいいわけではないようだ。


(すわ)らない? 聞きたいこと、あるし」


 気遣(きづか)うつもりで言うと、しかしグレースは首を振る。


(あるじ)のおられる室内でメイドが軽々しく休むわけには参りません」


 エフリールは戸惑う。どうやら従者としてのプライドの問題らしい。

 少し考えた後に、ならばとグレースへ告げる。


「じゃあ命令するから、座ろうよ」


 命令というよりは、お願いに近い調子だった。

 強く言い渡されなかったことに対し、グレースはやや困り顔ではにかむものの、それ以上は反論せず、頷いた。


「承知いたしました。失礼させていただきます」


 ようやく腰を下ろしたグレースは、折り目正しくしながらも、ほっと小さく息を()いていた。やはり疲労はあったらしい。

 一拍()を置いてから、エフリールはグレースへ尋ねていく。


「ここって、最初のあの屋敷?」


「はい。お見苦しい箇所(かしょ)が多いのは、どうかご容赦(ようしゃ)ください。何分(なにぶん)、古いので手が行き届かず」


「平気だよ」


 答えつつ、エフリールは夢の中で見た光景と照らし合わせる。

 だが、建物の(いた)み具合が激しく、同じかどうかは分からなかった。


「それじゃ、ええと次は……あの怪物は一体何だったの?」


 グレースの表情が、柔らかなものから真剣なものへと変わる。


「あれは人狼(ウェアウルフ)。この悪夢の中に生息する怪物の一種です」


 怪物、という単語をグレースは当然のようにぶつけてくる。

 とはいえ実際に()の当たりにした以上、存在を疑う余地はない。


「一種? あれだけじゃないんだ」


「はい。彼らは、終焉(しゅうえん)御子(みこ)魅入(みい)られ、人を捨て去った異形(いぎょう)です」


「……捨てた? 元は人間なの?」


 驚くエフリールに対し、グレースが冷淡にも聞こえる調子で言い渡す。


「今は怪物です。彼らに理性はなく、こちらの言うことなど聞きはしません。先ほどエフリール様が倒した者も、そうです」


「正気じゃないの?」


「ええ。そうでなければ、私たちが襲われる道理などないでしょう?」


 逆に問い返され、エフリールは、まあそうかも、と納得する。

 記憶喪失の自分には、どこかに襲われる理由が隠されているのかもしれないが、例えそうであっても、あの怪物が見境(みさかい)なく人を襲いそうだというのはなんとなく分かる。


「ですのでエフリール様。どうかお気に病まぬよう。彼らは自ら人間性を放棄(ほうき)し、獣であることを選択したのです。いずれ何もかもを滅ぼそうとする怪物ならば、彼らを()つのは正しいことなのです」


「……うん。分かった」


 言われて初めて、エフリールは誰かの命を――元人間だが――奪ったのだと自覚する。

 正直なところ、無我夢中だったことや、相手が人間からひどくかけ離れていたせいもあり、罪悪感はあまり湧いてこない。

 いいことなのか、悪いことなのか、判断は付かなかった。


「説明に戻りましょう。この街は怪物たちが闊歩(かっぽ)する場所であると同時に、彼らを閉じ込める(おり)でもあります」


「出さないようにしているってこと?」


「はい。ここが悪夢として閉じている限り、怪物は外、つまり現実の世界へは辿(たど)り着けません。しかしただ待っているだけではいずれ破滅へ向かいます。怪物たちは終焉の御子を目覚めさせようと動いているからです」


「さっきも言ってたけど御子って?」


(くわ)しいことはお答えできません。ただ問題は、もし御子が目覚めれば怪物たちはここから解き放たれ、ありとあらゆるものを食らい尽くしに向かう、ということです。そうなれば世界は破滅します」


「じゃあ、それを防ぐ必要があるってこと?」


「はい。そしてそれが出来るのは、貴方(あなた)だけです」


「ふうん。どうして……あ、これは答えられないんだっけ。じゃあ、いいや」


「……はい。申し訳ございません」


 頭を下げるグレースへ、エフリールは首を振る。


「いいよ。聞けないことや分からないことは、今は考えないから」


「それは……いえ、承知いたしました。今はまだ、その考え方が貴方を守ってくれるでしょう」


 顔を(うつむ)かせながら、グレースが意味ありげに(つぶや)いた。

 エフリールは、特に気には()めず、次の疑問を投げかける。


「あの骨の槍や、怪我が治ったのは何でだろう」


「それは魔術の(たぐい)です。エフリール様が持っている力の一端(いったん)が、自然と()れ出たのでしょう」


 再び常識を超越した単語が飛び出してくる。

 エフリールは驚くより、むしろ面白がった。


「へえー、魔術。グレースのもそうなの?」


「……私のは少々毛色の違うもの、だと思います。すみません、私は魔術にはあまり明るくはないので」


「でも使ってたじゃない」


「私には、本来ああした力は(そな)わっていないのです。この悪夢の中だけで許された異能ということですね」


「ふーん。僕の方は元からあるんだ」


 エフリールは両手を開き、確かめるように視線を落とす。

 見かけは普通の人間と何ら変わらないが、先の戦いの力に加え、重傷さえ跡形(あとかた)もなく治癒(ちゆ)してしまった以上、疑う余地はないだろう。

 ふと、エフリールはあることに思い至って顔をしかめた。


「どうかなさいましたか?」


「……うん。えっとさ、グレース。これからあの街の中心へ向かうっていうことは、また怪物と戦ったりするんだよね?」


「ええ、恐らくは避けられないでしょう」


「だったら……僕は毎回あばら骨引っこ抜かなきゃいけないのかな? ちょっと大変」


 エフリールは至極(しごく)真面目(まじめ)に言った。

 主のどこかズレた発言に、グレースは呆気(あっけ)に取られるものの、すぐに提案を口にする。


「えっと、外で練習、してみましょうか?」


 エフリールは、遊びに向かう子供のように快諾(かいだく)した。

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