004 闘争
エフリールは自分でも信じ難い速度で駆け、拘束されたままの人狼を蹴りつけた。
人狼の体は、エフリールより二回りは大きいにもかかわらず軽々と吹き飛び、辺りの立木をいくつも薙ぎ倒して、ようやく地面へと落ちた。
凄まじい力だった。それこそ、怪物のような。
だがエフリールは驚くよりも先に、グレースの怪我が気になって振り返った。
「だい、じょうぶ……それよりも、まだ……!」
グレースは、エフリールの異様な力に驚きもせず、首を振って忠告する。
見れば、人狼はまるで堪えた様子もなく、拘束を解いて立ち上がってくる。頑丈さは見かけ通りらしい。
(何か、武器は……)
人狼を警戒しながら視線を巡らすと、グレースの投げた剪刀が二本、地面に刺さっている。
エフリールは咄嗟にその一本を拾い、迎撃する準備を整える。
「グアアアアアアアッ!」
咆哮を上げ、人狼が飛び出してくる。
その速度はエフリールの予想よりも素早く、反応が遅れる。
しかし人狼は直前でがくんと膝を突き、止まった。
蔓が片足に絡みついている。グレースの援護だ。地面に刺さったままのもう一本の剪刀から花を操ったのだ。
逆に好機となった瞬間、エフリールは全力で攻撃を加えた。
ちょうど位置の低くなった怪物の胸へ剪刀を突き立てる――が、手応えが妙だ。
食い止まっている。通じていない。分厚い筋肉の壁を前に、剪刀がもろくもひしゃげた。
はっとしたときには、遅かった。
怪物の爪が振るわれ、今度はエフリールが、横へと吹き飛ばされた。
盛大に地面を転がり、茂みの手前で停止する。
「っ、うっ……」
なんとか手を突いて身を起こそうとすると、激烈な痛みが走った。
脇腹が無残に切り裂かれている。血に濡れた肉の向こうに、骨まで垣間見えた。
「――ル様!」
遠くからグレースの叫ぶ声が響く。
痛みで朦朧としているエフリールの耳には、はっきりと届かない。
このままでは二人ともやられるだけだ。
何か、何か手段はないか。普通の武器では足りない。
もっと鋭く、相手を貫けるもの、辺りの鉄柵や、槍のように尖った、怪物の命を奪うもの――
(……あるじゃないか)
エフリールは躊躇いもなく、己の傷口へ手を突っ込んだ。
肉を分け入り、その先の骨まで指を届かせる。
握り締めた肋骨を、自ら折って外へと取り出した。
「……〈杭〉」
自然、呟きが漏れた。あらかじめ知っていたかのように、自身を変成する、力ある言葉を唱える。
握っていた骨が形を変える。手を少しはみ出す程度でしかなかった大きさの骨が、瞬く間に槍のように長く鋭く変貌する。
柄をつかむ手から血が伝い、じわりと白を染め上げ、美しさと狂気を孕んだ武器が出来上がった。
エフリールは骨の槍を支えに立ち上がる。
怪物の動きがおかしなことになっていた。
「グオオ、オォッ……」
こちらを凝視したまま、どこか恐怖したように震えている。
何かに怯えている?
だが今のエフリールに、その疑問を解消する暇はなかった。
分からないことは考えない。
必要なのは、自分の命を守るため、そして身を呈して助けてくれたグレースを守るために、怪物を倒すことだけだった。
後退る怪物へ、躊躇なく突進する。
突き出した槍は、過たず怪物の左胸を穿ち、その強靭な肉体を貫いた。
咆哮が重なる。怪物のものと、自分のもの。
怯え逃れようとする断末魔と、猛り爆ぜる果断な叫びが轟く。
やがて怪物の声がか細く途切れ、ぐらりと地面へ倒れ伏す。
起き上がってくる気配はない。どころか、怪物の体は形を保てず、日を浴びた吸血鬼の如く、ぼろぼろと灰になっていく。
気付けば、怪物だったものの姿はどこにもなく、後には砂のように崩れ去った残骸だけが残った。
(……倒した……?)
実感が湧かない。なおも灰の中から再生し、立ち上がってくるのではないか――
だが懸念を確かめるより先に、エフリールの体に限界が来た。
ぐらりと世界が傾く。意識が転び、地面へくずおれる。
グレースが何度も自分を呼ぶのを遠くに聞きながら、エフリールは気を失った。